1998年6月17日と18日、赤野井別院に於いて、真宗大谷派京都教区湖南地区教化委員会主催の「育成員等研修会」が行われました。講師は竹中智秀(たけなか・ちしゅう)先生(大谷専修学院学院長)。講題は「真宗門徒の証明〜習俗化した仏教の諸問題を問う」です。
 当時、良覚寺住職は湖南地区教化委員会の地区主事という役職にありました。この組織で「育成員等研修会」を開催するにあたり、竹中智秀先生の話を聞きたいと願い、講義を頂戴するはこびとなったわけです。
 竹中先生は大谷専修学院の学院長をされています。1993年、住職は専修学院に在籍し竹中先生より教えを受ける機会を持ちました。本音を言うと先生の講義は半分以上、頷けないというか、ピンとくるものがありませんでした。1994年に卒業しそのまま住職となるのですが、真宗寺院の住職として活動をする中で、一年前に聞いた竹中先生から頂いた講義が一つひとつリアルな形で響いてきました。
 仏教が仏教の魂を失い、世俗化し習俗化し、形骸化した形だけが残っている現在の日本。また社会全体を見れば、人間が世間から物のように見捨てられるような社会です。この状況の中で、親鸞聖人の顕かにされた浄土の真宗を如何に聞いていくのか、如何に回復していくのか。竹中先生は一年間このことを話して頂いていたのです。住職という立場で現場に立ち、初めて竹中先生の講義が非常にリアルなことを言われていることに気づきました。
 この時は「仏教と神道の関係」に焦点を絞り講義をご依頼したわけです。




 講義を受けるに当たり、湖南地区各寺院に案内を送付しました。その案内に、竹中先生御自身に講義がどのように展開するのかをまとめて頂き掲載しました。以下その文章です。


竹中智秀先生からのメッセージ

 仏教も神道も日常生活においては、共同体信仰となり習俗化している。共同体信仰は、その信仰を同じくすることによってお互いに「なかま」となり、共同体を作りあげることが願われている。そのため、その信仰を拒否すれば「なかまはずれ」にされ、生活権なり生存権が時に奪われて、恐怖になることもある。
 親鸞聖人はこうした共同体信仰を鬼神信仰として批判されている。私たちが真宗門徒として、自覚的に本願念仏の仏法に帰依して生きようとする時、その鬼神信仰としての共同体信仰の実体を明らかにしていくことが問われている。このことを具体的に問題に出来たら、と思う。
竹中智秀




☆講義録をお読みになるときに…☆

 まず各章を開いてから、細かい項目をクリックしてください。いきなり項目を開こうとすると、blankになって別に開いてしまいます。
 これは本意ではないんで、項目をクリックするとページまで変えたいんですけど、素人なもんでやり方が分かりません。<a name>を使ってるんですけど…。誰か教えてください。




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