■ コラム ■
今、佛
値うことを得て
また無量壽佛の
声を聞きて
歓喜せざるものなし
──『大無量壽經』より──
 子どもの頃、二十一世紀などSFの世界、遠い未来の世界だと思っていた。だから今が新世紀の起点なのだと言われても、ピンとこないものがある。
 私たちが子どもの頃に聞かされた新世紀は、人間と自然と機械の調和のとれた輝くような未来だった。ところが、本当の「今」は、人間が機械を使って繁栄させてきた社会が自然を破壊していく。それも目に見えて地球そのものを殺していくような状況である。また豊かで便利で快適で、金さえ払えば何でも買えることが、それほど幸福なことでもないことも明らかになってきた。昔は終わることがないと思っていた経済成長は破綻をきたした。
 挙げれば切りがないほど不安材料があり、希望を持てず、閉塞感の中で生活している。これがフィクションではない、本当の新世紀の起点、本当の「今」なのである。
 しかし、「今」に対して絶望し逃げる生き方、「今」を生きることから責任を放棄し刹那的に生きる生き方が、後世に伝えられる私たちの生き方でよいのだろうか。
 私たち一人ひとりが、「今」と向き合い、「今」を背負い、「今」を我が時代として生き切ってこそ、子孫の世代に、時代を渡していけるのではないだろうか。
 宗教とは、一人ひとりの人間が、それぞれの生きる現場に責任と自覚を持つことを促すものであると言える。

■ True Living ■
覚の会11月例会講話録(2000/11/19)
──山本隆師──
 親鸞(しんらん)聖人は、世間の中で、思想家として宗教家として高く評価されています。現代でも通用する理論を展開されているわけです。しかし親鸞聖人はもてはやされているのに、「真宗」は流行っていません。親鸞聖人の思想のどこが受けて、どこが受けていないのでしょうか。
 親鸞聖人の思想の何が受けているかというと、親鸞聖人の平等の教え、「平等観」です。『歎異抄』の中に、「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」とあります。阿弥陀如来の本願は、年寄り・若者、善人・悪人、男・女、貧・富、生まれがどうなのかなどを、簡ばないということです。身分差別が厳しいインドで発生した仏教は、本来身分差別を超えていく教えでした。親鸞聖人はその平等観をしっかりと受け継がれているわけです。
 現在の日本では「法のもとでの平等」が強く言われています。その中で平等ということの中味が問われ、子どもの頃から平等についての教育を受けている。その平等ということを大切にしていこういう現代に価値観と、親鸞聖人の平等観が合っているのでしょう。
 日本の思想史、宗教史の中で、親鸞聖人ほど平等観を強く打ち出した人はないでしょう。老若、善悪、男女、貧富、貴賎等だけでなく、出家、在家の区別も超えられました。親鸞聖人は僧でありながら、妻帯肉食の生活をされたわけです。阿弥陀如来の救いということが差別なく、十方衆生、全人類に普く行き届くことを透徹されたのです。
 親鸞聖人は阿弥陀仏が十方衆生を救う根拠として、先程言いました『歎異抄』の、「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」のあとに、「そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」と書かれています。つまり罪深い、煩悩が盛んな「悪人」を救い取るために阿弥陀仏の本願はあるのだということです。「悪人」とは親鸞聖人の人間観で、人間とは煩悩を無くし清浄な生活だけを営める存在ではない。生きるために生き物を殺しもし、嘘もつき、盗むもしする存在なのだ。また自我を中心として道理に疎い存在なのだ。阿弥陀仏の本願という真の道理に出遇い、はじめてその罪を犯してしか生きられない自分自身の相が知らされる、その自覚の言葉が「悪人」です。しかし現代は、自分のことを悪人だと自覚している人はいません。阿弥陀仏の眼から見れば、悪人でない人間はいないはずなのに、私は正しい、私は間違いない、私は絶対だと、自分は善人であると思い込んでいるのが現代の日本人でしょう。
 これが、現代人が親鸞聖人の真宗を嫌う理由です。「自分は悪人である」ということを受け入れられないわけです。  時代ということで言いますと、親鸞聖人の「平等観」は追い風です。その通りであるとなる。しかし、親鸞聖人の「人間観──悪人」ということは、向かい風となります。親鸞聖人から言わせると、阿弥陀仏の本願は、悪人を助け取る本願だから、何時でも何処でも誰でも救われる平等のはたらき、平等の教えとなるはずなのですが、これを分けて考え、良いところ取りをしているのです。
 「悪人」ということが見えなくなってきた理由として「戒律」の喪失ということが挙げられます。不殺生戒を筆頭にある仏教の生活実践です。
 これは一般の人だけでなく、仏教教団そのものが戒律を見失っているということがいえるのでしょう。戦後の妊娠中絶の増加に対して、仏教界がしたことは「水子供養」です。妊娠中絶は殺人であり、あってはならないことだとコメントした仏教教団は一つもありません。
 江戸時代、真宗の盛んな地域では、自分の生活の都合で生まれた赤ちゃんを生活のために殺すという、間引きをしませんでした。親鸞聖人の教えを通して阿弥陀仏のはたらきに出遇い、自らを「悪人」であると自覚した先達は、自分の生活が苦しくても、いのちを育むということをしてきたわけです。
 真宗と関わりを持つ者は、世間で受けるような親鸞聖人の「平等観」を説くだけでなく、その根拠である「悪人」ということも課題として挙げていかねばならいのでしょう。

 

■ コラム ■
分かっちゃ
いるけど 
やめられねぇ
──青島幸男『スーダラ節』より──
「分かっちゃいるけど、やめられねぇ」
 一九五〇年代に大ヒットした『スーダラ節』の一節である。時を超え若い世代でも、植木等さんが歌うこの言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。
 植木等さんの父・植木徹乗師が真宗大谷派の僧侶であったことを知る人は少ない。徹乗師は、市井の一僧侶として親鸞聖人の教えを聞き開き、部落解放運動、平和運動に生涯を尽くされた方であった。
 植木等さんは寺を離れ、東京で芸能人となった。しかし父・徹乗師は常に植木さんの活動を見守っていたという。『スーダラ節』が大ヒットした時、徹乗師は植木さんに、「『スーダラ節』の歌詞は、親鸞の教えと通じるものがある」と言われたそうだ(植木等著『夢を食いつづけた男』より)。
 確かにそうかもしれない。悪口を言うのは悪いこと。人に迷惑をかけるのは悪いこと。腹が立つのも、人を妬むのも、嘘をつくのも悪いこと。分かっていても、自分の努力でどれ一つ止めることができないのが人間の現実だろう。善い・悪いを知っている(知恵・知識)だけでは決着が付かないのが私たちの生活なのだ。
 そのような人間の姿に開き直るのか。それとも、分かっているけれども止められない人間の性根を痛みとして、悲しみとして生きて往くのか。私たちはどちらの生き方を選ぶのだろうか?。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2000/11/11.12)
──橋本保信師──
 最近は「平等」ということを、殊更強調します。その場合の平等は、違いを無くしていく方向にあるように思えます。例えば男女平等。男も女も違いがないのならが子供を産めますか。産めませんね。しかし女だけでも子供が産めない。男と女がなければ子供は産めないわけです。男女は違いがあるのが当たり前ですが、社会はそれを無視し違いそのものを無くそうとしています。
 仏教でも平等ということを申しますが、社会にある平等とは違います。世間の平等は「おしなべて」です。うどんを真っ平らにするようにおしなべるわけです。男女も老若も違いを無くしていこうということです。仏教でいう平等とは「くまなく」です。人間は規格品ではありません。一人ひとり違いがある。どのように違いがあっても、仏法のはたらきは行き届いているという平等です。
 親鸞(しんらん)聖人のご和讃(わさん)に、こういうものがございます。
  十方微塵世界の
   念仏の衆生をみそなわし
   摂取してすてざれば
   阿弥陀となづけたてまつる
私達は、まず阿弥陀様があり、それは一切衆生─全人類を救うから、私も救われると思っております。ところが親鸞聖人は、苦悩する私があって、はじめてその私を摂め取って棄てないで救って下さる阿弥陀様というものがあると言われているのです。誰でもない私が救われたということがあって、はじめて阿弥陀様のはたらきは一切衆生を救って下さることが分かるのです。
 また「念仏の衆生」を救って下さると聞くと、阿弥陀様に救われるために念仏を称えるのだ。救われるために何遍も念仏を称えなければと思いがちです。そうではない。南無阿弥陀仏のはたらきに出遇った時、南無阿弥陀仏が私の口から出て下さったその時が救われる時です。
 阿弥陀様は何故阿弥陀様に成られたのかというと、苦悩している全ての衆生を救うために阿弥陀様に成られた。阿弥陀様は四十八の誓願を建て、それを全て成就しなければ「阿弥陀仏」には成らないと誓われました。その四十八の誓願は全て、苦悩する衆生が安心し落ち着けるようにという誓いなのです。その手だてとして、我が名を称えよ、南無阿弥陀仏を称えよと回向して下さっているのです。
 私達衆生の側から言えば、阿弥陀様から回向された南無阿弥陀仏とお出遇いしたその時が、阿弥陀様にお出遇いする時です。こう言いますと、「南無阿弥陀仏」の中味とは私自身です。苦悩の衆生である私と、その私を救い取ろうという阿弥陀様のはたらきそのものなのです。
 私達はそういった阿弥陀様を信ずることができますか。
 「信」とはマコトという意味です。そうすると、「信心」はマコトのココロとなります。私達にマコトのココロ、信心がありますか。長年連れ添った夫でも妻でも、真に信ずることはできないしょう。
 阿弥陀様は、私達は信心がない、つまりマコトのココロがないことを充分に知って下さって、信心も衆生に回向して下さった、与えて下さったのです。ですから真宗において信心は「する」ではないく、「賜った」もの「頂いた」ものなのです。
 私が申す念仏も、私の中の信心も、実は私のものではない。私が起こしたものでも私が称えるものでもない。全て阿弥陀様が、苦悩の衆生、真も嘘も分からない迷いの衆生─つまり私のために回向して下さった、回し向けて下さったものなのです。
 報恩講は親鸞聖人のための報恩講ではありません。もちろん住職のため、総代のためではない。誰のためでもない私が仏法とお出遇いするための報恩講です。日中で今年の報恩講も終わりです。しかし終わったからもういいのかというと、そうではない。これからが、ご縁に出遇った喜び、教えの呼び掛け、自身の相を省みる日暮らしのはじまりなのです。どうか教えを生活の中で咀嚼して頂きたいと思います。(終)。

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■ コラム ■
バラバラで
なおいっしょ
──玉光順正師──
 学校の運動会において、一等とビリがなくなったと聞く。徒競走をした場合、ビリの子どもが傷つくから、順位を付けないのだそうだ。
 私自身子ども時代は鈍足の部類に入っていたので、運動会に関して楽しい想い出はない。しかし、現在の学校の配慮が果たして適切なのかどうか「?」だ。
 足の速い子、足の遅い子がいて当たり前。だから、徒競走をしたなら順位が付くのも当たり前。問題はその先にある。
 運動会で一等でもビリでも、それは一つの価値観であって、それが絶対ではない。その順位は人間の順位ではない≠フだから。そして、それは勉強でも何でも同じことだろう。
 最も大切なことは、能力に違いがあっても、それが人間の価値を決定するものではないということに、子ども達が目覚められるかどうかである。
 子どもを同じ型にはめ込むことが平等ではない。性別、能力、身体、容姿等の個性が上と下の関係にならず、その個性認め合える視座からこそ平等なる世界は開かれるのだろう。人間をおしなべていく平等観は、実は差別観と表裏一体であると思う。
 運動会でビリになった子どもに、「お前は確かに運動会ではビリだった。でもお前という人間はビリじゃないよ」と教えられるかどうか、大人の在り方が問われる。

 

■ コラム ■
人はパンだけで
生きるものではない。
神の口から出る
一つ一つの言葉によって
生きる。
──(『マタイ伝』4─4)──
 誰しも認めると思うが、「食べる」ということは、人の最も基本的な要求であろう。
 『聖書』の中でイエス・キリストは、「人はパンだけで(食べることだけで)生きるものではない」と、食べることの必要性を認めつつ、人はそれだけで真の満足を得ることはできないと説かれる。そして「神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と続けられる。「神の口から出る一つ一つの言葉」を私なりに言うならば、私が私として生まれ生きている意味を言い当てた、真の言葉ということになるだろうか。
 私より少し上の世代からは、飽食の時代に生まれ、食べることに苦労をしたことがない。歴史的にみて希有な時代を生きてきたといえる。しかし、その時代を生きたからといって、人として生まれてきた真の満足を得られたかというと、そうでもない。
 『ソフィーの世界』『相田みつを』『葉っぱのフレディ』等々、最近のベストセラーである。どれも、人の深いところにある要求を喚起する言葉を綴った本ばかり。飽食の時代の中で、人は真の満足を得ていないことの表れなのだろう。
 真の満足を仏教は、「踊躍歓喜」という言葉で表す。生きている≠ニいうことの実感、手応えを得た時、人は身と心が躍り上がり喜ぶ世界が展開するのである。
 果たして、欲望の充足は、真の満足、踊躍歓喜を生み出しているだろうか?

■ TrueLiving ■
永代経講話録【前編】(2001/03/20)
──井上俊昭師──
 本日は「浄土」という世界について、お話しさせて頂きます。
 浄土ということを聞くと、「浄土とはあるのか、ないのか」、と皆さんが考えられるのではないでしょうか。そうではなくて、「浄土は信じられる、信じられない」ということが問題なのです。
 その「浄土」という世界について、まずは中国の曇鸞(どんらん)大師のお言葉を手掛かりにたずねていきたいと思います。
 曇鸞大師は、「浄土という世界は、仏の大慈悲より生じたものであり、それは平等ということから出ているのだ」と述べられています。この場合の「平等」とは憲法の条文にある「平等」ではない。あれは「日本国民は」という制限が付いている。それに対して、仏の世界の元になっている「平等」は、全ての人に、あるいは全ての生物に適応される道理と言わねばなりません。
 「諸行無常」という一般に知られた言葉があります。全ての物事は常ではない、永遠に変わらないものなどないという意味でしょうか。この理を、平等ということの中身として教えて下さいます。
 今良覚寺の本堂におられる方は、年輩の方が多いようです。昔は髪の色が濃かった。肌に艶があった。また小さい子供だったはずです。段々と変化しているはずです。これが「諸行無常」です。
 「諸行無常」の背景は「諸法無我」です。諸々の法─この場合は物事という意味です─には、我・私ということは無い。この「諸法無我」であるから「諸行無常」ということが言えるわけです。
 私達は、私・我という確かなものがあると考えますが、そうではない。体は実は色々な要素が寄り集まって、たまたま出来上がっている。そして、私達が出来上がっているきっかけは、父母のはたらきがあった。それ以後、御飯を食べ、水を飲み、空気を吸い、たまたまここに在る。つまりそういった「ご縁」によって成り立っているのが私である。本来的な私・我というものは無いのだというのが仏教の考え方です。
 こういったことは、誰にでも適応される平等の法、諸法平等という理なのです。このことが私達とどのように関係するのか。これが問題です。
 親鸞聖人は、曇鸞大師の「平等」を「願海平等」と言われています。海のような願い─阿弥陀仏の本願は、誰にでも平等に掛けられているのだという意味でしょうか。この阿弥陀仏の本願について、親鸞聖人の師匠である法然上人は、「阿弥陀仏の本願は平等の慈悲より発ったものである」と『選択集』に書いておられます。  ここで「慈悲」という表現が出てまいります。私達は、慈悲の心を大事にしなければならない、他人の立場に立って他人を思いやることを大事にしなさいと言われてきたはずです。しかし、生きている人間の慈悲はどこまで届くのか。それには限度がありますね。それに対して法然上人は平等の慈悲と言われている。
 この「平等」は、先程言いましたようにお釈迦様によって発見された道理です。いつでも、誰でも、その道理の中で生きている。その道理を、法然上人は平等の慈悲として頂かれたわけです。
 しかし、私達はこの道理に本当に頷いて生きているかというと、そうではない。逆に全くそういったことを無視して生活していないでしょうか。その道理に気付くことなく、目覚めることなく生活していないでしょうか。
 故平野修先生は、「本願とは、平等の慈悲─即ちお釈迦様によって発見された道理がはたらきだして、私達に誰も拒否できない道理に目を覚まして生きよ。道理の世界に帰ってきなさいと呼び掛けなのだ」と教えて下さいました。
 変わり続ける身を生きている。縁によって生かされる身を生きている。そういったわが身のすがたに目を覚まされる。仏の慈悲とは、私達にはたらきかけて下さる道理です。理屈だけではない、心に具体的にはたらきかけて下さるはたらき≠ネので、親鸞聖人は「願海」─私達に掛けられた願いの海と表現されています。
 そういった事柄に私達が頷けるかどうなのか。それが後半で触れさせて頂く「信心」の問題となってきます。

【後編へ】


 

■ コラム ■
正覺の大音、
響き十方に流る 
──『嘆仏偈』より──
 最近鐘楼堂の屋根葺き替えのため、良覚寺の鐘楼を見る機会が多い。その時に目に付くのが、鐘楼に書かれている文字である。
 良覚寺の鐘楼は、西側に「南無阿弥陀仏」の名号が書かれ、東側に「正覚大音響流十方(正覚の大音、響き十方に流る)」と書かれている。
 資料がなく口伝えでしか聞いていないのだが、この鐘楼は、第十四世、釋恵実師(谷巌師)の頃に寄進されたものである。二次対戦の戦渦によって、武器として鋳造されるべく一旦は国に没収されたが、終戦によって幸いに良覚寺に帰ることができた。
 一九六三年の室戸台風によって鐘楼堂そのものが倒壊したが、当時の総代を初めとする御門徒(もんと)の御尽力で、何とか再建できた。
 鐘楼を別名「衆会」と言い、良覚寺で法要が勤まる時、多くの人を呼び掛ける役割をするのである。縁ある人に、どうか念仏の教えを聴聞して欲しい。この迷いの娑婆世界に於いて、どうか正しい覚りの世界が伝わって欲しいと願い突かれてきた。
 我が良覚寺の鐘楼は、幾多の災難を乗り切り、住職四代に亘って、良覚寺門徒に「正覚の大音」を鳴らし続けてきたのである。
 時を超え、良覚寺の鐘の音が現代を生きる私たちにも
  縁ある者達よ。耳を澄まし、真実の教えを聞きなさい
という先達の願いを呼び掛け続けている。

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2001/03/19)
──山本隆師──
 今年の一月二十六日、東京のJR新大久保駅で、ホームから線路に堕ちた酔っぱらいの人を助けようとして二人の人が電車にはねられ亡くなられました。あれは何故助けようとされたのでしょうか?
 人間というのは、何か考えがあって行動します。この理由を今日は訊ねていきたいと思います。
 そういった人間の心理を考えている仏教の学問に「唯識」というものがあります。日本では法相宗です。奈良の興福寺、薬師寺、京都の清水寺が法相宗です。
 「意識」という言葉がありますが、これは唯識の言葉で「心」という意味です。この意識だけでは機能はしません。外から情報が入ってきて、ものを思うということがあるわけです。目・耳・鼻・舌・身という五つの器官によって見・聞・臭・味・触という情報を取り入れて意識(心)が機能します。五つの器官から入ってる情報は人によって変わることはないれども、意識に入ってくると人によって変わってしまうわけです。私達は入ってきた情報を意識(心)でどう考えるのかというと、得損、好嫌、善悪と判断します。例えば若い人が好きな音楽など私達の世代はやかましいだけです。逆に私達が好きな演歌は若い人は好みません。同じ音を耳で聞いていても人の意識(心)によって変わるわけです。
 何故意識は人によって違うでしょうか。
 人間には自分が可愛い、自分が大事だという自己保存の心があります。道徳などで善いこと悪いことを教えられても、現実に自分に災いが来るとなると、どのような悪いことでもするのが人間です。意識よりも深いところにある自己保存の心を、唯識ではマナ識と表現しています。マナ識というものが、それぞれの人間にあるから、意識(心)も人それぞれ変わってくるのです。
 それだけで人間の在り方が言い当てられるのかというと、そうではないというのが唯識です。マナ識よりももっと深いところにある心をアーラヤ識と教えます。
 このアーラヤ識はインドの言葉ですが、中国人はこれを蔵識と訳しました。アーラヤ識は貯え場所という意味でしょうか。アーラヤ識は生まれた時からある思いです。私達は生まれ出たその時から思いを持っているということです。私達にアーラヤ識があるのですが、それに気付いていないわけです。西洋では心理学のほうで深層心理を説きます。人間は今考えている思いだけではなく、心の深いところにある思いが宿っていると。自分が経験てきたことなどが、私達の意識(心)では分からないけれども、この蔵識とも呼ばれるアーラヤ識に蓄積されていく。これが人間の心の一番深いところにあります。
 JR新大久保駅の事故の話に戻りますが、落ちた人を助けようとされた人達が、もし意識(心)だけで考えておられたら、危ないし得にならないと行動できなかったかもしれない。勿論マナ識は自己保存の心ですから、自分の命を省みず他人を助けようとするはずがない。おそらくアーラヤ識がはたらいて、命を落としてまで他人を助けようとされたのでしょう。
 おそらくあのお二人は、子どもの頃から「困っている人がいたなら助けなさい」と教えられ続けて、それが深層心理の中に残っていて、損得や好嫌、自己保身の心を超えて、瞬間的に助けに行かれたのでしょう。
 意識(心)で損得、好嫌、善悪をはっきりとさせることは、物事を区別し整理して見る知恵・知識となります。マナ識と呼ばれる自己保身の心が自分の中にあることを知るということは、意識で分別された自分自身ではなく、ありのままの自分自身を知る智慧となります。
 自分自身の中にマナ識─自己保存、自分が助かりたいという自我の心を持ち合わせていることを知る智慧を得ると、他人に対しての見方が変わるのではないでしょうか。自身のマナ識を知ることを通して、他人も私と同じようにマナ識のところで生きている、自己保存の心で行動していることが分かる智慧を獲得します。このことにおいて人間は平等なのです。
 私達は、ここを見極めた上で、自我、自己保存の心を超えて共に生き

 

■ コラム ■
同じ空は
明日を始めてしまう
例えあたしが
息を止めても
──椎名林檎『同じ夜』より──
 ある掲示板に、「私が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である」と書かれていた。この言葉に触れた時が、三二歳で交通事故死された男性の葬式に参勤した直後だったので、私の中で殊更印象に残っている。
 この言葉にある世界は何なのだろうか?それは現代を生きる私達が見失ってしまった「死からの眼差し」であろう。
 現代は医学の発達によって肉体的な寿命は延びた。火葬場は住宅地から遠く離れ、家によっては葬儀を自宅でなく葬儀場で勤修する。死というものを、私達の生活の現場から乖離させ、特別な事柄にしてしまい、死を生の延長線上に置いてしまったのである。死が生の足下にある事実は、昔も今も何ら変わるものではないのに。  私達は、死を遠ざけ、生が当たり前の生活をする中で、いのちを無駄に捨てるような生き方をしてはいないだろうか。
 「死からの眼差し」より発せられた言葉は、一時一時の生命の息吹を抱きしめるように大切にしたいのだ、という強い願いの力を放つ。その言葉、その世界は、いのちの無駄遣いをしている私達の相を照らし出して下さる。
 人気歌手の椎名林檎さんは仏教など知らないであろう。しかし彼女は感覚的に「死からの眼差し」で歌詞を作る。この歌を聴く若い人達は何を感じるているだろう。

■ TrueLiving ■
永代経講話録【後編】(2001/03/20)
──井上俊昭師──
 どの宗教でも信仰であるとか信じるということを言われると思います。誰かが説かれた教えを、成る程と信じて、実行していく─行じていくわけです。その結果、覚りを開く、ご利益を得るということがあります。ところが親鸞(しんらん)聖人は、本願念仏の教えを、私が行ずるのではないと仰る。私がしなければならないのは「信」だと仰るわけです。「信」は、頷くこと、目が覚めること、頭が下がることという意味です。
 親鸞聖人が言われる「信」を蓮如上人は言い換えて、「阿弥陀仏をたのめ」と言われています。例えば「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」と、阿弥陀仏をたのめと言われている。
 一般に「宗教とはこのようなもの」という認識があって、真宗もそうだと思われていますが、真宗はその認識とは違う場合が多いわけです。特に一般認識の「信」と真宗の「信」は全く違います。
 一般に宗教とは、「○○様にたのむ」ものと認識されている。試験に合格できますように、健康で長生きできますようにと、神様、仏様にたのむ。それが同時にその神様・仏様を「信じる」ということになるようです。真宗はそうではないわけです。
 結論から言えば真宗は、「自分を信じる宗教」なのだと頂いていただきたい。
 まず考えて頂きたいことは、私達が生きていることの中身は何なのか。それについて、ある人は「我が身を守ることにかかり果てているのだ」と言われています。私達は自分を守ることばかりに一生懸命になっているということでしょうか。
 今は教育が盛んです。教育ということが自分を守るための手段として非常に大きな比重を占めているわけです。良い会社に勤めて金を稼ぐのも自分を守るためです。死んでからのことも考えて生命保険に入る。
 私達がしていることは自分を守ることにかかり果てている。これが私達の生きているということの中身ではないでしょうか。更に、教育、就職、お金などでは、まだ我が身を守りきれないから、宗教をも利用しようとします。神様、仏様にたのんで安全保障をしてもらうわけです。
 浄土真宗と言いながら、家のお内仏の参って、「どうぞ一日無事に生きられますように」という思いが出てきます。これは、ダメなことだと分かっていても、どうしても思えてしまうわけです。
 このような私達に対して、蓮如上人は「阿弥陀仏をたのめ」と言われる。「に」ではなく「を」です。これは、実は「自分を深く信ずること」です。
 『観無量寿経』には「仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す」という言葉があります。阿弥陀仏の心とは、全ての衆生を浄土に生まれさせようという本願であるということです。仏様について私達は、自分の都合に合うような仏を勝手に建てているのだと言わねばならない。仏は一切衆生、全てに人を救おうとされている。全ての人に共通する問題点を解決したいというのが仏の心です。それは、私達のいのちは縁によって成り立っているのだということに気付かせようというはたらきなのです。
 事実、私達は、空気、食べ物等々のご縁がなかったならば、一時たりとも生きられないのです。私があって、その私がご縁によって生活させてもらっているのではない。無数のご縁が私に成って下さっているわけです。食べ物が、空気が、生んでくれた親が、教えてくれた先生が、今の私に成って下さっている。このことが本当は最も有り難いことなのでしょう。
 真宗の教えは「阿弥陀仏をたのむ」ことです。それは同時に仏のはたらきで、私が照らし出されることなのです。欲望、苛立ち、グチが治まらない自分自身の相を、仏の「無数のご縁がお前に成って下さっていることに気付け」というはたらきかけによって、知らされるわけです。
 多くの宗教は、向こう側に神・仏を建てて、どのような利益をしてくれるのかを問題する。真宗の「信」は、欲望のために宗教を利用している私自身が問われるわけです。親鸞聖人が言われる「信」は、自分自身の真に相がどうなっているのかを阿弥陀仏から知らされ、信じるわけです。凡夫という言葉で表される私自身に目が覚める。親鸞聖人は、どうしてみようもない自分自身の相に頭が下がっていくことを「信心」の中身として言われているのです。(終)

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■ コラム ■
自らの足元を
見ない者を
  幽霊という
──本夛恵師──
 六歳になる娘の友達が遊びに来ていた時のこと、広い本堂で遊んだらどうかと声を掛けた。するとその子は「いやや」と言う。その言い分が面白い。「お寺は幽霊が出るから恐い」のだそうだ。
 「お寺は、幸せやない幽霊を幸せにする所やから、幽霊が出たって悪いことはせいへん」と応えておいたが。
 幽霊の特徴は三つある。一つは長い後ろ髪。これは昔のことをくよくよ後悔している姿を表しているそうだ。そして前にちょこんと出した手。これは未だ来ぬ将来に対して、あれこれ悩み、無い物ねだりをする姿である。三つ目は足がないこと。これは今にしっかりと足を着けられず、今に対して不平不満を繰り返す姿だという。  過去・未来・現在に愚痴しかなく、その自身の相に気が付こうともしない者が、形として表現された「幽霊」なのだ。
 我々は「迷える死者の霊」を幽霊と呼ぶが、その存在そのものに何の根拠もない。それよりも死者を幽霊だと呼んでいる私達そのもの、現代を生きる生者達そのものの方が、よっぽど「幽霊」なのではないだろうか。
 「お寺は幽霊を助ける所」と言った私の言葉は、あながち間違ってはいないと思う。幽霊のような生き方をしながら、自らの相を省みることなく暮らしている私達は、寺で仏の教えに出遇う必要がある。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2001/05/19)
──山本隆師──
 最近私は、年忌法事を勤める意味を考えています。そこで今日は御門徒(もんと)がどういう気持ちで年忌を勤めているのか、私なりに推測することから話を始めます。
 良覚寺もそうですが、萬福寺でも年忌の繰り出しが貼ってあります。こういうものを本堂に貼っておくと、年忌の出ている家だけでなく親戚もこれを見ます。そうすると親戚は、あそこの家の誰々の命日がそろそろ近いから勤められるだろうと心の準備を始めます。周りがそうなってくると、あの家は年忌も勤めないのかと言われるので、勤めないわけにはいかない。つまり世間の付き合い、世間の義理のために勤めるということあるように思われます。
 私はそれが悪いことだとは言いません。もしお寺が年忌の繰り出しを止めたら、全ての家が年忌を勤めるということがあるでしょうか。また親戚との義理ということが無いならば、丁寧に年忌を勤めようという気が起こるでしょうか。そういったものは、言わば年忌を勤めるための枠組みです。枠組みがあるからこそ、しっかりと年忌を勤めることができるような気がします。
 お寺なり地域なり親戚関係の中で作られた枠組みの中で、どのような気持ちで年忌を勤めているのか。
 一つは、亡くなった方が死後に良い処に生まれるように願って年忌を勤めているということがあります。一周忌や三回忌といった日の浅い年忌はそうでしょう。これに関してお釈迦様がこういうことを説かれました。池に石を放り投げたら、周りにいる人が「浮け」といくら願っても石は沈む。逆に池に油を入れて、「沈め」と願っても油は浮きます。沈むとか浮くということは、その物自体が決めているのであって、周りで何を言ってもダメなのです。同じように、亡くなった方が地獄に往くとか極楽に往くということは、その人が決めてることであって、遺った者が何を言ってもどうしようもありません。
 また、三十三回忌、五十回忌になってくると、どうか私達を護って下さいというお思いで年忌を勤めることがあるようです。これの裏返しは何かと言うと、どうか私達にバチを当てないで下さいということでしょう。日本人の思想には「霊魂が祟る」ということがあります。例えば菅原道真を祀る天神さんはそうです。菅原道真は政治の争いによって、不遇の死を遂げました。その恨みが都に害を及ぼすことを恐れて建てられたのが天神さんです。同じように死者が祟るのを恐れて、年忌を勤めるということがあります。
 しかしこの「祟る」ということを自分自身に置き換えて考えてみて下さい。皆さんは自分が死んだら、祟ろうと思いますか。法事を勤めてくれなかったら、子供を交通事故に遭わせてやろう、孫を病気にしてやろうと思いますか。先祖と呼ばれる人達も同じでしょう。遺った私達の不幸を願う人ではなかったはずです。そして亡くなったからといって、そういう人に変わることないはずです。「祟る」ということは、実は根拠のないことなのです。
 年忌法事を勤める意味が、死後の幸福を願うものでもない。死者の霊を慰めるものでもない。そうするとどういう意味があるのでしょうか。
 年忌法事を勤める大きな意味として、亡くなった方と遺った私達の関係、間柄≠確認するという意味があると思います。
 良覚寺の前住職である覚さんと私は友達で仲良くさせて頂いておりました。その関係は今も変わりません。しかしそのことを普段は忘れています。命日であるとか年忌法事の時に、覚さんとの関係を思い出すことができるわけです。また先般五月十七日に良覚寺の本堂で、谷巌さんの年忌法事が勤まりました。今の住職は巌さんのことを知らないわけですが、二次大戦を挟んで巌さんは大変な苦労をされたであろうと言っておりました。
 一人の人間が生きていく上で、様々な関係を持ちます。無数の関係を頂いて、今ここに私が在るわけです。年忌法事の大きな意味の一つとして、日常の多忙さの中で忘れてしまっている、その関係を確認する場を開くということがあるように思えます。
 古来長年に亘って年忌法事を勤める枠組みを作り、実際に法事を勤めるために労力と金銭を使う。そこまでして勤める年忌法事を通して、日常生活の感覚─損得や格好良い悪い、好き嫌いという感覚を超えて、「私は、多くの関係の中で、ようやく存在させて頂いているのだ」ということを思い出すことなのでしょう。

 

■ コラム ■
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬくえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
──『くらし』石垣りん氏──
 私は何を食らい生きているのだろうか。
 「食べ物」という名のいのち≠食らい、「エネルギー」という形で地球そのものを食い尽くしながら、豊かで便利で快適に生きている。
 私≠ニいう存在を守るためならば、親しい人、世話になった人をも利用し使い捨てる。人世の価値を金の有無で決めつける守銭奴のような暮らし。
 食らい尽くすことに何かを感じなくもない。しかし「仕方がないじゃないか。これが人間のくらしだから」と自らの心をごまかし正当化しながら生きている。
 詩人の石垣りんさんは、そういった自分の生活を改めて見直せた時があったのだろう。「台所」とは石垣りんさんの生活の現場のこと。自らの生活の現場を振り返ったならば、そこには自分が生きるために、自分を守るために、食い続けてきたものの残飯があった。その凄惨な姿を見たとき、涙が流れた。しかしその涙は人間の涙ではない。私は獣と何ら変わらないではないかと、自分自身の相を凝視されたのである。
 生きるためには、他を犠牲にしなければならない。確かにこれは人間の姿であろう。しかしそのことに微塵の痛みも感じない者は真の人間と呼べるのだろうか。
 獣≠ナある自らの相に目覚めた者こそが、真の人間なのですよと、この詩は教えてくれているように思う。

■ TrueLiving ■
お文講座講話録(2001/07/12)
──沙加戸弘師──
阿弥陀如来の本願とは、どのような者を助け下さるのかというと、十悪(殺生などの十の罪)・五逆(殺母などの救いがたい五つ罪)の罪人なりとも、五障(女性の五つの障り)・三従(女性は父夫息子にが従うのだという概念)の女人なりとも、その罪の深重なことに心を掛けてはなりません。他力の大信心一つで極楽に往生できるものなのです。 (「御文」五帖目十五通、一部を意訳)

 我々が拝読しておりますものは蓮如(れんにょ)上人の「御文」であります。蓮如上人の「御文」には「具体性」というものがあるのです。
 具体性とはどういうことなのか。例えば男女が出会い仲良くなる。仲良くなって一緒に暮らすようになる。そうなると「こんなはずではなかった」ということが出てきます。何故かというと、男と女がたまに会うような付き合いしかしていなかった時には見えなかった、実際の生な暮らしというものが見えるからです。それが具体性です。
 きれい事で飾った自分のところで仏法と出遇うのではありません。実生活に即したものが土台にあって、我々は仏法に近づく、気付くご縁を頂くわけです。
 この「御文」が書かれた時に、蓮如上人はどのような具体性を持っておられたのか。どのような心で「十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも」と仰せられたのでしょうか。五百年という時を遡り、蓮如上人が思っておられた御門徒(もんと)達の具体性を尋ねたいと思います。
 最初に確認しましたように、我々が拝読しておりますのは蓮如上人の書かれた「御文」であります。それでは蓮如上人とはどういう方なのか。それは本願念仏を唯ひたすらに伝えようとして下さった方で。五百年前、本願念仏の御教えが人に届けと祈るような思いで、あちらこちらを歩いて伝えてくださった方です。その蓮如上人がその時代の人に届けて下さった、また我々に届けて下ったのがこの「御文」であります。
 蓮如上人当時、念仏の御教えを聞くために道場で聴聞して下さいとお誘いになった御門徒の中には、足を運ぶことをはばかられた方々がおられました。蓮如上人はその思いを超えて道場に足を運ばれた人達に対して「十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも」と仰ったわけです。断られた一番大きい理由は「私のように罪深い者が」と思われたのではないでしょうか。何故そこのところに蓮如上人の考えがいったのかというと、その時代の人の多くはそう考えていたからです。それは蓮如上人が自ら足を運んで応対をされた結果出てきたわけです。決して具体性なくそう仰ったわけではありません。
 「我々のような身分の低い者は、我々のように罪の深い者は、私のような女は、仏法を聴聞しても救われるはずがない」と当時の御門徒が思われた訳は、室町時代には罪人や女性は救われないのだという概念があったのです。
 室町時代の罪の深さというのは分かり易かった。何故なら鳥を食べようと思ったら、自分で殺さなければならなかった。魚を食べようと思ったら、自分で釣りに行かねばならなかった。しかし今は違います。肉も魚も既に皿に載って売っています。つまり殺生という罪が見えにくいわけです。見えにくくなると、罪に対して鈍くなる。殺生という厳しい罪の意識が鈍くなると、それよりも緩い罪は感じられなくなる。金を払って食べ物を買っているんだ、何も悪いことはしていないではないかと。
 室町時代は人間が生きているということが、生なかたちであったわけです。我々の先達は「生きるということは辛いことだ。生きるということは罪深いことだ」と感じながら日々生活されていたわけです。
 そこで蓮如上人は、「十悪・五逆の罪人なりとも、五障・三従の女人なりとも」救われるのだと表現されたわけです。その当時言われていた罪人や女は救われないという考えは、阿弥陀仏の本願においては問題にならないと仰った。この「御文」は当時の常識を覆すものなのです。
 つまり蓮如上人は、室町時代当時、人々の常識と心と感じ方に即して、阿弥陀如来の本願を説いて下されたわけです。実際にその時代の生活に即して、具体性をもって書いてくださったのです。蓮如上人は、「御文」を通して、本願はあなたに届いています。どうか気付いてくださいと仰ったのです。

 

■ コラム ■
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
みつけられたから
──『いつも何度でも』より──
 私たちは、どこで生きている≠アとの輝きを見つけられるのだろうか。
 「現代人は生きるということの根本感覚を喪失し、生きるための手段で疲労困憊している」と森有正氏は指摘される。
 私たちは誰しも生き生きと生きたい、生きている手応えが欲しいと願い生活している。そのために現代人は物質的、経済的「豊かさ」を追求してきた。しかしいつの間にか「豊かさ」を拡大し維持することが人生の目的になってしまった。そのような、手段が目的になってしまい、それに振り回されながら生活している我々の相を、森有正氏は見事に言い当てているように思う。
 この夏大ヒットした映画、『千と千尋の神隠し』の最後に流れる『いつも何度でも』という曲は非常に耳に残る。メロディも綺麗だが、その歌詞が、人生の目的を見失い閉塞感の中で暮らしている私たちに、非常に大事なことを教えてくれているように感じる。それは、「豊かさ」の追求というかたちで、外に向けられていた眼を、私たちが賜っているいのち の充足というかたちで、内に向けたらどうですかというメッセージである。
 物質的、経済的に豊かでなくても、何も持たなくても、人間は生きていることの輝きを見つけられるはずである。何故なら、人は誰しも、輝けるいのち≠生きているのだから。

■ TrueLiving ■
覚の会7月例会講話録(2001/07/19)
──山本隆師──
 最近私が課題にしていることは、寺に来る目的をはっきりさせるということです。
 例えば、あそこの神社に参って受験合格祈願をした。あそこの仏閣に参ったら安産祈願をしたという話をよく聞きます。それでは真宗のお寺にお参りし、真宗の教えを聴聞してどうなるのでしょうか?。
 真宗の教えとは何なのかを説明するよりも、真宗の教えを聞いたらこう変わったという人の話を聞いて下さる方が分かり易いと思います。
 子どもが親に対して、「頼みもしないのに勝手に生んだ」と言う。これは言われてもきたし、言ってもきた、また思いもしてきたことではないでしょうか。頼みもしないのに勝手に生んで、勉強しろ、真面目に生きろ、仕事しろと言われる。これなら生まれてこない方が良かったという思いが生じる世界から、「頼みもしないのに、よく生んで下さった」あるいは「頼みもしないのに、よく育てて下さった。ありがとう」と言え世界が開かれていく。私は、こういうように変わっていくのが真宗の教えを聞くということだと思います。
 「頼みもしないのに勝手に生んだ」という言い方は、生まれてくるということを「因果」でとらえた考え方です。つまり「親」が「因」で「子が生まれる」が「果」です。これですと、親がメーカー・製造元で子が製品になりませんか。昔は「子どもを作る」などという言い方はしなかった。「子どもができた。子どもを授かる」と言っていませんでしたか?「子どもを作る」という言い方そのものが、現在の親の子に対する考え方を表しているように思います。
 仏教は伝統的に「子どもができた」と言ってきた。これは「因果」に対して「因縁」の考え方なのです。つまり仏教では、「子どもが生まれる」ことが「因」で、「親」は「縁」となります。この「縁」とは条件という意味でしょうか。私は親の体を条件として生まれてきたと。それでは何を因として生まれてきたのかというと、私が生まれたい≠ニいう本能とも言うべき願いなのです。
 私たちが生まれ出た時、必ず「オギャー」と産声を上げる。これを覚えている人はいないはずです。また意識して産声を上げた人はいないでしょう。胎内から生まれ出た赤ちゃんは本能として産声を上げ、息をするということを知っているわけです。これが生まれたい、生きたい≠ニいう、私たちの意識を超えて、私たち自身の中にあるはたらき≠ネのです。
 私たちがいくら生まれたい、生きたい と意識を超えたところで願っていても、条件が整わなかったならば、生まれることも生きることもできません。その条件(縁)の最たるものが親なのです。
 私が生まれてきた、また生きている因が、私自身の深いところにある願いにあったのだ。私自身にあったのだと目覚めることができたなら、親に対して「頼みもしないのに勝手に生んだ、勝手に育てた」という愚痴など出てきようがありません。親に生んでくれ、育ててくれと頼んだ覚えはないのに、私が生まれ生きる条件(縁)となって、よく生んでくださった、よく育ててくださった、ありがとう≠ニいう視座が開かれるのでしょう。
 人間はいつでも不足していることに愚痴はいいますが、満足するということはありません。自分の生活への愚痴をはじめとして、自分が生きていること、自分が生まれたことにも満と不足を繰り返し、その日暮らしをする毎日です。
 河村とし子さんという方が、
  ないものを欲しがる生活から
  あるものを喜ぶ生活へ
と言われましたが、当に真宗のお寺に来て、真宗の教えを聞くと、こういった世界が開かれるのでしょう。
 真宗のお寺に来て、真宗の教えを聞いて、現実が変わるということはありません。例えば、病気の人は病気のままです。お金のない人はお金のないままです。勉強ができない人は勉強ができないままです。
 しかし当たり前の道理を聞き、当たり前の道理に目覚めることを通して、現実に不平不満を繰り返す自分自身の相が知らされる。そして現実を受け入れ、その現実を力強く生きていこうという視座が開かれるのです。

 

■ コラム ■
法然上人は
阿弥陀仏のはたらきを
その身、生活、生き方を通して
浄土門に集う御門徒衆に
常に見せておられました。
阿弥陀仏がどんな人をも
摂め取って捨てじと誓われた
本願そのままに、
賢い人も愚かな人も
身分が高い人も低い人も、
怨みを持った人も親しい人も、
区別なく平等な
関わりを持たれたのです。
──『高僧和讃』(住職意訳)──
 親鸞(しんらん)聖人の師匠である法然(ほうねん)上人は武家出身であった。法然上人の父は土地を管理する要職に就かれていた。安定した幼年期を過ごされた法然上人に突如悲劇が襲う。法然上人九歳の時、土地の利権争いから、他の豪族が夜襲をかけてきたのだ。その時、敵の放った弓を受けた法然上人の父は瀕死の重傷を負ってしまう。深手を負った父は、死ぬ間際に息子を呼び、こう遺言される。
「私はこの傷によって死ぬだろう。しかし敵を恨んではならない。もしお前が復讐を思うなら、争いは絶えることはないのだから。怨親平等にに救われる道を求めよ」
 法然上人は出家し比叡山で「怨親平等に救われる道」を常に自らの課題として担いながら、仏の教えを学ばれる。道を求めて三十六年、法然上人四三歳の時遂に阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇い、その道が確かにあったことに目覚められたのだ。
 自我を中心とした人間の思いは、他者を怨・親に分ける。しかし全てのものを救い取ろうと誓われる本願に出遇い、その世界を真だと目覚めた時、自らの思いで人を分ける世界の虚と罪を知らされるのだ。
 法然上人が「念仏」と言われる場合、そのような問題を内包していることを忘れてはならない。現在武力で受けた傷を武力で返す復讐が国際的に行われている。それに関し一人ひとりが、どういった態度決定をするのか、私達の「念仏」が問われる。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2001/09/23)
──内藤正師──
 私たちは何のために生まれてきたのでしょうか?。
 ある自殺した青年がこんなことを言い残したそうです。「お父さんやお母さんは、勉強しろ、良い成績を取れ、良い大学に入れ、良い会社へ行けとは教えてくれた。けれども、僕が何のために生まれてきたのかを教えてくれたことを一度もなかった。何のために生まれてきたのかを問うてみろと言われたことが一度もなかった」と。
 矢橋の子供も新浜の子供もそうかもしれません。何故人間として生まれてきたのか、何故私は私として生まれてきたのか教えられたことがない。考えろと言われたこともないのではないでしょうか。
 私達は人間として、私として生きている。その意味を問うことは、生きているということの根っ子を問うということでしょう。五木寛之さんが書かれた『大河の一滴』という書物に、ライ麦の根っ子の話が出てまいります。一本のライ麦の根っ子を掘り返したならば11200qもあったと。一本のライ麦が成長し芽を出し花を咲かせるためには、大きな根っ子に支えられているわけです。
 人間として生きている以上、人間として生まれてきた大きい根っ子を尋ねずして死んでいけるのでしょうか。仏の法は私達に、その根っ子の意味を問い掛け、教えるわけです。この良覚寺の本堂はその仏の法を聞く場所です。この本堂は何のためにあるのかというと、私が生きているからあるのです。私が生きているからこの本堂は必要なのです。私が生まれてきた意義と生きる喜びを、仏の法を通して問うために、ここに本堂はあるのです。
 私達が生きていることの中身として、「老・死」ということが必ずあります。これは避けられません。しかし現実には、この「老・死」ということを忌み嫌いながらの生活を送っているのではないでしょうか。
 私が住んでいる山寺に「老人会」がありますが、それに参加したくないというお年寄りが増えています。何故かというと「老」という言葉が嫌だからだそうです。自分が「老人」であるということを認められずに、いつまででも若いつもりでおられるわけです。
 私は病気をしておりまして暫く入院していました。その時、病室番号に「4」と「9」という数字を探してみましたが、ありませんでした。つまり「4・9」は「死・苦」を連想させるから、外されているわけです。
 これらは「老・死」を避けながら生活している私達の相の表れです。
 そういった、私達の相を言い当てて下さった親鸞(しんらん)聖人の和讃(わさん)に、こういったものがあります。
  自力諸善のひとはみな
  仏智の不思議をうたがえば
  自業自得の道理にて
  七宝の獄にぞいりにける
 「老いたくない」「死にたくない」、つまり自分に都合の悪いことは嫌だ。しかし便利で快適で豊かな、自分に都合の善いことは欲しい。これが「自力諸善」なのでしょう。こういった思いを中心に生きている私達は、「仏智の不思議」─この世界の道理がみえてこない。
 「七宝」とは「老いたくない」「死にたくない」という思いが作り出す世界です。老いたくないから、健康食品が売れ、健康器具が売れる。老いを隠すための化粧品や養毛剤が売れる。死にたくないから、高度な医療設備が開発され、高価な薬が売れる。怪しげな宗教に莫大なお金を払うということもあるわけです。つまり「老死」ということを嫌う思いが、逆に私達自身を縛り付けている現実があります。これが「七宝の獄」なのです。
 浄土という世界は、老いの苦しみや死の苦しみが無くなる世界ではありません。そうではなくて、私達の生の中身として、老い、そして死んでいくということが必ずあるのだということを照らし出して下さる世界なのです。またそのことによって、自分の思いを中心に、老・死という道理を避け、嫌いながら生きている私達の相を照らし出して下さる世界なのです。
 浄土という世界に触れても、苦しみは無くなりません。浄土という世界に触れることを通して、苦しみの中を生き切れる眼をたまわるのです。

 

■ コラム ■
兵戈無用
──『仏説無量寿経』──
 現在、連日のようにアフガニスタンは空爆を受けている。軍事施設しか狙わないとアメリカは報道したが、実際のところ多くの民間人が殺されているようだ。イランやパキスタンとの国境付近には、住み慣れた土地と家と故郷を捨て、想い出を捨て難民になった人々が、今日も飢えや寒さと闘っている。その中には、子供も、年寄りも、妊婦も、病人もいるだろう。
 九月十一日の同時多発テロでは、多くの民間人が死んだ。被害に遭われた人の死に際の電話、救助活動に参加した人の死、遺族の悲痛な叫びがテレビ画面に映し出された。その直後何人かの方がこう言った。「アフガニスタンなんて、徹底的に空爆してやればいい。なんなら原爆を落としてやれ」。
 そう言っていた人々は、現在のアフガニスタンの難民の姿を見て、空爆で多くの人が死んだことを聞いて、満足できたのであろうか?。一時的な感情でそう言っていたけれど、そんなことで本当に満足する人などいるはずがない、と思う。
 仏の教えとは、私達の、自我や分別や思いや感情よりも深いところにある、本当の願いを言い当てて下さる言葉である。
 『無量寿経』には「兵戈無用─人殺しのための軍隊や武器はいらない」という、仏の教えがある。「兵戈無用」、それは仏の教えであると同時に、私達が本当に願っている世界のことなのだ。

■ 耳をすませば ■
『100万回生きたねこ』
──(講談社/佐野洋子著)──
 一般に、仏教というものはこういうものであり、こういうことをするのが仏教なんだ、というイメージがあるようです。しかしそれが必ずしも仏教の本質を表しているとは言い難い面があります。
 そこでこの「耳をすませば」欄を作りました。この欄は、小説、映画、マンガ、音楽など様々なジャンルから、仏教語は一つも使っていないけれども、仏教の言わんとする世界を表現しているのではないかと思われるものを紹介していきます。仏教は小難しいお経の中にだけあるのではありません。耳をすませば、色々な所から聞こえてくるはず・・・。
 第一回目に紹介するのは、佐野洋子さん作の絵本『100万回生きたねこ』です。
 百万回も生きた猫がいました。その猫は百万人の飼い主に飼われ愛情を注がれたけれど、他者を愛することはありませんでした。そんな猫が一匹の雌猫を愛し結婚します。百万回生きてはじめて愛を知ったのです。時が流れ雌猫は歳を取って死んでしまいます。猫は初めて涙を流しました。百万回も涙を流した後、静かに息を引き取ります。そして二度と生き返ることはなかったのです。
 ある時生まれ、ある時死ぬ。それを何回繰り返しても、真の喜びは得られない。どんな形であれ、それが悲しみを通してであれ、人生の意味を確かめられて、はじめて人は死んで往けるのだと、この絵本は教えています。

 

■ コラム ■
バラバラなものが本当に
一つに生きあえる世界を
お浄土という。
それはバラバラなものが
バラバラでなくなって
いっしょになるのではなく、
バラバラなものが
バラバラのままで
一つの世界に
生まれさせてもらう。
バラバラの現実を通して
お浄土の世界を
いただかせてもらうことです。
── 和田稠先生 ──
 十二月というのは不思議な月。街をクリスマスムードが支配し、今年の禊ぎと来年の準備が始まると、(人生の中で)何か大きなことをやり残したんじゃないかという、ほんの少しの後悔が生まれる。
 私も三十五歳。若いと言われたり中年と言われたりする歳だ。この前、同世代の友人がポツンと呟いた一言が忘れられない。「人生も半ばを過ぎたけど、人生ってこんなもんか?」。仕事や家庭がある程度安定して、これからの人生が見えてしまった#゙の呟き。痛いほど気持ちは分かる。
 若い頃、もっと言えば子供の頃、人生とはもっと濃厚なものだと思っていた。ところが、今まで自分が生きてきた人生を振り返っても、これから生きていくであろう人生を考えてもスカスカ。何となく生きて死ぬ。虚無感をうめるために興じるただ単に欲望を満たすためだけの遊び。人生ってこんなもんか?。
 生きていながら生きている実感や喜びを知らずに生きることを「空過(むなしくすぐる)」と仏は教える。また空過する生しか生きていないという自覚は私たちが本当に生きたいんだという心の底にある深い願いの表れ。その願いこそが、仏と私たちをつなぐ細い道なのだろう。
 「人生ってこんなもんか?」。その人生─あなたが生きてきた、生きている、生きていく人生が何よりも尊い。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2001/11/10.11)
──藤本愛吉師──
 私は、大谷専修学院という学生の皆さんと共に仏法を学ぶ場で生活している者ですが、その生活を通して、私がいかに自分中心に生きているのかを知らされています。
 他人との関係性の中で自分自身の相を知らされる。これが「罪」の問題です。この「罪」は何か悪いことをした「罪」ではありません。同じいのちを生きている者として、そのいのちの願いに背いている「罪」です。
 親鸞(しんらん)聖人は、「真実」という言葉を最も大切にされました。「真」は、いつでも・どこでも・だれでも通じるという意味です。その「真」が自分のところにとどいたというのが「実」です。親鸞聖人は、「真実」とは阿弥陀様の心だと言われます。そして私の中には「真実」はないのだと、頭を下げていかれました。
 信國淳(のぶくに・あつし)先生という方は、この「真実」の問題に関して、人生の根本問題を二つの言葉で教えて下さいました。それは、「人生は出会いと行き違い」ということです。
 信國先生が五歳の時、ご両親が夫婦喧嘩をされたそうです。父が母を激しくなじることが辛かった五歳の信國先生は、両親の間に割って入られました。するとお父様は、信國先生を突き飛ばしてしまったそうです。そのことが心の痛手となって、人と人はどこで出会えるのかを課題とされていきました。
 人が深く願っていることは、身近な人と出会っていきたいということです。これを和田稠(わだ・しげし)先生という方は、「いのちの願い」と言われます。そして、「人間はおろか、地を這うものも、空を飛ぶものも、いのちといのちが共鳴し合い通い合う世界を共にしたいという願いです。それが浄土の願いです」と語っておられます。
 信國先生は五歳にして、自分の大地と言うべき両親が行き違う姿を目の当たりにされ、生涯ご自分のいのちの根っ子を探る聞法に続けられました。それを和田先生は、「浄土の願い」として言われます。
 人は同じ無量寿のいのちを生きていますから、通じ合って生きていたいと深いところで願っている。しかしそれを破るものがある。それが私達の自我なのです。自我を中心にしているかぎり、何時でも対立をもって人と関わろうとする。しかし、この自我は「真」ではないと祖師方は教えて下さいます。
 大谷専修学院は寮生活です。私の寮生活二年目で同室のなった友達は二十歳くらいでした。やりたい放題の生活をする彼が、疎ましく、最後には「あいつさえいなければ」と思ってしまったわけです。
 阿弥陀様の世界は、無条件に人を愛する心です。私は自分も阿弥陀様の心が真だと感得し、阿弥陀様のようにできると思っておりました。しかし、一人の友達を通して見えてきたものは、他人を無条件に受け入れることができない自分でした。
 当時の講義で竹中智秀先生という方が、「対立というのは幻想です」と言われました。その友達とぶつかっている最中でしたので、私は「先生、敵というはいないのですか」と質問しました。すると竹中先生は、「いません」と一言だけ言われました。
 その言葉を聞いて、その友達を冷たい目で見ている自分とはどういう者なのだろう。自分の心が世界を穢しているということに光が当たりました。阿弥陀様の心は、無条件に人を愛せない私を、そのまま無条件に愛して下さる大地のような心なのです。【続く】

【後編へ】

■ 耳をすませば ■
『道』
──(監督:フェデリコ・フェリーニ /1954/イタリア)──
 忘れられない映画には、忘れられない台詞があるものです。フェディリコ・フェリーニ監督作品の『道』という映画は、私の中に忘れ得ぬ台詞を残してくれた、忘れ得ぬ映画です。
 イタリアの片田舎にジュリソミーナという少し頭の弱い娘がいました。彼女の母親は、ザンパノという粗雑な旅芸人にジュリソミーナを売り飛ばしてしまいます。ジュリソミーナはザンパノと旅を続けながら、「どうして私といるの?」「私が死んだら悲しい?」と質問を繰り返します。しかし、ザンパノーは暴力と暴言でそれに応えるだけでした。
 世間から無視され、母からも捨てられたジェリソミーナは、自分の存在を認めてくれる人を求めていたのです。
 旅芸人一座にはキ印と呼ばれる綱渡りの青年がいました。ある夜ジュリソミーナは、ザンパノが自分の存在を認めてくれないことを悲しみ、「私なんか生きていても意味がないのかもしれない」と泣きます。それを聞いていたキ印は側に落ちていた石を拾って語り掛けます。
「この小石が何の役に立っているか分からないけど、ここにあることには必ず意味があるはず。すべての存在には意味があるんだよ」
 人間の尊さとは何だろう?生きていることの意味はどこで成り立つの?などなど、色んなことを考えさせられる、不朽の名作の中の、光の言葉です。





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