■ コラム ■
道徳はいくつになるぞ
道徳、念佛もうさるべし
──『蓮如上人御一代記聞書』より──
 古来日本では年齢を言う場合、満年齢ではなく数え年≠ェ主流であった。
 この数え年であるが、満年齢に一を足すものと考えている人が多いが、間違いである。正月一日がくれば一つ歳を取る。これが数え年だ。例えば十二月三一日に生まれた赤ちゃんはその時点で一歳。明くる日の一月一日で二歳となる。
 明応二年正月一日、蓮如(れんにょ)上人のもとへ御弟子の道徳坊が新年の挨拶にやってきた。その道徳坊に対して蓮如上人が言った言葉が、「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし」であった。
 蓮如上人の時代はもちろん数え年である。だから正月一日で一つ歳を取ったことになる。無事正月が迎えられ、歳を重ねることができたことは喜ばしいことだ。蓮如上人が道徳坊に言いたかったことは、長く生きられたことだけを喜ぶのではなく、あなたが生きてきた人生の質を問え、ということなのだろう。
 「念仏もうす」とは阿弥陀仏を念じ、阿弥陀仏の教えそのものを念じ、その教えを通して自分自身の生き方を見つめ直すことなのだ。「念仏もうす」ことを離れて生活するならば、世事にまみれ闇雲に歳を取るだけの生き方になってしまう。
 蓮如上人の友人である一休大徳にも有名な歌がある。「門松や/冥土の旅の一里塚/目出たくもあり/目出たくもなし」。

■ True Living ■
覚の会11月例会講話録(2002/11/19)
──山本隆師──
 真宗では「現生不退転」を説きます。それは迷わず生きるという意味であり、報恩謝徳の生活を営むという意味です。それをもっと具体的に言うと「満足」と「安心」の生活となるでしょうか。
 安心の反対は不安≠ナす。現在の日本で誰しも抱く不安は老後の問題でしょう。歳を取った後、誰が面倒を看るのかという問題があります。また死んだ後、家はどうなってしまうのかという問題もあります。今の若い人は年金を貰えるのかという不安もあります。
 この問題を仏教としてどう考えるのかについて、「寿命」ということがあります。この「寿・命」という二字の言葉で、私達のいのち≠表しているのです。
 まず「命」は、ある時生まれある時死んでいくといういのちです。役場の戸籍はこれでしょう。これだけが私達のいのちでしょうか。私達は確かに生まれ生きています。しかし条件が整わなかったならば、生まれることも生きることもできません。この条件は仏教では縁≠ニいいます。私が生きることができた一番近い縁は両親です。つまり両親は因ではないのです。私は何代ものいのちの伝承の中で生きているわけです。
 東本願寺の壁に大きい文字が書いてあります。「かえろう、もとのいのちへ」。これが「寿」なるいのちです。
 「寿・命」は両方ともいのちの中身を表していると言えます。しかし現在は「命」だけがいのちであると思われています。「寿」なるいのちが忘れられているのです。大きないのちのはたらき─無量の寿という中に私は生きているのだという所に立つと不安にならない、「安心」して生きられるのです。
 次の問題として「満足」ということがあります。
 現在の日本を作った七十代前後の方は思い出していただきたい。戦後の物のなかった時代を生き、貧乏は嫌だということから戦後の復興が始まりました。それから頑張って働いて、少しずつ物が増えていく。そこに満足がありました。
 あれから五十年以上が経ち、ある程度物質的には豊かになった。そして豊かな時代しか知らない、今の若い人はどこまでも満足を知らず楽しみを追い求めています。
 私達七十歳前後の者が何故戦後頑張ってこられたかというと、それは人間性を回復するためでした。人間らしく生きたい、そのために豊かさを求めたわけです。しかし現在は欲望しかない。今の若い人は、物のある時代から出発しています。その中で物があることが当たり前。もっと言うと欲望のまま、あれも欲しいこれも欲しいとなり、満足することがないのです。
 仏教を聴聞することは、当たり前だと思っていたことが有り難いという世界に転換することです。私達の先祖は仏法を聴聞し有り難いという生活をされてきたと思います。これが「報恩謝徳」ということなのでしょう。

■ 耳をすませば ■
『幕末太陽傳』
──(日活/1957/監督:川島雄三)──
 不景気でパッとしない時代が続く。政府の経済政策もイマイチはっきりしないし、政治家は選挙に勝つためだけに、くっついたり離れたり…。一般市民は無力で何にもできないことにジレンマを感じたりしているのではないか。
 こんな時代、少しはスッとする映画が観たい。
 お勧めは『幕末太陽伝』(1957/日活)である。監督は川島雄三。主演はフランキー堺。日本映画でこれほどテンポのよいコメディは未だに作られていないと言っていい。
 時代は幕末、舞台は品川の遊郭。フランキー堺演じる佐平次が己の才覚一つで、当時の金持ちや幕末の志士達を手玉にとる話である。
 佐平次が手玉にとる相手は誰しもプライドが高い。遊女は自分の美しさに、勤王の志士達は自分の政治理念に、幕府側の侍は武士であることに、商人達は持っている金に。ある意味、幕末という時代の過渡期に生きていくためには、この種のプライドは必要だったのかもしれない。佐平次は人間の持っているプライドの虚につけ込み、騙す。
 人間の弱く脆い部分が見えてくる映画とも言えるが、観終わった後、素直に今という時代に佐平次のように生きてみたいと思わずにいられない。

 

■ コラム ■
良覚寺の
ホームページを
開設しました
 もし蓮如(れんにょ)上人が現代に教化をされたなら、間違いなくホームページを作っておられただろう、などと考える。
 ホームページというものは、家庭にあるコンピューターに電話線をつなぎ、その電話線を通ってきた、世界中の情報を見ることができる、いわば電子新聞だと考えていただきたい。
 現在のところ、非常にハイカラなものであり仏教とか寺には無縁のような印象を持たれるかもしれない。
 本願寺第八代留守職の蓮如という人、念仏の教えを伝えるために、当時の最新技術を駆使しておられる。みんなでお勤めするためには本が必要となれば、当時日本に何台もなかった印刷機を使って大量に本を印刷された。遠方の人に念仏の教えを伝えたいとなれば、手紙を書いて教化された(これが「御文」)。
 蓮如上人の発想の根本は、「縁ある人に教えを手次する」こと。このことを実現するために、手段がどんどん新しくなっていったのだろう。
 ホームページは、普段お寺に興味がない若い方々にも気軽に見てもらえる。良覚寺を全く知らなかった人も、ホームページを通して念仏と御縁を結んでもらえるかもしれない。世の中安穏なれ、仏法ひろまれの願いを込め、狭い部屋から世界に、念仏を手次していきたい。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2002/11/8.9)
──藤本愛吉師──
 阿弥陀さまのはたらきは「えらばず・きらわず・みすてず」であると教えられます。それは一切の衆生─生きとし生けるものを支えている「存在の愛」ということです。私たちをこうして生かしている、いのち自身の深い愛を親鸞聖人は「本願の心」と言われているような気がします。私が大谷専修学院に行きました時、西田真因先生が「私たちを存在から支えている愛があるのですよ」を仰ったことを思い出します。
 ある大阪の住職さんの話を紹介します。
 大阪には一つだけ願いを叶えてくれるという願掛け不動というのがありますが、ある会の時に、それをもじって「阿弥陀様が一つだけ願いを叶えてくれるなら、あなたは何を願いますか?」と尋ねられたのです。すると一人の御夫人がニッコリして「家内安全をたのみます」と言われた。するとその住職さんは「町内の人はどうなってもいいのかね」と。奥さんは訂正して「町内安全を」と。「奥さん、ここは平野区、私は生野区。私の住んでる所はどうなってもええんか」。「大阪中安全で」。「東京の人はどうなってもいいのかね」。「日本中安全で」。当時はベトナム戦争真っ最中でしたので「ベトナムで酷い目に遭っている人はどうなってもいいかね」。「世界中安全で」。その住職さんはしつこい方で「犬や猫が病気で苦しんでいてもいいのかね」と。奥さんは黙ってしまわれたそうです。
 阿弥陀さんの願いは人間だけに濯がれているのではない。十方衆生(しゅじょう)です。誰か一人でもそこで悲しむ者がいたなら、阿弥陀さんはその人の一番そばにいてくれます。
 キリスト教の『聖書』にも、よい羊飼いの話があります。羊飼いが一〇〇匹の羊を飼っていました。その中で一匹だけどこかに行ってしまいます。よい羊飼いはどうするべきなのでしょうか。九九匹を放っておいて一匹を探すのか、一匹くらいはいいだろうとその羊を見捨てるのか。
 大谷専修学院の教職員の中で、こういった場合どうするのがよいのか話し合っておりました。すると学院長の竹中智秀先生は、「阿弥陀さまの解決というものがあります。それは誰も傷付くことのない解決です」と言われて、「一匹の迷える羊を救うことが、九九匹の願いである」と仰いました。
 この話をお伝えするために来たのです。もし皆様方のご家庭で誰か傷付くことがあれあば、それは阿弥陀様の解決ではないのです。このことを是非大事にしてください。
 私はこういう解決を知りませんでした。「一人を大事にすることが、残り全員の願いなのだ」。そういう答を誰も持っていないと思います。阿弥陀さまの願いにふれた人たちが、阿弥陀さまの智慧を言葉にして伝えてくださるのだと思います。
 世間にそうい世界はありません。例えば学校でやんちゃな子がいれば居場所を奪われ、辞めさせられたりします。しかしそこに悲しんでいる人が一人でもいたとしたら、それは全世界の悲しみなのです。
 赤の他人など浄土真宗にはありません、と先輩からお聞きしました。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言いました。
 私たちは、それぞれの生活の中で様々な葛藤を持って生きている。その中で、えらばず・きらわず・みすてずのお念仏の声を互いに聞き合って、一日一日を大事に生きられたらと思っております。

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■ 耳をすませば ■
『デビルマン』
──(講談社/作者:永井豪とダイナミックプロ)──
 何が善で、何が悪なのかはっきりと答えられる人は危険だと思います。
 今のアメリカの正義というものが如何に危険か。逆にイラクや北朝鮮の善というものが如何に恐ろしいものか客観的に見れば分かるはずです。他者が善を振りかざす危険は分かるけれども、これが自分のこととなると分からない。自分の善は絶対的な善。そのことを見直すことも、省みることもなく、ただただ自分の善を他者に押し付けてしまう。私たちは自分でも気付かぬうちに、平生の生活の中でこういったことをしているのです。
 永井豪氏作のマンガ『デビルマン』(講談社)のラストを読んだ時の衝撃は、今も忘れません。
 ストーリーは、悪魔≠ニ呼ばれる種族と人間の戦いが描かれるサイエンスフィクション。主人公不動明≠ヘ悪魔の力と人間の心を持っているが故に様々な苦悩がある…。こう書くとアニメと同じだと思われそうですが、全くの別物。衝撃のラストまで非常に重い展開です(デビルビームとかありません)。
 「悪魔」というものは、奇怪な容姿をした化け物のことなのか、それとも人間のことなのか、重いテーマを読者に突きつけるラスト。読んだ後、三日ほど立ち直れないかも。

 

■ コラム ■
十方衆生
「泣いている人の顔が見えていますか?。苦しんでいる人の顔が見えていますか?」
 ある研修会に参会した時に御講師より受けた問題提起である。
 顔が見える≠ニは「出会う」ということなのだろう。他者と実際に顔を突き合わせていても、共に暮らしていても、その人の苦悩している相を見ることができない。これは本当の意味での出会いではない。
 世界全体を考えても、今、正に不条理な戦争の危機にある国があり、もし戦争になった場合、苦しむのは子どもや病人といった弱者であることを知っている。しかしそれは情報を知っている、分かっているだけで、全くの他人事=Bもっと言うと、自分達の住む国がその戦争にどう関わるのかを損得勘定でしか判断できない。
 阿弥陀仏の呼びかけは「十方(じゅっぽう)衆生(しゅじょう)」である。「十方」はありとあらゆる世界、「衆生」は生きとし生けるもの全て。阿弥陀仏の本願とは、老若男女、国家、民族を超え、えらばず・きらわわず・みすてず救いとるはたらきである。
 私は「浄土真宗に赤の他人などいない」と教えられた。私たちが浄土真宗の教えを聴聞し、「十方衆生よ」の呼びかけを聞くとき、イラクの人びとは、国の都合で出兵していくアメリカ兵は、「十方衆生」の中に入っているのだろうか?。果たして顔が見えているのだろうか?。

■ TrueLiving ■
覚の会1月例会講話録(2003/01/19)
──山本隆師──
 昨年12月10日の「毎日新聞」の朝刊に面白い記事が載っておりました。これは浄土真宗本願寺派、いわゆる「お西」の記事です。もちろん西本願寺と東本願寺(真宗大谷派)はもともとは同じです。歴史の中で様々な相違点はありますが、同じ宗派と考えていいと思います。
合格祈願や無病息災といった現世利益を求めないため、「祈らない宗教」とされてきた浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の教学研究所が、「祈り」について「宗教の原点であり本質だ」と公認≠キる見解を示していたことが九日、明らかになった。
私たちの浄土真宗は「祈らない宗教」だと世間から認識されていることが分かります。つまり「○○祈願」等 −祈願といってもそれは欲望を満たすために仏を利用するという内容なのですが− そういった現世利益をしないということです。
 大阪大学名誉教授でお西の教化活動の要職にある大峯顯氏は、
「『祈り』とは聖なるものと人間との内面的な魂の交流であり、あらゆる宗教の核心。『祈り』の概念は現世利益を求める祈とうよりも広く、祈りなくして宗教は成り立たない」 
と発言されたそうです。ここで問題なのは「祈る」という言葉の意味でしょう。
 一度考えていただきたいのですが、私たちは神・仏に祈る時、どういう心なのでしょうか?。「〜できますように」ではないでしょうか?。それは大峯氏が言われる「祈り」ではありません。「要求」です。それでは神・仏への要求は適えられるていますか?。
 ある寺の御門徒が神社に「金は幾らでも出すから孫が必ず大学に入学できる祈祷をしてくれ」と頼まれたそうです。そこの宮司さんは「それはできません」と正直に言われました。もし悪徳宗教に行っていれば、五百万、一千万よこせと言ったかもしれない。大学入試に失敗すれば、「信心(=寄進のお金)が足りませんでした」と言われるだけでしょう。
 もちろんキリスト教、イスラム教などの一神教では「祈る」は求める・要求するという意味ではなく、神と交流するという意味がある。しかし日本ではどうしても「祈る」=「要求」となってしまいます。
 私は大峯氏が言われる「祈る」を「思う」に置き換えられると思います。私が仏を思う。同時に仏は私を思う。呼応する世界ですね。これは私たちの言葉で「拝む」という言葉でも言えます。私が仏を拝む時、仏が私を拝んでくださっている。私が子を拝む時、子が私を拝んでくれている。

 浄土宗、浄土真宗、禅宗といった鎌倉時代を起源とする宗派には、基本的な教義としては祈祷がありません。平安時代、仏教では祈祷は当たり前でした。それが本当に仏教なのか?という疑問を持ち、比叡山大学を中退されたのが、法然(ほうねん)上人であったり親鸞(しんらん)聖人であったり道元禅師です。殊に宗派としてそのことを守っているのは浄土真宗であると言えます。
 現在の日本で「祈る」ということを取り上げ、言葉自体を認めるような発言を宗派としてしたならば、「浄土真宗も現世利益を認めるようになったのか」と取られかねない危険性がある。この「毎日新聞」の記事は、そういった現在の日本人の宗教観を如実に表しているようで非常に興味深いものでした。

■耳をすませば■

HP『みんなの寺』
──(http://www.mni.ne.jp/~garyo/)──
 私たちの先達・先祖は、何かしらの必要があるから良覚寺を作ったはずです。ならば現代を生きる私たちは、どこで良覚寺を必要としているのでしょうか。
 昨年、仙台に浄土真宗単立(既成教団に属さない)の新しい寺ができました。その名も「みんなの寺」(これが寺号)。
 ご住職はもともと在家出身で、仏道を志し本願寺派(お西)で僧侶と成られました(35歳)。坊守さんは葬儀社勤務だったそうです(25歳)。このお二人で新興住宅を改築し、寺を造られたのです。
 檀家ゼロからの出発です。現在も寺と檀家という関係はないでしょう。しかし、「みんなの寺」は、そこに関わる人みんな≠ノ支えられて、活動を展開されています。
 ご住職と坊守さんの、仏法への信頼が寺を開き、お二人が伝えられようとしている仏法が人を呼び、寺を支えているのです。「みんなの寺」に関係する人々にとって、仏法を感じ聞く場として、どうしても寺が必要なのです。
 本来、寺は葬儀・法事の時だけ必要ということではなかったはず。人が生きているという事実≠ェ真宗寺院(=念仏道場)を必要としていたのでしょう。それは生きている≠ニいうことの意味を教えにたずねるために。
 500年前に建てられた念仏道場としての真宗寺院の原風景とは「みんなの寺」のようなものではなかったのか、とHPを見ながら感じました。

 

■ コラム ■
涙には涙に宿る仏あり
その御仏を法蔵という
──木村無相師──
 三月半ばから四月初めにかけての二〇日の間に、四名の良覚寺の御門徒が浄土に還られた。肉体的に疲労したというより、精神的に、しんどい。
 「人の死は必然」ということは事実ではあるが、客観的な物の言い方である。身内に死が訪れた時、その現実を受け容れられない。枕経にせよ通夜にせよ葬儀式にせよ、聞こえてくるすすり泣き。お勤めが終わり振り返った時に見える涙。この涙に出会い続けるしんどさ。
 葬式の時の坊さんは機械のように見えると言われたことがある。そう見えても仕方がないかもしれない。機械のように振る舞わなかったら、感情に負けてしまい勤行することができない。だから敢えて機械のように振る舞うこともあるから。
 木村無相さんは「涙には涙に宿る仏あり。その御仏を法蔵という」という詩を残されているそうだ。法蔵は阿弥陀仏因位の名。どうしようもない現実に向かい合った時、人が流す涙。その中に仏が宿るという。
 親鸞(しんらん)聖人は「無数の阿弥陀ましまして」と教えて下さる。阿弥陀仏という仏がどこかに一人おられるのではない。私たちの存在を支え続けるはたらきを阿弥陀仏という名で呼んできたのだ。
 流した涙は無駄ではない。涙を通して、人はいのちを根本から愛せるような温かさを回復していけるのだと思う。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2003/03/21)
──平原晃宗師──
 今日は「永代経法要」ですが、彼岸の中日でもあります。我々が生活している世界──娑婆(しゃば/苦しみの)世界は「此岸(しがん)」、つまり此の世界ですね。「彼岸」というのは「お浄土」です。この浄土ですが、一般的に亡くなってから行く場所と思われていたり、ユートピアのような理想郷と想像されたりするがそうではない。そういう場所があるわけではないのです。ならば親鸞聖人が頂かれた「浄土」というものは、どういうものなのかを今日は考えていきたいと思います。
 『無量寿経』というお経には、浄土について「阿弥陀仏の浄土には地獄・餓鬼・畜生は存在しません」と書かれています。『阿弥陀経』には「地獄・餓鬼・畜生の名すらない」とあります。この「地獄・餓鬼・畜生」を三悪趣(さんあくしゅ)とか三悪道(さんあくどう)と言いますが、これが無い世界が浄土であるならば、この三悪道がはっきりすれば浄土という世界が見えてくるのではないかと思います。
 この三悪道も、我々は場所として考えがちですね。生きている時に悪いことをしておれば地獄に生まれるなど、死んだ後に生まれる場所と考えてしまう。果たして経に説かれる三悪道とはそういう世界なのか。
 今日初めて南草津駅に来ました。新しい駅だそうですね。ビルやマンションが建ち、娯楽施設が建ち、大変な変わり様だと思います。どのように変わっていっているのかというと便利になってきた。しかし一つ便利になると、また次へ次へと私たちの便利さを求める心は止めどがありません。私たちが便利になって欲しいと思い、南草津駅に象徴されるように世の中を発達させているわけです。こういった便利さを追い求める心が作り出す世界が「餓鬼」です。
 この「餓鬼」を教えの言葉でどのように書かれているかというと、水が欲しいと水を触れば火に変わる、食べ物が欲しいと食べ物を触れば火に変わってしまう。つまり欲望が満たされない世界なのです。我々は欲にまみれて生活しているのですが、その生活に気付けません。豊かになればなるほど、便利になればなるほど、欲望は満たされずエスカレートします。つまり、「餓鬼」という世界がどこかにあるのではなく、私たちの欲望が「餓鬼」という世界を作っているわけです。そのことに私たちは気付けない。  次に「畜生」とはどのような世界なのか。
 「畜生」とは「傍生(ぼうしょう)」とも呼ばれます。傍らに生きるという字が表しますように、何者かに養育されて生きる、何かに頼って傍らを生きると。また弱肉強食される世界という意味を持ちます。受験戦争もそういう世界でしょうし、出世競争などもそうでしょう。他を蹴落として自分が生き残る世界です。
 また「畜生」は、家畜がそうであるように何かに頼って生きるものです。具体的に人間の姿で言えば、何か強い者に媚びへつらって生きるということです。我々は自分の安心を求めるが故に媚びへつらうということをしますね。
 まず「餓鬼」「畜生」という世界は、誰でもない私が作り出している世界です。しかし自らが作り出している世界なのですが、それに気付けない。「餓鬼」であっても「畜生」であっても、自分が立っている場所を見定められないという問題点があります。
 「餓鬼」「畜生」という世界を作り出し、苦しめられているということが「地獄」なのではないかと考えております。

■ 耳をすませば ■
『ブラック・ジャック』
──(講談社・秋田漫画文庫等/手塚治虫)──
 手塚治虫氏の代表作の一つ。実は子どもの頃、この漫画が恐かった。手術の描写が細かく見た目にグロテスクということもあるのだが、生と死というテーマがあまりに重く、子どもにはきつかった。
 『ブラック・ジャック』の主人公は勿論名医ブラック・ジャックなのであるが、もう一人の主人公はドクター・キリコだと思っている。彼は医療ではどうしようもない患者を安楽死させることを専門とする医師。どこまでも生かそうとするブラック・ジャックと対比する形で描かれる。
 我々の心の中にある一番の罪──それは生への放棄ではないか。過酷な現実に遭遇した時、生きている事実を否定し生を投げ出してしまう。それは弱い人間だけの話、ではない。おそらく誰しもそういった危険な闇を抱えながら生活している。ドクター・キリコはそういった私たちの闇の表れなのだろう。
 『ブラック・ジャック』のある回で、体操が得意だった少年が片腕を失う話があった。手術で義手を付けたブラック・ジャックが絶望する少年に「体操が出来なくても、他に何かできるようになれ」と声をかける。受け入れがたい状況を超えて、生きよと。
 闇を破るものは光。光とは、受け容れがたい現実を受け入れ、生に絶望しない眼。ブラック・ジャックの治療は、闇に生きる人に光を与えることにあるのだ。


 

■ コラム ■
仏道をならふといふは、
自己をならふなり
──道元禅師──
 私が先般行ってきた僧侶対象の研修会で、参会者の一人が泣き始めた。泣いている理由を尋ねると、その人はこう言った
  何故こんなしんどいことをしなければならないのか?
真宗の研修では、厳しい修行をするわけではない。つまり肉体的に辛いことは何もないのだ。真宗の研修会の主な内容は、教えを聴聞し、自分が聴聞した教えを参会者と共に確かめ合う。このことがしんどい≠ニその人は言う。
 仏教を聴聞するとは、知識として仏教を勉強し、教義を覚え込むことではない。道元(どうげん)禅師が『正法眼蔵』の中で指摘するように「自己をならう」ことにほかならない。
 仏の教えを鏡とし、自分では見ることのできない自分自身の本当の相を見せられる。平生理想的な言葉を吐き、綺麗事で固め、現実を取り繕いながら生きていても、仏から教えられる本当の自分はドロドロした闇を抱えている。見たくない自分の相を徹底的に知らされることは、肉体的に厳しい修行をするよりもしんどい≠アとだと言える。ただ、こんな自分は見たくない≠ナ止まるならば、自己嫌悪、自己否定である。仏教にはもう一歩があるのだ。
 仏教を聴聞し自己をならうとは、仏から教えられた本当の自分の相を引き受け、こんな自分だからこそ≠ニ立ち上がっていける勇気を賜るのである。

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2003/03/19)
──山本隆師──
 今年に入ってコンピューターに関する事故が多発しています。アメリカでスペースシャトルが帰ってこなかった。また新幹線の運転手が居眠り運転をしていた。先般三月一日には空港のコンピューターが故障し、飛行機が飛べなくなりました。この三つの事件は、コンピューターというものは絶対に間違いがないという信用から起こったミスです。
 人間は努力し、安全で快適な世の中を作ろうとしましたし、今もしています。そのためにコンピューターを使うわけです。しかし、絶対に間違いはない、完全である、ということはありません。
 現代という時代は、人間≠ニいうものを信用するところから物事をはじめます。そして自分≠全面的に肯定するのです。
 また戦争が始まろうとしていますが、アメリカ側もイラク側も自分≠フ立場が絶対に正しいと主張しているわけです。日本のこの戦争に対する関わり方に対する意見は様々ですね。「国際社会の一員として危険な国は攻撃すべき」「北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてきた時、アメリカの軍事力が必要だから、アメリカには逆らうべきではない」「戦後処理で二兆円出さなければならない。これでは日本の経済は破綻するから戦争反対」など。
 仏教の流れに唯識というものがあります。この唯識を完成させたのが『正信偈』に「天親菩薩造論説」として出てくる天親菩薩ですね。
 我々が心で思うという時に、まず損・得、好・嫌、美・醜、善悪などのレベルで考えます。こういった物の見方を普段は自然にしていますね。得で好きで善いものを求めます。これを唯識では「意識」と言います。  唯識ではこの「意識」の奥にもう一つ心があると教えます。それがエゴ、つまり自己中心の考え方です。これを唯識の言葉で「マナ識」と言います。現代という時代はこの「マナ識」──エゴを問題にし難くなっていますね。自己中心的な行動であっても、それは憲法で保証されている基本的人権だと。
 仏教はこの「意識」と「マナ識」を問題にするわけです。「マナ識」を根拠にした「意識」のところでは、自分は必ず善人≠ナあり、正しい者≠ニなりませんか?。そして悪人∞間違っている者≠ヘ他人です。ここの心だけで行動し生活している限り、自分を見つめ直し、自分の行動や生活を問い直すということはありません。
 私たちはよく「あの人は悪い人だ」と言いますし、思うことはあります。しかし悪人≠ェいるのではない。他者を悪人だと思う自分≠ェいるのです。仏教が問題にするのは、この思う自分≠ネのです。  戦争も「マナ識」を問わないことが問題です。また戦争を考え語る時に「マナ識」のところだけで語ることが問題なのです。つまり自分を問う≠ニいうことが欠けているわけですね。
 仏教では、この「マナ識」は平等に誰しもあると説きます。このことをしっかりと理解することが大事なのです。
 戦争も、互いに自己中心的な主張をするだではなく、このことを理解できているのかどうなのかが非常に多きな問題ですね。また私たちの平生の生活の中でも同じことでしょう。人間というものは、どこまでいっても自己中心の考え方をする者であるという理解に立つことが、人間と人間が互いに理解し合える第一歩なのでしょう。

■ 耳をすませば ■
『希望の国のエクソダス』
──(文芸春秋社/文春文庫)──
この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない
 不況といっても、現代の日本には金で手に入れられないモノはないかもしれない。世界中の珍品、珍味があるわけだから。
 金があれば欲望は充足できる。日常の中で苦悩することはある。慌ただしい人生から足を止めて、自身の人生を省みることもある。しかし、金さえ出せば楽しいことがいっぱい。そんなことは忘れてしまう。一つのことに飽きたなら、また次へ。欲望が連鎖されるシステム。本当に考えなければならない大事なことが、表面的な欲望の充足というかたちでごまかされていく。これが知らず知らずに私たちが陥っている現代日本の問題なのかもしれない。
 この状況を村上龍は『希望の国のエクソダス』という小説の中で「希望だけがない」と言い当てる。希望≠ニは何であろうか?。私が今を生きる根拠を顕かにし、未来を生きるために一歩を踏み出す元気≠フようなものであろうか。
 『──エクソダス』は中学生の視点でこの国の問題を指摘しようとした秀作。「エクソダス」とは旧約聖書の中の「出エジプト記」を語源に持つ「出発」という意味である。

 

■ コラム ■
花びらは散っても花は散らない
人は去っても面影は去らない
──金子大栄師──
 お釈迦さまの説法の説き方を「対機説法」という。この場合、「機」とは「人」のこと。人はそれぞれ、年齢・性別・育ってきた環境等が違う。お釈迦さまは、学者には学者の、庶民には庶民の、男には男の、女には女の、違いに応じて説法の内容や説き方を変えられた。これが対機説法である。
 お釈迦さまの説法を書き写した経文≠ェ八万四千もあるのはこの為だ。  仏法の説き方は一つではない。もっと言うと言葉で$烽ュ説法ではなく無言の説法というものもある。
 良覚寺第十六世住職釋覺證(かくしょう)。俗名・谷覚(たに・さとる)。
 私はこの伝説の人≠ニ一度も出会ったことがない。しかし生前の覚さんを知る人は、この人を絶賛する。悪く言う人が少ないのだ。酒であれだけ武勇伝を残し、無茶な寺院運営をしたにもかかわらず。
 前述のように仏法は言葉でだけ伝えられるものではない。無言の説法もある。覚さんの生涯を思うに、彼は生き方≠ナ仏法を伝えようとしたのだろう。環境問題への取り組み、ほとんど金を取らない無許可保育所の運営、平和運動・・・覚さんの活動の全てが、覚さん自らを問い直すとともに、縁ある他者に対する無言の説法であった。
 どうか覚さんを知る人は、今一度覚さんを憶念して欲しい。そしてその生き方を通しての無言の説法を聞いて欲しい。
 今年は覚さんの十七回忌にあたる。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2003/05/19)
──山本隆師──
 仏教に「涅槃(ねはん)」という言葉があります。お釈迦さまのお覚りの世界を表した言葉ですが、これは分かりにくい事柄です。ですからこれを私たちの先達は「浄土」という言葉で表してきました。「浄土」はいのちの還る処と言われますが、その浄土が見失われているのが現代です。  現在は平均寿命が延びたと言われます。すると人間が死ぬという計画を立てなくなりました。死ぬ計画がないということは、言い換えれば如何に生きるのかという計画がないのと同じです。
 「浄土」を問題にする時、どこにあるのか≠ニいう問い方をします。一昔前は「西方極楽浄土」、西にある≠ニいう言い方をしていました。例えば彼岸の中日に真西に沈む太陽を見て西方浄土を憶念する。こういうことで昔は浄土をイメージできたわけです。しかし最近は「西に行ったら韓国へ行って中国、もっと行けば地球を一回りして帰ってくる」と言われてしまいます。
 こう考えると、やっぱり浄土はない、ということになるのでしょうか。私は平生から思っているのですが、一般の人よりも坊さんの方が「浄土など言っているだけ。そんなもんあるのかないのか分からない」と思っているのではないでしょうか。
 これは根本的に問い方に誤りがあります。浄土はどこにあるのか≠ナはない。浄土はどこ≠ニいう問題ではないのです。  浄土ということを考えていく手掛かりとして、作用∞はたらき≠ニいう言葉があります。
 地球は何故丸いのか。これは一三五億年前、宇宙空間に浮かんでいた塵が集まり球体になったからです。この寄せ集まる習性を万有引力と言いますね。これはニュートンが初めて説明したものです。しかし万有引力はニュートンが作ったものではありません。ニュートンが生まれる何百億年前からあったものですね。人間は誰もそのことに気が付かなかっただけです。これがはたらき≠ネのです。
 浄土ははたらき≠ナす。もっと言うといのちのはたらき≠ナす。これははたらき≠ナすから、どこ≠ゥにあるという問題ではない。親鸞(しんらん)聖人は阿弥陀仏のことを「いろもなし、かたちもましまさず」と言われます。色もない、形もない、しかし阿弥陀仏ははたらき≠ェある。万有引力と同じようにはたらき≠ヘあると。
 私のいのちは二つの意味があります。一つは、何年何月何日に生まれ、何年何月何日に死んでいく「」。しかしこれでいのちの全てを言い当てているわけではありません。私が今ここでいのちを生きているのは、私だけの力ではありません。何万年、何億年のいのちの伝統を受け継いでいると言えますね。また環境や社会があったからこそ、今ここに私はいのちを生きているわけです。これは私自身が受け継いだいのちですが、これから先も受け継がれるいのちです。これを敢えて言うなら「寿」といういのちです。
 親鸞聖人は「寿」なるいのちを「無量寿(むりょうじゅ)」と言われます。そして「命」は「無量寿」に還っていくわけです。私が生きているということは「寿」の世界を生きていた。このいのちのはたらき≠フ世界を「浄土」という名で呼んできたわけです。「浄土」はどこかにあるというものではない。はたらき≠ノ目覚めた時、私たちに開かれていく世界なのです。

■ 耳をすませば ■
『祖師に背いた教団』
──(田原由起雄・著/白馬社)──
 年忌法要の斎(とき)の席で今だに言われることがあります。「お東さんは、ようもめとる」。本当にそうかもしれません。
 本願寺はもともと親鸞(しんらん)聖人の墓を起源とします。親鸞聖人の子孫がその墓を管理していたのですが、後に寺院となり本願寺を名乗る。そして親鸞聖人の子孫が代々本願寺の住職となったわけです。
 「もめる」という言い方をすれば、本願寺の後継ぎ争いは本願寺を名乗る前から幾度となく繰り返されました。しかし多くの人が知っている、昭和40年代から「もめている」一連の事件は、後継ぎ争いとは質の違うものなのです。
 本願寺教団が何百年の歴史を持つ中で、本願寺の住職は法主(ほっす)と呼ばれ生き仏≠ニされてきました。法主は教団内の権威であり、教団を独断で動かす権力を持っていました。「阿弥陀仏の前では人は平等である」と説かれた親鸞聖人の教団で、です。
 このことは問題である、親鸞聖人の教えに帰ろうと、教団そのものを改革する勢力と、法主を中心にした教団を守ろうとする勢力の闘争が、新聞紙上を賑わせた事件なのです。
 『祖師に背いた教団』(田原由起雄著/白馬社)は、この一連の出来事をを克明に綴っています。「もめとる」と坊さんに聞くより、事情が詳しく分かりますよ。

 

■ コラム ■
相手を傷つければ
我が身も傷つき
相手を滅ぼせば
こちらも滅んでいくのです
──中川皓三郎師──
 人はひとりで生きているのではない。無量のいのちに支えられながらしか存在し得ないのである。しかもそれに例外はなく、全ての人がそうなのだ。人は誰しも無量のいのちと共に生きている。
 しかし事実として身は共に生きていても、心はどうだろうか?。いのちに生かされているという実感の中で生きているだろうか?。
 『阿弥陀経(あみだきょう)』に「共命鳥(ぐみょうちょう)」という鳥が説かれている。共命鳥は身体は一つなのだけれども、双頭──頭が二つの鳥である。
 頭が二つある共命鳥、二つの頭が同じなのかというとそうではない。一方は綺麗な声で鳴けるが、もう一方は鳴けない。綺麗に鳴けない方の頭はもう一方に嫉妬し、妬み、もう一方を困らせようと毒の実を食べさせてしまう。しかし頭は二つでも身は一つ。結局は共命鳥そのものが死んでしまったのである。
 仏教が共命鳥を通して教えようとすることは、私℃ゥ身の生活なのだろう。身は無量のいのちに生かされている、共に生きているにもかかわらず、心は自己を中心の生き方。本当に共に生きることを頷き生きることがなかったら、人は生きてはおれないのだ。
 共命鳥は阿弥陀仏の浄土では、共に生きることが成り立つのだそうだ。このことは何を教えているのだろうか?。

■ TrueLiving ■
近江第二組 老上地区推進員研修会講話録(2003/06/24)
──三品正親師──
 私は守山市三宅の蓮生寺(れんしょうじ)という寺で住職をしております。蓮生寺という寺の建物は1615年に建立された、真宗寺院としては非常に歴史にある建物で、文化財に指定されております。
 文化財に指定されたのは数年前で、その時に本堂を直しました。直すといっても新しい本堂を建てるのではなく、蓮生寺ができた当初の形を復元するような修理です。その復元作業を通して、「この寺は浄土真宗の寺である」ということが見えてきました。具体的に言うと、この寺は百姓が建てたということが見えてきたのです。
 寺の屋根をめくると、たくさんの木がかませてある。かませてある木に絵が描いてあったんです。今なら字を書くでしょう。つまり、この木とこの木をかませることが分かるように書くわけです。絵が描いてあるとはどういうことでしょうか。つまり字の読めない人たち──蓮生寺の門徒・お百姓さんが自分たちの手で蓮生寺を建てられたんです。つまり浄土真宗の教えというのは、当時字が読めない社会的に権力を持っているわけでもない、そういう人たちが拠り所とされたわけです。
 それでは何故そういう人たちに浄土真宗は受け入れられていったのでしょうか。これは今を生きる私たち一人ひとりが確認しなければならない問題でしょう。
 浄土真宗の宗祖は親鸞(しんらん)聖人ですね。その親鸞聖人が本当に救われなければならないとされた人たちは「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」でした。そこらにあって放っておかれる者、誰からも相手にされない者ですね。つまり親鸞聖人当時、最下層におられた人たちこそが本当に救われなければならないと仰るわけです。
 時代が下って室町時代は蓮如(れんにょ)上人が出でて「女人往生」を言われる。「女人」とは当時最も救いから遠いとされていた存在です。親鸞聖人も蓮如上人も、世間の中で教えから最も遠いとされていた人たちこそ、本当に救われなければならないと言われているのです。
 それでは現在、最も教えから遠い存在とは誰でしょうか?。教えから遠い人≠ニは、「私には教えは必要ない」と言っている人です。聞く耳のない人ですね。その人とは実は私≠ナす。そうでしょう?。仏の教えを聞かなかったら明日から生きていけないという人はいますか?。金もあるし、便利な生活もあるし、仕事もあるし、健康もあるし、仏の教えなどなくても生きている、という感覚が私たちの中にありませんか?。
 先週の土曜日、お参りの最中近所で火事がありました。家の人が「お寺の近くで火事やで」と。驚きました。寺が焼けたらどうしよう、うちの息子が何かしたのかと思いました。家の人が見に行ってくれて、どうやら寺ではないと分かりました。その時、私はどう思ったのかというと、「ああ、寺でなくてよかった」です。自分自身が何と料簡が狭い人間であると知らされた出来事です。しかしいくら分かっていても、そういう自分を止めることはできないのです。
 自分自身のことは自分では分かりません。仏の話は仏の崇高なことを聞くのではない。自分自身のすがたを仏の教えに聞くんです。教えから最も遠いところにいる私≠アそが、本当に自分自身のすがたを知らされる教えが浄土真宗であり、聞く場所が浄土真宗のお寺なのです。

■ 耳をすませば ■
『ヒポクラテスたち』
──(1980/ATG/監督:大森一樹)──
 坊さんという職業はいのち≠ノ関わる職業と言える。責任は重大だ。だからこそ、その職業に就く前に関係学校で専門の学問を学ぶことをする。
 関係学校で学問として仏教を学んでいる時は、知識を得ることで自分が立派な僧侶になっていっているという勘違いをする。しかしんながら、実際に現場に出て、その学問・知識が、現実というものに対処しきれない質のものであったと分かる。
 実は現場に出て、そこで現実の問題と向かい合うことを通して、仏教というものは僧侶の中で深められるのであろう。
 医者という職業は坊さんと似ているのかもしれない。共にいのち≠ノ関わる職業であるし、学問より現場が重要視されるのだから。
 元医大生で映画監督の大森一樹のメジャー初監督作品『ヒポクラテスたち』(ATG/1980)。この映画には医大生の姿が描かれる。学問と現場のギャップに戸惑い苦悩する彼らの姿が、今だ僧侶の職責を果たしているかどうか不安を抱えている私自身とダブって見える。
 ノンポリと呼ばれた七〇年代の青春が描かれるせいか、苦悩するわりに登場人物に切迫した雰囲気がない。そういう所も私とダブったりする。

 

■ コラム ■
ファイト!
闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中をふるえながらのってゆけ
──中島みゆき氏──
 長崎で起きた12歳の(触法)少年の犯罪から、世間の論調は「刑事罰適応年齢の引き下げ」が声高く言われている。しかし、しっかりとした統計によると、むしろ少年犯罪は減っているのだそうだ。長崎の犯罪は特殊なケースであると言える。
 「今の子どもはコンピューターに興じ友だちと遊ばない。無気力無感動。いのちの重さを知らない」。よくある今の子ども像≠ナある。具体的にこういう子どもを知っているということはない。これは、どこかの評論家が語りマスコミが報道する子ども像なのだ。誰かが語る子ども像でしか、今の子どもを語れない。これが私も含めた今の大人なのだろう。
 側にいる子どもをしっかり見ようとしない。見ようとしないから見えない。見えないから分からない。分からないから、恐い。
 大人の子どもに対する接し方が刑事罰引き下げの論調を作っているように思えてならないのだが。
 「ペットはお金で買ってきたのに死ぬと涙が出るのは何故?。暮らしているうちに家族になっていったんだなあ」。帰帆こども学校で、子どもが書いた作文の一節である。いのちといのちの共感する世界に感動する今の℃qどもの姿がここにある。
 大人がしなければならないことは、子どもに罰を与えることではない。子どもを理解し愛そうする心を回復することなのだ。

■ TrueLiving ■
同朋会運動について
──良覺寺住職──
 1997年、能邨英士大谷派宗務総長(当時)はこう発言されたそうだ。
真宗大谷派なる宗門は、
真宗同朋会(どうぼうかい)運動を進めることを
いのちとしている宗門である
それでは、大谷派がそれを進めることをいのちとしている同朋会運動とな何なのか?。
 この同朋会運動が公に発足したのは昭和37年(1962)年である。しかし当たり前のことであるが、この年に突然発足したのではなく、同朋会運動を生み出す機運が当時の大谷派の中にあったのである。
 昭和30年代、戦後社会の激変によって価値観が変わってきた。例えば「代々家を継ぐ」という制度が崩壊したのだ。若い者は田舎を捨て都会へ出る。そして家が途絶える。その風潮にあって、家の宗教を代々継いでいくということも徐々に少なくなり始めていた。これは近世から続く壇家制度の中で温々と寺院運営をしていた者にとって、大いなる危機であった。これに拍車をかける形で、創価学会に代表される新宗教の台頭してきた。
 更に大谷派自体が持っていた封建制度の膿が民主主義を通して問われてきた時代でもあった。法主と呼ばれる親鸞の血統を継ぐ者が宗門の頂点に立つ。その法主を頂点とするヒエラルヒー構造の中で宗門は運営されてきた。それが真の仏教教団なのか。
 大規模な宗門改革を必要とされたのであるが、その改革の原理をどこに置くのか最も大きな問題であった。民主主義云々の思想に依る宗門改革で、真の仏教教団の改革ができるのかというと、否であろう。当時の宗門人は、「親鸞(しんらん)聖人にかえる」ということを原理にして宗門を改革しようと考えたのである。
 親鸞聖人の残された言葉の中に「とも同朋」というものがある。「同朋」とは、共に念仏を喜ぶ友という意味であろうが、もっと広義にとると阿弥陀如来によって救われていく友≠ニなるだろう。阿弥陀如来は一切衆生(しゅじょう/生きるもの全て)を救うはたらきであるから、実は「同朋」とは全世界の全ての人、生きとし生けるもの全てという意味となる。
 親鸞聖人の生涯は仏法聴聞の生涯であったと言っていい。その学び方であるが、「経の教えを鏡とし、我が身の事実を知る」ことであった。教えを鏡として見えてきた我が身とは、自我を中心に縁ある他者を傷つけ、見捨てているではないか。とても自利利他円満の仏に成ることができな者であった。その私にも阿弥陀如来の救済は至り届いていた。罪の身を生きる私さえも救われているという自覚を通して、全ての人が阿弥陀如来の救済にあずかるべき人であったことに目覚められたのだ。この目覚めを通して、他者を「同朋」と呼べる自分が生まれたのである。
 蓮如(れんにょ)上人は「親鸞聖人は縁ある他者を御同朋(おんどうぼう)とかしずかれた」と言われる。実際にどうだったかではなく、親鸞聖人を生き方を蓮如上人はこう頂かれたのだろう。縁ある他者に御≠付けるような関係──縁ある他者を絶対に軽蔑しない関係を親鸞聖人は築かれたというのだ。
 同朋会運動は、こういった親鸞聖人の学び方──教えを通して我が身の事実に目覚める。そこから始まる真の関係を明らかにする──を今一度、現代社会に回復しようという運動である。つまり教えを通して大谷派という宗門そのものを常に自省する。そうすると大谷派には数知れない問題があることが見えてきた。戦争責任、差別といった社会的な責任もそうである。前述の教団内部の構造の問題もそうである。
 同朋会運動はただ単に教団の教義啓蒙運動ではない。私一人≠ナも始められる運動だと言える。家庭や社会にあって、私≠ヘ縁ある他者を本当に同朋と呼べるのかということを、教えを聞くことを通して、いつでも点検するという運動でもあるのだ。

■ 耳をすませば ■
『あっかんべェ一休』
──(作者:坂口尚/アフタヌーンKCDX/講談社文庫)──
 多くの人の中に「一休さん」と言えばトンチ上手で理知に長けた可愛い小坊主≠ニいうイメージがあるのではないか。
 人間・一休≠ニは如何なる人物だったのかを真っ正面から描いた、非常に素晴らしいマンガがある。
 それが『あっかんべェ一休』(講談社)だ。
 作者は坂口尚氏。一九九五年に急逝されたのであるが、メジャーな雑誌に連載をもたなかった故に、世間的な知名度がない。もっともっと人々に知られて良い漫画家である。
 まずこの作品は全てのページが墨絵を見ているように美しい。絵を見ているだけで飽きないのだ。だからできれば大判で読みたい。
 『あっかんべェ一休』を通して坂口氏は、一休宗純のナマの成長、ナマの老い、ナマの性、そしてナマの死を描こうとする。室町時代というのは価値観が激変する時代であった。世間の中では昨日までの善が今日は悪になる。何が正義で何が悪なのか分からない。その時代社会にあって、一休宗純は唯一絶対の真、仏の覚り≠開くために、生涯かけて地を這いずり回るのだ。
 『── 一休』において坂口氏は、一休宗純の死に際に「死にとうない」という台詞を言わせる。仏教がナマの人間を問題にする以上、そこには言い知れぬ人間の泥臭さがあるはずだ。当に見事な幕引きである。
 作品中、一休宗純の友人として蓮如(れんにょ)上人も出てくる。史実として実際に友人関係にあったそうだ。そういう面でも非常に興味深く読むことができる。
 どうぞぞうぞ御一読を。

『あっかんべェ一休』や
坂口氏について知りたければ

に行ってみてください

 

■ コラム ■
この身今生において度せずんば
さらにいずれの生においてかこの身を度せん
──『三帰依文』より──
 真宗本廟(東本願寺)の上山者宿泊施設である同朋会館の講堂の前に、このような言葉が書いある。
生まれた意義と生きる喜びをみつけよう
 先般私が上山した時、感話で若い僧侶が面白いことを言った。「生まれた意義とか生きる喜びと言われても、自分が本当に生きていることには役に立たない」。大上段にこういった言葉が書かれていることへの反発もあろう。彼の思いは、私が初めてこの言葉を見た時の印象と重なるのである。
 この言葉と初めて出会って十年が経った。その十年は私にとって住職としての十年である。住職として僧侶として様々な体験をしてきたが、葬式を執行してきたことが、自分自身の大きな学びになっているように思う。様々な死。それらと出会う度に、無機的に仕事として葬式をこなす≠セけではない、重いものを与えられた。
 死は人生の完全燃焼という意味がある。私が法話でよく口にする言葉だ。しかし私は、私自身の死を私自身の人生の完全燃焼と言い切れるのだろうか。死を完全燃焼と頂ける生き方をしているのだろうか。私にとって生きるとは、死んでいないだけの意味しかないのではないだろうか。
 先の言葉「生まれた意義と生きる喜びをみつけよう」は十年の時を経て、私の中で問いかけとなった。このことを明かにしてないで、本当にあなたがあなたとして死んでいけますか、という。

■ TrueLiving ■
伝承の親鸞
──良覺寺住職──
 浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人といって、どのような僧の姿を思い浮かばれるだろうか。真摯な求道者。民衆と共にあった僧。強面の頑固者等々、人によって様々であろう。しかし親鸞聖人の伝記に、弘法大師空海や日蓮聖人のように雨を降らせたり、飢饉から農人を念力で救ったなどという荒唐無稽な話を聞かれた方は少ないのではないか。
 有名なところでは、親鸞聖人九歳の春の出家の時、時の延暦寺管首・慈鎮(じちん)和尚に「九歳で幼すぎる。十五歳になってから来なさい」と諭された時、「明日でも桜が見られるという心が仇になって、桜を見ることができないことがあります。夜に嵐が来ないとどうして言えましょう」─つまり、明日死ぬとも分からない身を生きているのだから、幼年と言えども今すぐに仏法を学びたいのです、という意味。
 また、親鸞聖人が関東から京都に帰られる時、ある家に宿を頼んで断られた。親鸞聖人は「石を枕に雪を褥に」休まれたのだが、その夜に家人が親鸞聖人が観音菩薩の化現であるという夢を見て、明くる日は丁重にもてなした(常陸太田市)。
 こういった伝承はいくつもあるのだが、どうも科学で割り切れる話ばかり。夢の告げにしても、僧侶を外で寝かした家人の罪の意識が見させたとも言える。特に戦後、真宗教団は非科学的なことを嫌い、そういった話を宗祖伝から外してきた感がある。
 戦前、民間の中で伝承されてきた親鸞聖人の逸話の中には、かなり荒唐無稽なものもあるのだ。
 最も有名なものは「越後の七不思議」と呼ばれるもの。七不思議の中で親鸞聖人は非常に生き生きと奇怪な行為を行っている。葦を一夜で片葉にしたり、城主に招かれた時、お茶請けに出された榧(かや)の実を持ち帰り畑に巻き榧畑を作ったりされている。
 七不思議の一つ「逆さ竹」は興味深い。親鸞聖人は三五歳で流罪の処せられ、越後に流される。最初は国府(新潟県上越市)で暮らし、二年後国府から鳥屋野(新潟市)へ来て草庵をむすんで念仏の教えを説かれた。親鸞聖人は人々に教えを広めようとしたが、誰一人耳をかそうとしなかった。親鸞聖人は「私の広める仏法がもし仏の意にかなうなら、この枯れた竹にかならず根も芽も生じるだろう」と持っていた竹の杖を大地に突き刺した。その言葉通り、やがて竹の杖に根が張り芽が出た。しかし、この竹は親鸞聖人が逆さに杖を刺したのか、枝葉が下に向いて成長し、後に立派な竹藪となった。
 私は民衆が伝承の中で伝えた親鸞像が非常に重要に思える。ここに、知識人ではない、権力者ではない、群萠と呼ばれた民衆が、どのように宗祖として親鸞を受け止めていたかが表れているように思うのだ。本当に逆さに枯れた竹を突き刺して、それが再生したかどうかが問題ではない。「逆さ竹」逸話を作り伝えた民衆にとって、親鸞聖人の教えが仏の意にかなうものだった≠アとが重要だ。この逸話を通して、本願念仏に、老若男女、身分、貧富等の世間の上下を超えて誰しも救われるという教えこそが仏意にかなう≠ニ受け止めた民衆の心が生き生きと伝わってくる。
 伝承の中の親鸞はもっと注目されてもいいと思う。また「越後の七不思議」を実際に訪ねてみるのもいいかもしれない。

■ 耳をすませば ■
『『こんにちわ』撲滅委員会』
──(http://park15.wakwak.com/~o0o0o0o0/bokumetsu/)──
 ここ数年、他者に読ませるための文章を書く機会が増えました。そうすると私の書いた文章に様々なご指摘を受けることになります。
 勿論、内容の不備な点、誤字脱字等のご指摘もありますが、それよりも、それまで私が当たり前だと思っていた文章表現が、実は日本語として間違いであると指摘を受けることが非常に多いわけです。
 代表的な例として、「見れる」ではなく「見られる」。「見れる」はら抜き表現≠ナ文章として書くと誤り。細々した例として「〜を鑑み」などの表現はなく、「〜に鑑み」が正しい。
 最近特に多い、一つの言葉の表記上の誤りをピックアップして取り上げているホームページがあります。それが「こんにちわ撲滅委員会」。
 勿論「こんにちわ」は誤りで「こんにちは」と書くのが正しいのですが、最近はメール等で「こんにちわ」と表記する人が増えてきました。「わ」表記に違和感を抱いておられる方もおおいでしょう?。
 このサイトの面白い所は、「わ」表記をする知人に対して、それとなく「は」表記が正しいことを伝える術まで考えている点です。
 日本語の勉強にもなります。一度覗いてみられてはいかがでしょうか?。

 

■ コラム ■
苦をまぬがれるには
その苦を生かしていく道を学ぶことです
──蓬茨祖運師──
 私たちは平生何を大切だと思い、頼りにして生きているのかを確かめて欲しい。
 あるアンケートによると現代の日本人の大切なものは
一位・健康、二位・家族、三位・お金
なのだそうだ。多くの人がこのアンケート結果に同感されるのではないかと思う。しかしである。病気、家族との別れ、破産…、状況が変われば大切だと思っていたものは頼りにならないものだったと知らされるのである。
 二〇〇二年の自殺理由の統計は
一位・病気を苦に、二位・経済問題、三位・人間関係
見事に私たちが平生大切だと頼りにしているものとリンクしている。そうすると私たちは、状況が変われば生きることができない、曖昧なもの思い描き大切にし頼りにしていると言わねばならない。
 仏教では私たちが身をもって生きる世界を「娑婆(しゃば/忍土(にんど)──苦しみに耐え忍ぶ世界)」と教える。私たちが平生大切だと頼りにしていたもの、私たちの平生の思い≠ニいうものをことごとく現実が打ち砕いていくのだから。  仏教を聞いても苦しみは無くならない。仏教は苦しみを担う視座を教えようとするのだ。「あなたが抱える苦しみがあなたはどういう思いで私の人生を生きているのか≠ニ問いかけているのですよ」と。
 苦しみは無駄ではない。苦しみを通して、人生は幅も広がり、深くもなるのだから。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2003/09/23)
──高木淳善師──
 仏教では、私たちが生活していて感じる感情というもには三つあるのだと教えます。まず「楽」──自分に対して好ましいことが起こることですね。次ぎに「苦」──自分にとって好ましくないこと、都合の悪いことです。三つ目は「捨」──これは不楽・不苦といい、楽も苦も感じない状態であり、自分の周りに起こることに感動できず、全て空しく過ぎ去ってしまう状態です。
 この三つをもう一つ進めますと、この「楽・苦・捨」全てが苦≠ニなるわけです。
 「楽」というのも実は苦≠ネのです。自分の欲しいものが手に入った、自分の都合の良い状態となった。しかし、その手に入った物、手に入れた状態が壊れて欲しくない、変わって欲しくないという思いが生じる。これによって新しい苦≠生みだしているわけです。こう考えると、私たちは苦≠ニいうものを巡り巡って生活していると感じます。その中でも最大の苦≠ヘ「捨」です。日頃の生活で、人生を空しく過ごすほどの苦≠ヘないでしょう?。このことを仏教は教えて頂いているように思います。
 今日は永代経ということですね。永代経というお経があるのではなく、亡き人をご縁にして仏法を聞いていこうという法要の名です。
 仏法を聞くというと非常に難しい感じがします。親鸞(しんらん)聖人とほぼ同時代を生きられた道元(どうげん)という方は、
仏道をならふといふは、 自己をならふなり
と言われています。仏道をならうというのは、自分というものをはっきりさせることであると。逆に言えば、自分というものをはっきりさせるために、仏道をならうのだということです。
 昼間から御本尊の前で話すのも何ですが、私はよく屁が出るんですね。これは結婚してよく分かりました。嫁さんに指摘されるんです。子どもの頃から屁をすると謝るようにしつけられていまして、結婚して何回も屁をして謝るので、嫁さんに「ちょっと回数多いのでは?」と言われました。これは自律神経の病気で、病院に行って薬をもらえば直ぐに治るんです。自分というものは、自分では分からない。教えられて初めて分かるわけです。
 この「ならう」ということですが、この言葉には繰り返し、身に付くまで練習する≠ニいう意味があるそうです。「自己をならう」という場合も、繰り返し繰り返しならい続けていく。一回お寺に来てお話を聞いた。これでは「ならう」ということにはならないのでしょう。繰り返し聞き続けることが大切です。
 『観無量寿経』に、浄土に往生したいなら至誠心(しじょうしん)──誠の心であれというものがあります。心を込めて念仏せよ、誠実な心で生活せよと。善導(ぜんどう)大師はこのことを受け止められて、外側に良い格好していても内面に嘘偽りがあってはならないとされました。そして親鸞聖人はその善導大師の教えを自分自身の相を通して受け止められたのです。人の外側を善人のようにつくろってはならない。何故かというと、人間の内面は嘘偽りしかないからだ、と。当に深い教えの受け止めはないかと思います。
 「仏道をならふといふは、自己をならふなり」という言葉を忘れることなく、縁あればお寺に足をお運び頂いて、仏法を聴聞していただきたいと思います。

■ 耳をすませば ■
『ショートショートの広場』
──(編者:星新一・阿刀田高/講談社文庫)──
 短編小説よりも短い、いわゆるショートショート≠日本に根付かせ、そのジャンルを確立した作家は故・星新一である。後に様々な書き手がショートショートを書いているのであるが、星新一の作品ほど時代を超えても色あせず、同じ作品を何回読んでも新鮮な印象を持てる作家はいないと思う。
 良質のショートショートを書き続けることは、プロでも難しいのであろう。しかしアイデア勝負の傾向が強いショートショートであるから、生涯に一つや二つ、プロ級の作品がアマでも書けることがある。そういったアマチュア作ショートショートを集めた作品集が『ショートショートの広場』(講談社文庫/編者・星新一、阿刀田高)。
 どの作品にも作者たちが考えに考え抜いたアイデアがある。そのアイデアは、世相の風刺であったり、人間の機微であったり、何気ない生活の一コマであったり様々である。その作品(アイデア)一つひとつの中に、私たちはどのような時代を生きているのか、今を生きる人間は何を中心に生きているのか、人間とはどのような動物なのか、といった思い課題を問うような視座があるのだ(たとえばこのような作品)。
 秋の夜長、この本が一冊あればいい、と言える作品集である。

 

■ コラム ■
周りの人に
「御」という一字をつけて出会うことのできるような私になるとき、
はじめて私が私でよかったと言える
──近藤辰雄師──
 親鸞(しんらん)聖人が49歳頃、聖人は関東の稲田(いなだ)に居住され、縁ある人に念仏の教えを伝えようとされる。中世の関東は修験道が盛んで、民間から信仰を集めていたのであるが、聖人の教化によって、多くの修験道の信者が念仏を喜ぶ身ととなった。
 信者を奪われることは、そのまま修験道を行じる山伏の経済を圧迫する。山伏の頭領・弁円(べんえん)という者は、親鸞聖人を殺そうと画策するのだ。弁円は聖人を殺すために、稲田の草庵に行くのだが、親鸞聖人を一目みて、武器を捨て、聖人の弟子となった。後に明法という法名(ほうみょう)を名告り、生涯本願念仏に生きたという。
 これは『御伝鈔(ごでんしょう)』という書物にある一節である。かなり美談として脚色されているようだが、事実のよようだ。
 自分に危害を加えよう、殺そうとする者を、包み込む親鸞聖人のすがた。どこでこんなことが成り立つのだろうか。また、こいうことが私の上に成り立つのだろうか。
 親鸞聖人が聴聞の中で仏から教えられたこと。それは煩悩(ぼんのう)の身を生きる自身の相(すがた)≠ナある。我が身ひとつが可愛い。自分の生活のため、金のためにに嘘もつく。人のものを奪う。さらには人も殺しかねない。それが煩悩を具足するということだ。信者を奪われたと自分を殺しに来る弁円の中に、親鸞聖人は自分の相を見る視座があったのではなか。
 共に助からねばならない衆生として他者を見出す=B聖人が感得された世界はこういものでなかったのかと、報恩講の前に思う。

■ TrueLiving ■
覚の会講話録(2003/09/19)
──山本隆師──
 最近大萱で『南大萱史』という書物を制作しています。その書物に、大萱在住の人に文章を書けという依頼があったわけです。その依頼が私のところにも来ました。そこで私は何を書こうかと思い付いたのが鎮守(ちんじゅ)の森≠ナす。
 明治に入って鉄道を引かねばならない。仮に江戸時代に鉄道を引いていたら、今のような引き方にはならかなかったでしょう。明治は富国強兵です。何ものよりも国の政策が優先されました。現在鉄道が通っている真ん中あたりに神社があったそうです。鉄道を引くのに、神社を動かしたわけです。
 神社を動かすにあたり、鉄道よりも北側に動かしました。そうすると南側には鎮守の森がそのまま残ります。古来からある日本の神社は鎮守の森が神となっています。ところが大萱は神社と鎮守の森が別れてしまったんです。私が子どもの頃、よくその鎮守の森を通りましたが、今でもそこに書いてあった言葉を覚えています。「木竹切るべからず。鳥獣獲るべからず」。正しく鎮守の森でした。
 昭和40年代、単線であったものが草津駅まで複々線になるという話が出ました。この時に瀬田駅ができます。この時期、日本全体が高度経済成長で開発優先の時代です。大萱の神社の鎮守の森を全て壊して、駐車場を建てたわけです。駐車場ができた後、大萱の方が、たまたま瀬田駅で一緒になった、よそ在所の人に「このお宮さんはあかん」と言われたと聞きました。これは大萱の者が気付かなければならないことです。  今の50歳から上の者は、鎮守の森が消えて無くなったことを目で見て知っているはずです。ところが忘れているんです。
 鎮守の森≠ニは何でしょうか。昔は森があり、その森を恩恵を受ける動物がいて、その動物の糞で森が栄えるという構造でした。ところが人間が田畑を作るためには、その森を切っていかねばなりません。その時、森の一部分だけを残しました。これが鎮守の森≠ナす。これは自然というもへの畏敬の念、敬いの心の表れ。もう一つは自然への懺悔(ざんげ)です。自然を壊して土地を開いてきた日本人が持っていた心なのです。
 仏に対して私たちが忘れてはならない心は敬いの心です。今の日本人は神仏に頼みの心を持っていきますが、敬いの心はありません。また、私たちが生きていく上で犯す罪の懺悔(さんげ)です。様々なもののいのち──木を切り、魚や動物を植物を殺し食さねばならない。知らないうちに小さな虫を殺している。これは恐ろしいことなのです。
 殺人事件が横行していますが、日本の法律では「人を殺せば罰せられる」とは書いてありますが、「人を殺してはならない」とは書いてありません。どこで「殺してはならない」と言えるのか、どこで教えるのか。それは宗教でしょう。日本から宗教というものが見失われ、殺すことの罪を教え、知る機会がなくなったわけです。ひろさちやは言います。人間から宗教を引くと畜生となる。畜生に宗教を足すと人間となる、と。
 鎮守の森が長く残ってきたのは、自然に対する痛みを持ち続けてきた結果でしょう。これは一五〇〇〜二〇〇〇年、日本人が持ち続けてきた心です。この鎮守の森を無くすということは、これは形のある森を一つ無くしたということだけではありません。形にはならないけれども、私たちの中にあった大切な心を無くしたということなのです。

■ 耳をすませば ■
『親鸞 白い道』
──(1987制作/監督:三國連太郎/松竹)──
 親鸞(しんらん)に傾倒する三國連太郎氏が人間・親鸞≠描こうと原作を書き、映画化した『親鸞 白い道』(1987/松竹)。この映画を見終わったあるお婆さんが「御開山(ごかいさん/親鸞聖人)はどこに出ておったんですか?」と言われたそうだ。それほど、この映画の中の親鸞は泥臭い。過去、中村錦之助が演じた高僧・親鸞≠ニは全く違う乞食坊主である。
 描かれる親鸞は、越後に流罪に処せられ、何とか関東に移り住んだ、生きることに精一杯の無名僧。貴族出身で比叡山で修行し、全く民衆と生活を共にすることを知らなかった親鸞(劇中は別名である善信(ぜんしん)と呼ばれる)。民衆のリアルな生活、呪いを中心の宗教生活に戸惑い、心が折れそうになる。それでも法然上人から聞いた念仏の教えを伝えるために、教化に出るが耳を傾ける人は少ない。当然である。誰が無名の乞食坊主の説教を聞くものか。
 ラストで親鸞は本願念仏の世界を貫く決意をする。親鸞が出会う民衆は、貧困のため生きることそのもに常に苦悩している。親鸞を歩ませる決意をさせたもの、それは生の苦しみの中で生きる民衆との出会いであったのだろう。
 真宗門徒(もんと)は必見の一作(勿論、親鸞に興味のある人は誰でも)。報恩講シーズン、泥臭い親鸞聖人と出会って欲しい。

 

■ コラム ■
人のいうことを
ナルホドそうかと
うなずけたら
何かそこには
小さな花が咲くようである
── 榎本栄一師──
 今から丁度10年前、私は僧侶を養成するための学校である大谷専修学院の寮にいた。年が明けて4月には結婚、そして良覚寺の住職になることが決まっていた12月、しっかりとした暖房器具のない寮で布団に入りながら、「住職とは何をする仕事なのだろう?」などと悶々と考えていたことを思い出す。
 あれから10年。「住職とは何をする仕事なのだろう」と今だに考えることがある。良覚寺は御門徒にとって手次寺=A住職は手次寺(てつぎでら)の住職≠ナある。そういった意味で、今は「教えと縁ある御門徒をお手次ぎすることが仕事」だと応えられなくもない。しかし最近はおぼろげながら、それに先立つ大切な単純明快な仕事があるように感じている。
 それは「聴聞する」こと。
 住職が聞きたくない、聞かんでもよい、聞く意味がないと思う話を誰が聞くのか。良覚寺門徒の中で誰よりも聞かねばならない身を生きるのは私なのではないか。
 住職をしていると自分は教える者≠ニいう意識が出て、聞くべき事が聞こえないことがある。そういう時は、概ね聞こえたふりをしているのだ。業の深い仕事であると、つくづく思う。
 2004年は私にとって様々な意味で区切りの年。お勤めをしながら、喋りながら、文を書きながら、そして人と出会いながら、まず私が心の中に花を咲かそう、などと考えている。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2003/11/15.16)
──藤本愛吉師──
 親鸞(しんらん)聖人は29歳で法然(ほうねん)上人と出遇われましたが、その時に「雑行(ぞうぎょう)を棄(す)てて本願に帰す」と言われるます。つまり本願が私の拠り所です。私は本願に在ます≠ニいうことですね。この本願の心を具体的に言えば、「えらばず・きらわず・みすてず」の心です。聖人は、もう一方の「雑行」という心を「自我の心」と言われます。それをすてたのだと。親鸞聖人は自我──私の心は置いておきます。本願の心を選んで生きますと仰った。これが親鸞聖人の名告りです。
 この自我の心は阿弥陀様の本願の心と反対になっております。このことが分かれば、朝から晩まで何時でも仏教を学ぶことができるわけです。親鸞聖人は自我の心が問題であると気付き、本願の心を選んでいかれたのですが、私たちはこの自我の心が問題だとわかりません。
 私が20代の時にある先生から聞いた印象深い言葉があります。それは
期待(あて)は外れる
という言葉です。この話を寺でしましたら、ある婆ちゃんがその通りだと。長い間農業をされ、息子が後を継ぐかと思ったら勤め人になってしまう。連れ合いの爺さんと歳を取っても共に生きられると思っていたら、痴呆が出てしまう。
 期待が外れた事実と一つになって生きていける視座が獲得できたなら、そのお爺さんと共に生きていけるのでしょう。期待をしていた心に止まって「こんなはずでは」と愚痴の中で生きると仏法の聞き違いになってしまいます。
 こういったことに関して、私とご縁のあった中野良俊先生が面白いことを言っておられます。中野先生はある時、汽車に乗られました。四人掛けの席です。先生の向かいに男性が座っておられました。その男性がビニールの網に入ったミカンを買われたんですね。ミカンは五つあったそうですが、その男の人は次から次へとミカンを食べて、瞬く間に全部のミカンを食べ終わりました。そして、前に座っている私に「ミカン一つどうですか」とはとうとう言いませんでした、と。
 中野先生はここに仏教の覚りがあると言われるわけです。この場合、前に座っていた人は赤の他人です。だから先生も本当に期待していません。しかし友達だったらどうでしょう?。ミカンを五つも買った、一つくらいは…となりますね。それで期待して、ミカンを貰えなかったら、お前がどんなに困っても今度から助けてやらん、この薄情者となります。他人でも友達でもミカンをくれなかったのは同じ。違っているのは、こちらの心です、と中野先生は言われているのです。
 自分勝手な心で期待して、自分勝手な心で悩み、自分勝手な心で苦しんで、相手に腹を立てる。薄情者=@などいない。薄情者を作り出している、自分勝手な心があるのです。
 色々な出来事に対して、自分の方から注文する心が自分を苦しめているわけです。親鸞聖人は、この心が親しい人との関係を壊していくと、この心≠置いていかれて、阿弥陀様の心を拠り所とされていったわけです。
 私たちは身近な所では我が出て言い過ぎたりします。言い過ぎた時は大概自分の期待が外れた時ですね。その時、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様の心を思い起こして、自分の心を点検したなら、相手に期待し相手の心を忘れていたなと榎本栄一さんの言葉で言えば「心に花が咲く」わけです。このことは忘れずに本堂から家へ持って帰ってください。【続く】

【後編へ】

■ 耳をすませば ■
『サンタクロースっているんでしょうか』
──(中村妙子訳/偕成社)──
 皆さんの家にはサンタクロースは来ますか?。良覚寺はお寺だから来ない、ということはありません。お寺にもサンタさんは来てしまうんです。
 それではサンタクロースとは誰なのでしょうか。その問いに明確に応えた書物が『サンタクロースっているんでしょうか』(偕成社)です。一九八七年、サン新聞(ニューヨーク・タイムスの前身)に八歳のバージニアという女の子から手紙が届きました。内容は「サンタクロースっているんでしょうか?」というもの。その問いに社説欄担当のF・チャーチーは新聞の社説で応えます。「サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう」と。
 その社説を書物にしたものが『サンタクロースっているんでしょうか』です。
 愛情や慈しみの心があるように、サンタはいるのです、と語るチャーチー。私なりにこの社説を受け取ると、子どもを本当の意味で喜ばす力をサンタクロースと呼ぶのでしょう。
 金で買ってきたプレゼントというモノを与えることだけが、サンタクロースの仕事なのではないことが、この本を通して分かります。
 クリスマスの季節です。この時期、「サンタクロースって何だろう?」と大人が真剣に考えてもいいのでは?、と思います。

■ 特別な附記 ■

 住職になった頃から出しはじめた『無上尊』が100号となりました。
 訳の分からない文章を100も読んで下さった良覚寺の御門徒、友だち、有縁の方々に感謝します。読み手があるから続けられるんですから。
 当初は良覚寺の行事前に出していた寺報でしたが、一応決意し「月報」としたわけですよ。「月報」となると産みの苦しみが大変もんなんです。何にも思い浮かばない時、忙しい時、何回も廃刊にしようと思いましたよ。「今月で無上尊は終わりや」と何度坊守に呟いたか。
 児玉暁洋(こだま・ぎょうよう)先生から「住職の仕事」として
お勤めは丁寧に勤めよ、寺報を作れ、現在帳を作れ
と教えられ、訳も分からずはじめたのですが、今はこの『無上尊』があったから住職を続けられているのだと思ってます(細かい理由は言いませんがね)。
 住職を辞めるまで(良覚寺を追い出されるまで)続けます。その時、何号になっているか分かりませんけど、付き合ってください。




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