第一章





01、無上講の伝統

 今日、明日の限られた時間ですが、「真宗門徒の証明──習俗化した仏教の諸問題を問う」と、そういったテーマで少し、レジメにはなりませんが、こういった事を問題にしたいなという事は「会報」の方に紹介されていると思います。
 それで、いきなりですが、この親鸞聖人の浄土真宗の教えに縁を持つ者として世間の中で生活していく時に、とても避けて通れない問題、そういった幾つかの問題があるわけです。それは殆ど神道と関係するわけです。その避けて通れない問題は、親鸞聖人当時から今日までずっと続いておる問題です。それを、特に存覚上人が『破邪顕正鈔』というものの中で、一つ一つ取り上げて問題にしておられます。それを手がかりにして見ていけたらと思うております。避けて通れない問題として、一.神明の問題。これは神道です。神明の問題に対して念仏者はどう対応していくのか。二.それから触穢の問題。この触穢の問題は、現在ですと習俗の問題としてあるんですね。三.それから王法の問題。この王法の問題でいえば、やはり政治の問題です。四.そして、更に存覚上人自身は死後の問題として提起しているんですけれども、これは霊の問題、霊魂の問題です。こういった事に対して念仏者は、どういうふうに念仏者であることを証明できるのかという、そういう事をきちんと見ておるのが存覚の『破邪顕正鈔』なのです。存覚上人は覚如上人から義絶されていて、仏光寺と非常に縁が深かったということです。だから存覚上人が抱えておる問題は、仏光寺の問題とも一つ重なるわけです。蓮如上人はその『破邪顕正鈔』をよく読んでおられるわけで、蓮如上人をみていく場合には、どうしても存覚の『破邪顕正鈔』というものを視座に置くとという事が大事だと思うんです。存覚の『破邪顕正鈔』に依りながら、存覚が提起している問題についてです。
 まず、この死後の問題、霊魂の問題。日本人にとってこの霊の問題は文化そのものです。ですから、非常に根が深いし、全てにこれが関係してくると。神明の問題にしても、触穢の問題にしても、王法の問題にしても、全てが霊とか魂とかの霊魂問題が関係しています。
 現在は第三期の宗教と言われるんですが、オウムの事件があってから、情報としては流れてきませんけれども、非常に深く浸透しておる第三期の宗教は、この霊ということを問題にした宗教なんです。だから輪廻転生であるとか、何処から来て何処へ行くのかとか、そういう三世観です。そういう事が、非常に今は厳しい形で問題になっております。そういった時も、この死後の問題、霊・魂の問題がやはり非常に大きい問題としてあります。
 死後です。覚如上人、存覚上人の時は、念仏者は人の死後に道を教えない。人が死んだら、どうなっていくのか、何処へいくのか、そういった事について念仏者は教えないと。それは邪見である、邪見そのものであるという批判が世間にあるんです。そういう世間の批判に対して、実はこういう事だと言って答えておるのが、この死後問題の存覚の答え方です。そして、そこにまた念仏者というものは、死の問題についてこういう事なんだという事を言い切っているわけです。そこで存覚が言うておるのは、人が死んだ後の事について「六道の方角」ですね。地獄、餓鬼、修羅、畜生、人、天の六道の方角についてとか、極楽浄土の方所──何処にあるのかという事について説いておるものがあると。つまり、「六道の方角」とか「極楽浄土の方所」を説いておるものがいると。しかしそれは、「無常導師の作法」である。これは親鸞聖人の浄土真宗の教えとは関係がないんだと。親鸞聖人の浄土真宗の教えに依るものは、六道をさまようたりしないんだと。極楽浄土に還っていくんだと。たとえ往生できないという事があったといっても、どうなっていくのかとか、何処へいくのかとか、そういう事は教えても説いても意味がないんだと。そういうふうに言い切って、「無常導師の作法」と念仏者の教えと混乱しているという事で批判がされているわけです。
 問題の「無常導師の作法」というのは、覚如上人の『改邪鈔』です。『改邪鈔』の十六の中に出ております。そこにこういう事が問題になっておるわけです。
当流の門人と号する輩、祖師先徳報恩謝徳の集会のみぎりにありて、往生浄土の信心においてはその沙汰に及ばず、没後葬礼をもって本とすべきように衆議評定する、いわれなき事。(『改邪鈔』十六『真宗聖典』(以下『聖典』)P689)
と。その「没後葬礼をもって本とす」というのを少し展開して、
 往生の信心の沙汰をば手がけもせずして、没後喪礼の助成扶持の一段を当流の肝要とするように談合するによりて、祖師の御己証もあらわれず、道俗・男女、往生浄土のみちをもしらず、ただ世間浅近の無常講とかやのように諸人思いなすこと、心うきことなり。(『聖典』P690)
つまり親鸞聖人の浄土真宗の流れを「無常講」と間違えておると。この事が非常に心が痛むという事を覚如が言うておるわけです。この「無常講」とか「無常導師の作法」、これは、没後葬礼と言いますか、人が亡くなった後、六道の事を説いたり、浄土の事を説いたり、また追善をしていく、そういう事を問題にしていくのが無常講だと。その無常講は浄土真宗と別なんだという事を言っているわけです。
 それで、問題の「無常講」です。現在でもこの無常講の伝統が深く生きているわけです。それは、例えば大谷派の寺でも御本尊の阿弥陀如来が、無常院の来迎仏が御本尊になっている場合がかなりあるんです。これは真宗の本尊ではないという事が言い切られているわけなんですが、かなり無常院の来迎仏が御本尊として今でも安置されていることがあるんです。例えば、親鸞聖人の御真影の里の前橋の妙安寺、妙安寺の御本尊は非常に美しい。ですけれども、これは無常院の来迎仏である。見ればすぐ分かる。これは何故かと言うと「踏み割り蓮華」と言って、蓮台を踏み割っておると。それは、普通は足が並ぶんですけれども、右足が半歩前に出るとか、左足が半歩前に出るとかしておる。そうすると、足が後先になるわけです。この蓮台が踏み割られてしまっている場合もあるわけです。こういう踏み割り蓮華に立つ阿弥陀如来は、無常院の来迎仏です。それは臨終に来迎する阿弥陀如来を表すわけです。この無常講というのは、無常院を中心にして臨終の行儀をする。これが無常講です。無常院を中心にして、その来迎仏を前に置き、そこで臨終の行儀をしていくものが無常講なんです。
 この無常講の流れの元は源信僧都から始まるわけです。源信僧都が『往生要集』の中で、やはり「厭離穢土、欣求浄土」という事ですから、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を離れて、いかに浄土往生を遂げていくかと、そういった事を問題にしているわけです。その具体的な実践として臨終の行儀ということをです。『往生要集』の中にも臨終の行儀という事が問題になっているんですが、実践したのが無常院に於ける臨終の行儀だと。それの流れが民間の中で伝統されているわけです。何故、源信がわざわざ無常院に於いて臨終の行儀をしたかという事です。これは、源信が展開している浄土というものは、「浄土の十楽」といって、一番最初が「聖衆来迎楽」、その次が「蓮華初開楽」。この「聖衆来迎楽」というのは、我々の臨終に、浄土から阿弥陀如来を中心にして聖衆が来迎をされると。その来迎を受けて浄土往生というものが決定していくと。浄土往生した者が「蓮華初開」という形で浄土を目の当たりにすると。こういう展開になっておるんです。この「聖衆来迎楽」は、これは臨命終時という、命終わる時というのが非常に大きな意味を持つわけです。つまり臨終の一念です。臨終の一念というものが我々の生処を決定していくと。生処を決定するというのは、何処へ生まれ変わっていくのかという事を決定するのが、臨終の一念であると。その臨終の一念を正念で終わっていくのか、正念を失って狂乱して終わっていくのかと。正念を失って狂乱して終わっていくという事であれば、これは浄土に往生したという事にはならない。だから、なんとしてでも臨終の一念が正念で終わっていくように、縁ある者が臨終に立ち会って、臨終勧念、念仏を勧めながらその者が念仏の中で、阿弥陀如来の来迎を目の当たりにしながら、死んで往かせていくという事が一番大事な事だということです。お互いに浄土で再会しようと約束し合った者が念仏の結社を作っていくわけです。その念仏の結社を、源信は「二十五三昧会」と呼んでいます。こういう一つの結社の掟と言いますか、その結社に入った者の約束事を詳しく決めておるわけです。その二十五三昧会の念仏結社が無常講なんです。浄土で再会しようと。もし私が浄土に往生したら皆さんを引接しようと。もし私が浄土に往生できない時は、皆さんの力で何としてでも浄土に往生させて欲しいと。そういう事を約束し合いながら臨終の行儀を持って、そこで徹底して念仏を勧めていくと。こういった事が行われたのが無常講の始めなんです。特にこの二十五三昧会を見ますと、亡くなった後、一基の卒塔婆を立てて、その下へ結社の者の骨を埋めると。親鸞聖人が亡くなられた時、最初は横川様式の卒塔婆が立っていたという事が言われるわけです。そうすると、親鸞聖人自身にも念仏講の一つの形をとった僧伽があったのかもしれないという事は言えるわけです。一基の卒塔婆を立てて皆がそこに骨を埋めるという事なんです。ただ、問題なのは臨終に正念の中で終わらすと。正念を失ってしまえば、狂乱の中で死んでいけば、とても浄土に往生したという事が言えない。それで過去帳というものを、もうその当時から用意するわけです。その過去帳に、二つの事を記録したということです。一つは略歴なんです。もう一つは死に様を記録する。略歴というのは、世間でどういう位置の人であったのかという事を書くわけです。天皇なら天皇だと。そういう事なんです。死に様というのは、結局臨終の一念が生処を決めるわけですから、正念の中で阿弥陀如来を見ながら死んだのか、狂乱して死んだのかと。狂乱して死んだという事であれば、とても浄土に往生したという事が言えないと。その死に様を記録して、何としてでも我々の力で浄土に往生させて助けようという事で、追善をしていくわけです。追善を懇ろにすべきなのか、懇ろにしなくていいのか、追善の懇疎を死に様で決めたんです。
 こういう過去帳の記載の形式が江戸時代に復活してくるわけです。源信僧都の時代は、やはり浄土で再会するという事を約束し合った者同士として、何としてでも浄土に往生させて助けたいという事で、死に様によって追善するわけです。けれども、江戸時代はそういう事が無い中で、記載がされてきたと。だから今、過去帳は封がしてあります。それは何故か。それはそういう略歴とか死に様というものが記載される形を踏襲したからです。これは源信僧都の時から、過去帳問題はこういう形であったんです。
 しかも源信の場合は、私達が源信僧都といえば親鸞聖人を通しての源信僧都ですから、本願史観による源信なんですけれども、親鸞聖人を通さないで源信を見れば、泥々した問題がいっぱいあるわけです。一番大きな問題は、浄土に往生するとか又は六道を輪廻するとかと、そういった時に、何が往生し、何が六道を輪廻するのかということです。その時に、霊魂、はっきりとこの霊魂というものをたてていくわけです。それは「光明真言、土砂加持」という事です。源信自身も「光明真言、土砂加持」という事を言うておるわけです。これは、光明真言で加持した土砂というものを、亡くなった者を埋葬するとか、又は火葬して骨を埋めるという時に、光明真言で加持したその土砂を掛けるんです。その事によって、光明真言の能力と言いますか、功徳力というものを信じて、地獄に堕ちる者も解放されて、往生していくんだという、こういう事が信じられておるわけです。これは法然上人が『選択集』を公にされて、それを手にした栂尾の明恵上人が、『選択集』批判を『摧邪輪』で徹底してされるわけですけれども、栂尾の明恵上人自身にも『光明真言土砂勧信記』というのが残されているわけです。それは光明真言を信じ切って、亡くなった者の骨、又は亡骸の上に掛ける事によって、それで助かっていくんだという事を信じ切って行われているんです。
 江戸時代の仏事というのは、殆ど墓に卒塔婆を建てるということです。その時にも、卒塔婆に経文を書くわけです。その経文の功徳というものを信じるわけです。そうすると、午前中は卒塔婆の影が無間地獄まで届く、午後は有頂天まで届くと。この無間地獄から有頂天までが三界六道の世界全体です。だから、こういう卒塔婆の影、その経文が光になって、苦悩する者達を解放するんだと。そういったことが、卒塔婆の功徳として説かれるわけです。そういう意味では、霊魂というものを前提にした源信の無常講というものの流れが、民間に非常に深く根付いていくという、そういう問題が、親鸞聖人当時もそうですし、覚如そして存覚の時も盛んであったんです。


『破邪顕正鈔』中巻、『真宗聖教全書(以下聖教全書)三』歴代部
一。神明をかろしめたてまつるよしの事。(P170) 一。触穢をはゞからず日の吉凶等をへらばざる条、不法の至極たるよしの事。(P171) 一。仏法を破滅し王法を忽諸するよしの事。(P173) 一。念仏の行者はひとの死後にみちををしえざる条、邪見のきはまりなるよしの事。(P175)

『往生要集』上本巻、『聖教全書一』三経七祖部(P757)
今、十の楽を挙げて浄土を讃ぜんに、猶し一毛もって大海を滞らすが如し。一には聖衆来迎楽、二には蓮華初開楽、三には身相神 通楽、四には五妙境界楽、五には快楽無退楽、六には引接結縁楽、七には聖衆倶会楽、八には見仏聞法楽、九には随心供仏楽、十に は増進仏道楽なり。




02、『十王経』の世界

 更に亡くなった者がどうなっていくのかという事について、非常に早い時期から『十王経』というものが説かれもし、民間にそれが受け入れられもしたという事実があるわけです。この『十王経』は、例えば蓮如上人の「御文」の一帖目の十一通目です。蓮如上人が生きられた時代というのは「十王経信仰」が一番盛んな時期なんです。ですから、「御文」の中にこういう事が記されています。
もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなりなんや。まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。されば、死出の山路のすえ、三途の大河をば、ただひとりこそゆきなんずれ。これによりて、ただふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定してまいるべきは安養の浄土なりと、おもうべきなり。(『聖典』P772)
ここに出てくる「死出の山路のすえ」、或いは「三途の大河」、これが『十王経』の世界を表しているわけです。この『十王経』というのは日本で作られたとも言われる偽経なんです。きちんと言えば『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』というんですが、これは経とは言っているけれども偽経なんです。しかし、この『十王経』で説かれていることが、日本人の霊魂観とか先祖観とか他界観に受け入れ易い。その為、この『十王経』がどんどん一人歩きをするんです。伝承される過程で、民衆の中で『十王経』がどんどん作り替えられていく。例えば今でも、誰かが亡くなると、葬儀屋さんがみえると。大体棺桶の中に六文銭を入れるとか草鞋を入れるとか杖を入れるとか、そういう事がされます。これは全て『十王経』の、死出の山路を越えて行く時に杖と草鞋が必要だと。三途の河を渡る時、船頭にわたす金だと。そういうような信仰です。『十王経』は偽のお経ですけれども、『十王経』の中では三途の河に船なんか無いわけです。それがあるようになってしまっているという事は、民間に『十王経』が伝承されながら定着して作り替えられている事を示すわけです。
 『十王経』というものは、浄土宗の少し大きい寺に行きますと閻魔堂があるんです。讃岐の善通寺に参られたら大きな十王堂があるんです。京都でも閻魔堂というのは全部十王堂ですから。その十王堂というのは、閻魔王を中心にした十人の王が十王なんですね。ですからそういう意味では蓮如上人の「御文」の中にも、帖外というよりも「十帖御文」というものがあって、そこの中にこういう事が出てくるわけです。
中有というは、十王の裁断なり。
これは、存覚上人に『至道鈔』というものがあって、この『至道鈔』というものを元にして蓮如上人が「御文」を作っておられるわけです。出てくる元は存覚の『至道鈔』なんです。「中有というは、十王の裁断なり」という、これは今でも中陰というものが勤められているわけですけれども、中陰の事を言うておられるわけです。これは何故かというと、四有説というものがあって、命有るもの、存在しておるものはですね、生有、本有、死有、中有という存在のあり方をすると。生有というのは、我々ですと母親の胎内に宿ってオギャーと産声を上げて生まれてくるその時を生有というんです。今生きておるわけですけれども、やがて死んでいくわけですね。その死ぬ時を死有。生まれて死ぬまでの間を本有。死んだらそれで終わりかというと、死んだ時に、これがさっきの霊魂問題なんです。
 日本の歴史の中で、両墓制というのがあるんです。一つは埋め墓です。そこへ埋葬して埋めてしまうとか、火葬して焼いてしまう。今だったら火葬墓です。これは埋め墓です。もう一つ、家の屋敷や寺の境内地に、参り墓を持つと。この埋め墓というのは、肉体がそこに埋められていると。埋葬してしまえば訪ねない。しかし参り墓というのは、そこに亡くなった者の霊が宿っているんだと。だからお盆が来ますと、十三日にお墓に参って連れて帰ってくるわけです。だから、十四日とか十五日にお墓に参ったら笑われるということです。何故かというと、お墓は留守だと。十三日に連れて帰っておるのだからと。そういう意味では、参り墓、ここに亡くなった者がいるんだと。ですから、墓は霊の一つの依り代なんです。そういう意味で霊という問題が、日本人には先祖霊の問題と関係しているんです。それを否定する事はできないと。
 この中有なんですが、肉体は腐乱していく、焼けば灰だと。しかし霊は七七四十九日はさまようと。これが中有なんです。肉体を離れた霊がさまようて、七七四十九日経つとまた新しく自分の生まれ変わる場所を持つと。輪廻転生というのは、生有・本有・死有・中有、そして生有・本有・死有・中有と繰り返していくのが輪廻転生なんです。ここで蓮如上人が言われる「中有というは、十王の裁断なり」とは、七七四十九日の間に十王によって裁断されていくということです。その裁断される事によって新しく生まれ変わる生処というもが決定していくと。だからその間に追善をしていく必要があるんだと。そして亡くなった者も、縁有るものが自分の為に追善をしているかどうか非常に気になるんだと。そういう事を存覚は『至道鈔』の中に展開しております。蓮如上人にも、それを受けた「御文」があるわけです。しかし、浄土真宗に縁を持つ者は真っ直ぐ浄土に還っていくのだから、六道をさまよわないんだというような事を言ってはいるわけです。「中有というは十王の裁断なり」いう、これが『十王経』なんです。
 初七日から始まって、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、これで七七四十九日、そして百ヶ日と。そして、一年、三年と。こういうふうに終わっていくのが『十王経』における仏事の原点なんですね。親鸞聖人当時でも十仏事ではなしに、十三仏事とか十五仏事とか、こういう仏事ができあがっているわけです。その十三仏事というのは、これに七年と十三年と三十三年とこういうふうに終わっていくのが十三仏事。そして更に十七年と二十五年とを加えて十五仏事と。必ず三十三年で終わるというのが原則なんです。
 何故、三十三年で終わるかという問題です。亡くなった者の霊というものは、肉体そのものが死ぬわけですか穢れているとする。死を穢れとするというのが神道なんです。この問題は明日詳しくみていきますが、神道というのは死を穢れとして忌むというのが神道なんです。これは柳田国男が『物忌と精進』の中にはっきり、神道というのは死を穢れとして忌むんだと書いております。これが神道の一つの側面です。
 もう一つ神道というのは、死者を先祖にしていき、先祖として祀っていくというのが神道なんです。亡くなった者を先祖にして、その先祖を祀っていくという、これが神道なんです。三十三年というのはですね、亡くなった者の死の穢れが完全に浄化されていく期間です。唯死の穢れだけではないです。生きている間にいろんな罪を抱え込んでいる。罪を穢れとする。その罪の穢れを浄化していく。それによって、亡くなった者が完全に浄化されて先祖霊になるんだと。その先祖霊というのは家の先祖です。家の先祖霊の中に合流していくとされるんです。だから三十三年を祀れば、後は個人としては祀らないんだと。先祖として祀るんだと。だから三十三年は区切りになるんです。
 これは親鸞聖人の亡くなられた後、覚如上人は三十三年を勤めておられるわけです。その時に『報恩講私記』が読まれておるわけです。『報恩講私記』というのは覚如上人が三十三回忌を勤めた時の一つの大事な意味を持つわけです。その時、親鸞聖人が大谷家の先祖になっておられるのならば、私達と縁が無くなるわけです。けれども、親鸞聖人が私達の処に還ってこられたという事を言うておられるわけです。還相です。『報恩講私記』は三つの事が言われていて、「真宗興行の徳」と「本願相応の徳」と、最後は「滅後利益の徳」です。「滅後利益」というのは、三十三年経って親鸞聖人が大谷家の先祖に成られたんではなしに、我々の処に還ってこられたと。だから、
願わくは師弟芳契の宿因によりて、必ず最初引接の利益を垂れたまえ(『聖典』P742)
と、こういうふうに親鸞聖人の大きな教化にあずかりたいという事が言われておるわけです。
 三十三年というのは、我々にすれば、我々の処に還ってこられるという事ですけれども、他宗にすれば家の先祖に成られると。江戸時代は非常に仏事が盛んですけれども、この三十三回忌の事を「清浄忌」とこういうふうに言います。一年を「小祥忌」と。祥月命日の「祥」です。三回忌を「大祥忌」とこういうふうに言うています。「祥」とは、忌服を脱いで着ることをいいます。亡くなった時は忌服を着ると。京都なんかは、誰かが亡くなると玄関に「忌」と貼って有ります。これは、みんなに死者が出ておるんだという事を知らせておるわけです。だから、そこへ来ないで欲しいという事です。「祥」というのは、死者を出したから家に篭もっておると。それが終わって、世間へ戻っていくと。忌服を脱いで、普段の服を着るというのが「祥」という意味なんです。完全に先祖に成られたという意味で三十三回忌が「清浄忌」という事なんです。
 ですから、仏事という形はとっておるんだけれども底流にあるのは神道の問題が強いわけです。例えば、お葬式の時に清め塩が出るとか、精進だと言えば肉を食べないんだと、そういうような事は一つの浄化食になっておるんです。亡くなった者は死に穢されておる、罪に穢されておると。だから追善回向という事はあるんだけれども、我々が一つ浄化食を食べることによって浄化を促進すると。精進というのは浄化食だと、民俗学ではそういうふうに受け止めておるわけです。
 そういう側面と、「十王経信仰」では、やはり初七日は秦広王、五七日が閻魔王です。一番最後が五道転輪王ですね。こういうふうに、一人一人十王がいて、七日七日、王のもとへ出てで裁断されるということです。それは、生前生きている時の罪業が一つ確かめられていくという意味なんです。その罪業の業報として生処が決まっていくんだと。これが十王の裁断なんですね。『十王経』というのは、最近、筑摩から「民衆経典」という本が出て、その中に『十王経』が入っているわけです。みんなそれを読まれて、こういう事だったのかという事なんです。割合、知られるようになってですね、意味付けがされてしまうんです。そうではないんだという事を幾ら言うても、そういう意味付けになってしまうと。だから『十王経』というようなものはタブーみたいなもんです。みなさんも、『十王経』の事はあまり知られないかもしれませんけれども、存覚上人の『浄土見聞集』というもがあって、この『十王経』の事を取り上げて批判しているわけです。蓮如上人の一帖目の十一通に『十王経』の事が出てくる。非常にこの「十王経信仰」というのは盛んなんです。
 そういう意味では、『十王経』には二つの側面があって、一つは死者が生前どういう罪業を抱えておるのか、その罪業が確かめられながら裁断されていくと。いま一つは、縁者達がその者を助ける為に追善回向していくと。けれども、追善回向も七分の一、「七分獲一法」というような事を言われて、縁者が追善しても本人の功徳になるのは七分の一なんだと。こういう事が存覚上人の『破邪顕正鈔』の中に出てくるわけです。江戸時代なんかは非常に仏事が盛んなんですけれども、追善では功徳が七分の一ですから、生きている時に自分の葬式を出すし、こういうのを「逆修」というんですが、そして自分で三十三年を勤めてしまうと。日まで決まっているという事があるわけです。そういうような民間信仰の中の一つの、死んだらどうなるのか、死んだら何処へ行くのか、死んだ者達は何処におるのか、そういうような問題に関わる事については、『十王経』というものが影響をしていたということです。それが今日まで続いているという事です。


『至道鈔』、『聖教全書五』拾遺部下P259
「中有といふは、この生の命つき、つぎの生の報はいまだうけざる二有の中間なり。この間に十王の裁断にあふて生をさだめらるゝ なり。」

「日本の祭り──物忌と精進」、ちくま文庫『柳田國男全集』第十三巻P301
「(神道と仏教の)ことに大きなちがいは死穢を忌むこと、穢れが我々の生活の大きな拘束であったことは、大化年間の記録にすで に見えている。」

『浄土見聞集』、『聖教全書三』歴代部P375

『破邪顕正鈔』、『聖教全書三』歴代部P176
「おほよそ没後の追善にをいては、たとひ仏法・講経等の殊勝の功徳を修して廻向すれども、七分がなかにおいて、わづかにその一 分のみ冥途に達すとみえたり、いはんや仏教にあらざるわたくしの意巧をもて六趣のつじをしめさん、あにその利益あらんや。」




03、仏事の根にある『無縁慈悲集』

 しかも江戸時代というのは非常に「十王経信仰」が盛んです。江戸時代の葬送儀礼というものを詳しくまとめたものがあるんです。それが『無縁慈悲集』というものなんです。これは浄土宗の報誉という僧侶が、葬送儀礼に関して集大成をしているのが『無縁慈悲集』なんです。これを読むと、今でも同じようにやっておる事が沢山出てくるわけです。一番問題なのは、差別戒名問題ということが問題になった時に、差別戒名の一番元になっているのがこの『無縁慈悲集』なんです。さっきも言いましたように、亡くなった者を追善しながら成仏させるとか、また我々の方が浄化食としての精進をしていくことによって、先祖にしていくとか、三十三年勤める事に、先祖にしていくという事があるんです。けれども、その時に問題は、江戸時代が一つの問題を抱えたわけです。門徒の場合は、一般には仏壇というわけですけれども、それはお内佛だと。仏壇とも言うけれども本来はお内佛だと。他宗は、お内佛という事を言わないで、必ず仏壇ということです。この仏壇というのは位牌が中心なんです。お内佛というのは御本尊が中心なんです。御本尊を中心にしたお内佛と位牌を中心にした仏壇とが違うわけです。その位牌が実は先祖を表すわけです。その時に位牌に戒名を記すわけです。その時、位牌の「位」は『無縁慈悲集』にはっきりと言うていますけれども、死者の霊位です。死者の霊位を示すんだと。「牌」というのは座牌です。座牌というのは、みんなにそれを示すという意味です。だから、位牌というのは、死者の霊位を示しながら、それをみんなに示すという事があるわけです。その位牌に示されるのが戒名という事なんです。その戒名を記す時に一つの約束事があるということです。位牌というものはどうしても、最後は天皇の尊牌なんです。これが中心なんです。天牌とこういうふうに言いますが、これは天皇の尊牌なんです。天皇の尊牌を中心にするのが仏壇なんです。仏壇は、位牌が中心であるという事は、天皇の尊牌が実は隠された本尊という事なんです。目に見える形で尊牌がそこに置いてあるわけではないんですけれども、位牌が中心であるという事は、そこに隠された本尊として天皇の尊牌があるという事なんです。位牌に記す時に序列があるわけです。その序列が、天皇の先祖が天照大神であると。その天照大神は日本民族全体の先祖だと。その天皇の先祖である天照大神を中心にした一つの序列がある。これが位牌の戒名になるわけですね。ですから、その戒名には必ず序列がある。その序列も、上の置き字と下の置き字というのがあって、上と下に字を置いて、それを示すわけです。
「上の置き字」○○○(戒名)「下の置き字」
だから、真ん中にどんな戒名を記すかよりも、上と下にどういう字が置いてあるかによって、序列が分かるような仕組みになっているんです。差別戒名問題という事で、色々告発もあったし、そういう事が明るみにも出たんですけれども、『無縁慈悲集』を見るかぎり、そういうルールになっているんです。だから、住職がそういうルールに従って、しておるのかしておらないのかという事がチェックされるわけです。そういう時に、大谷派の初代講師の恵空は、門徒に限ってそういう上の置き字も下の置き字もないんだと言い切っております。そう意味では上に字を置くとか下に字を置くという事は無いわけです。上と下の置き字は、これで身分が分かってしまうんです。そういう仕組みなんです。
 一番酷い形の差別戒名は、上に「連寂」という字を置くわけです。そして下に「卜N」と置くわけです。日本で「連寂」という場合は「畜生の男女、皮剥の者にこれを用いる」と、こういう言い方をしているわけです。びっくりするような言葉がそこに記してあるわけです。そして「卜N」の「卜」というのは、色々差別戒名が問題になってからは、この「卜」は「僕」の右上の一部だと。「靈」でも字を真行草と使い分けて、靈という字を書く時に「L」という字を書くとこれは武士だと。この「N」は真・行・草(L・M・N)の草の字を書くんです。ですから、これは非常に差別的な意味を持つわけです。
 このように位牌そのものに死者の霊位を示すという形で、それを公にしながら、それがどうなるかというと、先祖に祀られていくわけです。その先祖が家の先祖になるわけでしょう。家の先祖として祀られる事によって、どういう問題が出てくるかというと、子孫を呪縛することになってしまうわけです。こういう先祖祀りのもっておる問題性があります。法名じゃないわけですから。神道の問題というのは、死を穢れとして忌むとか、先祖にして祀っていくとか、こういうものが神道の持つ大きな問題なんです。
 この間、大嘗祭があったでしょう。皇太子が天皇になられたと。どこで天皇になられたのかというと、そういう事が一つの秘儀です。大嘗祭というものも一つの秘儀です。それはどこで天皇になったのかという問題なんですね。皇太子がどこで天皇になったのかとう問題なんです。それを一番詳しく徹底して言うておるのが折口信夫なんです。その折口信夫が、大嘗祭の時にどこで天皇になったのかというと「真床襲衾」だと。真床というのは寝床です。寝床に亡くなった天皇と皇太子が一緒に床に就いて、掛け布団を覆って休むと。これが「真床襲衾」なんです。これが大嘗祭の秘儀だと。それは亡くなった天皇の肉体に宿っておる天皇霊が──天皇霊とは天照大神、先祖霊なんです──、その先祖霊がこの皇太子の体に乗り移っていくと。これで初めて皇太子が天皇になったんだと。だから、肉体は死んでいくんだけれども、先祖霊はずっと続くということです。こういう仕組みが日本の一番深いところにある先祖祀りの仕組みなんです。
 これは、親鸞聖人や覚如上人や存覚上人や蓮如上人の頃は仏法ということです。一人一人が後生の一大事を顕らかにするという事の中での仏法です。しかし、江戸時代というのは政治によった一つの檀家制度というものが成立していくわけです。そういう檀家制度というものは、これはキリシタンが入って神国そのものがキリシタンによって奪われてしまうと、そういう危機感の中で成立しているんです。キリシタンは神国を滅ぼす邪教だと。だからその邪教を禁止していくという事の中で、とられたのが寺請制度であり檀家制度です。ですから、その寺請制度は、どこかの寺に所属させて、寺側が監視するわけです。信者達が邪教にならないような一つの監視体制です。ですから行政の仕事になるわけです。一番大事なのは死んだ時です。檀家の者が死んだ時にですね、死者の死骸に頭剃刀を当てて、戒名を授けて、引導を渡すと。こういう事なんですけれども、その時に必ず死者が邪教徒でないかを確かめた上で、引導を渡されるわけです。それが必ず、亡くなった人の顔に白布を置いて、それをめくって死相を確かめるんです。邪教徒じゃないかという事を確かめた上で引導という事になるんです。その時の頭剃刀がですね、それが今でも行われる「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者、帰依佛、帰依法、帰依僧」です。これが大事に伝統されているという事です。ですから仏法というても、死んだ時だけのことです。後は葬式であるとか先祖祀りだとか、我々にすれば親鸞聖人の報恩講であるとか、葬式だとか先祖の命日、そして親兄弟の命日という仏事をきちんと参っておるのか、勤めておるのか、そういう事が疎かになると邪教徒になっておるんじゃないかというふうに問題にされていくと。そういった事が檀家制度の中で徹底していたんです。
 そういう意味では、殆ど無常講というような民間の中にある流れが中心です。今でも京都なんかは、誰か亡くなられて住職さんが枕勤めをされた後、ご詠歌が勤められるでしょう。ご詠歌というのは、やっぱり無常講の流れです。江戸時代でも正月中に誰か亡くなりますと忌むという事を非常に大事にするわけですから、葬式が出せない。そういう時に無常講の人が、お葬式を出されたというような事も記録にあるわけです。ですから、そういう臨終の行儀、亡くなった者を本当に大事に送っていくというような事が、臨終の行儀を中心にした無常講の伝統としては続いておるといえます。ですけれども、やはり仏事というようなものが、神道化しているということは、避けられない問題として、何時の時代にもあったという事です。  そういった事で、仏事が問われるわけです。仏事が一番問われるわけですけれども、仏事には二つの流れがあって、追善回向という意味を持った仏事と、そして報恩としての念仏相続の仏事とです。浄土真宗の場合は、やっぱり報恩としての念仏相続の仏事です。これを死守してきておる伝統があるんです。このことが一番大事な意味を持つんではないかと言えます。
 ちょっと時間が長くなりましたが、休憩をしてと思います。









to index flame