第四章





13、『諸神本懐集』の問題

 もう少しお話しして質疑をと思います。
 この存覚上人の。『諸神本懐集』、これが門徒にとっての神道問題を一つ決定付けた意味を持っておるわけです。蓮如上人は非常に存覚上人の影響が強いわけです。『破邪顕正鈔』もそうですし『至道鈔』もそうですし『浄土見聞集』でもそうですし、非常によく存覚のものを読んで、それを活かしておられる所があるんです。
 この『諸神本懐集』 というのは、日本の神々を二つに整理したわけです。一つは「権社の霊神」、もう一つは「実社の邪神」。こういうふうに日本の神々を全部整理した。この「権社の霊神」というのは、これは本地垂迹という事です。つまり、日本の我々にすれば神というのは早くから縁が深いわけですけれども、仏というのは外から入ってきた神。初めは「蕃神」というふうに言われるわけです。
 仏のことを、親鸞聖人はブツと言われます。恵信尼はホトケと言われますが、親鸞聖人はホトケとは絶対に言われない。蓮如上人になると、ホトケ、ホトケという言い方をされます。親鸞聖人はホトケと言うのは問題があると。これは『善光寺如来五首和讃』という「和讃」があり、それは大谷派の『真宗聖典』にも入っています。そこにホトケというのは「ほとおりけ」だと。「ほとおりけ」が簡略化してホトケとなったと。こういう事です。
善光寺の如来の  われらをあわれみましまして
 なにわのうらにきたります
 御名をもしらぬ守屋にて(一、『聖典』P510)
この「守屋」が物部守屋です。神道を敬って大事にしていた守屋です。
そのときほとおりけともうしける
 疫癘あるいはこのゆえと
 守屋がたぐいはみなともに
 ほとおりけとぞもうしける(二、同上)
やすくすすめんためにとて
 ほとけと守屋はもうすゆえ
 ときの外道はみなともに
 如来をほとけとさだめたり(三、同上)
この世の仏法のひとはみな
 守屋がことばをもととして
 ほとけともうすをたのみにて
 僧ぞ法師はいやしめり(四、同上)
弓削の守屋の大連
 邪見のきわまりなきゆえに
 よろずのものをすすめんと
   やすくほとけともうしけり(五、同上)
この「ほとほる」というのは、体が火照る、だから熱病なんです。高い熱が出る。それで命を落としていくと。そういう流行病、疫病が流行ったときに、これは蕃神−外から来た神を祀るからだと言うて、浪速の海に捨ててしまったんだと。その時に御名を知らないものだから「ほとおりけ」、物の怪の「け」です。我々に体に高い熱を出させて我々の命を奪う、そういう疫病だという事で「ほとおりけ」と呼んだと。それが詰まってホトケになったんだと。こういう呼び方は外道の呼び方だと言って、親鸞聖人は絶対にホトケとは言うておられないわけです。
 こういった事で、仏は外から入ってきた蕃神だと。だから我々には分からないと。その為本地は仏なんだけれども、神という形をとって現れておるものを本地垂迹と。本地は仏なんだけれども、我々に親しみ我々に近づいて、仏の心を知らせようとしている。そういう仏を本地垂迹と。本地垂迹の神について「権社の霊神」と言うわけです。その「権社の霊神」の中で、一番問題なのは、我が朝は神国だと言われているんです。日本の国は神国だと。天照大神の子孫が、天子様が、国の主として治めておられるんだという事を言い切っているわけです。だから存覚上人は日本を神国として見ていたという事です。これが『諸神本懐集』にはっきりと出てくるわけです。更に、日本の国の伊勢の天照大神と出雲の須佐之男命の本地を、それぞれ天照大神の本地は日天子観音であると、須佐之男命は月天子勢至であると。だから、天照大神と須佐之男命という日本の中心の神々は阿弥陀如来の分身であると、こういうふうに言うておるわけです。阿弥陀如来は必ず観音勢至として具体化するわけですから、天照大神と須佐之男命は正に阿弥陀如来の分身として、我々に現れておられるんだというわけです。問題は天照大神が観音の垂迹だということです。親鸞聖人は、聖徳太子が観音の示現、観音が示現したのが聖徳太子だと 。天照大神の本地は観音だと。その観音という事によって、天照大神と聖徳太子が二而一と一体化されてしまったんです。つまり神国の天照大神と和国の聖徳太子が、観音を本地とする事によって、二而一と一体化が『諸神本懐集』でされたわけです。ですから、曽我先生でも、戦時中、「阿弥陀如来の本願と天照大神の本願は一緒だ」と、そういう事をも言ってしまわれたという事があるんです。曽我先生を責めるわけにはいかないのですが、元はここにあるわけです。こういう事になれば、天皇の為に死ぬ事は阿弥陀如来の為に死ぬ事だという事と重なってしまうわけです。神国と和国の差異というものを、はっきりと親鸞聖人は建てられたにも拘わらず、その神国と和国を本地垂迹の中で観音を本地とする事によって、神国の天照大神と和国の聖徳太子が一体化したんです。そういった事はやっぱりおかしいわけです。門徒の道場には聖徳太子の御絵像があって、守屋の邪見を降伏したと出ておるわけです。だから、そういった神国とか神道というものを無疑問的に一体化してないわけです。そういう問題が、やっぱり『諸神本懐集』の中にあるわけです。これが一番の根本です。
 その神々の中で本地垂迹の神でない神は「実社の邪神」です。「実社の邪神」は除けたわけです。そうなってくると、ここの神社の神さんは「権社の霊神」なのか「実社の邪神」なのかと。もし「実社の邪神」ならこれは除けようという事だったと思うんです。その「実社の邪神」というのは、「生霊」──生きたものの魂、「死霊」──死んだものの魂ですね。そういう人類であれ畜類であれ、人間であっても動物であっても、生霊死霊で我々に祟る霊に対しては、それを宥めて−正に鎮魂慰霊です、魂を鎮め霊を慰めてそれを神として祀っておるもの、それが「実社の邪神」なんです。そうすると、靖国神社に祀られておる神というのも、この事で言えば「権社の霊神」ではないんだと。それでは「実社の邪神」だという事になってしまいます。しかもその「実社の邪神」は、その他に別に祟ったり障ったりはしないけれども、我々の先祖をそれぞれ社に祀って、そして崇めておると、そういうのも含めて「実社の邪神」なんだと、こういうふうに言います。祟ったり障ったりはしないけれども、我々の先祖で社に祀っておる、そういう本地が仏でないものは全て「実社の邪神」だと、そういう言い方をしています。
 こういう日本の神々の位置付けがされているわけです。その上で「権社の霊神」について問題にしておるわけです。蓮如上人の「御文」を見ても、我々が阿弥陀如来に帰依してお念仏を喜ぶならば、「権社の霊神」としての神々は諸神の本懐と、神々の本意に適う事ができたと言って喜ばれるんだと、こういう受け止め方です。だから神社に参っても南無阿弥陀仏と申すんだと。それが神々が喜ばれる事なんだと、そういう形で「御文」では展開されています。


『諸神本懐集』、『真宗資料集成』第一巻P697
「それ仏陀は神明の本地、神明は仏陀の垂迹なり。(中略)このゆえに垂迹の神明に帰せんとおもわば、ただ本地の仏陀に帰すべき なり。いまそのおもむきをのべんとするに三つの門をもって分別すべし。
 第一に権社の霊神をあかして本地の利生を尊ぶべきことを教うというは、和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のおわりなり。 これすなわち権社というは往古の如来、深位の菩薩、衆生を利益せんがために、かりに神明のかたちを現したまえり。
 第二に実社の邪神をあかして承事の思いを止むべきむねをすすむというは、生霊・死霊等の神なりこれは如来垂迹にもあらず、もし は人類にてもあれ、もしは畜類にてもあれ、祟りをなし悩ますことあれ、これを宥めんがために神と崇めたる類なり。
 第三に諸神の本懐をあらして仏法を行じ念仏を修すべきおもむきを知らしめんというは、一切の神明ほかには仏法に違する姿を示し、 内には仏道を勧むるをもって志とす、これすなわち和光同塵の本意をなずぬるに、しかしながら八相成道の来縁を結ばんがためなる ゆえなり。」

『皇太子聖徳奉讃』、『聖典』P507
「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して
 多多のごとくすてずして 阿摩のごとくにそいたまう」





14、触穢・物忌の問題

 最も蓮如上人が「おきて」の中で問題にしておられるのは、さっきの物忌み・触穢、神社・神明です。神社・神明に対して疎かにしないようにという事と、物忌み・触穢に対して、世間が物忌みしておられる時はたとえ念仏者と雖も世間に従って物忌みをしなさいという言い方です。けれども、念仏者同士の間ではそういう物忌みをする必要はないんだと。こういうふうに、二つに分けておられるわけです。門徒同士の間ではそういう物忌みをしてはならない。しかし、世間の中で生活して、世間で物忌みをされる場合は物忌みをすべきだと。蓮如上人に対して、生きておられたら文句を言わなければならないような酷い「御文」があります。一帖目の九通目ですけれども、
そもそも、当宗を、昔よりひとこぞりておかしくきたなき宗ともうすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆえは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門他宗に対してはばかりなく、我が家の義をもうしあらわせるいわれなり。これおおいなるあやまりなり。それ、当流におきてをまもるというは、わが流につたうるところの義をしかと内心にたくわえて、外相にそのいろをあらわさぬを、よくものにこころえたるひととはいうなり。しかるに、当世は、わが宗のことを他門他宗にむかいて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流をひとのあさまにおもうなり。かようにこころえのわろきひとのあるによりて、当流をきたなくいまわしき宗とひとおもえり。さらにもってこれは他人わろきにあらず。自流のひとわろきによるなりとこころうべし。(一帖目九通、『聖典』P769)
と、こういう「御文」です。自流の人が悪いんだということです。それは掟を守らないからだと、そういう言い方です。やはり世間の中では、一番忌むという事を大事にしたわけです。
 例えば、古い家造りのところでは、大体、門徒の場合でもそうですが、御本尊のある所が家の中心になるわけです。座敷です。そういう御本尊を安置した座敷が家の中心なんだと。その時に、住職さんが、参って行かれる時に、みんなが使っておられる玄関から入られる時と、木戸口があって、そこから入っていきなり中庭から座敷の廊下を入って座敷に入ると。これが古い家の形なんです。お葬式の時は必ずこのお内仏の間で枕勤めがあるんです。そして最後の告別式をここで行われるわけです。その時に、棺は玄関を出ないのです。必ず中庭から出るわけです。そういう時に、もし中庭が無い時は、座敷の壁を破って、その壁から出すという、そういう所もあると言うんです。何故そういうふうに、住職が表玄関を通らないでわざわざ中庭から入るとか、棺も表玄関からではなしに中庭から出すのか。これは、民俗学なんかでも問題にするのは「死穢」です。たとえ親であっても亡くなったら死というものに穢されておるんだと。これが触穢になるんです。こういう死の穢れを忌むというのは、本当は死を畏れるというところから来ておるんです。柳田國男なんかでも、触穢の元は死畏なんだと、死を畏れるということからくるんだと言うておるわけです。
 柳田國男に『物忌と精進』という論文があるんです。『物忌と精進』はそんなに長くないし非常に面白い論文なんです。そこでははっきりと、死を穢れとして忌むのが神道だと言い切っています。けれども神道は負けたんだと。田舎の方に、これは門徒の事を言うんですが、死を忌み嫌わない、そういう人達がおられる。だから神道は負けたんだとはっきり言うておるんです 。
 死を穢れとして忌まないというのは、出離生死をしたという事です。死すべき生をどう生きるかという事で、死を見ないんではなしに、死を受け止めた上でその中でどう生きるかという事を問題にしたと。これが出離生死です。世間ではみんな死が畏ろしいから死を見ないようにして生きておるわけです。だから、死の無い生という事で生きておれば、死が出てきた時には狂乱してしまうんです。全部崩れるわけです。死を見ないで、死の無い生として生きてきたものは、死に会うた時には全部崩れるわけです。けれども、初めから死すべき生だと。死すべき生をどう生きてどう死ぬのかという事で始まっていたら、何も死が来ても狼狽える事はないんです。だから、本当に生きるという事は、この死すべき生を、どう生きるのかということから始まる時に、本当の生という事が完結するわけです。けれども、大体死を畏れる、死を穢れとして忌むと、死を見ないようにすると。これを習俗からすると、住職さんが玄関からではなく中庭から座敷に入ったり、棺を玄関から出さないという事になるわけです。
 この住職さんが玄関からではなく中庭から座敷に入るという事は二重の意味があるわけです。死を畏れる者にとっては、住職さんというのは、一番尊敬し安心するわけです。だから、非常に僧侶に対して住職に対して尊崇の念があるわけです。それと同時に忌避するわけです。避けるわけです。これは若い住職でも言われるわけです。お盆なんかでお参りすると、非常に丁重に対応して下さると。それで嬉しいと。たまたま町で会うたので挨拶したら、そっぽを向かれてショックだったと。そういう事を訴えるんです。住職と門徒という間では尊敬です。権威ある者として、生死を超えておられるんだと、また我々を往生させ成仏させて下さる、そういう権威ある尊い方という意味では尊崇されるわけです。けれども、世間の中で一人のお坊さんという事になった時には忌避するわけです。専修学院に来る学生でも、自分の成ろうとするものを自分が軽蔑したら、絶対になれないわけですから。お坊さんに成ろうと願っておるんだけれども、その成ろうとするお坊さんをどっかで自分が軽蔑するというか、否定すると、これでは成れないわけです。その時は、やっぱりこういう問題があるわけです。世間のお坊さんというものに対する、権威として立てる面と忌避するという形で除けていく面とです。そういう意味では両方あるわけです。尊い方だから自分達の通っている所を通ってもらわないでおこうと。けれども、もう一つ押さえていくと触穢問題です。だから、両方受け止めて、やっぱり選ばず嫌わず見捨てないという、摂取不捨という智慧と慈悲というものを本当に自分自身の中に確保していないと、これは物凄いショックですよ。
 私でも、門徒の人達からお寺のボンボンという事がありました。何でも出来るように言われるんです。友達は乞食の子だと言うわけですから、本当にショックです。学校では、勉強も一番、運動会でも一番と、門徒の人はみんなそれを願われるんです。そうしたら、そんなことは出来ないんです。出来ないという形で現実を出すと非常に失望されるわけでしょう。
 そういう問題が神道を中心にした触穢問題です。そこに尊崇と忌避という事があるんです。
 例えば、昔はみんな棺を架かれる時に、頭に三角巾を付けられるでしょう。何故棺を架く人が三角巾を付けるのかよく分からなかったんです。これは避雷針だと言うんです。何故かと言うとね、死者から霊が出ているんです。それが三角巾に依ってくる、依り代なんです。そこへ霊を全部依せられて、それを墓場に捨てて帰るんだと。そういう意味と同時に、もう一つ、浄土宗の方では菩薩の宝冠なんだと。菩薩の宝冠という事は、これは浄土から迎えに来ている菩薩衆なんだと。菩薩に来迎され引接され浄土に還っていくと、お葬式そのものがそういう意味を持つというんです。『無縁慈悲集』を読んだ時にみました。神道で言えばこれは避雷針なんです。仏法で言うと浄土へ還っていくという意味です。両方持っているんです。そういう中で、やっぱり選択という事があるんです。どっちなのかと。どっちが大事なのか。これが蓮如上人の、
仏法を主とし、世間を客人とせよ。(『蓮如上人御一代記聞書』一五七、『聖典』P883)
ということです。世間の中で生きなければならないわけですが、世間を主とするのではないんです。仏法を主として世間の中で生きるんだと。どっちが第一義なのかという事なんです。どっちが第一義なのかということをはっきりして、世間の中で、これはいいだとうと、これもいいだとうと、でもこれは駄目なんだという。そういう、譲るところは譲るけれども、譲れないところは譲れないのだという、ある意味で体を張ってでも譲れないと言わないといけない。それがラッキョの皮みたいに、剥いても何も無かったと。そうなると、仏法を第一義としていないという事なんです。そういう問題が神道問題だと思うんです。ここはいい、これは駄目なんだと、その時にはっきり決着を立てると。そういう事で時間がかかると思います。一気には無理だと。日常生活の中に入ってきておりますから。「御文」にありますが、蓮如上人の時でも、お酒を飲む時に、一杯二杯三杯、その次の四杯はとばすといいます。四そのものが死に繋がるんです。世間にそういう飲み方があるんだけれども、それはおかしいんだと。そするとこれは忌み言葉になるんです。今でもそうでしょう。ホテルなども四という数字は無い所がありあます。それ程に深く日本人の体質の中に死を畏れ、死を穢れとして忌み嫌う神道の問題があるんです。死を忌み嫌う。その中で、そうではなくて、死から始まる、死すべき生をどう生きるかからスタートするのが仏道なんです。死というものに目を瞑ってしまえば、本当にこれは全部迷いという事になるんです。そういう意味で、その事をよく納得した上で神道問題というものを、基本的に根源的に、死というものを忌み嫌うんではないんだと。死というものを受け止めたところから、生きるという事が本当に始まるんだと。そこに「生死を出離する」という仏道の大きな問題があります。そういう基本的な事から神道問題というものを見ていかなければならないのではないかと思います。
 特に「三不浄」ということです。神事の中で一番忌避されたのが「三不浄」なんです。これが「赤不浄・白不浄・黒不浄」だと。この「黒不浄」が死穢なんです。結婚式の時に黒ネクタイなんかして行ったら大変な事になってしまいます。お葬式の時に白いネクタイをする事はない、やっぱり黒なんです。この「赤」というのは女の人の生理です。「白不浄」というのは、女の人がお産をされる時の産濁をいうわけです。女の人は、そういう意味では、共同体の中では除けられていくという、そういった事が神事の時にはあったという事です。そういう問題が一番神道のベースなんです。そういう中で、念仏者、門徒はどう生きるか。原点は聖徳太子です。そういった事を大事に見ていかなければならない。
 一応ここまでにしておきまして、質問が、昨日からの事もありますし、限られた時間の話しですが、もしありましたらどうぞ。


「日本の祭──物忌と精進」、ちくま文庫『柳田國男全集』十三巻P301
 「しかるに仏教もことに民間に流布した宗旨では、むしろこれを嫌わぬという一大特徴をもって、平たく言うならば競争に勝ったの である。その代りにはこのために仏者は神に近づくことができなかった。一向宗だけはいっこうにかまわぬと言って、そんな制限無 視しようとするが、その他の派では神に参ることを差し控え、正月も寺年始は四日からときめてあって、その前に注連をはずし松を 取り、法師に注連縄の下をくぐらせぬという鉄則を守っている地方もある。」





15、門徒にとっての天皇観・国家観(質疑応答)

 例えば、四十九餅というて重ね餅をするでしょう。最近は葬儀屋さんが重ね餅をする。それが亡くなった者は一尺の釘を打たれるというんです。だから重ね餅をしておると痛くないんだと。例えば、一椀飯というのがあるでしょう。死者の枕元に一椀飯を盛ると。これは「善光寺信仰」を表すわけです。死んでもすぐに魂は出ていかないんだと。だから鱈腹食事を取ってもらって、それから善光寺に参って善光寺如来に結縁する。それで極楽浄土に往生するんだという信仰なんです。今でも善光寺に戒壇巡りというのがあるでしょう。善光寺の御本尊阿弥陀如来の戒壇の下が回廊になっておると。この回廊は真っ暗ですから、これは六道になっていて六道を彷徨うてやっと極楽にたどり着いたと。善光寺如来の後ろに明かりが付いていてそこに結縁するんです。ここを巡って出てくるわけです。つまり浄土から還ってきたと。これが一つの再生信仰です。だから、もう自分は生まれ変わったんだという事です。そういう非常に簡単な形で生まれ変わるという、浄土から還ってきたんだと、そういう信仰です。こういう信仰は民間信仰では根強く生きておるわけです。一椀飯だとか戒壇巡りだとか、みんな「善光寺信仰」と繋がっておるわけです。
 四十九日は三月にまたがったらいけないという事を言うでしょう。この三月、それは再生するという。七七四十九日です。

《質問者A》先程「物忌み」の「忌」という字ですね、この「忌」という事は神道の方から出ているんですか。
《講師》これは、「忌」というのと「斎」というのが同じ字なんです。「斎」も忌むなんです。これは精進潔斎と仏教では言います。この「忌」というのは、してはならない事、具体的な禁忌です。この具体的な禁忌に対して「忌」という事を言うわけです。その具体的な禁忌、「忌」とはどういう事なのかと言うと、これが「斎」になるわけです。積極的な「忌」ということが「斎」ですね。これが、言えば死穢を忌むと、そうすると死穢を忌む事が、縁のある者が潔斎をする事によって、その死の穢れを浄化すると。その浄化するという意味と、この「忌」が重なっておるわけです。だから「忌」というと、それはしてはならん事だと言うて否定的にだけいうていますが、積極的には「斎」です。
 これは蓮如上人も引用されているんですけれども。存覚上人は『至道鈔』でこういう事を言われていまして、非常に仏法的な意味で、この「忌」ということを言われております。蓮如上人はここから「御文」を作ったりしておられるんですけれども。
忌といふ文字の訓はいみなり
、 普通発音すればキですけれど、訓読みはイミだと。
是則その亡日にをいて、
「亡日」亡くなった日だと。御正忌とかのキでもあるわけです。
是則その亡日にをいて、かの徳を謝するよりほかに他事をいみて禁断する義なり。(『聖教全書五』拾遺部下P265)
こういうふうに存覚上人が言うておるわけです。更に、
外典の書に『礼記』というふ文にはこの義をあかせり。また内典(仏教の書)の書に『梵網経』に、もし父母・兄弟死亡の日は法師(僧侶)を請じて追福を修すべきむねをとけり。二親並びに兄弟等の亡日には諸事をなげすてゝ仏事報恩をいとなむべきこと、内外の両典にすゝむる所一なり。 (同上)
とあります。そういう意味では、「忌」というのは単に神道と言うよりも、仏法に於いても、縁の深い者が亡くなった日にはその徳を謝すと。だから他の事を全部止めて、それに終始して徳を謝すと。それが「忌」という事だと。それはさっきも言いましたように、仏教では徳を謝するという事なんですけれども、それが神道になると死というものを穢れと言うてしまうから、その死を除く為に潔斎するんだと。これが身近なところでは、精進していくと、宍を食わない。肉を食わないというのは精進なんです。神道でいう精進というのは宍を食わないという。だから、宍を食わない形で、実は潔斎をする事が、亡くなった者の穢れを浄化していくんだということです。
 だから「忌」というのは、唯何もしないんのではなしに、積極的には「斎」なんだと。だから「忌」と「斎」は同じ、両面の意味があるわけです。それは、今の存覚上人でもね、何もかも中止しておいて死者を讃嘆するんだと、その人を思い起こすんだと。それが実は「忌」という。積極的な「忌」なんだという事です。だからそういう両方があるんです。
《質問者A》「真宗門徒の三つの証」というのに、「物忌みをしない」というのがあります。その時に素朴な門徒が、年忌の忌というのは、何年経っても忌むんだという。それなのに我々真宗門徒は「物忌みをしない」と言うておるのに、何故「年忌」という言葉を使うのかと聞かれたもので。
《講師》これを問題にしておる人達もおられるんです。「忌」は神道用語だという事で、「忌」を使わないで「会」にするとか。「忌」を使わないという事をしている所もあります。  親鸞聖人の場合は「御正忌」といいます。それから「命日」と言われる場合の「命」を、蓮如上人は、「御文」の三帖目の九通目に「明」という字を使っておられます。これは『御命日の御文』ですけれども、
そのそも、今日は鸞聖人の御明日として(『聖典』P806)
という。ここは「明」という字を使っておられます。この「御明日」というのは、「声明の日」というような意味だというふうに読まれているんです。これは、声明という形で讃嘆する日なんだという意味だと思うんです。親鸞聖人の「明日」だと。親鸞聖人を讃嘆する日なんだと。そういうふうに「明」という字を、蓮如上人は一ヶ所だけですけれども用いておられます。そういう意味では、神道的なものに対する配慮みたいなものがあったんだと思うんです。割合、この「忌」という字が、圧倒的に「物忌み」という形で使われるものですから、その時にやはり「物忌み」というのは神道の忌み嫌うという「忌」という、そっちの方が圧倒的に生活レベルでは根付いていたと思うんです。ですから、門徒の方が今度でも「蓮如上人五百回御遠忌」ではないかと言うて、怒っておられる事があるわけです。だからそういう時の「忌」というのは、存覚上人が言われるような、仏典においても、讃嘆していくとか、思い起こして本当に報恩していくという意味もあるんだというところを、きちんと言うておく必要がありますね。そうでないと、一般的に言えば「忌」という字だけで、忌み嫌うという事になってしまいますから。

《質問者B》「斎」という字ですが、「斎場」と言うでしょう。あれは何ですか。
《講師》やっぱり「斎」は、清斎という意味です。だから両方あるわけです。そういう意味では「斎場」という時は、死者というものの死の穢れを除いていくという意味も持っておると思うんです。
 だから「忌」は死の穢れを忌むというふうに用いる事をそのままにしないで、その死の穢れを除いていくという積極的な意味で「斎」なんだと。だから「斎場」の「斎」というのはそういう意味を持っているんではないでしょうか。

《質問者C》神道というものに関しては、存覚上人の頃乃至蓮如上人の頃まででしたら、先程仰ったような「実社の霊神」或いは「権社の邪神」という二分類で済んだのか分かりませんけれども、江戸時代の末期から創り出された天皇家にまつわる色んな神々ですね、湊川神社なんかも含めて創られてきたと。そういう神々はその二分類のどちらに入るのか入らないのか。どちらにも入らないような気もするんですが。
 天皇制という宗教です。国家神道という宗教。それが私達の脳裏にある神道というものの相当な部分を占めていると思います。かつての神仏習合時代の神道というものがどういうものであったのか、我々には分からんわけです。国家神道、天皇制が絡んでからの神道しか私等には分からないんですけれども。動物的なものは色々ありますけれどね。そういう意味で、天皇制というものは、天皇さんがどんな人であれ関係なしに、厳然と存続する天皇制というものを浄土真宗はどう捉えていくのかという事が、もう一つ今回挙げられなかったテーマだと思うておるんですけれども。
《講師》その問題をラジカルな形で言うてしまえば、それは親鸞聖人一人です。蓮如上人はちょっと問題があります。親鸞聖人は、
主上臣下、法に背き義に違し (『教行信証』後序、『聖典』三九八頁)
と、こういう表現をしておられます。これは承元の法難の時に関係して言われる言葉なんです。「主上臣下、法に背き義に違し」という、これは天皇とか国家の問題に対して、親鸞聖人がどういう天皇観を持ち国家観を持っておられたかという事を端的に記しておられるわけです。
 それともう一つあるのは、『浄土和讃』の初めにこういう事が、いきなり何の解説もなしに記してあるんです。
阿弥陀如来   観世音菩薩
阿弥陀如来   大勢至菩薩
釋迦牟尼如来  富楼那尊者
釋迦牟尼如来  大目 連
釋迦牟尼如来  阿難尊者
頻婆娑羅王   韋提夫人
頻婆娑羅王   耆婆大臣
頻婆娑羅王   月光大臣
提婆尊者     阿闍世王
提婆尊者     雨行大臣
提婆尊者     守門者(『聖典』P483)
四つグループを記して、下にそれぞれ関係のある者を記してあるわけです。親鸞聖人が一番関心を持っておられるのは、提婆尊者との関係での阿闍世王です。この阿闍世王は、初めは提婆の弟子として父を殺したと。そして国王になったと。提婆の教えによって阿闍世は父を殺して国王になったと。この時は、はっきりと、外道に帰依する国王が仏法に帰依する国王頻婆娑羅を殺して、国王になったんだと。そういう問題がそこにあるんです。しかし、阿闍世は、父を殺す事を通して非常に深い罪の問題を抱えて、後に釋尊に遇い、「無根の信」を得たと。「無根の信」というのは、これは念仏の信心です。だから、阿闍世は外道提婆の弟子として父を殺し、父に代わって外道の国を建てたんだけれども、罪の意識から仏に遇い、仏の弟子と成って、「無根の信」を得て、最終的には阿弥陀如来の弟子に成ったと。阿弥陀如来の弟子になって、阿闍世がどういう国を創ったのか、これが親鸞聖人の一番の関心事なんです。阿闍世が、唯父を殺して懺悔して念仏者に成ったという事に留まらないで、阿闍世は国王なんです。だから、念仏者として国王に成った阿闍世が、どういう国を創ったのかという。それが聖人にとっては物凄い関心事なんです。それが実は聖徳太子になるんです。親鸞聖人の中に流れてくる問題は国家問題です。阿闍世は阿弥陀の弟子と成って、どういう国を創ったか、それが聖徳太子が念仏者として和国を創られたんだと、その「和国観」です。
 親鸞聖人のレベルだったら、国王に念仏を勧めて、国王が念仏者に成る事によって、一つ国が変わるんだと。そういうところが親鸞聖人にとっての関心事であり、限界があると言えば限界です。国王である天皇が、念仏者に成られる成られないという事が、門徒にとっての一番大きい関心事としてあったんです。
 「主上臣下、法に背き義に違し」というのが、これが国家観なんです。「法に背き」というのは謗法罪、「義に違し」というのは五逆なんです。だから、天皇に対して、「貴方は謗法の者だ、五逆の者だ」という徹底的な糾弾をされているわけです。それは何故、謗法だ五逆だと言われるかと言うと、その天皇を御同朋として尊敬しておられるからなんです。これが「唯除」という事です。「唯除五逆誹謗正法」という事が、如来の、親鸞聖人の、最も私達に対する信頼と尊敬の証なんです。尊敬しておるから、念仏者の成って欲しいと。これが「唯除」なんです。これが親鸞聖人の天皇観、国家観だと思うんです。そういう事を親鸞聖人当時の念仏者は願われたと。  そういう事で、今、教団挙げて、天皇に対して、「念仏者に成って下さい」と言うたら、どうなるかという問題です。  ただ、ジャクリーンさんという方がおられて、ジャクリーンさんという方は私達とも縁が深いんです。このジャクリーンさんは皇室へ家庭教師で入っておられた。皇太子や美智子さんなんかにもフランス語を教えられた人なんです。皇室へフランス語の家庭教師で入っておられた。その時に念珠をしておられたわけです。すると、「外しなさい」と言われたと言うんです。けれども、やっぱりそれは外さないという、そういう事があったんです。私達の縁のあった信国先生は、「ジャクリーンさんは、皇室に入って初めて念仏を伝えた人だと」と言うて、喜ばれた事があるんです。
 そういう事を、親鸞聖人当時の門徒は思うておったと。天皇が変われば、国が変わるんだということです。今は天皇制そのものが問われるているわけですから、そういう意味では、天皇が本当に念仏が分かられたら、「私は天皇を止めます」と言われるかもしれないです。天皇が念仏者に成られて、「浄土を映し出すような国創りをしましょう。凡夫に成って一緒に国創りをしましょう」と言われるかもしれないから、早く天皇に念仏を勧めたら、一番早く天皇制が無くなりはしないかということです。
 天皇制の問題とか国家の問題。これからは国家の問題です。念仏者はどういう国家を願うのかという事がはっきりしていないと、これから真っ直ぐ行けないかもしれないです。そういう原点は、親鸞聖人がはっきりしておられるという事です。









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