真宗の教義は皇法を奉戴して成立せる日本仏教の性格をそなえたるものである。とあります。ここに「皇法を奉戴して成立せる日本仏教」とあります。
真宗教徒たるものは、各自が自己の職責を通して大政を翼賛したてまつり、大御心を奉戴し臣民道を全うすることが絶対の道であると。「大政を翼賛」とか「大御心を奉戴し」ということがはっきりと言われているわけです。非常事態になってきた時、地方の住職もどのように対応してよいのか分からない。そういうことで、本願寺から「国体観念と真宗教義」というかたちで、情報が流れてくるわけです。そこで、「真宗教徒たるものは、各自が自己の職責を通して体制を翼賛したてまつり、大御心を奉戴し臣民道を全うすることが絶対の道」だと、そういう達しがあるわけです。そしてこの中で、
天皇帰一ということが繰り返し言われています。天皇に帰一することが根本であると。一に帰すべきは天皇であると。この「真宗の教義」というものが永遠ならば、現在でもそうなってしまいます。天皇帰一であって弥陀帰一ではない。一に帰すべきは天皇であって、弥陀ではない。弥陀は帰依だと。ですから、阿弥陀如来に帰依しようと、釈迦如来に帰依しようと、大日如来に帰依しようと、それは天皇帰一ということが根本にあった上でのことであるということです。真宗教義の理解を、こういうかたちで情報として全国に流すわけです。