■ コラム ■
若し初発心を離れば
即ち無上道を成ぜず
新発意の者を名づて
菩薩と為す
──龍樹菩薩──
 寺の住職から「うちのシンポチは…」という言葉を聞かれたことはないだろうか?。
 俗に「シンポチ」とは若院──寺の後継者(住職の息子の場合が多い)を指す。「シンポチ」は「新発意」と書き、本当は菩薩の位である。
 「新発意菩薩」は「新学菩薩」とも呼ばれる。これは真実に生きようと発心し、新しく道を学び始めた菩薩の意味だ。仏教ではこの新発意──初めに発こした心を非常に大事にする。
 浄土真宗は、世間の中で仏の覚りを成り立たせようとする仏教である。町に住み、妻帯し、世事の付き合いをすることを通して、真実に生きる道を歩む。真宗寺院住職は世間の中で、その世間を超えたことを発信する場所として寺を運営する。実感として思うことだが、これはある意味、山中にある寺に籠もって修行修学することより困難な道ではないか。世間の中で暮らしていると、世間の価値観≠ニいう物差しが自分の中に染み込んでしまう。その世間の物差しが、本当に見なければならないこと、しなければならないことを見失わせてしまう。
 道に迷った時、出発点に帰りまた歩み始めればよい。その出発点こそが新発意の心─初めて仏教と出遇い感動し、この道を歩もう、真実に生きようと決意した心なのだろう。
 2004年は私が住職となって10年目の区切り。私自身、大事なことが見えなくなっているという実感がある。今一度、新発意に帰ろう。

■ True Living ■
覚の会11月例会講話録(2003/11/19)
──山本隆師──
 今年、親が子を殺す、子が親を殺す事件が多発しています。こういう事件が起こると、「いのちを大事に、大切に」という言葉が出てくる。しかし、何故いのちを大事にしなければならないのか≠ニいうことは語られません。
 この問いに明確に答えられないことが、現代日本の大きな問題なのでしょう。
 私たちは「自分」のことが全く分からずに生活しています。正確には外から見た自分のことを分かっていることが、自分を知ることだと思っています。それだけが自分なのでしょうか。
 私たちの情報は眼・耳・鼻・舌・身というかたちで入ってきます。これは正直ですね。眼で見て綺麗、身で触れて熱いなど、これらは誰が認識しても同じ情報のはずです。ところが、これを認識した時、個人個人によってとらえ方が変わります。音楽など典型で今の若い人が聴く音楽は私にとっては騒音ですね。これが「意識」です。
 更に自分のことを考えたとき、悪いことをしようと思わないのに悪いことをしてしまうことがあります。心で思ったこととは別のことをしてしまう。これに影響を与えているのが、最近の心理学で言うところの深層心理ですね。心のもっと奥に私たちが平生は知ることができない我が身ひとつが可愛い心がある。
 これを西洋で言い出したのが百年程前です。しかし、千七百年前ほど前のインドでこういう研究をした人がいました。それが『正信偈(しょうしんげ)』に出てきます天親(てんじん)菩薩です。私の平生の意識ではどうすることもできない、我が身ひとつが可愛いという心が私の中にあるのだと。どんなに善い行いをしようと心で思っても、時と場合によってそれができない。一皮めくれば悪人であると言われるわけです。
 これだけで人間を全て語れるのかというとそうではない。仏教は、この心よりもっと深いものが、人間一人ひとりにあるのだと説きます。  今の人間は「子どもを作る」と言い。極端に言えば親がメーカー、子どもが商品ですね。この考え方を仏教の言葉で言えば、親が「因」、子どもが「果」となります。仏教はこう考えません。生まれてくるということは、生まれてきた者に「因」がある。親は「縁」。これを因縁生といいます。
 問題は「生まれたい」と願い生まれてきたことを誰一人覚えていません。しかし自然界を見れば、生きよう生きようとする動植物の動きが分かります。種子から芽を出す草花、川を上ってくる鮭の本能など、教えられたわけではないけれど、生きようとしているわけです。分かり易く言えば生命力でしょうか。
 私たちは「意識」の世界だけが表に出ています。仏教は、見えないところには自分が大事だと思っている心(マナ識)があって、「意識」に作用している。それだけではなく、私たちは例外なく生命力、生きようとする力を持ち、これは一つに繋がっている(アーラヤ識)。つまり私たちの意識を超えて、生かし生かされている世界に、私も生きているのだということです。
 いのちは私のためだけにあるのではありません。人間一人の所有物ではない。いのちは、生かし生かされする関係性の中にあるのです。

■ 耳をすませば ■
『生きることの意味──ある少年のおいたち』
──(高史明著/ちくま文庫)──
 「拉致問題」が注目される中で、昨年から北朝鮮を巡る問題が妙な形で社会に歪みを作っているようです。
 いわゆる朝鮮学校の生徒に対する暴言、暴行は後を絶ちません。生徒達は制服であるチマチョゴリを着て学校に行くこともできない状況にあり、中には「何で日本にいる?。朝鮮に帰れ」等、理不尽な言葉を吐く日本人の若者もいるそうです。
 「拉致」という現代の問題は国際問題として解決すべき問題です。それと同時に、在日韓国人・朝鮮人の方々は何故日本にいるのか?、この人達は日本でどのような苦労をされてきたのか?といったことを、今の日本を生きる我々はもっと学ぶべきなのでしょう。
 作家の高史明(コ・サミョウ)さんは在日二世です。著書『生きることの意味──ある少年のおいたち』において、高さんは山口県で過ごした自身の少年時代を振り返りながら生きることの意味≠読者に問うていきます。
 国とは何か?、民族とは何か?、国・民族を超えて人と人が共に生きる世界はどうすれば開かれるのか?。この本が問い掛ける課題は、今という時代にこそ私たちが考えねばならないことなのです。このような時代だからこそ、この本はもっと多くの人に(できれば若い人に)読んで欲しいと思います。

 

■ コラム ■
自らを灯明となし、自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、法を灯明となし、
法をよりどころとして、他をよりどころとせず、
すすめよ
──釋尊の遺言『長阿含経』より──
 2月15日は仏教の教主である釋尊が亡くなられた日である。仏教徒は、その釋尊の死≠入滅、寂滅という言い方をしてきた。
 釋尊は35歳で仏陀(覚者)と成られた。仏陀とは、真実に目覚め、煩悩を滅した人のことを言う。しかし仏陀と成られても、身体をもって生きる以上、煩悩は残る。釋尊は八〇歳で亡くなられるが、この時、身体が滅したと同時に、残っていた煩悩も完全に滅した。釋尊の死を入滅、寂滅と言うのは、「完全に煩悩を滅られた」という意味なのだ。仏教徒は釋尊の死を釋尊の人生の完成と頂いてきた歴史がある。
 葬儀の荘厳壇(祭壇)をよく見て欲しい。御遺体の頭を北に顔を西に安置する。これは釋尊が入滅された時のかたちなのだ。また銀紙で作った紙花を飾る。釋尊が入滅された時、四方にあった沙羅双樹の木が悲しみのあまり白色に変わったという伝説を踏襲しているのだ。
 つまり、葬儀の時の御遺体を中心としたかたちは、釋尊の入滅のかたちを踏襲しているわけだ。先達先祖は人の死は釋尊と同じように入滅である、煩悩を滅した人生の完成、完全燃焼である、ということをかたちで表現してきた。
 そのかたちが、遺された私達に、「あなたの生き方はそれでいいのか。いつ死んでもいい、いま死んでも後悔なし、死は人生の完全燃焼なのだと言い切れる生き方をしているのか」ということを問うているのだろう。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2003/11/15.16)
──藤本愛吉師──
 私たちは自分は自分だ≠ニいう自我のところで生活しています。しかしふとした時、傷みをもって、「それは本当ではないですよ。」と、いのちが悲鳴を上げるわけです。そんなことを小学校四年生の子どもが詩で書いています。題は『運動場』です。
せまいな、せまいな/といってみんな遊んでいる/朝の会のとき、石をひろわされると/ひろいな、ひろいな/とひろっている
この詩を米沢英雄という先生が『心の詩』という書物で解説されています。「あなたはまだ少年で分からないでしょうけれど、この詩でみると昔から穢土とか娑婆と呼ばれてきた世界を感じ始めているのですよ」と。
 私たちが自我で作り出す世界を穢土と浄土真宗では申します。親鸞(しんらん)聖人は、みんな一つのいのちを生きているよと教えてくれる世界を浄土というのだと仰います。この詩を書いた少年は、私たちが自我で生きているとき、物事をそのまま頂けない、のだと、鬼ごっこと石拾いを通してキャッチしたんですね。私たちは忙しさの中で、このキャッチするということができないのです。
 米沢先生は続けられます。「世界は一つだけれど、自分のその時その時の都合で変わってみえる世界。それが娑婆です。自分の得手勝手で純粋無垢の世界に色を付けて汚しているから穢土と呼ばれるのです」。そして「私たちのそういう妄想を気付かせて頂くはたらきをするのを浄土というようです。浄土はあるかないかということよりも、浄土によって目を覚まさなければ、人間はでっち上げの世界を真実だと信じて、永遠に間違いを繰り返していくではありませんか」と。
 私たちの心は世界をそのまま見ているのではなくて、自分の都合によって広く見たり狭く見たりする。アインシュタインの本に「時計のようには時は動いていない」と言われます。具体的に言うと、私は結婚する前に嫁さんと会っている時はアッと言う間に時間が過ぎるんです。でもストーブの上にお尻を置けば三秒でも長く感じますね。それがアインシュタインの発見なのです。
 私たちは世界をそのまま見ていない。自分の価値観、物差しを通してしか見ていないのです。この少年は、その時々自分の感情で世界を色付けていると感じたのです。私たちが持つ様々な思いで生きていますが、その本の思いに気付きなさいというのが親鸞聖人の教えです。私たちは、自我─本の心を問わないで、何かを信じる信じないということを問題にする。親鸞聖人は、その信じるはじめの自分の心を、仏様とよく相談していきなさいと言われているわけですね。
 私たちのいのちは、ずっと遙かなところから何兆の無数のいのちを頂いてあるわけです。そのいのちを貫くものが、本当のいのちの優しさ、仏の大慈悲ですね。それが、えらばず、きらわず、みすてずの心です。
 この本堂に来られたら、自分の生きているいのちのはじめを確認してください。そして、生活の現場に帰られた時、自我を中心に自分の都合で人と関わる自分自身の生活を改めて確認してください。そして、そこにいる人は単なる他者ではない、同じ一つのいのちを生きる者だとしてみて頂いたらと思います。

【前編へ】

■ 耳をすませば ■
『パリ、テキサス』
──(監督:ヴィム・ヴェンダース/1984/米他)──
 自分のことは自分が一番よく知っている、などということは勘違い甚だしいことなのでしょう。自分というものは、実は他人との関わりを通して見えてくるわけです。
 「自分探し」という言葉が流行しています。自分の生活に嫌気がさした人が、ここではない、どこかにいるはずの自分を探すために、趣味を持ったり、旅行をしたり、或いは新興宗教に入ったりすることが流行してるわけですよ。しかし本当の自分≠ネどというものは、どこを探しても居ません。本当の意味での自分探しは、いま、ここで、他者と関わりながら生きている自分とは何者かを発見することなのではないでしょうか。
 『パリ、テキサス』という映画の冒頭、記憶を無くした男が出てきます。男は自分は何者なのかをさがすために旅に出る、というのがこの映画のテーマ。男は自分を探すために、昔に捨てた息子と出会い、昔に別れた妻を探します。男の旅は人生の象徴なのだと思います。人は自分を探すために人生を旅している、他者との関わりを通して見えてきた自分と出会うために生きている。
 この映画は、凡庸な映画が百の言葉を尽くして描いてきたテーマを非常に静かに描きます。ライクーダーのギターがまた泣かせます。

 

■ コラム ■
われらは善人にもあらず、賢人にもあらず。
うちは、むなしく、いつわり、かざり、へつらうこころのみ、つねにして、
まことなるこころなきみなりとしるべし
── 親鸞聖人──
 昨今科学の進歩≠ヘ日進月歩と言える。しかし人間は科学の進歩を充分に消化し、受け入れられるほど、進歩しているのだろうか。
 今年に入って、神戸の大谷産婦人科の着床前診断が話題になった。体外受精した卵子の細胞を診断することで、産まれ出る赤ん坊に障害──主にダウン症があるかどうか調べられる検査だそうだ。この報道にともなって、羊水検査という名も耳にした。これは妊娠中の羊水を検査し赤ん坊の障害を調べられる。
 検査を行った院長の大谷医師の言葉であるが、「母親が障害者を産まないと決意した場合、自己決定権がある」そうだ。生まれてよい命、生まれてくるべきではない命を選ぶ決定権が人間にはあるという論調。しかもこの論調を支持する人が多いと聞く。
 大谷医師、また大谷医師を支持する人の気持ちは重々分かる。しかし分かって上で問いたい。人間にいつからいのちを選別し殺す権利が与えられたのか?≠ニ。
 「私には真の心はない。いつでも間違いを犯しながら生きている」と言い切られた親鸞(しんらん)聖人。この言葉を教えとして、自分のこととして受け止め、生きることの指針とされた私たちの先達・先祖。
 確かに科学は進歩した。しかし人間は教えを生活の中から失って、人の顔をしているけれど、人ではないものになっていないだろうか?。

■ TrueLiving ■
覚の会1月例会講話録(2004/01/19)
──山本隆師──
 大谷派の仏具は三具足を基本にします。鶴亀と呼ばれる燭台、花瓶、香炉の三つですが、これは向かって右が燭台、左が花瓶、真ん中が香炉と決まっています。鶴の立場で言えば、ずっと左目で阿弥陀様を拝んでいたので、たまには向きを変えたいと思うかもしれませんね。最近はこういうことを言うと、「お前の言うことはもっともだ」と支持する人があるかもしれません。しかし三具足という仏具なのだという立場にたって言えば、必ず向かって右にくるはずです。
 鶴亀は向かって右に置かれ、燭台としてはたらいている。現代という時代は、こういったことに当たり前のことが当たり前でなくなった時代と言えます。
 これが端的に表れているのが夫婦でしょう。子どもから見れば、父と母がいるのではなく二人の親がいる。これは分けられない。現代は親の都合で勝手に別れようとなる。これは親子でもそうです。親が子を育て、親が働けなくなったら子が親の面倒をみる。これが当たり前でした。今は子の都合で親をほったらかしにする。親子という分けられない関係ではなく、親と子という個人の関係が先に立つから問題が生じるのでしょう。
 戦前、「滅私奉公」という言葉がありました。この言葉によって、日本という国が間違った方向に行きましたので、戦後はこの言葉を嫌い、個の権利ということを声高に言うようになりました。現代という時代は、この個というものが非常に強い時代なのでしょう。
 仏教の言葉に「我見」というものがあります。これは私の目から物事を見る、これが正しいのかと問うわけです。私たちは水を単なる水だと見ますが、魚は水を住処と見る。鳥は空を飛んでいるので、水を見たら鏡に見える私たちの物の見方は本当に正しいかというとそうではないのに、私たちは自分の物の見方が正しいと思い込んでいる。『正信偈(しょうしんげ)』は、この我見を「邪見(じゃけん)」と言われるわけです。私の物の見方は邪であると。
 そして「我慢」という教えがある。これは私たちは何時でも比較して生きていることを教える言葉です。『正信偈』には「キョウ慢」という言葉でこれを押さえています。私はあの人より上だ、私はこの人よりも上だと。私の存在そのものが何にも掛けがえなく尊いのに、そこに目がいかず、人と比べて、上・下に自分を置いてしまうわけです。  仏教は、あくまでも自分が「我見」「我慢」のところで生きているのだと、自覚することの重要性を説きます。
 私たちは知らず知らずのうちに、この「我見」「我慢」というところに立って生きてしまう。気付きはしていないけれど、いつでも危ないところにいるのです。仏法を聴聞し、仏法を鏡として自分の相を知らせていただくことがなかったなら、「我見」「我慢」で生きている自分を疑うことがありません。
 先程言いましたように、現代は個の権利ばかりが主張される時代です。その個そのものが正しいかどうかという、自己の点検を抜きにして個人がそれぞれに権利だけを主張するされているわけです。権利云々を口に出す前に、まず自分はどこにたって、どのような生き方をしているのか問う必要があるのでしょう。

■耳をすませば■
『光る風』
──(山上たつひこ著/ちくま文庫)──
 山上たつひこが描いたお下劣(と当時の大人たちが言った)ギャグマンガ『がきデカ』は、七〇年代中から後半に子どもだった者に絶大なインパクトを残しました。その山上は、『がきデカ』の四年前、一九七〇年にメジャーマンガ誌にデビューするのですが、その作品が『光る風』です。
 この『光る風』が連載されたのは「少年マガジン」。同時期に『あしたのジョー』や『巨人の星』が連載されていました。
 『光る風』の舞台は七〇年当時の未来の日本。そこにある日本は極端な右傾化と軍備武装によって構築された軍事国家です。その日本を舞台に、主要な登場人物は何かしらの戦いを演じます。ただ、その戦いには誰一人勝者がいません。あるのは絶望的なエンディング・・・。
 近未来モノを読む時、描かれた未来と実際の現在を照らし合わせて読む楽しみ方があります。自衛隊イラク派兵の時、軍服を着た隊員を見送る沿道で振られた日の丸。自衛隊法、憲法を変えてもいいのだという世間の風潮。私たちは、いま『光る風』の世界に生きているのではないでしょうか。
 『がきデカ』の著者が描いたマンガであるという先入観を一切捨てて、一度読んでみてください。トラウマになるかも。

 

■ コラム ■
時に国王ましましき。
仏の説法を聞きて心に悦予を懐き、
尋ち無上正真道の意を発しき。国を棄て、
王を捐てて、行じて沙門と作り、
号して法蔵と曰いき。
──『佛説無量壽經』より──
 4月8日の「花祭り」は釋尊(しゃくそん)の生誕された日であるが、クリスマスを知っていても花祭りを知らない人が多いのではないか?。さらに、イエスの母の名がマリヤだと知っていても、釋尊の母の名が摩耶(まや)であることを知らない。イエスが大工の子であることを知っていても、釋尊がシャカ国という小さな国の王であったことを知らない人は多いように思う。
 国王であった釋尊は、道を求める心を発こし、国と位と財を捨て求道者となり、後に真理を覚り仏陀(覚った者)と成られたのだ。
 『仏説無量寿経(むりょうじゅきょう)』には、国王であった者が真実に生きたいと願い、国や位を捨てて求道者となることが、釋尊の個人的な体験にとどまらず、全ての人々に共通することなのだと教える。
 人は誰しも、教えに出会う前は国王なのだ。それは実際に国を統治する者という意味ではなく、自分の生活する環境(国)を何でも思い通りにしたいと欲する者のことである。自分が便利で快適で幸福に暮らすためには、自分の意に添わぬ他者は存在すら認めない。このように自分中心にしか生きられない私達の有り様が国王という言葉で教えられているのであろう。
 私達が国王という生き方をすることで、踏みつけられ、泣き、苦悩する人がいる。仏から教えられた、自身の国王としての有り様への懺悔から、救われなければならない一人の衆生として真実に生きる道を求めることが始まるのだ。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2004/03/20)
──赤松豊永師──
 今日は永代経の法要ということです。この法要を勤めたいという思い中には「亡き人を偲ぶ」ということがあると思います。
 まず親しい人を亡くした時、放っておけないということがある。それは世間が葬儀を勤めるから、昔からそうするから、誰かからやれと言われたからということにとどまらず、自分の大事な人を亡くしたことを丁寧に受けとめ、それを表現したいということはあると思います。それは、何かしないではおれない気持ちが沸き上がるといいますか。
 人が亡くなると、枕勤め、通夜、葬儀、中陰。そして年忌、月々には月忌と、定期的に亡くなった方を思いかえす時間を持つようにするわけです。今も永代経が勤まりましたが、それら亡き人をご縁にして勤まる仏事を、皆様方はどういう心持ちでお勤めになるのか、改めて考えていただきたい。
 私自身も気になり続けているわけですが、「亡き人を偲ぶ」とはどういうことなのでしょうか。
 年忌でも月忌でも永代経法要でも「お経」を勤めます。この「お経」は実はお釈迦様の説法なのです。現在お釈迦様が書き残された直筆の「お経」はありません。これはお釈迦様の御弟子達がまとめられたものなのです。その御弟子達が、お釈迦様の生涯や教えを偲ぶことを通して、自分自身はお釈迦様から何を聞かせていただいたのかを確認し合って、それを伝えていく中で「お経」という形が出来上がっていったわけです。
 皆様方が先に亡くなられた人を偲ぶということと、お釈迦様の弟子達がお釈迦様を偲ぶということをされたことには通じるものがあると思います。  亡き人を偲ぶということが、私が生きていくということと、どうつながっているのかどうか考えてみてください。亡き人をご縁にして勤める仏事を勤めないと、亡き人が生者に禍をもたらすとよく聞きます。そうすると、それらの仏事は仏様を拝んでいるのでなく、我が身を守るという我の気持ちしかありません。しかも先立って行った人を悪霊にしているわけですから、敬いはありません。
 仏弟子達は、お釈迦様の教えを後世に伝えるのだと、お釈迦様を偲びつつ「お経」を作っていかれたわけです。自分達だけが聞いて、それでいいということではなく、これを後々まで伝えなければならないと「お経」ができたわけです。それはお釈迦様の教えというものが、仏弟子達の生きる力になっていたからでしょう。御弟子達自身がお釈迦様の教えに出遇い、生きる力を回復した。だからこそ後世の人もこの教えと出遇い、生きることに力を回復して欲しいという願いがあります。
 亡き人を偲ぶことで、自らも豊かになり、次の世代の人も同じように豊かに生きて欲しいというつながりをもった世界が展開するのか。それとも亡き人への敬いがない世界しかないのか。仏事として同じことをするのですが、それは全く違うことだと思います。
 亡き人とは今は直接関係することはできない。しかし、亡き人が遺された言葉、身体が覚えている亡き人との会話は消えません。私達生きている者が、「亡き人を偲ぶ」ことで、亡き人との新しい関係が始まるのです。

■ 耳をすませば ■
『死をどう生きたか──私の心に残る人びと』
──(日野原重明著/中公新書)──
 日野原重明氏は聖路加国際病院の内科医長を長く勤められた方である。日野原氏が医師として医療にたずさわっておられた時に、主治医として死を看取られた方は六百人を超える。ここ何年か日野原氏の書かれた本がよく売れているという。これは終末医療のテキスト本と言われる『葉っぱのフレディ』が何百万部のベストセラーになった現象と同じように、死をどう考えるのかが現代人の大きい関心事となっていることを表しているのだろう。
 ほんの数十年前まで死は人々の生活の中にあった。親しい人を亡くしたとなれば、親族や親戚、近所の人が、自分達の手で湯灌し、埋葬し、時には火葬まで行ったと聞く。否が応でも死≠ノ出会い、死について考えさせられるご縁を持っていたわけだ。
 しかし現在は葬儀は葬儀会社を中心に行われる。墓地も火葬場も住宅地から隔離された場所におかれてしまう。親しい人を亡くした縁者は死体に触る機会すらない。死というものが非常に遠くに置かれてしまった時代なのだろう。だが今も昔も、人間は誰しも死を抱えながら生きている。今まで遠くに置いていた死が、いざ現実の私のこととなった時、どうすればいいのか?、その死をどう生きるのか?。日野原氏の本が売れている現象の根っ子はこういった、現代人の死に対する戸惑いから来ているように思うのだが。
 『死をどう生きたか』(中公新書)には、死を目の前に置かれた多くの人の生き様≠ェ記録されている。


 

■ コラム ■
亡き人を偲びつつ、
如来の御教えに遇いたてまつる。
──『年忌法要表白』より──
 深重な法要の最初には、まず『表白(ひょうびゃく)』というものを拝読する。その法要の内容を、その法要に参詣、参勤した者すべてが確認し合うために、導師が代表として読み上げる。
 御門徒宅で勤まる年忌法要の『表白』には「亡き人を偲びつつ、如来の御教えに遇いたてまつる」という文を、必ず拝読しているのを覚えておられるだろうか。「法要の御縁になってくださった亡き人を偲ぶこと」、「教えに出遇うこと」という、非常に重要な年忌法要の二つの意味を端的に押さえた言葉であろう。
 十年間、住職として年忌法要を勤め、この『表白』を拝読してきたのであるが、年忌法要が「教えに遇う」以前に、まず「亡き人を偲ぶ」ことになっているのか疑問を感じている。  人が亡くなって何年、何十年経つと、亡き人のことを覚えている人は少なくなる。そういう方々が、「全く知らない人の法事に、ただ来ただけ」では空しい。
 私は、年忌法要の『表白』の中に、亡き人の生前の人柄、生き方等を短い言葉で入れたいと思っている。その言葉が『表白』に入っているだけで、法要全体の印象が変わるような気がするのだが。
 法要を勤める前に、家人に亡き人のことを短文で書いて頂き、それを参考に私が『表白』を作成することを考えている。またご意見等あれば教えて頂きたい。

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2004/03/19)
──山本隆師──
 私は昭和四〇年に教職を辞めて住職になりました。昭和四二年に体が疲れて動かない。結核でした。直ぐに入院です。野路の浄泉寺に私の妹が嫁に行っておりまして、何年か前に亡くなった前住職が見舞いに来てくれました。その時に、「隆さん、よう入院したな」と声をかけてくれました。というのは、寺には学校に行っていない子どもが三人いて、大人の男は一人もいないわけです。寺役のこと、生活のことを思うと、入院せずに寺役をしながら治療ということも考えなくはありませんでした。しかし病人は病人の覚悟をしなければならない。無理をすることで、逆に多くの人に迷惑をかけることもあります。
 こういう場面が人生にはいくつかあると思われます。この時に、損か得かなどの思いをはさむのかどうか。これが大きな問題です。
 こういったことが曖昧になっているのが現代という時代なのかもしれません。生きていて、「これはしてはいけない」ということがあるはずですが、これが曖昧だということです。
 仏教には「五戒」というものがある。
@不殺生、A不偸盗、B不邪婬、C不妄語、D不飲酒
です。仏教はこの五戒を大事にしてきたし、日本の風土にもこれを大事にしていこうということがありました。『源氏物語』は不倫がテーマです。当時の人は、不倫を認めたような小説を書く者など地獄に堕ちているに違いないと、紫式部は地獄堕ちだという噂がたったほどです。最も重要な不殺生もそうですね。
 日本のには仏教を背景にした生活というものが、しっかりとありました。現代はこれがないのです。年配の方は学校に行く前の幼児の頃、お爺さん、お婆さんから「嘘つきは泥棒のはじまり。むやみに殺したらあかん」と教えられたのではないでしょうか。今はこれを伝える機関がありません。今の日本では、人を殺したら罰せられるとは法律で定められている。しかし、「殺してはいけない」とは書かれていません。嘘はバレなければいいのです。不倫は文化だと言う芸能人もいるくらいです。
 仏教の教えは、この五戒というものを、全て貫徹する生活をせよというものではありません。殺すことは悪いことだ、嘘をつくのは悪いことだと頭で理解するのは簡単です。しかし、それを全て実践することはできるでしょうか。人は生きるために殺すこともある、嘘をつくこともある、盗むこともあるのです。大事なことは、そういった私たちの実際の生活に「懺悔」があるかどうかでしょう。
 この「懺悔」が宗教心というのです。私が言いたいことは、これが現代には無いということです。「もうしわけない」という心があって、生活があった。これがない。
 現代では「大切なことは人権」であるといいますが、他の動物に対する傷みがない。また、大勢の人の人権を守るということを名目に、少数の人が苦しまねばならない。
 仏教の教えを生活の中でいただきながら「もうしわけない」と懺悔があった時代を通して、現代という時代を見直す必要がありそうです。

■ 耳をすませば ■
『世界がもし100人の村だったら』
──(池田香代子/C・ダグラス・ラミス/マガジンハウス)──
 一杯の天ぷらうどんを食べるだけで、世界中の人と関わりを持つ時代です。小麦粉と大豆はアメリカ産、エビはインドネシア産、カツオはフィリピン産。今や日本で普通に暮らしていても、実は世界の人々と関わりを持たねばならない時代なのです。
 ところが私たちは世界の中の私≠ニいう意識が希薄なのではないでしょうか。私が生きている、この世界はどのような実状なのか?、その中で私はどのような位置付けを生きているのか?。このことを易しく教えてくれるのが『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)です。
 この本は、世界を一〇〇人に縮め見ていこうという試みです。いわゆる統計なのですが、「%」が「○○人」という表現に変わるだけで受ける印象が全く変わります。
「100人のうち/20人は栄養がじゅうぶんではなく/1人は死にそうなほどです/でも15人は太り過ぎです」(本文より)。
何だかドキッとさせられませんか?。
 日本で暮らすことは、富という視点で言えばとてつもなく幸せなのでしょう。しかし、その幸せ≠自国に集めるために、見えなくなっていることがあるのでは?。
 この本の帯には、こういう言葉がありました。「あなたも、この村に生きている」

 

■ コラム ■
我々にできることは
如来を探すということではなく、
如来が我々を揺り動かしている、
そのはたらきに気づく、
そのはたらきに目覚めることである。
──平野修師──
 良覚寺本堂の阿弥陀如来立像のおすがたを思い出して欲しい。どのような特徴があるだろうか。「立っておられる」「後光がある」「薄目を開けておられる」「横から見たなら少し前屈みになっておられれる」。この特徴には一つひとつ意味がある。
 「瞑想せずに薄目を開け衆生を一人残らず見て」、「立ち上がり前屈みとなり、衆生を救済のために我々に向かってくださり」、「後光の数の48本──48願の本願をもって」、我々を救ってくださる。
 阿弥陀如来立像は、目に見えない如来のはたらきを、そのかたちで表しているのだ。
 しかし、そもそも救いとは何であろうか?。
 無病息災、家内安全、商売繁盛・・・神社仏閣で我々が神仏に頼む事柄である。これは宗教に頼るということだけでなく、私も含めて人間はこれを実現するために日々努力をする。我々は自分が予想したような我が身になることを救いだと思い込んでいるのだろう。
 しかし、この幸福には落とし穴がある。自分と自分の周りの人だけの幸福を欲することで、踏み付けられる他者が見えないこと。幸福を実現できなかった時、「こんなはずでは」の思いの中で自分で自分を見捨ててしまうこと。
 如来の救いは、まず「あなたの思い描く救い≠ナはあなたは救われませんよ」と、我々の救いの質を問いかけることから、阿弥陀如来の救いを始められるのではないだろうか。

■ TrueLiving ■
お文講座講話録(2004/01/12)
──沙加戸弘師──
 御開山(ごかいさん)・親鸞(しんらん)聖人はこの日本で初めて本願の念仏を顕かにして下さった。ただの念仏ではないのです。本願の念仏なのです。阿弥陀如来によって選び取られた本願の念仏です。ありとあらゆる世界の念仏を申す衆生を救おう≠ナはなく、全ての衆生に念仏を申させて、私の浄土に迎えとろう≠ニ。念仏は私たち人間の口から出ておりますけれど、この念仏は私たち人間に聞け≠ニ言っているわけです。この本願の念仏を日本で初めて法然上人、親鸞聖人が顕かにして下さったのです。
 親鸞聖人は29歳で観音様の夢の告げを受けられます。「あなたは昔からの約束で結婚するでしょう」。親鸞聖人は比叡山のお坊様、つまり結婚してはいけない身分だったからです。しかし親鸞聖人はその夢の告げによって、ご結婚されるわけです。
 本願念仏を聞いて、全ての人──男も女も、身分高い者も低い者も共に浄土に往生しようという教えはかたち≠ノなります。それが親鸞聖人のご結婚だったのです。それまでのお坊様は言葉は鮮やかでもかたち≠ェなかった。全ての人が救われると言っても、精進潔斎の生活です。民衆は。「ならばそれができない我々は…」と。
 親鸞聖人が顕かにされた本願念仏の教えも多くの人に伝わるということはほとんどありませんでした。親鸞聖人の時代から約二百年後の本願寺第八代・蓮如(れんにょ)上人の時代もそうです。一般の人々は、ましてや女性の方々は、仏法に出会うということはほとんどなかったわけです。女性は仏法に出会えない、仏法から疎外された者であると当時の人々、特に女性自ら思っておられたのです。まして蓮如上人の時代は戦乱の時代です。戦乱の時代は男の時代となってしまいます。
 ですから女性は、自分が仏法で出会うことができるとも思わなかったし、出会いたいとも思われなかったわけです。見たことのないものは、欲しいと思えない。欲しいとは。目の前に出てこないと、お示しを頂かないと思えない。仏法を目の前にお示し頂かないと、出会いたいとも思えない。安心して生きようとお示し頂かないと、今が不安であるとも分からないわけです。
 この時代、庶民にとって、ましてや女性にとって仏法は世界の外でした。そこに蓮如上人を初めとする念仏者が仏法を届けてくださったわけです。今まで出会ったことのない者は、どのように仏法を聞いていいか分からない。その人々のために、蓮如上人はまず寄ろうと。そのための寄れる場所である道場を作ろう。共にお勤めするための「正信偈(しょうしんげ)」を印刷しよう。それらを一つひとつ実現された。分かり易い日々話している言葉で仏法を伝えられたわけです。それが『お文』となったのです。
 「五障(ごしょう/五つの障り)・三従(さんしょう/親・夫・子に従え)の女人」であることが善き者とされた時代でした。蓮如上人の最初のご苦労はいかばかりだったでしょうか。蓮如上人の最初のご苦労は、根底から世間の常識を覆すことだったのです。仏法は自分とは縁のない者である、自分は仏法の救いから外れた者であると常識として思っておられる方々に、まず声をかけることから始まったです。

■ 耳をすませば ■
HP『お寺ネット』
──(http://www.otera.net/)──
 悩み事があるけど、相談できる人が身近にいない…。とにかく誰かに話を聞いて欲しいと思われた若い方は、「寺に相談を」ということは思われないでしょう。寺が山門も心の門も閉ざし、相談者を受け容れる雰囲気を持たないことは大きな問題です。良覚寺の御門徒の方は良覚寺にどのような雰囲気を感じ取っておられるでしょうか。
 現代において、そういう方はおそらくインターネット上で話を聞いてもらおうとされることが多いようです。
 悩み事を持った人に仏教者が応える。その為だけに作られたサイトがあります。それが『HPお寺ネット』です。管理人は神奈川県・圓宗寺(天台宗)の住職ですが、この方が悩み事に全て応えるのではなく、ネット上に場所≠作られたわけです。
 ネットの掲示板機能を使って、自由に相談ができる。その相談に対して、どの仏教者が応えてもいい。寺と人をつなぐ、ネットを使った新しい関係の在り方を教えられました。
 もちろん何か相談事がありましたら、気兼ねなく気軽に良覚寺に来てください。良覚寺の山門や庫裡の敷居が高いとお感じになる方もいらっしゃるかも…。それならば一度良覚寺のHPに来てください。掲示板やメールは、敷居がありませんから。

 

■ コラム ■
日ごろのこころにては
往生かなうべからず
── 『歎異抄』より──
 娘が全力疾走で私のところに走ってくる。私は頭で考えるより先に体が彼女を受けとめようとする。胸に飛び込んでくる娘と受けとめた私。この時に感じる温かい心。
 娘たちが成長するにつれて、そのまんまの存在を受けとめられなくなる。娘たちと私の間に色々な物差しが入り込むから。その物差しは私の心。成績で、運動能力で、性格で、態度で、趣味で、娘たちを計る私の価値観。
 親鸞(しんらん)聖人の御弟子の唯円(ゆいえん)坊は「日ごろのこころにては、往生かなうべからず」と言われる。私たち日頃の心≠ナは本当に救われることはないのだと。この日頃の心≠アそが、私の持っている価値観だ。成績が良い方が善、運動できる方が善…自分の尺に合う子どもが善。日頃の心──私が当たり前だと思っている価値観─で、人を裁きながら接することが、本当に出会いになっているのだろうか。他者との関係の中で苦悩する因は他者にはないのだろう。
 理屈を超えて、存在を受けとめ、認め合う世界の温かさ。その温かさこそが真の世界なのだと、私たちは心の深いところで感じている。こういう世界を、仏教では古来から阿弥陀仏の本願という言葉で表現してきた。そして阿弥陀仏の本願こそが真であると教えてきた。
 私たちの感じている真を「それは真である」と言い当てられ、日頃の心を傷みをもって教えられる作業を「聞法」というのだ。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2004/05/19)
──山本隆師──
 日野原重明さんという方がおられます。この方は、死に際の治療といいますかターミナルケアの問題を、日本で最初に手掛けられた医者です。
 日野原さんは聖路加国際病院を立ち上げられた方ですが、この病院には相部屋がないそうです。何故かと言うと、相部屋では死んでいけないから。現在の医療の課題は、どれだけ命を延ばすかです。ところが日野原さんは、どうやって最後の治療をするかが課題です。同じ医者でも考え方が違いますね。
 日野原さんの終末医療への関わりの最初は、若い頃に一人の少女の臨終に立ち会ったことがきっかけだそうです。京都帝国大学の医学部を出て、結核病棟にいかれた。その時に日野原さんが受け持たれた16歳の結核患者の少女がいて、ある日曜日その子の様態が変わったそうです。日野原さんは急いでその子のもとへ行かれました。
 その少女は日野原さんに言います。「今日は日曜日なので午後から両親が来ることになっています。両親に私が御礼を言っていたと伝えてください」と。若い日野原さんは「そんなことを言ってはいけない。がんばれ」と延命措置をします。しかし結局すぐに少女は亡くなってしまいました。
 日野原さんはキリスト教徒です。その時のことを述懐して、「あの時にがんばれ≠ニ声をかけるのでもなく、仏教徒である彼女に安心して仏様の国に生まれなさいと言うべきでなかった」と自省されました。これが終末治療に取り組まれた第一歩だそうです。
 自分自身のこととして考えたとき、どうでしょうか。治る見込みのない病気になった時、死を受け容れて、生きている時にお世話になった人に御礼を言えるのか、言えないのか、という問題です。
 現代という時代は、人間の生活から見たくないものを排除してきました。水洗便所がどの家にもあって、家で排泄物を溜めません。死に関してもそうですね。親鸞聖人や蓮如上人の時代は、埋葬することができない死体を放置していた。すると、人が死に、腐り、骨になっていく様を目の当たりにしなければならないわけです。現代は、病人が遠ざけられ、老人が遠ざけられ、死に関わる施設も遠ざけられている。人間の裏側の部分というか、見たくない部分は全て遠ざけられているわけです。  いくら見ないようにしても、私たちは、死んでいく身を生きているわけです。死ぬことも人生です。現代の風潮として、死を遠ざけることによって、自らの死に直面した時、死を受け容れられない。つまり死んでいけないのです。
 死を抱えながら生きているということを自覚した中での生活が大切なのでしょう。死んでいく身を生きているから、いつどんなことあっても、言えなければならないことを言えている、しなければならないことはできている生活です。違う表現で言うならば、病気の誰かを見舞う時の心ではなく、見舞われた時に心ですね。この心で生活するのか、どうかの問題です。
 死ぬということを自分の人生から外してしか考えられない文化の中で暮らしています。その中で、死を通して見えてくる豊かさがあることを考えねばならないのでしょう。

■ 耳をすませば ■
『69(Sixty nine)』
──(村上龍著/集英社文庫/集英社新装版)──
 若い≠ニいうことは、大概愚かなものです。自分をうまく表現できないから暴れたり、世の中の仕組みが分からないから失敗ばかり。自分の10代の頃を思い出してみてください。こんなことばっかりじゃなかったですか?。
 1969年の佐世保を舞台に、当時の高校3年生の姿を、これでもかと愚かに描く小説『69(Sixty nine)』(集英社文庫)。著者・村上龍氏の自伝の要素が強いそうです。  女の子にもてたいから学生運動に参加する。しかし本当のところ、そういったものの無力さを知っている主人公。主人公は、米軍の佐世保基地の近くに住むがゆえに、個の力の弱さを痛いほどしっています。
 若く、そして愚かだった頃、心の中から突き上げてくるような思いと、現実社会の折り合いがつかなくて苦悩していた日々。誤魔化すことができなかった心。知識がないから感性だけで世の中と向かい合っていたとき。
 10代の頃を回顧する時、ただノスタルジーだけなら寂しいですよね。知識、収入、責任、処世術…色々と持ち物は増えて賢くなったけれど、感性と感覚、そして素直な心という大事なものを失ったしまった自分を、若い頃の自分から教えられることもあります。
 この小説はそういったことを喚起させてくれる、中年が読むべき元気薬かも。
 2004年7月、宮藤官九郎脚本、李相日監督、妻夫木聡主演で映画になりました。まだ観てないですが、官九郎さんの脚本なら期待できそうです。妻夫木君は男前すぎるけど。

 

■ コラム ■
母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい。
洗い桶に
木の香のする新しいまないたを渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落すことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。
パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭すまえに。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。"
──石垣りん『儀式』──
 ここ何年かのグルメブームは、肉・魚・野菜などを食材≠ニ呼ぶことを一般的にした。鮮度や見た目、原産地、そして味という物差しではかられる食材=Bそこに、いのちを食していることへの傷みが見失われているような気がするのだが。
 我々が食べるということは、いのちを食しているというとである、それは同時にいのちを殺していることである。この我々の生の現実をリアルに感じておられるのは、台所に立つ機会が多い主婦かもしれない。
 いくら食材≠ニいうきれいな呼び名で隠してみても、隠しきれないドロドロとした我々の生の事実。生き物を殺す。それを人が食べることができるように加工する作業が料理であろう。魚の頭をおとす時の血のぬめり。骨のきしむ音。魚は確かに生きていたことを証する眼。毎回ではないにしても、これらと対峙する時、傷みを感じるのではないだろうか。
 誰しも、お洒落に格好良く生きたい、ドロドロしたものは見ないように生きたいと欲するだろう。しかし生きる≠ニいうことそのものにドロドロした部分を内包されている以上、見落としてはならないことがあるはずだ。
 四国のある漁村には「大漁祈願」と「魚供養」という二つの石碑が並んでいるそうだ。生と殺(食)を生活の中で、リアルに感じておられる方々の傷みの表現である。

■ TrueLiving ■
手次寺
──良覺寺住職──
 浄土宗寺院の多い矢橋で住職をし、村に浄土宗寺院が一ヶ寺しかない新浜を回っていると、「おっさん」と呼ばれることが多い。「おっさん」とは「和尚さん」のなまり。浄土真宗において「和尚」と呼ばれる僧侶は高僧だけであって、一般の住職をこう呼ぶことは滅多にない。
 それでは浄土真宗の住職をどう呼ぶのか。聞かれた方も多いと思うが、「ごえんさん」と呼ぶことが一般的である。寺院住職を「院主(いんじゅ)」というのだが、「御院主(ごいんじゅ)さん」がなまって「ごえんさん」となった。同様に「御寺主さん」がなまって「おじゅっさん」と呼ばれることもある。宗派によって、同じ立場の人の呼び名が違うのだから、一般の方はややこしいだろう。ちなみに、浄土真宗で「坊守」と呼ぶ人を、浄土宗では「寺庭婦人(略して寺庭さん)」と呼ぶ。
 良覚寺の御門徒にとって良覚寺とは何だろうか?。
 菩提寺だろうか?。浄土真宗の教え中には「菩提を弔う」ということはない。だから菩提寺ではない。
 檀家寺だろうか?。檀家とは、江戸時代に生まれた寺壇制度を元とする呼び名である。江戸幕府の政策としてキリシタン禁制が行われた。それによってキリスト教弾圧が行われたのだが、人々がキリスト教を信仰しないように、または信仰していることを調査するために、行政が強制的に人々を寺に所属させた。これが寺壇制度である。これは一揆等の思想犯の取締りという機能も果たした。
 浄土真宗において、浄土真宗を信仰する人を門徒(もんと)と呼ぶ。門徒とは、誰から強制されたわけでもなく、「私は浄土門に集う徒である」と自己決定した者の名告りである。浄土真宗においては、「寺と檀家」という強制的な関係以前に「寺と門徒」という信仰を元とした関係があったのだ。だから、良覚寺は檀家寺であってはならない。
 それでは良覚寺門徒にとって、良覚寺とは何なのか?。このことを考える前に、良覚寺は何のためにあるのかを考える必要がある。
 良覚寺の存在理由はただ一つ、「お釈迦様が説かれ、親鸞(しんらん)聖人が顕かにされ、蓮如(れんにょ)上人が広めてくださった、浄土真宗の教えが説かれ、聞くことのできる場所である」ということだ。五百年前、良覚寺を創建された頃の先達は、蓮如上人の教化を直接受けて親鸞聖人の顕かにされた浄土真宗と出遇った。どんな生活をする者でも、若者でも年寄りでも、男でも女でも、生きることに意味がある、そこに存在することに意味があるという教えと出遇ったのだ。その感動を縁ある人と共有し、子々孫々に伝えるために良覚寺という場所を造られた。
 良覚寺の存在理由は、真宗精神という教えが説かれ、聞くことの場所であるということだ。つまり、良覚寺は縁ある人に「教えを手次ぎする場所」ということなのだ。
 だから良覚寺有縁の御門徒にとって、良覚寺は「手次寺(てつぎでら)」でなければならないし、そう呼ばれるべき場所なのである。
 良覚寺が、本当に縁ある人の「手次寺」となっているのかは、「手次寺」の院主である私の責任である。良覚寺から教えが聞こえてこないと思われる方は遠慮なく言っていただきたい。共に良覚寺を「手次寺」として回復していくために、どうすればいいか考えればいいのだから。

■ 耳をすませば ■
『GO』
──(監督:行定勲/配給:東映/2001)──
 『GO』は在日朝鮮人を主人公とした青春映画です。こう聞くと、暗く、重いのではないかといのではないかと先入観を持たれる方も多いでしょうが、『GO』はムチャクチャに明るい映画です。しかし軽くはない。観終えた後には、しっかりと重い何かが残ります。それは差別事象そのものがテーマなのではなく、「在日」として生まれた主人公が、自分とは何か?≠探すことがテーマだからなのでしょう。
 主人公は在日朝鮮人三世として生まれますが、高校受験を前に、日本の高校に行くために国籍を韓国に変えます。自分は何者なのか?。朝鮮人なのか、韓国人なのか、それとも日本人なのか。彼女、同じ朝鮮人の友だち、家族との関わりを通して、主人公は揺れていきます。
「名前って何?。薔薇と呼んでいる花を別の名前にしてみても、美しい香はそのまま」
ファーストシーンに使われる『ロミオとジュリエット』の台詞。日本人と呼ばれても、在日と呼ばれても、呼び名は変わるけど、人そのものの存在の尊さは変わりないじゃないか、ということを考えさせられる言葉です。
 自分とは何か?=B身近だけれど、忘れがちな問い。自明のこととしてしまっている問い。皆さんは問うていますか?。
 宮藤官九郎脚本、窪塚洋介主演というかたちは、次に『ピンポン』を生みだしました。二人ともとてつもない才能です。

 

■ コラム ■
煩悩具足の凡夫、
火宅無常の世界は、
よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、
まことあることなき
──『歎異抄』より──
 パスカルという哲学者は「人間は考える葦である」と言った。人間は自然界で最も弱い葦のような存在にすぎない。しかし、考える─知性をもつ・思考することができるのだ、と。
 昔から近江に住んでいるある老人が、この言葉を聞いてこう言われた。「葦は弱いけど水をきれいにする。人間は水を汚すだけや」。何十年も琵琶湖を見てきたその老人は、水質や生態系が急激に変化した琵琶湖の有り様を生活の中で感じている。汚れてしまった琵琶湖の水。汚したのは考えることのできる私達人間なのだ。
 太古、人間は考えることによって厳しい自然界から生き残った。何万年の時を経て、今、人間は欲望を満たすために自然を支配しようとしている。そして、その行為に自然が悲鳴をあげ、調和を保てなくなりかけて様々な自然界の弊害が人間に返ってくるようになり、今度はエコロジーが叫ばれるようになった。しかしあくまでもそれは、人間を守るためのものだ。
 人間は考えることができる。しかし、その考えは自己中心の自我(エゴ)から出たもの。環境という問題だけとってみても、いつでも人間中心の考えが自然界を振り回している。
 今の私の生活を保ちつつ自然を守ることなどあり得ない。分かっていながら、便利で快適な今の生活を捨てられないのだ。自然界の悲鳴が聞こえた時の何とも言えない傷みを抱えつつ、今日も人間の知恵で作られた文明を享受する。

■ TrueLiving ■
覚の会7月例会講話録(2004/07/19)
──山本隆師──
 先般から熊野参詣道が世界文化遺産になるということが言われています。報恩講の初夜に『御伝鈔(ごでんしょう)』という親鸞(しんらん)聖人の一代記を読みますが、その中で親鸞聖人の御弟子の平太郎という人が熊野に参詣するさまが書かれている段があります。
 親鸞聖人が関東におられた頃、多くの方が親鸞聖人を師事し弟子になられますが、平太郎はその中の一人です。ある時、平太郎が仕えている殿様が熊野に参詣することになった。親鸞聖人の立場は阿弥陀如来一仏ですから、他の神仏を拝む必要はないと教えられています。自分の主君の命令も守らねばならない。親鸞聖人の教えも大事だ。その間で平太郎は困るわけです。
 困った平太郎は、親鸞聖人にどうしたらいいのか尋ねるために、聖人が住んでおられた京都まで行くのです。親鸞聖人は「阿弥陀様一仏でよいのだから、わざわざ熊野に参拝に行く必要はないだろう。しかし職務で行かねばならないのなら仕方がない。行って来い」とお答えになります。熊野詣のためには身をきよめ、精進潔斎してまいります。しかし平太郎は特に変わったことをするでもなく、平生の生活のままで熊野にまいりました。
 その熊野詣の最中のある夜のこと、平太郎は夢をみます。夢の中に熊野の神が現れて、「なぜお前は熊野に参るのに精進潔斎しないのか」と問うわけです。すると神と対座して親鸞聖人が現れ「この者は私の教えの通り念仏を申す者である」と言われる。すると、熊野の神は平太郎をお許しになったとあります。
 親鸞聖人の御一代記である『御伝鈔』に熊野詣の記述を入れたのは、熊野という場所が社会的にも政治的にも要所であり、浄土真宗はその熊野から認められた教えであることを広めるためであったと思われます。
 この熊野参詣道が世界文化遺産となり「祈りの道」と呼ばれるようになりました。この祈り≠ニは何なのでしょうか?。大きな問題は現世利益でしょう。神様に願いをかければ、いうことをきいてくれると。
 この現世利益は現代の風潮と見事に合うわけです。ある学者は「現代は無痛文明である」と言いました。例えば今年の夏は暑かったですが、エアコンがないと生活できません。道も舗装されて安全。電気やガス、水道が供給されている。トイレは清潔で臭いすらしない。現代は不快や面倒という痛み≠極力取り除くことに重点を置いた「無痛文明」ということですね。
 これは肉体的な欲求だけに支配された状態ですから、ものを考えるということができなくなる。例えばテロ行為などをみるとき、自分の快適な生活を脅かす存在としてしかみることができない。もちろんテロ行為自体は否定しなければならない。しかしテロ行為を生み出す様々な背景がある。民族宗教経済等々、弾圧を受けた人たちのことを考えることができないわけです。
 「無痛文明」には欲望はあるけれども満足がありません。「三帰依文」に「仏法聞き難し」「人身受け難し」とありますが、仏法を聞けばこそ、人として生まれた、私として生まれた喜びが明かになるのでしょう。自我を中心とした欲望を超えて、私が私として生まれたことへの満足が展開される世界です。

■ 耳をすませば ■
『「世間」とは何か』
──(阿部謹也著/講談社新書)──
 日本で暮らしていると「世間」という言葉が日常の中でよく出てきます。「世間体」とか「世間様」とか。しかし、その「世間」とは何かについて個々人で概念に違いがあるように思います。
 この「世間」を中世から近代までの文学や思想家の言葉を通して明らかにしようとした阿部謹也氏の著作『「世間」とは何か』(講談社新書)は非常に面白く読めました。
 「世間」に近い言葉に「社会」があります。明治初期に輸入された言葉ですが、近世以前には日本には社会という言葉も個人という言葉もなかったそうです。言葉がないということは概念もないということですね。近世以前にあったのは「世間」です。
 もちろん「世間」という言葉の意味合いは時代の変遷と共に変わります。しかし、何となく共通する部分は、「非常に狭い範囲(共同体とも言えるかも)での共通認識」であるということ。例えば一つに村に一つの「世間」があるわけです。
 蓮如(れんにょ)上人は「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」と教えられます。世間は客人のように大事にせよ。しかし、生活の中での最も大事にすべきは仏法である、と。世間の法は時と場合によって変わるけれど、仏法は普遍であるということでしょうか。

 

■ コラム ■

 「良覚寺門徒会懇親旅行」に行ってきました。永平寺から山代温泉、白川郷という行程でしたが、今回の旅行の重要な部分は夜の宴会でなかったかと思います。
 良覚寺の存在意義は「親鸞聖人の顕かにされた念仏の御教えに、ご縁のある方々がいつでも出遇える念仏道場≠ナある」以外ありません。時代社会の変遷と共に、良覚寺創建当初からの存在意義である「念仏道場である」という意味が希薄になってきたのは事実です。私自身住職に就任してから、そういった現状に焦ることもありました。とにかく何かをしなければならないという思いが空回りすることも多々あったかと思われます。  今回の旅行を通して思うことは、人と人との関係がまずあるのだ、ということです。それは平座で酒食を共にする、酒を酌み交わすことから始まる人間関係です。
 良覚寺は蓮如(れんにょ)上人をご縁として創建された道場です。蓮如上人は本願寺を訪ねた人に、まず酒を出してもてなされたという記録があります。この逸話でも分かるように、蓮如上人は難しい教えを説くことに先立って酒食を共にすることをされ、人と人との関係を築かれたのです。
 「寺にご縁を持たれている一人ひとりの人と出会う」。この身近であって忘れがちなことこそ、良覚寺に念仏道場の意味を回復していく第一歩であることを旅行から教えられました。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2004/09/23)
──松内美智子師──
 先程、御住職からご紹介を受けましたが、良覚寺の歴史上初めての女性の説教師≠ネのだそうです。
 今日は彼岸の中日だというのに暑いですね。良覚寺の本堂はエアコンがついていないようですが、私が住職をしております寶善寺は庫裏にもエアコンがないんです。私たち昭和20年代生まれの者が育った環境は江戸時代と大差がありません。薪ででご飯を炊いていたし、暖房は炭でした。現在は非常に物質に恵まれて、下水道ができ、冷暖房が完備され、道路は舗装されています。この傾向は、嫌なこと、辛いこと、汚いことをできるだけ体験しないでおこう、隠そうという心が作り出しているのでしょう。つまり生活の中の痛み≠排除しようという時代なのです。
 多くの人が痛み≠排除することに終始していると、弱い者のところにしわ寄せがいくように思います。
 今年になってから児童虐待の事件が非常に多く報道されていますね。先日は栃木県の小山で酷い事件がありました。殺された子どもの写真を見ていたら可愛いさかりですね。私にも今年で33歳になる息子がいます。憎たらしくて蹴っ飛ばそうと思うこともありましたし、今もあります。皆さんもそうだったのではないでしょうか?。それでも我慢できたわけです。今は子どもに対して面倒だ、憎たらしいと思う心がそのまま虐待につながっていく。その虐待に歯止めがきかなくなって子どもを殺してしまうところまでいってしまう。
 先程言いました生活の中から痛み≠排除していく時代の中で生きていると、人は、面倒なこと、嫌なことに耐えるということができなくなるように思えます。子育ての経験がお有りになる皆さんなら分かると思いますが、子どもは自分の思い通りに育つものではないでしょう。学校での生活や勉強、性格など、大人の意に反することばかりです。痛み を避けることばかりに終始してきた現代の親が、自分の意にそわない我が子と相対したに感じるストレスは、生活が豊かでなく便利で快適でなかった私たちの世代の何倍にもなるのではないでしょうか。
 最近聞いた話ですが、給食の時に「いただきます」と言うことが問題になっていたそうです。ある親が「何故、給食費を払っているのにいただきます≠ニ言わなければならないのか?」と言ったそうです。食事の前に「いただきます」と言うのはお金の問題ではありません。食べ物といういのち≠いただくことへの感謝と懺悔です。この簡単だけれども尊いことが、今の親の世代に伝わっていないことは非常に恐ろしいことだと思います。
 痛み≠排除する社会を作ってきたのも、その社会を当然だと思い、全てのことをお金に換算する今の親を育ててきたのも私たちの世代ですね。敗戦があって時代社会が急激に変わった時代ではありました。その時代の過渡期の中で、私たちの世代が見落としていたこと、忘れていたことが、現代から大きく問われているように思います。
 現代という時代が酷い時代だとつぶやくことにとどまらず、この時代を作ってきた、そしてこの時代を生きている責任をしっかりと担う必要が、私たちの世代にもあるのです。

■ 耳をすませば ■
『クレヨンしんちゃん──嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』
──(監督:原恵一/東宝/2001)──
 『クレヨンしんちゃん』とは、毎週テレビで放送している、少しお下劣でナンセンスな子供用アニメです。
 三年ほど前、娘にせがまれて劇場映画『クレヨンしんちゃん─嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観に行ったのですが、不覚にも私はこの映画を観て泣いてしまいました。照れくさくて回りを見ると、子どもたちがワーキャー騒いでいる横で、多くの大人が嗚咽しながら涙をこらえている不思議な光景がありました。
 この映画のテーマは、一つには「ノスタルジーの罠」であり、もう一つは「今を生きる」ということなのでしょう。
 二十一世紀の社会に不満を持つ悪役≠ェ日本を昭和30〜40年代に戻そうと大人たちを洗脳します。私たちが子どもだった時代。日本全体に元気があって、輝かしい未来だけをみていた時代です。その悪役≠フ画策に主人公の今を生きる子どもたちが立ち向かうわけです。  環境破壊、不景気、治安への不安、戦争…現実の現代は、私たちがあの頃に夢見た未来ではないかもしれない。だから「昔はよかった」と懐古的になる。それは心地良いけれど、現実逃避。私が生きている今≠ゥら逃避する在り方なのです。

 

■ コラム ■
恩徳讃いただくと、
背中から冷汗が流れてくるわいの
──山村志げり師──
 ある坊さんが「報恩講」を言い間違えて「忘恩講」と言ったそうだ。言い当てて妙。真宗門徒を名告りながら、真宗の坊主を名告りながら、私の生活は恩を忘れる生活なのかもしれない。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
『恩徳讃(おんどくさん)』という名で知られる親鸞聖人の書かれた「和讃(わさん)」である。暗唱できる方も多いと思う。「如来大悲」は阿弥陀如来の大悲、「師主知識」はその如来の教えを私に届けてくださった善知識──先生・師匠の意である。
 何度も歌ったことがあるゆえに、私たちは『恩徳讃』に書かれた言葉の凄味を忘れている。親鸞(しんらん)聖人の生涯や教えに触れると、親鸞聖人は本当に身を粉にしても、骨を砕いても、如来・善知識の報謝の念を表すのだと言われているのが分かる。
 在野で念仏を聞いておられたであろう山村志げり師は、『恩徳讃』を頂くと冷や汗が出ると言われる。親鸞聖人の生涯や教えをから見えてくる『恩徳讃』の迫力を通して、自分自身の生活を省みられた方の正直な表白であろう。
 良覚寺門徒・真宗門徒を名告る私たちは、如来・善知識から伝えられた教え≠ノ、どれほどの意味を頂いているのだろうか?。良覚寺報恩講の場で確かめて欲しい。


■ TrueLiving ■
覚の会9月例会講話録(2004/09/19)
──山本隆師──
 萬福寺は8月1日から5日まで「早朝聞法会」を行っています。今年は30年目でした。講師は良覚寺報恩講の講師でもある沙加戸弘(さかど・ひろむ)先生です。この「早朝聞法会」の時には萬福寺の本堂は満堂です。
 昔は真宗の教えを聞く時は永代経であり報恩講でした。また住職が法事に出た時に説教する。これで聴聞はできていたのでしょう。現在はこれでは、真宗の教えを伝達することはできません。原因として、寺での法要のお参りが減ってきたということがあります。各家庭での法事にしても、参詣されている方は真宗の教えを聞こうと思ってお参りになるのではなく、義理でお参りになる。これでは聴聞はできません。
 現在は真宗の教えを聞く≠ニいうことを中心とした行事を開いていく必要があります。それが萬福寺では「早朝聞法会」です。良覚寺では「覚の会」ですね。このようなものは昔は必要なかったのでしょう。
 真宗の教えをどのように伝達するのか、これが真宗寺院の住職の最大の課題であり、最大の責任です。
 ところが一般的に住職の評価はどうでしょうか。お勤めの声が良い、御院主さんの愛想の良さなどで評価されています。お寺の住職は何をしなければならないかで住職を見ないわけです。
 こういう考え方を作ってきた背景は、やはりお寺側にあるのでしょう。お寺側がまずお寺の経済を最優先する。またお寺の建物の維持管理だけしか考えない。これに力を入れるのは悪いことではありません。聴聞する人が集まれる場所だけはありますから、時代が変われば人が集う可能性もあります。
 物事には背景があります。しかし私たちはその背景を見逃して、表面的に見える部分だけで物事を判断してしまいます。お寺に関してもそうです。本当に真宗寺院とは何をする場所なのか、真宗寺院の住職の本当の仕事とは何かが見落とされて、寺院なり住職の評価がなされているわけです。
 滋賀県南部は何とかお寺に人が集ってくれています。現在の日本では極めて希であり、こういうことは風前の灯火でしょう。町に行けば、寺とは葬儀屋の下請けくらいに思われていませんか。
 実は長年良覚寺の「覚の会」で話をさせていただきましたが、次回の十一月で一区切りをつけたいと思います。最初から思いますと、少しずつ参会者が増えました。こういう会を続けさせる力は住職にはありません。誰が続けさせるのかというと、御門徒(もんと)の皆さん一人ひとりです。毎月ここに来て、そこに座ってくださるだけでよいのです。
 ある寺の話ですが、毎朝三人ほどの御門徒が必ずお寺の朝のお勤めにお参りになるそうです。そうすると、毎朝のお勤めを住職がサボることができない。それで寺の事業は続いていくわけです。
 御門徒の一割の人がお寺におこしになったら、寺の事業は成り立ちます。その人たちを基軸にして、色々なことができてきます。
 住職や寺を真宗の寺、住職は何をしなければならないのか≠ニいう視点で関心を持っていただきたい。住職を生かすか殺すかは御門徒が住職を、しっかりとした視点で見ているかどうかにかかっています。

■ 耳をすませば ■
『今を生きためのる歎異抄入門』
──(佐々木正著/平凡社新書)──
 親鸞(しんらん)聖人が亡くなられたのは1262年、今から742年前です。親鸞聖人の書かれた現存する書物は『教行信証』をはじめ多数ありますが、親鸞聖人の生の声を書き留めた、いわゆる聞き書き≠フ数は少ないようです。『歎異抄(たんにしょう)』は、親鸞聖人の弟子・唯円が親鸞聖人の肉声を書き留めた、貴重な聞き書きの一つです。
 第二次大戦中、出兵する兵士が唯一持参した書物であるなどの逸話で知られる、この『歎異抄』。有名であるがゆえに、数多くの解説書が出版されていますね。その中には、語句や時代背景の解説にとどまった内容のないものも多いですし、ややもすれば私見を入れすぎた解説ゆえに、私からみれば親鸞聖人の信仰を歪めているのではないかと思われるものも多々あります。
 佐々木正氏著の『今を生きるための歎異抄入門』は、あくまでも今・現在・現代を生きる私≠ノ『歎異抄』という書物は何を教えているのかということを眼目において書かれた書物です。言い換えれば、今を生きる佐々木正氏自身が『歎異抄』に何を教えられ、何を問われているのかが書かれているわけです。
 多くの問題を抱えながら今を生きる私が『歎異抄』に何を学ぶのかということに、重要な視点を与えてくれる良書です。是非一読を。

 

■ コラム ■
一度は本当だと感じたことは消えない。
きっと自分のうちのどこかで生きている
見えないところで自分を生かしている
感じることが根本だ
──宮崎丈二氏──
 僧侶が多く集まる場に行くと自分の座順を計算する癖がついた。寺の格など現在は存在しないのだが、年齢や集まった時の状況などで自分の座るべき場所を瞬時に見つけ出す。
 先般、ある寺の報恩講に参勤した時、計算上私の座るべき座布団に猫が寝ていた。困ったことに猫は熟睡中で何をしても動こうとしないのだ。強引に退かすのも大人げないから、私は猫より一つ上座に座ることにした。
 猫は本能で感じて自分の一番居心地の良い居場所を決める。私は自分の理知分別で自分の居場所を計算する。しかし理知分別は現実が破るのだ。猫に一つ教えられた。
 作家の高史明(コ・サミョン)先生は「現代の最大の不幸は、人間が人間の知恵を世界の中心においたことだ」と教えてくださる。私たちが平生依って立っているものは自分の智恵──理知分別だ。しかし理知分別よりも深く、私たちを動かしていることがある。それは感じる≠アと。
 いのちといのちが触れ合う時に感じる温かさ、豊かさ。この感じることが、実は我々が依って立っている理知分別の脆弱さや虚偽性を教えて来るのだろう。ところが我々は感じることよりも考えることを優先してしまう。そこに囚われて、自分で自分を追い込んでしまうのだ。
 猫が幸せそうに眠る顔を見て私の中で感じる温かさすら、(計算上では)私の座布団を奪われたという理知分別が消してしまう。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2004/11/13.14)
──沙加戸弘師──
 我々は昔から「報恩講(ほうおんこう)は大切ですよ」と教えられてまいりました。今から50年も前の話でありますが、私が生まれました膳所(ぜぜ)の響忍寺(こうにんじ)という道場に農村から嫁入りされたお婆さんがおられました。私はこの方から、「日照りの時にも惜しむことなく、豊作の時にも驕ることなく、同じようにお勤めもうせ」と教えられた。米のできない年でも報恩講のための米は別に置いてあった。普段はヒエやアワを食べていても、報恩講の時は白米を炊いてお勤めしたわけです。その方は、「報恩講のご飯が待ち遠しいかったわ」と言われます。勿論報恩講の大切さはお斎(とき)の食べ物の質だけでは言えません。しかし幼い私に分かり易いように、待ち遠しさで教えてくださったのでしょう。  その報恩講とは何なのか?。親鸞(しんらん)聖人からいただいた御恩に千分の一でも万分の一でも報謝をしよう、それを門徒の集まりで表現しよう。これが報恩講です。
 それならば親鸞聖人から頂いた御恩とは何か?。それは「真宗を教えていただいた」ということです。
 我々の先達が昔に生まれて生きたこの国は、大きな災害や災難がありました。恐れを抱いて不安の真っ只中に生きていた。そこで真宗を教えていただいた。親鸞聖人は、禅宗、天台宗といった宗派として真宗を言われません。「真の人間の生き方がここにあります」と教えられます。今日一日いただいたいのちをきちっと生きる。どんな良かった昨日よりも今日が尊いのです。
 仏法は生き方≠ネのです。知識ではありません。知っていても分かっていても意味はありません。今、私がどこに足を下ろすのか、これが生き方です。一瞬をどうしていくのかです。
 世間の俗信では日の吉凶をとやかく言う。日の吉凶を言わないということを聞かれたことがあるでしょう。結婚式は大安にするものや、葬式は友引に出してはならない。そんなことは気にする必要はないと聞いたことがある、その通りだと頭では分かった。しかし、いざ自分の娘が結婚する時、いざ身内が亡くなって葬式を出す時、そこでどうするのか。頭で日の吉凶はどうでもいいと分かっていても迷われるのではないですか?。どうぞ迷ってください。迷うということは、迷う前よりも物事が分かってきた、見えてきた。自分に当たっている光に気が付いてきたということです。
 日の吉凶は言わないという教えを聞いたなら、日の吉凶を言う俗信も大事なご縁になっていく。全くの逆ではない、反対ではないのです。その俗信が仏法と照らしてどうなのかを考えるご縁になっていく。そのご縁に遇う時、我々は一つ仏法をいただいていくわけです。俗信だけではなく、自分の生活を仏法に照らして行動や態度を決めていく。これが生き方≠ナす。生き方は車のハンドルを切るように直ぐには変わりません。長い時間をかけて、振り返ってみたら、「ああ、あの時に曲がったな」というのが分かる。
 災害、貧困、戦乱といった不安と恐れの中で、親鸞聖人が「今日一日をいただいたいのちを安心して生きよう。これが人生で一番大事なことだ」と教えてくださった。我々の先達はどんな不幸な境遇であっても、今日一日生きていける力を親鸞聖人から教えられ続けた。
 親鸞聖人に対する万感の思いが、報恩講というかたちをつくってきたのです。【続く】

【後編へ】

■ 耳をすませば ■
『誰も知らない』
──(監督:是枝裕和)──
 生まれて直ぐに立ち上がる他の動物と比べて、時代社会や周囲の大人に守られつつ、影響を受けつつ成長しする人間の子どもは弱い…と我々大人は思い込んでいます。確かに、肉体的、社会的に子どもは弱い。しかし生命力というか、根本的な生きる力≠ノ関して子どもは大人よりも強いんだ、ということを『誰も知らない』という映画は教えてくれました。
 この映画は一九八八年に実際に起きた「西巣鴨子供置き去り事件」をモチーフとして創られています。けれど社会を批判するようないわゆる社会派映画ではありません。
 親に置き去りにされアパートの一室で暮らすことになった四人の子どもたち。この映画は、そういう状況の中で生きた子どもの姿を、まるでドキュメンタリーのように描きます。
 親に置き去りにされる過酷な生活です。しかし、子どもたちは明るい。そして目に力がある。大人ならどうでしょうか。悲惨で過酷な状況の中で、自分で自分を見捨てることなく力強く生きられるでしょうか。
 大人は、生きる手段は数多く手に入れた、いや生きる手段を手に入れたことで、根本的な生きる力は失ってしまったのかもしれません。子どもたちの力強い目が大人の脆弱になってしまった生きる力を問うています。
 色々な方がこの映画にメッセージを寄せておられますが、谷川俊太郎氏の詩を紹介します。

生きてきて限りない青空にみつめられたか
きみたちは生きる
生まれてきて手をつなぐことを覚えたから
生まれてきて失うことを知ったから
それでも明日はあると知ったから
きみたちは誰も知らない自分を生きる
──谷川俊太郎──




to index flame