娑婆世界王、無諍念王、出家後、名法蔵比丘このように記されているものが残されているわけです。この法蔵菩薩というのは、『大無量寿経』の中でも、
時有国王。聞仏説法、心懐悦予、尋発無上正真道意。棄国捐 王、行作沙門、号曰法蔵。(『聖典』10頁)と説かれています。法蔵菩薩が実は四十八願を建て阿弥陀と成って浄土を建立します。『大無量寿経』はそういう展開になると記しています。法蔵菩薩と名告る前は娑婆の国王でした。法蔵菩薩に成る前の娑婆の国王について、『曇摩訶菩薩文』は「無諍念王」だと記しているわけです。この名は『悲華経』の中に出てきます。また『述文賛』 の中に「無諍王」という言い方として出てきます。親鸞聖人はどこからこの「無諍念王」という言葉を引用しておられるのかということは、親鸞聖人は何も言われていませんので定かでない。しかし、「時に国王有り」の国王が「無諍念王」であったということに大きな意味があると思います。無諍―諍いの無いことを願うという国王です。
和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ(『皇太子聖徳奉讃』八、『聖典』508頁)と。ここでは「和国の教主聖徳王」ですが、聖徳太子は『十七条憲法』を作って、『十七条憲法』によって国家というものを具体化されています。『七十五首和讃』の中では、
十七の憲章つくりては 皇法の規模としたまえり 朝家安穏の御のりなり 国土豊饒のたからなり(『皇太子聖徳奉讃』五八、『聖教全書』二宗祖部538頁)という「和讃」があります。ここに「皇法の規模」とか「朝家」という言葉があります。この「朝家」は、確かに天皇によって統治される国ですが、この「朝家」は神国としての「朝家」ではないわけです。「十七の憲章」そのものが仏法を中心にした憲章ですし、その仏法は如来の悲願です。本願念仏の仏法です。そういう意味では、決して神国としての「朝家」を言うておられるのではなく、本願念仏の仏法によって造り上げられた「朝家」、そういう国家です。これが「和国」です。「和国の朝家」です。親鸞聖人は晩年、自らを「和朝愚禿釈の親鸞」と名告っておられますが、この「和朝」は単純に日本国という意味ではなく、本願念仏の仏法に依って造り出された国、浄土を映し出すような国としての国家です。はっきりそこに、親鸞聖人が国家というものを、聖徳太子の上に見ておられます。それは親鸞聖人の独断と偏見ということがあるかもしれませんが、聖徳太子の仏法というのは、念仏なのだ。そしてその念仏に依って国家を造られたのだ。だから神国ではない、「和国」なのだと言われているわけです。ですから聖徳太子の絵像というものが、門徒の寺の余間に必ずお給仕されているわけです。それは神国の聖徳太子ではなく、和国の聖徳太子であると。門徒の中では、聖徳太子をお備えする中で、「和国」としての「朝家」を願っていた歴史があります。
阿弥陀如来 観世音菩薩と。このように四つのグループに分かれて、それぞれ名前を記してあります。頻婆娑羅とは釈迦如来に帰依している在家の信者です。在家の信者であるけれども、仏法に帰依する者という立場で、国王として政治をしているわけではない。阿闍世の場合は、初めは提婆に帰依し父を殺し、そのことを縁として自分の救済の問題を抱え、釈迦に遇い阿弥陀如来に遇いました。頻婆娑羅の場合は、自分が本当に救済されなければならない者として仏法に帰依しているのではない。外護者と言いますか、仏法を外から護る者です。
大勢至菩薩
釋迦牟尼如来 富楼那尊者
大目 連
阿難尊者
頻婆娑羅王 韋提夫人
耆婆大臣
月光大臣
提婆尊者 阿闍世王
雨行大臣
守門者(『聖典』483頁)