その6 釋尊伝(5)
〜 四門出遊@ 〜


 ゴータマが直面した課題、それは全ての人間が避けて通る事のできない「生老病死」と呼ばれるものであった。『修本経』に次のように書かれている。
 ある日、国王は王子に「城外へ遊びに行ってはどうか」と告げた。王子は以前より城の外の生活が見たいと思っていたので「願いがかなった」と思った。国王は直ちに国中に命令を出した。「王子が外出する。道路はきれいに片付け、水を打て。香をたけ。道々には幌をかけ、できるだけきれいにしろ」。
 かくして、王子は多くの騎兵隊に守られ東の門より出ようとした。すると、一人の人が道の傍らにうずくまっていた。王子は「これはいったいどういう人間なのだ。」と聞いた。家臣の一人が「老人です」と答えた。それに対し王子は「老人とは一体何だ」と聞いた。「人は皆、歳をとるとこうなるのです。体力・気力共に衰え、立ったり座ったりするのも一人ではできず、目は見えにくく、耳は聞こえにくくなるのです。また物忘れもひどくなり、しかも残りの命は限られています」。
 ゴータマはそこに自分を見た。出掛ける気分はすっかり失せてしまい、城に戻った。
 「四門出遊」に語られる第1回目のお出掛けはこのような内容である。

 以前、「大事に大事に育てられる」という話をした。保育園で川の中に刺し身を書いて「お魚」という子どもがいるという話である。ゴータマもまた大事に大事に育てられていた。およそ醜いと思われるものは、彼の視界に入らぬように遠ざけられていたのだ。その醜いものの一つに老人があった。今からおよそ2500年前の話である。今はどうか?。
 現代の家庭を見ても同じような事をしていないだろうか。ある先生が「今という時代は生老病死が家の外に置かれ、都合のいい部分だけが家の中にある」と言われたのを思い出す。トイレは臭いものである。それは人間の作り出す匂いである。しかし、臭いトイレは珍しくなった。病人は家で看病せず病院にあずけ、老人も家にはいない。葬式は家ではなくどこかの○○ホールでされることが多い。いろいろな理由があるであろう。しかし、家の中にあるのは、都合のいい人間が自分の都合の悪いことを家から追い出すかごまかすかして、力無く笑いながら生活する姿ではなかろうか。我が家のトイレも消臭材であふれている。人の匂いが残っていると腹が立つ。自分のは我慢できるのに。【つづく】


(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2004/01発行 「湖南教化委員会報」29号より転載)





その7 釋尊伝(6)
〜 四門出遊A 〜


 福井に住む高校一年の高岡史絵さんの「病という名のあなたへ」という文に出遇った。「福井新聞」に紹介されたのを、大谷高校で宗教を教えられている池田真先生に紹介いただいたのだ。今回は何も言わないでいたい。ただ、「生老病死」の《病》について、それぞれが次の文を読み、それぞれに何かを感じていただきたい。

 私は病(あなた)を恨んだ。辛いから恨まずにいられなかった。苦しいときは、この身を切り開いて病(あなた)をつかみ出し、切り刻みたいと思うほどに憎んだ。それでも事足りず、病(あなた)が遺伝性が高いと知ると、私は父を恨み、母をも恨んだ。それでも、祖母が病(あなた)に犯された時は、皆で母を助け、家族がひとつになれたことに、私は感動し、病(あなた)は優しさを教えるためにこの世に存在しているに違いない、と確信した。なのに、いざ病(あなた)が私にふりかかると、私の中に優しさは生まれてなかった。友達が「頑張ってネ」と見舞ってくれると、「私の頑張りが足りないというのか」と悪態をついた。友達が、「早くよくなってネ」と励ましてくれると、「私がわざとゆっくりしているっていうのか」とひねくれた。その上、同情は嫌だと自分を出すことすら拒んだ。私は周りの人が見えなかった。だから、病(あなた)を恨み続けることでしか、自分の存在も見えなかったのかもしれない。
 でも、つい数日前、一人の友が16歳の若さで亡くなった。突然のことで、誰もが心を痛めた。私も苦しかった。その苦しみを、迎えに来てくれた母に話した。母は「どうして・・・」というと、そめままずっと涙した。家に着くまで、母の頬が乾くことはなかた。祖父は「代ってやりたいだろうな」と家族を想い、父は「史絵は大丈夫?」と、私を気遣ってくれ。その夜、寝付けぬ私の枕もとに母が座り、私が寝付くまで、私の頭をずっと撫でてくれた。涙をおし殺すように、時々途切れる母の鼻息が、私の肩を優しく抱いた。こんなに世話のかかる私を、そう、病(あなた)をひっくるめた私め全てを、誰もが大切に思ってくれていることを、私は強く感じた。
 次の日の葬儀では、多くの人の、様々な悲しみがそこにあった。ひとつの命を誰もがいとおしいと思っているのを、痛いほど感じた。病(あなた)が、何故被女を奪ったのかはわからない。しかし・その場の私は、たとえ自分が病(あなた)と一緒であろうと、今、自分に命あることを感謝せずにはいられなかった。
 ある人が、「人の苦しみは、その人が越えられる分だけ与えらる」と言った。ならば、病(あなた)が私の元にやってきたのは、私の周りには私を助けてくれる人がたくさんいるかなのだろうか。考えてみると、病(あなた)がいるからこそ、私はひとりではないこと感じることができ、病(あなた)がいるからこそ、人に素直に頭を下げることがでるのかもしれな。かといって、私は病(あなた)を、好きではないのだと思う。そう、私は病(あなた)に負けたくない。でも正直言って、治るはずも無い病(あなた)と戦いたくもない。今となっては、病(あなた)がいる私こそが私であると思えなくもないから。だから私、これから先は、病(あなた)と仲良く生きていたいなあ。ねえ、病(きみ)!仲良くやっていこう。そして、病(きみ)が見せてくれる私の決心(こころ)と、人の情(こころ)を捜してみたいなあ。


(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2004/03発行 「湖南教化委員会報」30号より転載)





その8
〜 雑感 〜


 高校に勤め、宗教と英語を教えている。「教師」という仕事は「師に教えられる」ことをいうのだと、つくづく考えさせられる毎日である。「師」は時に教員であり、また生徒でもある。今回は教えられた言葉と私なりに考えたことを少し紹介した。

 「自分にやれることは全てやる。やれないことは全て任せる」。
 数学の先生の言葉である。自分にできることは何でも一生懸命やる。しかし、できないことは全て、それができる人に任せる。私にはこういう覚悟がないなあと考えてしまった。
 私にはできることをさぼり、きちんとせず、できないことに手を出す癖がある。最初から私にはできないと分かっているのに、見栄をはり、安請け合いをしてしまう。あげくの果てに勝手にイライラしたり、落ち込んだりして、そればかりか他人に迷惑をかけまくっている。しかし、時々、できないと思っていたことがどうにかできたりするから、たちが悪い。滅多にないことだが、そんな時は鼻高々になってしまう。そしてまた同じことで苦しむ。
 人を信頼していないのか、できないということが格好悪いと思うのか、無理だなと思っても「できない」とも「任せた」とも言えずに抱え込み、「私はかわいそうだ」とか「私ほど忙しい人はいない」などと言って、自分をなぐさめてしまう。
 そのくせ、自分でできることは後回しにしたり手を抜いたりする。そして、またまた周りに迷惑をかけてしまう。正に輪廻である。
 自分にできることは何でもやり、できないと判断したならば、それができる人に任す。任した限りは、グチャグチャ言わない。一緒に働いていてこれほど心地いいことはない。こういう生き方が私にもできたらなあ〜と思うのだが・・・。
 この先生は病気になられたときに、清沢満之先生の「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉に救われたという話を聞いたことがある。他力の教えが人にはたらき、具体的に生活に現れたらこうなるのかな等と考えている。



(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2004/05発行 「湖南教化委員会報」31号より転載)





その9 釋尊伝(7)
〜 出家@ 〜


 生老病死という命の現実に気づき、その苦しみを胸に抱いたままゴーダマは二九歳の生年になっていた。ヤソーダラという女性と結婚し、息子のラーフラも誕生していた。しかし彼は国も財産も地位も家族も棄てて出家する道を選ぶ。この時のことをゴーダマは晩年次のように語る。
「いのちの現実に気づかぬ者たちは、自分自身、老いるもの・病むもの・死ぬものであり、老いること・病むこと・死ぬことを避けられぬ身でありながら、他人が老い・病み・死ぬのを見ると、自分のことは見過ごしてとまどったり忌み嫌ったりしている。
 実は私自身も、老いるもの・病むもの・死ぬものであり、老いること・病むこと・死ぬことをを避けられぬ身でありながら、他人が老い・病み・死ぬのを見て、とまどったり忌み嫌ったりするべきであろうか。
 いや、決してそれは正しいことではない、と、私がこのように自分自身を省みた時、若さに対する空しい誇り、健康に対する空しい誇り、生存に対する空しい誇りは全く消えうせてしまった」(『アングッタラ・ニカーヤ』より)

 人間の眼は前を向いてついている。それは自分の外を見るために眼があるということであろう。だから、どんなに眼のいい人でも、自分の眼で自分の顔を直接見る事はできない。私の顔を映して示してくれる何か≠ェ必要である。
 私たちは写真を撮る前に鏡に自己を映し身なりを整える。もしくは隣の人に「私、変じゃない?」と聞いたりする。そうしないと、とんでもない自分が写真に撮られそうで心配なのだ。しかし、よく考えれば整えようとしているのは、その時まで自分がどういう有り様でいたのか気にもしなかった「普段の私」なのである。
 人間の眼は外を見ることで精一杯だ。自己の内側を観察することはできない。ちょうど私の外見を映し示してくれる何かがなければ、今の自分はどうなのか心配でしょうがない。いや、「普段の私」は実はそんなことに悩むことさえないのかもしれない。
 仏教は自己を問題とし、自己に悩み苦しむ者にはたらくと言われる。しかし、むしろ仏教は「普段の私」に自己に苦しむ力を与えてくれるのではないだろうかと思う。「自己を問題にしなさい」という願いなのではと。「安心して悩みなさい」という声なのではなかろうかと。
 ゴーダマは生老病死という命の現実に宿る苦しみに気づいた。「全ての人」のこととしてではなく、「この私」のこととして。外をみていた眼が内に向けられたときに、全てを棄てて出家せずにはいられなかったのではないだろうか。


(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2004/06発行 「湖南教化委員会報」32号より転載)




その10 釋尊伝(8)
〜 出家A 〜


 ゴーダマ・シッダールタの出家の決意は次のように語られている。
私は欲望をかなえるために出家したのではありません。欲望のなかに患いを見て、また欲望を求める生活の放棄こそ安らぎと見て、努めいそしむために行おうとするのです。そこに私の本当の喜びがあるのです。(『スッタ・ニパータ』)
 ゴーダマにとっての出家は、人間の持つ全ての欲望を棄てて・生老病死という命の現実を真正面から受け止める生き方を選択することであった。
 私たちは自分の欲望(思い)がかなうことで幸せになれると信じている。「ああなりさえすれば私は幸せなのに〜」と思い、「そうならないなら私は不幸なのだ」と、現実を恨むことが多い。確かに自分の思いどおりに事が運ぶと気持ちいいものである。しかし、その気持ち良さは決して長続きしない。なぜか?人間の欲望にはキリがないからである。
 二〇年ほど前の話だが、東京にいた私には、車が欲しくてしようがな一人の友人がいた。彼は会うといつも欲しい車の話をしていた。それはアメリカのカマロという外車で、しかも赤でないとだめだそうだった。「車させ手に入れれば僕は何でも我慢できる」というのが彼の常であった。事実、彼は車を買うお金を得るためかなりきつい仕事に耐えていた。やっと頭金が貯まり、三年ローンで念願の赤のカマロを手に入れた彼は、私との待ち合わせにその車でやってきた。それはそれはいい笑顔をしていた。話している最中も視線はずっと愛車に注がれていた。幸福の絶頂にいるようだった。
 しかし、三ヵ月後に会うと彼の笑顔は寂しそうであった。駐車場代ガソリン代にとお金がかかるので仕事を増やし、好きな車にもあまり乗れないという。しかも夜で誰かに傷を付けられはしないかと心を悩ませ、睡眠不足だという。車を手に入れる前より元気がなく、疲れ切った彼がいた。なのに彼は、今はこの車に合ういいタイヤが欲しくてしようがないと言っていた。
 人間の欲は尽きない。一つかなうと次の欲が生じる。そしてその欲は私を患わせる。欲望の実現は幸福を生むとは限らない。苦をも生むのである。それまでにはこの私に縁のなかった苦悩が襲いかかってくる。
 さて、先程の彼は車を買って半年後、大事故を起こした。ケガはたいしたことなかったのだが、そのかわりに車を廃車にしていまい、後には三〇回のローンのみが残った。ウソのような本当の話である。こんな彼をあなたは笑えますか?。
 夏休みに温泉に行きたくてしようがないと思っていた私は、久しぶりに彼のことを思い出し苦笑している。それでも思ってしまう。温泉にさえ行ければ〜と。


(近江第5組・正念寺/大谷高校教諭)





(2004/08発行 「湖南教化委員会報」33号より転載)





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