第一章





01、新しい三世観が求められている

 こんばんは。
 昨年、縁がありまして京都教区の湖南地区が主催する教師陞補研修会に来ました。その時の講義がテープ起こしされて冊子になっておるようです。その冊子を私も目を通させてもらいました。今回は、昨年に残っている問題を展開していきたいと思います。
 今回のテーマは「真宗門徒の国家観──鬼神信仰としての神社信仰──」ということでお話しできればと思っております。
 初めに現代の状況を少し確認しておきたいと思います。昨年もそうだったのですが、特に戦後は新々宗教ということが問題になっています。代表的には創価学会です。浄土真宗においても、戦後に親鸞聖人の教えに帰ろうということで同朋会運動という信仰運動があったわけです。そういうことも宗門の中だけの信仰運動ではなく、大きな流れとして戦後日本の時代状況の中で起きた運動です。現在同朋会運動も第二期同朋会運動に入ってきているわけですが、最初の時のような力が出てこない。そういう意味では危機にぶつかっているわけです。戦後親鸞聖人の教えに帰ろうということで始まった同朋会運動の一つの大きな成果として、靖国問題であるとか同和問題が大きな問題として問われてきたということがあります。それをもう一度受け止めて、だからこそ親鸞聖人の教えに帰って行こうということが、始まっていくのか始まっていかないのかということで、ぶつかっている危機です。だから単なる危機ではないわけです。同朋会運動をやったからこそ見えてきた課題を本当に受け止めて、更に展開していけるかどうかという意味での危機です。
 現代の状況的には、オウム真理教の事件が、新々宗教の更に新々々宗教ということの問題を象徴しています。宗門が同朋会運動を展開してきて、オウム真理教の提起した問題を受け止めながら今一つの壁にぶつかっている。課題がはっきりしたからこそ、一歩踏み出して行けるのかという問題を抱えています。またオウム真理教の事件が象徴している問題と重ね合わせながら、今どのような時代になってきているのか。その時代の中で、本当に親鸞聖人の教えを生きているのか。そういう問題を突きつけられているというのが現代の状況です。
 現在非常に慌ただしく、様々な法案が国会を通っていくわけです。ガイドライン法案、盗聴法、また君が代・日の丸の法制化が国会を通っています。この前の「朝日新聞」には、「君が代」の「君」は、はっきりと象徴天皇なのだということをトップ記事で出しています。「君が代」に何となく反対だということではなく、「君が代」の「君」は象徴天皇を指すと公にしてしまったわけです。その中で、「君が代・日の丸の問題に対して、貴方はどうするのか」という問題もあります。
 先程も言いましたが、現在は新々々宗教の時代に入っています。オウム真理教が象徴している問題は、新々々宗教は現世利益を説かないということです。一つ前の戦後の新々宗教の時は現世利益を説きました。創価学会に代表される宗教団体は現世利益を教化の中心としました。新々々宗教は現世利益を説かない。どうしてかと言うと、現世利益を説く時には、現世を前提にして利益を説く。現在は、その現世そのものが崩れているわけです。現世そのものが崩れているわけですから、現世を前提にした利益を説いてみようがないわけです。その現世が崩れているということは、我々は何処から来て、何処に行くものか分からなくなったということです。何処から来てというのは、前生・前世に関わる問題ですし、何処に行くのかというのは、後生・後世に関わる問題となります。「今ここ」というのは、何処から来たのかという意味で前生・前世の問題をはらんでいるわけですし、何処に行くのかという意味で後生・後世の問題をはらんでいる。その時に初めて現生・現世ということが定まってくると同時に、意味を持ってくるわけです。そういう意味で、何処から来たのか、何処へ行くのかということが分からなくなってしまったという形で、現世が崩れてしまったわけです。そうすると、現世利益を説いてみようもないし、むしろ安心して生きていくこともできない。何処から来たかという現世がはっきりしないということは、私自身がはっきりしないということになってしまいますし、何処へ行くのかということがはっきりしないと、安心して死んでいくこともできない。そういう意味で「三世観」が崩壊しているわけです。
 戦前は「三世観」があったわけです。その戦前の三世観が敗戦を通して問題があると言われる中で、五十年経って戦前の三世観そのものが分からなくなったと言いますか、崩れてしまった。ある意味で、急速に科学技術が進むとか生命科学が進歩する中で、人間が非人間化されていくわけです。戦前のような三世観が、人間が非人間化されていく中で、通用しなくなってきている。そういう側面もあるわけですし、特に現在は老齢化社会が進んでいますから、老人問題というのは老人自身が自分の死を死んで往かねばならないということですし、家族にしてみれば、死んで往かねばならない老人を死んで往かせなければならないという問題を抱え込んでいるわけです。死んで往く者にすれば、死んだら何処に往くのかということは一番はっきりさせたい事ですし、死んだらどうなるのか、死んだら何処に往くのかということを聞かれた時に、死んで往かせる側もそのことがはっきりしていなければ、答えてみようがないわけです。そういう意味では、死んだらどうなるのか、死んだら何処に往くのかということは、何も死んだ後の話ではなく、死んで往く者にとっては安心して生き、安心して死んで往くことに関わる問題です。また死んで往かせる者にとっては、そのことがはっきりしていないと対応できないわけです。そのことをはっきりさせて欲しいという要求がある時、ごまかしがきかない。そういう意味で、曖昧な形であるような三世観は間に合わないわけです。死んだらどうなるのか、死んだら何処に往くのかということで問われた時、それに答えなければならない。そういう時代状況もあるわけです。
 死んだらどうなるのか、死んだら何処に往くのかということを、まともに決着を付けようとすると大変なことになります。成り行きとしては、死んで往った者達はどうなったのかということを確認する形で、死んだらどうなったのか、死んだ者達は何処に往ったのかということをはっきりさせる。そこにどうしても、霊魂観であるとか先祖観、他界観ということが、現在は問われているわけです。そういう時代になっているわけです。
 オウムに代表される新々々宗教は三世観を説くわけです。三世観は、何処から来て何処へ往くのかということですから、これは歴史観であったり世界観であったり、更に使命感ということをはっきりと示していくということ無関係でないわけです。
 オウム真理教の場合では破防法の問題が出てきています。オウム真理教が問題になった時に、どこで破防法が適用されるのかということが問題になり、それが公になっています。そこでこういうことが言われています。オウム真理教は、
麻原彰晃こと松本知津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び信徒、信徒を指導する者その他の同教義に従う者によって構成されている団体(「公安調査庁告示第一号」岩波ブックレット『破防法とオウム真理教』)
であると。この団体は、
政治上の主義として、現行憲法に基づく民主主義を廃し、麻原彰晃こと松本知津夫を独裁的主権者とする祭政一致の専制政治体制を我が国に樹立することを目的としているものである。(同上)
そして、
本団体は、松本を絶対者とし、目的のためには手段を選ばず 殺人行為をも正当化する教義を盲信して、同人の意のままに行動する多数の者によって構成されている。(同上)
だから危険で問題だと。こういう理由によって「破防法」を適用するようにと公安調査庁長官の名に於いて請求しているわけです。
 ここで問題になっているのは、結局「新しい国家を造る」ということになります。オウム真理教は、新しい国家を造ろうとしていることが問題なのだと。新しい国家というのは、新しい三世観を持つということです。我々は何処から来て何処に往く者かを説く時に、世界観とか歴史観とか使命感を示していくわけです。三世観ということは、単に宗教の問題ではなく、既存の三世観に依って成り立つ国家そのものを否定するということになります。というのも、国家そのものが三世観を持って成り立っているからです。国家の成立の根拠に建国神話を持つわけです。その建国神話が三世観を示すものなのです。我々は何処から来て何処へ往く者なのか、どういう使命を持つ者なのか。その使命の為に、我々は生きているのだと。そういう意味で、国家が成り立つ根拠に、建国神話としての三世観を持って、安心して国民が生きて死んでいけるようにして国家は成り立っているわけです。
 現在、宗教の問題というのは三世観が問われているということになっています。それは国家問題とか民族問題と深い関係があります。それが今の宗教状況です。ですからオウム真理教が象徴している問題は単に宗教問題でなく、三世観が問題になっている宗教状況があって、それは国家問題とか民族問題そのものが問題になっているのだと言えます。そういう意味で、国民が三世観が曖昧になってしまうと国家そのものが崩壊してしまいます。元々国家は三世観を持って成り立っている。
 日本に色々な宗教があるけれども、根底を支えているのは国家を支えている三世観です。これが神道──国家神道です。今は三世観が曖昧になるということで国家も危機なのです。ですから当然、宗教問題として国家問題が問われているわけです。君が代とか国旗ということは、単なる宗教儀式の問題ではない。非常に根が深い問題です。ガイドライン法案でもそうです。あれは戦争を前提にした法案です。そこには国家を守るということがあるわけです。そういう現代の宗教状況というのは日本だけに限ったものではなく、世界的にある問題です。例えばコソボの問題をよく見ていけば、民族問題は宗教問題だということが分かります。ですから三世観が違う場合、相手の三世観を認めると、その世界観そのものが相対化してしまう。必ず三世観が違う場合、相手を潰すしかない。自分を絶対化するしかないのです。現在の戦争は、全て宗教戦争です。
 戦後五十年経って、かつてあった三世観が崩壊し、新しい三世観が生まれない。すると国家そのものが成り立っている根拠の三世観が曖昧になり、国家そのものが崩れてしまう。そういう中で、民族宗教としての国家神道というものが、今改めて問題になっている状況です。これがオウム真理教によって象徴される問題―破防法の問題です。何故オウムを潰すか。それは国家の基盤を揺るがす宗教だからだと。そういうことを見極めておく必要があります。





02、国家神道の示す三世観

 よく注意してみますと今は儒教ブームです。これは皆さんも気が付いておられるかもしれません。加地伸行という大阪大学の先生ですが、儒教を『沈黙の宗教』という形でまとめて出版されました。これが大変よく読まれたわけです。これまでにも何回も儒教が問題になりましたが、今は儒教が非常に大きな問題として取り上げられている。
 儒教とは何かと言う時、そこには儒教が持っている独自の三世観があるわけです。霊魂観とか先祖観とか他界観です。儒教の場合は、絶対に火葬にしないことが原則です。そこには独自の霊魂観があるわけです。死んで往った者は、身体・肉体にも霊が宿っている。そういう身体・肉体に宿っている霊を「魄」といいます。この魄は地に沈んで鬼となる、こういうように言われています。精神・心に宿っている霊は「魂」です。これは天に昇って神となる。「鬼神」というのは、ここからくるわけです。こういう肉体であるとか精神に宿った霊を分散させないように、一個所に留めておく。それが「墓」、「祠堂」、「廟堂」です。墓は墓石を中心とした場所です。祠堂は位牌を中心とした場所です。「祠堂経」というのはここからくるわけです。廟堂というのは木像・尊像を安置する。墓や祠堂や廟堂に、その者の魂魄を分散させないように集めておいて、祀っていくわけです。つまり招魂再生です。祀ることによって、その者を呼び戻していきます。これが「孝」です。孝道というのは、亡くなった者を招魂再生して祀っていくことです。当然、亡くなった者を先祖として祀っていくということです。亡くなった先祖と先祖を祀る子孫、つまり死者と生者が出会うていく、これが祭です。これが儒教の、素朴であるけれども根本にある問題です。霊魂観、先祖観、他界観です。
 オウム真理教でもそうですが、今の宗教は、仏教であっても、それが小乗であっても、大乗であっても、霊魂観というものを持たざるを得ないということがあります。仏道というのは、煩悩を断じて涅槃を得るということが、小乗、大乗を通しての課題です。その為に徹底して修行をしていくと。その修行は、聖道門、自力の教えは教・信・行・証です。浄土真宗の場合は教・行・信・証です。教信行証というのは、教えを信じて、教えに説かれた行を自ら行じて、証を得るわけです。行が中心となる。これが聖道自力の教えです。徹底して行を行じて証を得ると。行証です。親鸞聖人は、
聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり。(後序『真宗聖典』(以下『聖典』)P398)
と言われるわけです。浄土真宗の場合、行は如来によって選択され回向された念仏ということです。ですから行はあるわけです。あとは信です。念仏を取って、信じたてまつるかどうかという問題ですから、信が中心です。行が中心の教えは聖道自力の教えです。信が中心の教えは浄土真宗の教えです。信心が決定したかどうかは、行に就いて信を立てる―就行立信です。南無阿弥陀仏をとって、信じるのか信じないのかの問題です。衆生往生の行としては念仏です。ですから改めて行を云々することはないのです。ここにはっきりと、行を中心とした教えと信を中心とした教えの違いがあるわけです。
 ですから聖道自力の教えでも小乗仏教の教えでも、煩悩を断じて涅槃を得る為に、徹底して行を展開していくわけです。その中で、なかなか涅槃を得ることができないと、生まれ変わり死に変わりしてでも、涅槃を得る為、成仏を全うする為に修行が繰り返されていくわけです。そこに輪廻転生の問題があります。どういうふうに輪廻転生するのか。四有説などもあって、中有などは輪廻転生を決定するという意味をもってくるわけです。そうすると、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を輪廻しながら、徹底して修行して、涅槃を得て仏と成ると。その時、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道でも、地獄・餓鬼・畜生を三悪趣、人・天を善趣と言います。法蔵菩薩が浄土を建立される為の最初の願は「無三悪趣之願」です。「国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」と。それは人・天に対しての願です。「国中人天」として浄土は展開していくわけです。何故無三悪趣なのかと言うと、浄土は道場だからです。源信僧都は、はっきりと「見仏聞法楽」だと言われています。そして「増進仏道楽」だと。五濁無仏の世であると、仏道修行をしようとしても仏がおられない。そうすると仏道そのものが修行できない。だから浄土往生して、阿弥陀仏の下で仏道を修行していこうということで、浄土往生が願われるわけです。何故浄土なのかと言うと、非常に素朴ですが無仏の世なのだと、そうすると修行できないではないかと。阿弥陀仏の浄土に往生して阿弥陀仏に会いながら、阿弥陀仏に教えられて、自らの仏道を成就したいということから浄土往生が願われるということです。
 地獄・餓鬼・畜生の無い世界、無三悪趣が何故願われるのかと言うと、聞法できないということです。仏の教えを聞くことができるという意味を持つのが人・天です。ですから、何としてでも人・天に生まれ、聞法をし修行を徹底していく。仏に成る為に、人・天に生まれることを願いながら輪廻していくわけです。そういうことを中心とするのが、聖道自力の教えであったり、小乗仏教の教えなのです。ですから六道輪廻であるとか輪廻転生ということを非常に強く言うわけです。ですから、儒教の教えは招魂再生ですし、仏教の教えは輪廻転生だと。そこには、霊魂観とか他界観とか先祖観というものを持っているわけです。
 日本の場合は神道ということがあるわけです。様々な宗教がありますが、仏教といっても民族宗教としての神道の中に収められてしまっているところがあります。それをはっきりと見極めなければならないということあります。戦後五十年経って、仏教と言うているけれども、それは民族宗教としての神道の中に全て収まってしまっているということがあるのです。儒教―招魂再生という先祖祀りを中心とする教えと、仏―教輪廻転生を中心にしながら、断煩悩得涅槃を願う教え、これを一緒にしたのが、日本民族の習俗としての神道です。
 神道の場合は、霊魂観も先祖観も他界観も持っているわけです。神道の大きな問題は、死を穢れとして忌むということです。柳田国男も、「神道を一言で言うなら、死を穢れとして忌むということと、先祖を祀るという二つになる」と言っています。死を穢れとして忌むということは、亡くなった者の霊というのは、亡くなった時に体から離れていくわけですから、霊そのものが死によって穢れているという問題を抱えているわけです。同時に罰の問題です。神道では罪ということは言わない。罰です。死によって穢れ、色々な罪(罰)の問題を抱えてるいのが、亡くなった者の霊だと。それを浄化していく。浄化していくにあたって、精進ということがありますが、浄化食といって、親しい者が精進することによって亡くなった者の霊が抱え込んでいる穢れを浄化していく。民俗学の方では浄化食ということをいいます。精進することによって死者を浄化していくのだと。また罪の穢れ、罰の穢れを抱え込んでいる者を、追善回向することによって浄化していく。三十三年祀ることによって、完全に死の穢れ、罪の穢れが浄化して、その者は仏に成ったのだと。その者は成仏したのだけれども、それは我々の先祖であると。儒教的に言えば、それは先祖ですし、仏教的に言えば、成仏した仏です。この三十三年のことを江戸時代は「清浄忌」と言いました。この清浄忌というのは、穢れが浄化されて先祖に成る時という意味です。ですから三十三年までは卒塔婆を立てます。三十三年が済むと、先祖墓、家墓に移すわけです。家の先祖に成ったのだと。同時にそれは成仏したのだと。そういう意味で、三十三年の勤めをすることによって、先祖を仏にさせると同時に家の先祖として祀っていくのだと。これが神道です。これが仏教的に行われても、死者を先祖にしていく、仏にしていく一つの過程にすぎません。
 問題なのは、日本の家というのは先祖のおられる場所を家と言いますし、その家とか先祖と言う時は、現在も問題となっていますが、家柄とか血筋ということが問題になってしまう。先祖には秩序があるわけです。その秩序というのは、天皇家の先祖である天照大神を皇祖神とし、この皇祖神を中心としたそれぞれの先祖の秩序です。江戸時代は仏事が盛んでした。その時の中心は位牌です。また本尊が天牌なのです。天皇の尊牌を中心とした位牌です。ですから非常に問題があるのは、位牌というのは死者の霊位を表すものです。牌とは、皆に公に示す物です。死者の戒名を位牌に記して、それを先祖として祀っていく。仏に成られたのだと言うけれども、家の先祖なのだと。その先祖は、天皇の先祖の天照大神を中心とした序列の中での先祖なのだと。江戸時代、位牌に記される戒名には仕組みがあるわけです。仕組みというのは、世間の仕組みを担わせる形で、位牌に戒名を記す仕組みです。ですから、三十三年経って仏に成られたのだけれども、それはやはり家の先祖だということです。こういう形で祀っていく祀り方というのが、神道の持っている大きな問題です。
 そういう問題を抱えているのが日本の民族宗教としての神道の問題です。神道の持っている先祖観、他界観である「あの世」ということと浄土が重なってしまうわけです。神道の盛んな地方ならば、はっきりと高天原に帰られたという言い方をします。「あの世」というのは先祖の住む世界です。浄土というても「あの世」としての浄土という意味があります。
 このような神道の問題、これが日本の三世観です。これが戦後五十年経って崩れてきた。そうなると、帰る所はどこへ帰るのかというと、もう一度その三世観を回復するのだと。そうなると神道が復活するということになります。仏教が復活しているようにみえても、基本にあるのは日本の国家神道であると。そういうことが、現在見えてきたということだと思います。
 現在は宗教の時代だと言われるけれども、結局その宗教とは三世観が問題になっているのです。新しい三世観が欲しいという要求がある時、浄土真宗の三世観をはっきり示していけば、一つ間違えば親鸞聖人当時の法難―破防法を適用されることがあるかもしれません。第二期同朋会運動をスタートしていくということは、浄土真宗の三世観をはっきり示していくしかないのです。それが言えない時、日本民族が持っている三世観の中に、もう一回帰っていくことになります。そうすると戦後の総括とは何だったのかということになりかねません。



ちくまライブラリー『沈黙の宗教──儒教』加地伸行

『往生要集』巻上欣求浄土、『真宗聖教全書(以下聖教全書)一』三経七祖部P770
「第八に見仏聞法の楽とは、今此の娑婆世界は、仏を見たてまつりて法を聞くこと甚だ難し。(略)かの国の衆生は、常に弥陀仏を見たてまつり、恒に深妙の法を聞く。」

同上P773
「第十に増進仏道の楽とは、今此の娑婆世界は、道を修めて果を得ること甚だ難し。」





03、和国の示す三世観

 今回は、「真宗門徒の国家観」という大きい問題を立てました。これはやはり禁忌のようなものです。門徒は政治に関して物を言わないという。そういう意味で、国家観というのは禁忌のようなものでしょう。けれども、これまで国家観というものがはっきりしなかったということがあります。親鸞聖人は国家の問題を問題にされましたが、その親鸞聖人が問題にされた国家の問題を、取り違えてしまったという歴史の事実があります。親鸞聖人の国家観、門徒の国家観というものを総括していかないと、これから対応できないのではないかと思います。これからは国家観が問われる時代です。君が代一つそうですし、国旗一つそうです。門徒としてそれらの問題にどう対応するのかが問われます。それはやはり国家観に関わる問題です。
 死んだら浄土だという場合は何も問題ありません。しかし、信心決定の時に即得往生だと、浄土は死んだ後の問題ではないのだと、そこに現生正定聚、必至滅度という親鸞聖人の教えがあるのだと。一人一人のうえに浄土が顕らかになって、始まっていくのが浄土真宗なのだということになると、死んだ後の問題ではない。だから浄土が開かれたものとして、どのように国家問題に物が言えるのかということがこれからの問題です。
 親鸞聖人の場合、国家の問題にはっきりと触れておられる文章があります。それは『御消息集(広本)』の七通目です。「七月九日」と月日しか記してありませんが、これは康元二年だということが定説になっています。このお手紙の最後の方に、
詮じそうろうところは、御身にかぎらず、念仏もうさんひとびと、わが御身の料は、おぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし。(『聖典』P568)
という、こういう言葉あります。この「朝家の御ため国民のため」というこの言葉が、何時でも国家問題が出てきた時、親鸞聖人がこのように言うておられるのだということで、国家に尽くしていくのだという態度決定を教団が採ったということがあります。この言葉を金科玉条のようにして、親鸞聖人がこう言われているのだということを盾にして、国家問題に突き進んだということがありました。
 この問題が象徴的に出たのが、昭和十七年十二月八日付けで「軍人遺家族御中」として、軍人の遺家族に対して、「東本願寺善知識」の名に於いて出されている「消息」注があります。その時、「小名号」注という名号が一緒に出ているのですが、南無阿弥陀仏を囲む形で、親鸞聖人の「朝家の御ため国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」という言葉が書いてあるのです。慰霊祭等を勤める時に、この名号を掛けて、そしてこの「消息」を読むということが行われていました。私は九州の久留米で実物を見て驚きました。それも軍人遺家族に宛ての手紙で、昭和十七年十二月八日付けの「消息」と同じ言葉がありました.
我が御身の料は 思召さずとも朝家の御ため国民のために念仏をまふし合せ給ふべしとの祖訓を体したるすがたといふべし これまことに深遠なる 皇恩仏恩に報ずる所以にしてまた殉国の将士に対する追恩のつとめたるべきものなり
とあります。結局国の為に死んでいかれたということは、皇恩に報い仏恩に報いる尊いことだとして、それを慰め讃嘆していく言葉として、親鸞聖人の「御消息」の言葉が使われていたということなのです。
 親鸞聖人の晩年、親鸞聖人と縁のあった関東の念仏者達が「建長の法難」という法難に遭われます。その法難が少し収まった後に出ているのが、康元二年七月九日の「御消息」です。その書き出しの所は、
六月一日の御文、くわしくみそうらいぬ。さては、鎌倉にての、御うったえのようは、おろおろうけたまわりそうろう。(『聖典』P568)
となっています。この「鎌倉」というのは幕府です。鎌倉幕府から性信が呼び出されて糾明されたという事実が、この親鸞聖人のお手紙の中でも分かるわけです。
 更に『御消息集(広本)』の九通目、「九月二日 念仏人々御中へ」という手紙があります。これは、建長七年のお手紙です。古田武彦という方が『親鸞の思想』という本を出しておられます。この本が出た時は非常に大きな話題を呼びました。この本の中で古田さんは、九月二日の「御消息」を「建長の事書」だと言われています。それは読めば直ぐに分かるわけです。
まず、よろずの仏・菩薩をかろしめまいらせ、よろずの神祇・冥道をあなずりすてたてまつるともうすこと、このこと、ゆめゆめなきことなり。(『聖典』P571)
と。「こと」というように言われているわけです。万の仏や菩薩を軽しめる、万の神祇や冥道を侮りすてることは、あってはならない「こと」であると言われています。そして次の頁に「つぎに」という言葉があります。
つぎに、念仏せさたまうひとびとのこと、弥陀の御ちかいは、煩悩具足のひとのためなりと、信ぜられそうろうは、めでたきようなり。ただし、わろきもののためなりとて、ことさらに、ひがごとをこころにもおもい、身にも口にももうすべしとは、浄土宗にもうすことならねば、ひとびとにもかたることそうらわず。(『聖典』P572)
万の仏・菩薩を軽しめるな、万の神祇や冥道を侮りすてるなという事と、後の方は、造悪無碍の異義を正されている、この二つの事はあってはならない事だと親鸞聖人は言われています。親鸞聖人は関東の念仏者に対して、この二つの事はあってはならないと知らせておられるわけです。古田さんが言われる「建長の事書」というのは、我々はこの二つの事に関して問題を持つ者ではないと文書にして提出した。二十四輩というのは、その時に署名した者達なのだということを、論じておられるわけです。丁度これは、親鸞聖人が法然上人の下で学習しておられる時、比叡山の念仏者は色々と問題があるという訴えに対して、法然上人が七ヶ条にわたって起請された『七箇条の制誡』と同じことであると、古田さんは読まれたわけです。
 関東で念仏者達が、どのような理由で迫害されているのかが、これを見ると分かるわけです。親鸞聖人は、仏や菩薩を軽しめる事や神祇や冥道を侮りすてる事、造悪無碍に暴走することを戒めておられる。そうすると、神祇冥道を侮るとか造悪無碍に暴走すると、世間から厳しい批判を受けていく。ですから、我々はそういう者ではないということを鎌倉幕府にも知らせ、親鸞聖人もそういうことはあってはならないと言われています。しかし実際には、鎌倉幕府で訴訟が起きるというように、法難が及んでしまうわけです。
 この手紙に加えて『御消息集(広本)』の十二通目もあります。「正月九日」の日付になっていますが、これは康元二年の正月九日であるということです。この手紙をみますと、念仏者に対する弾圧が厳しくなってきているということが分かるわけです。そこで親鸞聖人が言われているのは、
さては、念仏のあいだのことによりて、ところせきようにうけたまわりそうろう。(『聖典』P576)
と。「ところせき」というのは、念仏者達がもうその場所におれなくなって、厳しい状態に追い込まれているということが親鸞聖人へ知らせがあって、そのことを案じておられるということです。更に親鸞聖人は、その人達に対して、
そのところの縁つきておわしましそうらわば、いずれのところにても、うつらせたまいそうろうておわしますように御はからいそうろうべし。(『同上』)
その土地におれなくなってしまう程の迫害が行われてきた。そうすると、その土地におれなくなったのならば、何処へでも移って行って、念仏の申せる所で生きて死んだらよいのだと言われてます。そこまで状況が厳しくなっているわけです。建長七年の「まず」とか「つぎに」というときには、それ程厳しい状態ではないのですが、ここでは非常に厳しい状態がきて、その土地におれなくなる程に追い詰められてしまった。親鸞聖人はそれに対して、それなら何処でも移って、念仏を申す中で生き死んだらいいと、こういうことを言われているわけです。
 そして今の言葉の直ぐ後に、
慈信坊がもうしそうろうことをたのみおぼしめして、これよりは余のひとを強縁として念仏ひろめよともうすこと、ゆめゆめもうしたることそうらわず。きわまれるひがごとにてそうろう。 (『同上』)
慈信坊というのは、親鸞聖人の長男の慈信坊善鸞です。この慈信坊善鸞が、関東の門弟に対して、「余のひとを強縁として念仏を広めなさいと父親鸞は言うているからそうしなさい」と勧めているわけです。これが慈信坊善鸞が抱えた問題です。「余のひと」というのは、当時の守護であるとか地頭であるとか名主です。この人達は当時の権力者です。この権力者は先祖を大切にしているわけです。先祖を大事にしているということは、神祇・冥道を大事にしているということです。先祖を神として祀っているわけです。「強縁として」ということは手を結んでということです。そういう権力者と手を結んで、念仏を広めたらよいのだと父親鸞は言うていると善鸞は言うて、関東の門弟を混乱させたということがありました。そういうことは、「ゆめゆめもうしたることそうらわず」──自分が言うたことはないし、「きわまれるひがごとにてそうろう」──あってはならないことだと、親鸞聖人は言い切られています。状況が厳しくなった時、念仏をはっきり言い切っていかないと、権力者と妥協していくということが起こります。これは完全に鎮護国家です。日本の仏教そのものが鎮護国家の流れにあります。仏教が渡来した当時から、仏教とは国家を鎮護する教えなのだとされています。親鸞聖人が比叡山から迫害を受けられるのも、念仏の教えは鎮護国家の教えではないと言い切られたからです。そこに逆転していくことを、善鸞は勧めているわけです。それに対して、親鸞聖人はあってはならないと言われています。
 更に先程の「御消息」の中で、念仏者が混乱している理由を、
それも日ごろのひとびとの信のさだまらずそうらいけることの、あらわれきこえそうろう。かえすがえす、不便にそうらいけり。(『聖典』P577)
と。そして、
ひとびとの信心のまことならぬことのあらわれてそうろう。よきことにてそうろう。(『同上』)
と言われています。善鸞の言葉で人々が混乱しているのは、信心がはっきりしていないからだ。それが現れているのだ。不便なことではあるけれども善いことだと、言い切っておられるのが、この言葉です。善鸞は体制の中に入って体制に尽くして、念仏を生かしたという問題があって、義絶されたということです。ここではっきり、何故迫害を受けるのか、何故善鸞を義絶されたのかということが出ています。
 こういうお手紙を踏まえて、もう一つ大事な意味を持つ「御消息」が、『御消息集(広本)』の十三通目にあります。これは日付がはっきりしていないのですが、一番最初に言いました康元二年七月九日付けの「御消息」よりも後に出ているお手紙であるということが分かります。何故そういうことが分かるのかと言うと、鎌倉での訴えが収まったということが出てくるからです。
念仏のうったえのこと、しずまりてそうろうよし、かたがたよりうけたまわりそうらえば、うれしうこそそうらえ。いまは、よくよく念仏もひろまりそうらわんずらんと、よろこびいりてそうろう。 (『聖典』P578)
とあります。鎌倉の訴えに対して、性信坊が適切に対応して、逆に念仏のことが相手に分かってもらえて、念仏が広まっていく兆しがあるようで、非常に喜ばしいことだと親鸞聖人は言われています。それに続けて、
これにつけても、御身の料はいまさだまらせたまいたり。念仏を御こころにいれてつねにもうして、念仏そしらんひとびと、この世のちの世までのことを、いのりあわせたまうべくそうろう。御身どもの料は、御念仏はいまはなにかはせさせたまうべき。ただ、ひごうだる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかいにいれとおぼしめしあわば、仏の御恩を報じまいらせたまうになりそうろうべし。よくよく御こころにいれてもうしあわせたまうべくそうろう。聖人の廿五日の御念仏も、詮ずるところ、かようの邪見のものをたすけん料にこそもうしあわせたまえと、もうすことにてそうらえば、よくよく、念仏そしらんひとをたすかれとおぼしめして、念仏しあわせたまうべくそうろう。(『同上』)
と。「聖人の廿五日の御念仏」というのは、法然上人の命日です。法然上人の命日に、縁ある念仏者達が、それぞれの道場に集まって、そこで念仏を申し合わせていたと。「念仏そしらんひと」の為に、また「ひごうだる世」を本当に仏法が広まる世にしていく為に、そのことを確認し合って念仏相続していくことをお互いに申し合わせたというのが、「廿五日の御念仏」です。
 『御消息集(広本)』の七通目に戻りますと、「朝家の御ため、国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」というのは、念仏を謗るような者に、念仏の誓いに入れと念仏を勧めていくのが報恩なのだということになります。念仏を謗るような者に念仏を勧めてこそ、それは報恩になるのだということを、繰り返し繰り返し親鸞聖人は言われていくわけです。この言葉の意味を「国家の為の念仏」と言うてしまえば、それは善鸞の陥った問題と同じになってしまいます。ですから親鸞聖人が、「朝家の御ため、国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」と言われるのは、善鸞が「余のひとびと」を縁として念仏を広めようと言ったのと同じことではないのだと。親鸞聖人はむしろ、念仏の教えがはっきりしない為に問題が引き起こされる時、念仏を弾圧する、念仏を謗る人々に、どうか本願に出遇うて欲しいと勧めて、「朝家の御ため、国民のため」になるのだと言われているわけです。
 つまり近代以降の教団は、逆の読み方をしているわけです。しかもそういうことを、堂々と言うておるということがありました。そのことの総括もはっきりとできていないわけです。そういう問題を抱えながら、国家が問題になった時、ここの親鸞聖人の言葉、この「御消息」を親鸞聖人の心に適うように読んでいかねばならないと思います。
 この「御消息」は、親鸞聖人が深い意味を込めて語っておられることが分かります。それは、承元の法難の時、法然上人と共に流罪になられたことを思い起こしておられるわけです。それは、
このようは、故聖人の御とき、この身どもの、ようようにもうされそうらいしことなり。こともあたらしきうったえにてそうろうなり。(『聖典』P568頁)
とあることによって分かります。「そうろうなり」は「そうらわぬなり」の間違いということは、この言葉を読んでいけば分かります。そして次に、
さればとて、念仏をとどめられそうらいしが、世にくせごとのおこりそうらいしかば、それにつけても、念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころいれて、もうしあわせたまうべしとぞおぼえそうろう。(『同上』)
とあります。「さればとて、念仏をとどめられそうらいしが」というのは、承元の法難の時、後鳥羽上皇が念仏を禁止されて、吉水の教団を解体されたことを言うておられるわけです。念仏者を迫害し、念仏を禁止された後鳥羽上皇の当時に「世にくせごと」があったと。この「世にくせごと」とは承久の乱のことです。後鳥羽上皇が鎌倉幕府と戦闘状態に入られて、結局は敗退して隠岐島に流されてしまった。つまり承久の乱という、上皇が流罪に処せられるという、国家がひっくり返るような大きな出来事があった。それも親鸞聖人からすれば、後鳥羽上皇が念仏を禁止されるということがあったから、こんな大きなくせごとがあったのだという読み方をしておられます。そういう意味では、何ととしてでも念仏を相続していかねばならない。その事の他に「朝家の御ため、国民のため」はないという意味をもって、この事件を見ておられます。
 しかもこれは、「朝家」と言っても、神国としての「朝家」ではないのです。「和国」としての「朝家」なのです。親鸞聖人自身が、聖徳太子を「和国の教主聖徳皇」と讃嘆されています。聖徳太子は『十七条憲法』に拠って国を造られた。しかも『十七条憲法』の中での仏法というのは、如来の悲願だと言い切ってしまわれるわけです。聖徳太子は本願念仏の仏法に帰依することに拠って、国家造りをされた。それは「和国」なのだと。国家と言うても、天照大神から始まる国家ではありません。親鸞聖人は、聖徳太子から始まる国家のことを言っておられます。
 これは、はっきりと親鸞聖人自身が非常に珍しい言葉で、自分を名告っておられるところが一個所だけあります。それは、『尊号真像銘文』の中です。親鸞聖人の晩年、道場に親鸞聖人の真影が掛けられていて、その讃文として『正信偈』が記してあったのを、親鸞聖人自身が解説しておられる文です。
和朝愚禿釈の親鸞が『正信偈』の文(『聖典』P530)
と。このことは前回も申し上げました。この「和朝」というのは「和国の朝家」であって、神国の朝家ではない。ここで親鸞聖人の国家観がはっきりしています。神国としての国家観ではない。和国としての国家観だと。それなのに、「朝家の御ため、国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」を「神国としての朝家」と読んでしまったのです。これは親鸞聖人が義絶された、善鸞の立場です。そういうことが、先程言いました「軍人遺家族への御消息」に、親鸞聖人のこの言葉を歪曲して解釈をした意味で載せていますし、「小名号」の脇にまで書いています。
 そういう国家観を引きずっていたのを、親鸞聖人の為にも、はっきりと総括しなければなりません。何時も、仰せでないことを仰せであるとしながら、「私」を持ち出して、「私」を権威にして、みんなを狂わしているのではないかと思われます。
 そういう大きな問題提起が、ここにはあります。国家観が問題になる中で、親鸞聖人の国家観、門徒の国家観が何時もつまずいてきた。これから国家観が問題になる中で、今度はつまづかないように、親鸞聖人の国家観、門徒の国家観を一人一人がはっきりさせなければならない。浄土真宗を言い、親鸞聖人を言う時に必ず国家観の問題は出てくるわけです。「門徒とはどのような国家を願うのか」ということが問われているのではないかと思います。
 少し休憩を致します。



「軍人遺家族に対する御消息」
「抑も八紘共に一家の睦びを語らひ 萬邦互に兄弟の誼みを敦くせん とするは わが肇国の古よりして定まれる国是にして 歴代ひと しく経綸したまふところなり
かるがゆえに このたびの戦に於ても 東亜の安定を確保して 以 て世界の平和を現はさんとの
大御心を奉戴して一億臣民みな悉く一死報国の至誠をあらはさざ るはなきなり
然れば則ち この時にあたりて聖戦にしたがひ幾多の艱難をしのぎて しかも遂に身命を 皇国に捧げられたる将士の誠忠を念ひては 轉た感謝の涙にむせび その勲功を仰いでは感激抑へ難きところなり
惟ふに人誰か死なからんや しかも一死 君国に殉じ 還りて護国の英霊となる まことに 皇国に生を享けたるものゝ歓びとも云ひつべく これら将士を出されたる一門の栄誉これにまさるものなかるべし
さりながら人誰かまた恩愛の涙なからんや よくこそ み国のために死せしと讃むるも遺族の心なるべし またひそかに涙ぬぐはるゝも同じく遺れる人々のこゝろなるべし
然りと雖も今は追慕の涙をそのまゝに護国の英魂を安すべきものゝ涙たらしむべき秋たり 則ち吾等もまた彼の大義に己を滅せし崇高なる精神を仰ぎて深くわが身を省み各々の分に於て 皇謨を翼賛し奉りてその報国の志を継承せずんはあるべからず ことに真宗に流れをくむもの諸苦毒中 我行精進 忍終不悔の 法蔵菩薩の願行にかんがみ 片時もいそぎて念仏得堅固の信心を決定し速かに生死超脱の法悦を味得すべきものなり
これ承詔必謹背私向公の 聖訓を畏みわが御身の料は思召さずとも朝家の御ため国民のために念仏をまふし合せ給ふべしとの祖訓を体したるすがたといふべし これこそまことに深遠なる 皇恩仏恩に報ずる所以にして また殉国の将士に対する追恩のつとめたるべきものなり
  昭和十七年十二月八日
    本願寺善知識  印
軍人遺家族御中」

「小名号」(イメージ)











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