第二章





04、蓮如上人の真宗再興
1、僧伽と教団との相互関係
 「真宗門徒の国家観」ということで話をしてきております。その「真宗門徒の国家観」が、親鸞聖人の場合はどうなっておるのかということを見てきました。親鸞聖人の時は「教団」という組織になっていないわけです。ですから単純明快です。しかし我々の場合は、その教団という社会的存在の中に位置付けられておりますから、親鸞聖人の教えを一人の人間として聞く場合と、教団に所属している者として聞く場合と、そこに色々と難しい問題があります。教団の問題として国家の問題を言う時に、蓮如上人はどうであったかが問われてきます。昨年は蓮如上人の御遠忌でしたが、何かもう一つ蓮如上人の抱えておられる問題をはっきりさせないままで終わってしまいました。
 教団問題を踏まえて国家の問題を問うのは、非常に厳しいことです。例えば現在は「宗教法人法」があります。「宗教法人法」によって、国家から保護されている状況があるわけです。ですから教団そのもの、寺そのものが国家を前提にしている。教団を辞めて、寺を辞めてということであれば、一人の人間として、『歎異抄』で言われるような「一室の行者」として、親鸞聖人の教え、親鸞聖人の場合にすんなり入ることができるかもしれません。
 蓮如上人の場合には、「山科建立の御文」の中で、本願寺そのものが亀山院・伏見院の頃から勅願所であり、他に異なる在所だと誇りを持って言われるわけです。勅願所というのは、天皇の勅許の中で成立した寺ということですし、国家の為、天皇の為に祈祷していく寺です。そういう意味では、国家を前提とした、天皇を前提とした寺ということになります。それにも拘わらず、蓮如上人は真宗を再興された。
 「教団」というのは国家の中の存在です。「僧伽」というのは社会的存在として公にならない。念仏者が集まって共同体が造られていく。蓮如上人の場合は、教団として国家に所属しながら、その教団を僧伽化されたわけです。教団を僧伽化されたところに、蓮如上人の真宗再興の大きな仕事があったのです。
 蓮如上人のことをみていく時に、蓮如上人は、覚如上人の流れ、存覚上人の流れ、更に『歎異抄』の流れという、この三つの流れをしっかりと受け止めながら教団の僧伽化を徹底されているということが言えるのではないかと思います。
 まず覚如上人の流れというのは、具体的に覚如上人には『六ヶ条の制誡』というものがあります。この『六ヶ条の制誡』の内容が『改邪鈔』の中にも展開されています。『六ヶ条の制誡』の中で、親鸞聖人の流れを汲む本願寺は仏光寺とは違うのだと、「名帳・絵系図」という事はないのだと言われています。更に一遍上人の流れの時宗とは違うのだということを展開されます。時宗では「弥陀仏」という名を名告るわけです。観阿弥とか世阿弥という「阿弥号」です。これは「入弥陀位」という意味があるわけです。ですから阿弥陀如来と同じ位に入ったという意味があります。つまり「弥陀仏」という名を付けられると、既に助かったという意味を持つわけです。これには問題があって、この名を消されると地獄堕ちという意味になります。そのような「弥陀仏」という名を付けることはないことだということと、黒袈裟、裳無衣は用いないのだとということを言うておられます。ですから、仏光寺とは違う、時宗とは違うと。更に関東の御門弟に対して、京都の他に御本所はないのだと言われています。これも『改邪鈔』にも出てきます。本願寺が本寺なのだということを言い切っています。更に、親鸞聖人の名、つまり祖師の名を勝手に付けてはならないということを示しています。これが『六ヶ条の制誡』です。
 そういう意味で、これは本願寺を中心にしていくということです。教団の中で本願寺を中心にして統制していくということをされたのが覚如上人です。『改邪鈔』には「三代伝持」ということが示されています。これは法然上人、親鸞聖人、如信上人―─つまり「血脈(法脈)」の流れを私覚如は継いでいると言われています。それから、私覚如は親鸞聖人の「血統」を継ぐ者だとも言われています。つまり「血脈(法脈)」と「血統」を統合しながら、本願寺を中心にしていかれたというのが、覚如上人の仕事です。それから親鸞聖人の教えとはこういうものだと、はっきりと示す、つまり教権主義です。そして間違いに対して改邪していく──徹底的に邪を改めるということをされました。邪を改めるのなら許すけれども、邪を改めないものは禁遏といいますか、排除していくわけです。そういう意味では、徹底的に本願寺中心主義です。教権主義を立て、権威主義を守りながら本願寺の基礎を固められたわけです。これが覚如上人です。蓮如上人は、覚如上人の流れとして、報恩講、『御伝鈔』を非常に大事に相続されていきます。そういうように蓮如上人は、覚如上人の流れという形で、本願寺を中心とする伝統というものを受け継いでおられるわけです。
 それから蓮如上人は、存覚上人の流れも受け継いでおられます。存覚上人というのは覚如上人から義絶された人です。何故義絶かというと、存覚上人は仏光寺と非常に縁が深いわけです。仏光寺の抱えた問題というのは、国家の中で存在していけるかどうかという問題です。国家内存在です。存覚上人がこのことを一番よく表しているのが『諸神本懐集』とか『破邪顕正鈔』です。これらは存覚上人が仏光寺との関係の中で著しておられるわけです。これらは、特に『諸神本懐集』の一番の問題点は、神道と仏道を本地垂迹として一つにしてしまったことです。この『諸神本懐集』では、神国は天照大神から始まる、和国は聖徳太子から始まると言い、天照大神の本地は観世音菩薩である、聖徳太子の本地もまた観世音菩薩であると言っています。ですから天照大神も聖徳太子も、観音を本地としては二而一だという位置付けをしてしまいました。この神国と和国を二而一と一体化されたのが存覚上人です。存覚上人の『諸神本懐集』は、そういう意味では本地垂迹です。これが親鸞聖人の神道観を狂わしてしまったわけです。親鸞聖人の場合、神々というのは善鬼神とか悪鬼神です。決して本地の中で神々を位置付けておられないわけです。存覚上人は本地垂迹として、本地は仏で垂迹は神々だと。それから天照大神の本地は観音、聖徳太子の本地は観音だから同じなのだと。ですから外には神国であり、内には和国なのだということです。精進と言っても、これは神道で言えば潔斎ですし、仏教で言えば仏道精進です。そういう意味では、外には神道、内には仏道と一つにしてしまった。そういう神道観です。神道と仏道が一つであるし、神国と和国が一つであるし、神事と仏事が一つだと。そこには何の矛盾も無いと。これが最初に言いました民族宗教です。仏教と言うても、根本には神道というものを押さえた仏教です。これが存覚上人の抱えた大きな問題です。ですから、国家の中に入ってしまったわけです。  覚如上人は教団の中で本願寺を中心にして閉鎖されるし、存覚上人の場合は親鸞聖人の念仏というものを世間の真っ直中、国家の真っ直中に解体していかれたわけです。  『歎異抄』の流れとしての蓮如上人は、「一室の行者」ということですから、阿弥陀如来と阿弥陀の浄土ということに一人一人が直結していくわけです。そういう意味では、『歎異抄』の流れを根本にしながら、存覚上人の流れとして世間の中に出ながら、ある意味で世間の中に埋没していくということがあります。それを避けて、教団が世間から閉鎖しながら篭もってしまうという面もあります。覚如上人のようになれば閉鎖するし、存覚上人のようになれば解体するわけです。そういうような危機は何時もあるのだけれども、何時でも根本に『歎異抄』の流れとして、一人一人がうちに信心を深くたくわえていく。このようなことが、蓮如上人の場合は繰り返し言われています。




『帖外御文』59、『聖教全書五』拾遺部下399頁 「抑当寺之事は忝も亀山院・伏見院両御代より勅願之宣をかうぶりて異于他在所なり。」

『六ヶ条制誠』 「一、於祖師御一流名帳云事無之事
一、同御在世之時絵系図云事無レ之事
一、遠国御直弟子京都之外御来寺無レ之事
一、祖師御名字不可付之事
一、何々弥陀仏不可付之事
一、裳無衣、黒袈裟不可用之事」(康永三(一三四四)年十一月七日、覚如と空如により定められた。)

『改邪鈔』、『聖典』696頁
「余壮年之往日、添従受三代黒谷・本願寺・大網伝持之血脈以降鎮蓄二尊興之説目足也。」

「神道の問題」、大谷専修学院1994年度『歎異抄講義』1994年9月19日竹中智秀講述
「「血脈」相承とは本願念仏の仏法が真実である事を諸仏達によって示され、私はその伝統を受け継ぐ者であることを示すことである。(中略)現在でも皇祖神・天照大神の問題は生きているし、国家神道の問題は我々の体質として生きてもいる。実はこの国家神道こそ、外には民族差別を生み出し、内には「血統」による種々の差別を生み出す源泉である。」

『諸神本懐集』、『真宗史料集成』第一巻697頁
「それ仏陀は神明の本地、神明は仏陀の垂迹なり。(中略)このゆえに垂迹の神明に帰せんとおもわば、ただ本地の仏陀に帰すべきなり。いまそのおもむきをのべんとするに三つの門をもって分別すべし。第一には権社の霊神をあかして本地の利生を尊ぶべきことを教え、二つには実社の邪神をあかして承事の思いを止むべきむねをすすめ、第三には諸神の本懐をあかして仏法を行じ念仏を修すべきおもむきを知らしめんとおもう。」





2、阿弥陀如来の御掟と開山聖人の御掟係
 ただ蓮如上人には二つの掟というものがあります。『蓮如上人御一代記聞書』の七十六条の中で、
聖人の御一流は、阿弥陀如来の御掟なり。(『聖典』869頁)
と言われています。「阿弥陀如来の御掟」というのは「唯除」ということです。「唯除」というのは、知らしめることによって、その者を摂取していくということです。ですから、我々が五逆の者である、また謗法の者である―本願の縁ができたのだけれども本願を疑っているとか、如来に縁ができたのだけれども如来を疑っているとか、そういう問題を抱えている者である。「唯除」とは、その本願を疑う罪の深さというものを徹底的に知らせて、そして本願との関係を確保していくということです。これは「信心為本」です。信心為本というものは、「唯除」の自覚です。阿弥陀如来は、「唯除五逆、誹謗正法」というかたちで問題を知らせながら、本願との関係を修正する。これが阿弥陀如来の掟です。一人一人が信心の行者として立ち上がっていけるように、掟と言っても裁いて排除するのではなく、知らせて摂取するという掟です。
 特に蓮如上人は、そのことを具体的に「無宿善の機」ということで問題にされています。「無宿善の機」というのは、本願に遇いながら本願を疑うという本願ぼこりであるとか、過激になってしまう造悪無碍です。そういう本願ぼこりとか造悪無碍にはしる者を、本願に遇いながら本願を疑う者として徹底して知らしていくのが「無宿善の機」ということです。『歎異抄』の一番最後に、
右斯聖教者、為当流大事聖教也。 於無宿善機、無左右不可許之者也。(『聖典』642頁)
という言葉があります。我々が本願に遇いながら本願を疑う。だから本願を手段としていく問題を厳しく知らせていくのが、蓮如上人の「無宿善の機」の問題です。
 もう一つは、後世者ぶるとか仏法者ぶるという、専修賢善の問題です。善鸞が堕ちたのは、この専修賢善です。本願に遇うのだけれども本願を疑う為に起こってくる問題が、本願ぼこりと専修賢善です。それを、厳しく「唯除」という形で、謗法という形で知らせながら、それを離れていかかせるわけです。そして真実信心を獲得させる。そういう意味では、「無宿善の機」「後世者ぶる」「仏法者ぶる」を知らせるのが、阿弥陀如来が諸仏にまで成って我々に知らせていく十七願です。そのような本願を疑うこと、謗法の問題を自覚していくのが二十願です。そのような、本願ぼこりの異義になったり、専修賢善の異義になったりする者を、謗法として知らせながら、信心を顕らかにしていかせる。これが「阿弥陀如来の御掟」です。これは『歎異抄』の、歎異精神にもなるわけです。
 これは阿弥陀如来との関係ですから僧伽の問題です。
 もう一つの掟は、「開山聖人の御掟」です。これが教団の問題です。僧伽というよりも教団の掟なのです。「御文」三帖目十一通目には、
まず開山聖人のさだめおかれし御掟のむねを、よく存知すべし。その御ことばにいわく、「たとい牛盗人とはよばるとも、仏法者後世者とみゆるようにふるまうべからず。(『聖典』810頁)
これは先程申しました「阿弥陀如来の御掟」と深く関係する言葉です。問題はその次です。
またほかには仁義礼智信をまもりて王法をもってさきとし、  内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねん  ごろにおおせさだめおかれしところに、(同上)
これが蓮如上人が言われる「開山聖人の御掟」です。「ほかには仁義礼智信をまもりて王法をもってさき」とする。「内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」と。ですから、内心に深く本願他力の信心をたくわえていくということと、「ほか」―世間の中で生活していく時には、仁義礼智信をまもりて王法をさきとすべきだという言い方です。蓮如上人は、「開山聖人がさだめおかれし御掟」と言って、教団に所属する者として外には王法を先とすべきだと言われているわけです。三帖目の十二通目にも同じような、
まず王法をもって本とし、(『聖典』812頁)
と。「本とし」と言われてしまったところに、蓮如上人の大きなつまずきがあるわけです。三帖目十一通目のところは、「王法をもってさきとし」と。「本」ではなく「さき」、つまり「王法為先」なのだと言われています。ところが、それを「王法為本」だと言うところに、蓮如上人の曖昧なところがある。それがつまずきです。徹底した「信心為本」ではないわけです。「王法為先」ではなく、「為本」と言ってしまうと、「信心為本」と「王法為本」が二本立てになってしまいます。根本は「信心為本」です。ですから、ぎりぎりのところは、先程言いました親鸞聖人の「御消息」にあるように、そこで念仏ができなければ、何処へでも行って念仏申して生き、そして死んだらよいのだという選択が、やはり「信心為本」です。だから、場合によっては教団が潰れてもよいのだということです。「ここは譲れない」と言っていくのが、「信心為本」です。「ここは譲れる、ここは譲れない」と言っていくのは「王法為先」です。そして世間通途の理に従うのです。
 こういうことが、蓮如上人が教団を国家の中に位置付けながら、しかもその教団を僧伽化するということで、徹底して阿弥陀如来との関係―「信心為本」ということを勧めることによって、教団を浄土の開かれた僧伽に変えていかれたということです。そこに真宗再興ということが開かれたわけです。そういう意味では、蓮如上人は、「阿弥陀如来の御掟」ということと「開山聖人の御掟」ということを、バランスよく徹底されたのではないかと思われます。
 これを身近なことで言いますと、私が院長をしています専修学院に、韓国から親鸞聖人の教えを学びたいとみえた方がありました。非常に情熱的に学習されて、修練の時も非常に親鸞聖人のことを語られて、みんなに大きな感動を与えられた。その学生が帰る時に私は、「親鸞聖人と縁があったのだから、韓国に帰られたら親鸞聖人の教えが少しでも根付くように、ぜひ苦労して欲しい」と言いました。すると彼は、「先生はそう言うけれども、韓国に帰ったなら親鸞聖人、親鸞聖人と言えない」と言いました。そういうことを言われて、私も気が付きました。親鸞聖人は、愚禿釋親鸞として、天皇から賜る名を拒否されました。天皇から賜る名を拒否し、天皇の臣下になることを拒否し、天皇の統治する国の国民であることを拒否されています。愚禿釋親鸞ということは、阿弥陀如来から賜る名があるのだと。それが南無阿弥陀仏だと。南無阿弥陀仏は阿弥陀如来から賜る我が名である。ですから、愚禿釋親鸞という仏弟子に成って、はじめて南無阿弥陀仏が阿弥陀如来から賜る我が名だったと知らされたのです。だから我々も、南無阿弥陀仏を我が名であると名告ることによって、一挙に阿弥陀如来の統治される国、摂取不捨の大慈悲心によって開かれる国に生まれることができるのです。また、その国民になることができるのです。ですから南無阿弥陀仏が我が名なのです。南無阿弥陀仏が我が名ですから、韓国から来た学生に「念仏」と言えばよかったのです。「親鸞聖人の教えが根付くように」と言わないで、「本願念仏の仏法、南無阿弥陀仏が根付くように」と言えばよかったわけです。親鸞聖人を問題にすると、やはり日本人が抱えている問題も担わなければならない。その日本人として抱えている問題を担いながら、しかも韓国の人とどこで出会うかと言うと、南無阿弥陀仏を我が名とするしかないわけです。南無阿弥陀仏を我が名としながら、日本人としての業を担い、韓国の人と兄弟に成っていかねばならないのです。「南無阿弥陀仏を伝えて下さい」と言う時、我々にすれば親鸞聖人の教えが南無阿弥陀仏の教えなのだとなります。しかし親鸞聖人という限りは、日本民族の業を担わなければならない。その韓国から来られた人に、「日本民族の業を担いならがらも、親鸞聖人は韓国の人とも一処になれる南無阿弥陀仏を顕らかにされたのだから、南無阿弥陀仏を我が名として生きられるような人に成り、韓国で頑張って下さい」と言えればよかったと思っています。
 蓮如上人の僧伽化というのは、結局は我々には阿弥陀如来から賜る名があるのだということを示されたことです。南無阿弥陀仏を我が名として生きていくということが僧伽化です。親鸞聖人当時の田舎の人達、屠沽の下類といわれる人達は、天皇から名を貰っていない人達です。ですから名が無いわけです。だから、いし・かわら・つぶてということを親鸞聖人は言い、「われら」と言い切り、そこへ親鸞聖人は入っておられるわけです。名が無いからこそ、南無阿弥陀仏を我が名とし、一挙に阿弥陀の国に生まれられたということがあるわけです。
 僧伽というものは、南無阿弥陀仏を我が名と名告っていける者になるのだということです。そのことが、最初の「阿弥陀如来の御掟」です。同時に「開山聖人の御掟」というのは、日本民族として国家の問題に対してどう関わるのか。関わるのかと言うても、それは念仏を伝えるという試練の中での関わり方です。そういう意味で、我々が、蓮如上人の問題をどこまで読めるのかということが問題になります。親鸞聖人は教団を持たれなかったから、非常にすっきりしています。我々は教団を持っているのですから、蓮如上人の苦労というものをどこまで活かしていけるのかという問題があると思います。
 流れとしては不十分ですが、時間が来ておりますので、また明日に続きをということで、今日はここまでにしておきます。



『尊号真像銘文』、『聖典』513頁
「「唯除五逆 誹謗正法」というは、唯除というは、ただのぞくということばなり。五逆のつみびとをきらい、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつのつみのおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべし、としらせんとなり。」










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