その1 釋尊伝(1)
〜 時 代 〜


 猿学という学問分野がある。日本では京都大学での研究が盛んだといわれているが、ここに興味深い研究発表がある。
 ある日、宮崎県幸島で一匹の若い雌猿が餌のイモを手に取るや海に向けて走り、海水でそのイモを洗った。雑味がとれたのか塩味がきいたのか、「これは旨い!」と思った(であろう?)その猿は、餌が与えられる度にすぐに食べ出す仲間を尻目に、イモを手に海に走った。やがて仲間は次々にその真似を始め、あっと言う間にその群れのほとんどがイモを食す前には海水で洗うようになったという。しかし、これでは単なる「学習」を伝える事象に過ぎない。
 驚くべきは、しばらくして海を隔てた大分県高崎山の猿の群に、突然同じ光景が見られるようになったことである。猿は通信手段を持たず遠距離移動もしない。なのに「伝わった」のである。
 また、別の記録がある。昭和54年、同じく高崎の猿山で小猿たちの間で小石を集めてそれらをぶつけ合う遊びの文化が突然発生したという。石と石をぶつけてはその音と感触を楽しんだらしい。同年、なんと450qほど離れた京都嵐山の猿の群にも同じ遊びをする猿が突然現れた。時を隔てず今度は千葉の高宕山でも同じ遊びをする猿が出てきた。これらはいったいどうしたことか。  専門家の間では様々な説が出ているが真相はいまだはっきりしない。ただこの驚くべき事実のみが存在する。これを「文化の伝播」と言うそうである。この現象は猿の仲間でもある私たち人間の世界でも見受けられる。
 今からおよそ2500年ほど前、ヨーロッパではギリシャの国に一人の哲学者が生まれた。名をソクラテス(B.C.463~383)という。神殿の柱に刻まれた「汝自身を知れ」との言葉に心動かされ、やがて「無知の知」という言葉を世に遺すに至る。また、中国では孔子(B.C.551〜479)が儒教を興した。彼は実践的道徳、つまり人のあるべき姿を説いたという。そしてインドでは釋尊(B.C.463〜383)が世に出て万人が救われる道、仏道を明らかにした。
 三人はもちろんお互いの存在を知らない。しかし、それぞれが遠く離れた地にありながら時代を共有したのである。そして、このことは猿の世界に突然、イモを洗い石遊びをする文化が誕生したように、今から2500年前の人類に「人とは何か、命とは何か」「人はどうあるべきか、人はなぜ苦しむのか」と深く考える時代が到来したことを意味する。その意味において、釋尊の誕生はまさに時代の要請であたっと言うことができるのではないだろうか。
 話はかわるが以前、語学教師である友人に「哲学と道徳と宗教はいったいどう違うのか」と質問された。その場は「宿題にさせて」と逃げたが、十年程経った今でもはっきりと答えられないでいる。皆さんはどうお応えになるであろうか。

(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2003/11発行 「湖南教化委員会報」24号より転載)





その2 釋尊伝(2)
〜 誕 生 〜


 今からおよそ2500年前、インドで一つの命が誕生した。名をゴーダマ・シッダルダという。後に「人間が人間として本当に生きる道」を明かにされ、皆から釋尊と呼ばれる方である。
 ゴーダマはインドの北部にあった釈迦族という弱小部族の国に国王の息子として生まれた。ある春の日、その国の妃が出産を控え、国王に里帰りを願い出た。里帰り出産が2500年も昔から遠く離れたインドで既に行われていたのを知ったとき、妙に関心したのを覚えている。
 許しを得た妃の一行がおよそ十五qほど進んだ頃、里にたどり着く前に妃は急に産気づいたと言われる。慌てたお付きの者たちは安全で清潔な場所を探した。やがて近くにあったルンビニー園と呼ばれる花園にたどり着き、ゴーダマはそこで生まれた。釋尊の誕生日と言われる四月八日に、蓮華を摘み「花祭り」と呼んで祝うのはここからくるのだという。
 釋尊の誕生にはいくつもの伝説が伝えられる。ある先生に、「伝説はその真偽を追究するよりも、故人が今に何を伝えようとしたのかを大切にしなさい」と教わったのを思い出すが、その一つに、釋尊は生まれるとすぐに七歩歩き、「天上天下唯我独尊」と言われたというがある。「天上天下」とはこの世にというだけではなく、過去にも未来にも、数え切れない人間の命の歴史の中で「この私」は一人しかいないということである。これから何億年歴史が続こうとも「この私」は今の一人しかいないのである。そしてそのかけがえのない命は「唯我独尊」であるという。「ただわれひとりにしてとうとし」と読むのであろう。もちろん私が最も尊いということではない。「独」の字には「そのままで、裸のままで」という意味があると聞く。つまり何も足さなくとも、生まれたままで尊い命を生きる存在なのだということである。
 大谷中・高等学校の真城校長先生が「今の教育は人材を作る教育になってしまった」と指摘されている。人材育成の教育とは社会に役立つ人間の教育であり、自身に付加価値をつけることを常に求められるのだという。周りから「今のままでは、そのままでは駄目だ」と言われ続ける教育である。自己の内面を見つめることよりも、自分に技能や知識を付け足すことのみ一生懸命になる教育である。人間としてのスタートが「生まれながらにして尊い命」であることを説く釋尊の教えは、今の社会の「教え」には無縁となってしまったのであろうか。それとも・・・。

(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2003/02発行 「湖南教化委員会報」25号より転載)





その3 釋尊伝(3)
〜 幼少の太子 〜


 一国の王となる者として世に生を受けたゴーダマは、大事に大事に育てられた。ゴーダマはには三つの宮殿が与えられた。インドの気候は厳しい。夏はともかく暑く、冬の寒さは耐え難いほどである。それに加え六月から九月にかけて、丸々三ヶ月は雨が降り続く。その雨の量は東京の年間降雨量十六年分だという。よってゴーダマは夏・冬・雨季とその時々に適した宮殿に移り住んだ。
 またゴーダマには学問と武芸の教育係がついた。そればかりか、食事・娯楽・身の回りの世話をする者等、常に多くの従者に仕えられた。三つの宮殿も多くの従者も、全てはゴーダマによき国王になってほしいという国王の願いによるものであった。そんな願いの下、ゴーダマは大事に大事に育てられた。後に釋尊は幼少時代を次のように振り返っておられる。
私は苦を知らぬ、きわめて幸福な生活をしていた
 「大事に大事に育てられる」というのは「大事に育てられる」のとは少し違う。どう違うのか。
 保育園に勤める友人がお絵かきの時間に皆で生き物の絵を描いた。園児は思い思いに好きな動物を描き出した。その中の一人が画用紙に大きな川を描き、その中に赤や白の四角い消しゴムのようなものを幾つも描いていた。友人はその子に、「これなあに?」と訊いた。その子は元気に「おさかな〜」とこたえたという。友人はその絵の謎を数日後に理解した。その子は刺身(切り身)を描いていたのだ。その子の中で「今日はお魚よ」と言われて食べていた切り身=おさかな、となってしまっていたのだ。
 また、横浜で小学校の教諭をしている友人に聞いた話だが、校庭で転けて頭から突っ込んだ児童に駆け寄り、「なぜ手をつかなかったのか?」と訊いた。すると、その子に「手をつくの?」と泣き顔で問い返されびっくりしたという。信じ難いことだが、先日同年代のお母さんに訊くと、「今じゃあ転けても手をつけない子どもがクラスに数人はいる」と言われた。まだ幼いから。確かにそうかもしれない。しかし…。
 大事に大事に育てられるということは現実を知らずに育つということにつながる。生きた魚が我々の目に入る前の現実の姿を知らない。転けたら痛い、怪我をするから手をつくということも知らない。大人に支えられ転けずに大きくなる。大事に大事に育てられるとそうなるのだろう。
 先に挙げた釋尊が自らの幼年時代を回顧する言葉には続きがある。
私はこのような富裕な家に生まれ、幸福な生活にあって、まったく苦を知らなかったにもかかわらず、私は考えないではいられなかった。
 大事に大事に育てられた幼きゴーダマは何に気づき、何を考えたのだろうか。

(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2003/03発行 「湖南教化委員会報」26号より転載)





その4
〜 人間の特質 〜


 仏の眼から見た人間は凡夫という言葉で示されるが、その人間の命にはいくつかの特徴がある。  一つは「人間は皆尊い命を生きる生き物である」ということであろう。釋尊は誕生されて「天上天下唯我独尊」という言葉を残された。全ての人が尊い命を生きているのである。
 二つ目は「人間は失敗する生き物である」ということであろう。どれだけ努力しても失敗することを免れないし、また、どんなに気をつけていても人を傷つけてしまう。それが人間の命の特質である。『歎異抄(たんにしょう)』の後序に「そくばくの業をもちける身」という言葉で親鸞(しんらん)聖人が自身を表明されている言葉がある。これは人間が自身の努力や頑張りが通じないほどの、また、背負い切れないほどの重たいものを感じていきているということではないだろうか。
 三つ目は「人間の命は皆つながっている」ということであろう。だれ一人、つながりを全て断ち切り生きることはできない。人と人の間、関係を生きるのが人間の命である。
 まだ他にも特徴はあるだろうが、これらは裏返して考えると人間の本当の姿が見えて来るのではないだろうか。つまり、人間は皆尊い命を生きているのだから、その尊さに気づかないと人間らしく生きていることにならない。皆尊いのだから上も下もない。なのに、私の方が上だと言って優越感に浸ったり、私はダメだと言って劣等感に苛まれたりする生き方は、それでいいのかという問いかけがされているのである。皆尊い命を生きているということに心がいかにと、簡単に他を傷つけ、自己をも傷つけてしまう。
 また、人間は失敗する生き物であるのだから、失敗などしない生き方は人間の生き方ではない。ロボットか何か知らないが、とにかくそれは人間らしい生き方ではないのである。失敗に開き直る必要もない。ただ、失敗を恐れ逃げ回ることも、失敗をごまかしたりすることもいらない。もともと失敗する生き物であるから、失敗すればしたで、受け止めていけばいいのだ。しかし、これがなかなかできない。しかし、これがなかなかできない。失敗を直視することが難しいのも人間の特質であろう。
 源信(げんしん)は、地獄とは何かという問いに「帰る処なく孤独にして同伴者なし」と答えている。これは旅行を例にして考えてみるとよい。旅行が楽しめる一番の理由は、終われば帰れるということである。帰る所がないとなると、うかうかと旅行など楽しめるはずがない。孤独という言葉があるが、誰かとつながっていない一人を孤立といい、誰かとつながっている一人を独立というのだろう。どこかでつながりをしっかりと感じているからこそ、人は独立できるのである。
 あるアンケートで滋賀県人が日本トップの結果が出た。それは「旅先でお土産を買って帰る人」という質問に答えたものである。滋賀県の人がつながりを大切にしていることの表れであろうか?。

(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2003/06発行 「湖南教化委員会報」27号より転載)





その5 釋尊伝(4)
〜 樹下静観 〜


 ある年の春、少年ゴーダマはその地に伝わる風習にのっとり、豊穣を願う農耕祭に出席した。その時に遭遇した出来事が今に伝わっている。
王子は閻浮樹の下に座って、耕した土の中から虫が出てくるのを見た。そこへ鳥が飛んで来て虫をついばんでしまった。また、ガマガエルが小さな魚を追いかけて食べたかと思うと、蛇が穴から出て来てそのガマガエルを食べた。すると孔雀が飛んで来てその蛇を食べ、鷹が飛んで来てその孔雀を食べてしまった。すると今度はオオワシがやってきてそれを捕らえて食べてしまった。王子はこのように生きとし生けるものが順々に食べあっているのを見て、慈しみの心が大いに傷ついた。
(『修行本起経』より)
 私たちは物があれば、便利になればより幸福になれると信じているふしがある。今から五〇年程前と比べると確かに物があふれ便利になった。ではそれと相応して今の人はより幸福になったのかな?。争いや諍いとは縁遠い心豊かな生活を営めるようになったのかな?。
 あるカレンダーに「人間は物を求めようとする。されど仏は物を見る眼を与えようとされる」という法語があった。物を求める心はおさまらず、その上に物を見る眼を失っている私たちがいるのである。小林一茶に「はだかにて生まれてきたのに何不足」という句がある。なかなかそう思えずに不満不足不平でいっぱいの私がいる。
 物を求めて止まないこの人間の心は、また争うことからも免れない。ある国の偉い人は「正義は我にあり」といっては他国を侵し、同じ人間を殺し、尚かつその死体の写真までも世界に公表している。「正義は我にあり」というそのものさし≠再考する眼は持ち合わせていないのだろう。しかしこれは他人事ではない。他の誰でもなく私の問題である。あなたも同じことをしていないかという問いかけである。今までどれだけ自分のものさし≠ナ人を裁き、傷つけ、さらに悪いことにそのことに気づかずに生きてきたことか。
 人間は自分だけの力で自己を見つめる眼、自分のものさし≠疑う眼は身につけられないのであろう。もっと言うとその必要性も感じていない。まさに「正義は我にあり」という生き方をしてしまう生き物なのである。そしてそういう人間にはたらき掛けるのが仏教ではないであろうか。「あんたは正しいというけど、ほんまに正しいの?根拠はどこにあるの?」と。
 「経教はこれを喩うるに鏡の如し」(『観経疏(かんぎょうしょ)』)。「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)」と『正信偈(しょうしんげ)』に詠われる善導の言葉である。仏教という鏡には、さてどんな自分が映し出されるのであろうか。


(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2003/08発行 「湖南教化委員会報」28号より転載)





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