【社会に役立つ寺】

 私(住職)がサラリーマンになったばかりの頃、、、つまり新入社員の頃、自己啓発が大流行でした。流行に後れをとらないように新しいもん好きの人事部長は、そういうのに新入社員達を行かすのでした(あんまし良い思い出ないなあ)。
 自己啓発って知ってますよね?。まあ単純に企業で働けるように、ある種のすり込みをするんですよ。例えば1日中缶詰にして「ガンバルゾ」とか「シゴトスルゾ」とか「カネヲモウケテイイクラシスルゾ」とか言い続けたり、そういった内容でディスカッションしたり、作文書いたりするんです。
 何回か行きましたが、T宗のお寺に行ったことが一番印象に残ってます。
 座禅も組みましたし、精進料理も食べました。小僧みたいなヤツにヘンに偉そうに指導されました。そして、その寺の住職は繰り返し話します。「仕事して、出世して、金を儲けて、素晴らしい人生をすごそう」。
 ある研修会で真宗大谷派の若手の坊さんが面白いことを言ってました。「真宗は現世利益はダメ。先祖供養をしない。世間のニーズに合わないことばっかりしてる。だから少しは寺に人を呼べるように、社会に役立つ♀驪ニ人を育成することをするべきだ」と。
 つまりですね。そのT宗の寺のような役割をしろと宣うわけですよ。
 阿弥陀仏はえらばず・きらわず・みすてずのはたらきだと私は教わったんですよね。どんなに世間から見捨てられても、側に居る者が誰もいなくなっても、阿弥陀仏だけは見捨てない。
 そうすると、阿弥陀仏のはたらきを手次ぎする浄土真宗のお寺は社会に役立つ人を育成する¥齒鰍ナはないことが分かります。社会に役立たないとレッテルを貼られている人がいれば、「自分自身を見捨てるな」という阿弥陀仏の呼び掛けを手次する場所が寺なんでしょう。
 
(2003/1/28up)



 寺が縁ある人の教えを手次することを「教化(きょうか)」とか「伝道」と言ったりします。聞法会を開いたり、法要を勤めるのも教化。寺報なんかの配布物をお届けするのも教化。お寺の前に教えの言葉を書く掲示板も教化。さらに御門徒(もんと)宅に報恩講、年忌・月忌法要、葬式などなどお勤めしに行くのも教化です。
 つい先だっての研修会で、ある人が言われました。「私ら(僧侶)が世間で活動することも教化なんじゃないか」。社会運動とかそういうものも含めてなんでしょうけど、もっと身近に、例えばPTAとかに出ていって発言したり、組織を運営することも教化。保育所に子どもを迎えに行くことも教化だと。そういう場合、往々にして僧侶であることをどこかに置いて、世間に追従した形で発言したり行動したりする。でも、そこで念仏を申して生きていきたいと願う者としての自己を忘れないような関わり方をする。これも教化なんじゃないかと。これは坊さんぶる、坊さんらしい立ち振る舞いをする≠ニいう意味ではなくね。
 このことを言われた方は、「寺から派遣されてるんや」と言い表されました。
 寺に人が来ない。でも世間で生きている以上、様々な形で世間と関わっているし、世間の場に出ていくこともある。これを「寺から派遣されてている」「教化しに行っている」と前向きにとらえて、様々な事柄を選ぶことの大事さを教わったなあ。

(2003/3/9up)


 某宗派寺院の掲示板伝導に、ムカムカする言葉が書かれてました。
たった一人のふくれっ面が家庭全部を暗くする
家庭円満は南無阿弥陀仏から
笑顔が一番
「念仏したら、南無阿弥陀仏を称えたら、家庭円満になりますよ」と受け取れません?。「暗い顔はダメよ。念仏したら笑顔が止まらなくて、みんなが幸せになれますよ」って聞こえるんだけど。これをを見ただけでムカムカするのはカルシュウムが足りないせいなのか。。。
 大谷派のある法座でも、法話者が「腹が立つ時は、怒りを抑えて南無阿弥陀仏を三回称えたらいい。そうすると心が落ち着く」って話をしてました。その人は、どうしたら円満な人間関係が築けるか具体的に喋ってたけどね。聞いてる人はウンウン頷いてバカ受けでしたよ。
 円満な対人関係を築く術──つまり「処世術」を説くことが法話≠ナあり教化だったのか。いくら受けるからって、それって違うでしょう?。どうしたら世間で上手く生きられるかを説くなんてPHPとかにまかしとけばいい。最低でもそれを寺で説くことないと思います。
 人と人の間を生きているのが人間。他人が私≠ニは違う人間である以上、私≠熨シ人も自我を持ち自分が正しいと思っている以上、衝突したり上手くいかないのは当たり前。その衝突して上手くいかない現実を仏法に聞き、その現実を通して自分を問う=Aこれが仏法聴聞だと私は教えられました。
たった一人のふくれっ面を通して問われる私
家庭不和を通して問われる私
笑顔になれない現実を通して問われる私
私≠ェ抜け落ちた南無阿弥陀仏なんてないと思います。仏教を聞いても現実を上手く生きることはできないですよ。

(2003/6/11up)


 2003年の夏、南学会の旅行で愛知県の岡崎に行きました。真宗寺院もお参りしたけど、一ヶ寺だけスゲー祈祷と追善ばっかりしている寺院に行きましたです。
 その寺は観光寺院じゃあないんです。ほんと祈祷と追善のための施設なんです。その建物からして無駄がない。どういう風に無駄がないかというと、祈祷と追善をするためにだけに本堂やら施設を建てているわけっすよ。食堂は一見普通なんだけど、メニューに全て「開運」とか「厄除け」って書いてある。「厄除けソバ」「開運親子丼」(!!)って。お守りやら、お守り用の数珠(!)やら至る所に置いてあってね。
 祈祷をみてきました。般若心経を勤めて、一人ひとりの名前と祈祷内容を言って──祈祷の申込用紙がありました──、最後は大麻(おおぬさ/神社によくある棒に白紙のついた御祓いの道具)で御祓い。あれって神社で使うんじゃないのか?。
 観光としての目玉がない寺院は生き残るのに必死です。その寺は禅宗(!!!)なんですが、山の上にあったし、開山当初はそういう寺じゃなかったんでしょうね。しっかりとした修行場だったことでしょう。近世、近代に何とか生き残ろうと、そういうことを始めたんだけど、それが行き着くところまでいっちゃった、、、って感じ。
 寺はそうまでして生き残らなければならないんですか?。祈祷や追善という形で煩悩を肯定してまで、形を残さなければならないんですか?。

(2003/8/31up)


 仏教って伝えるものなんでしょうか?。
 今の大谷派の教化(きょうか)事業≠ネるものは研修会の形式をとることが多いように思えます。研修内容は、仏教の教義──っていうか難解な浄土真宗の説明・解説を、大学の講義みたいに参会者に教える形式が多いみたい。
 自画自賛じゃないけど、大谷派は教化に熱心は教団だと言えます。けどね、浄土真宗の説明・解説の研修事業が、ほんとに浄土真宗の教えを広めることになっているのかどうか…。
 参会者の御門徒(もんと)は、ボクら坊さんより遙かに人生経験もあるし、苦労もされてきている。そういう方々は、主にお寺への義理立てで参加してくださるんだけど。御門徒は、信仰や信仰生活のない、ただ単に浄土真宗の説明・解説が行われている研修をどう思っておられるんでしょうね?。
 意図して、仏教・浄土真宗の理屈を伝えようとすることに努力を費やしている、大谷派の現状。確かにマジメな事業と言えます。結果どうなったんでしょう?。理屈には詳しいけど、信仰生活のない人を量産しているだけじゃないのかなあ…。
 仏教は伝えるもんじゃない。伝わるもの。先に仏の教えをうけ、仏の教えが真だと生きている人の生き方を通して、伝わるもの。
 ホント思いますよ…。人を動かすのは理屈じゃねえんだよ!。心なんだよ!。
 親鸞(しんらん)蓮如(れんにょ)の言葉の解説にとどまった研修を見直して、親鸞、蓮如の生き方に学ぶような研修事業の展開が願われると思いますよ。
 もっとヤバイことに、坊さんの法話が、信仰の生活が抜け落ちて、仏教の説明・解説になってないかなあ。

(2004/6/29up)


 勤行(ごんぎょう)中でも法話中でも、やたら「なんまんだぶつ」と称えるお年寄りが減ってきたように思う。逆に法話を聴聞したあと、「拍手(はくしゅ)」に遭遇する機会が増えた。講演会などを聞き慣れている現代人は、話し手への賞賛を拍手で表現するし、法座においての拍手に違和感を感じない人の方が多いのも事実であろう。
 日本において、拍手で賞賛の意味を表すという習慣はなく、明治以降に西洋から入ってきた。西洋人が音楽会や観劇のマナーとして拍手をすることに倣い、先進文化≠フ模倣として日本人も拍手をする習慣を身につけた。もともと日本文化になかった拍手が法座で起こるはずもなく、法話を聴聞したあとの感動の表現として合掌し称名念佛を称えてきた。そして拍手という習慣が一般的になっても、それは近年まで続いてきたのだ。なぜなら、佛法と出遇い得た感動は観劇や音楽鑑賞とは質の違うものであるから、その感動は拍手という行為では表現できないからである。
 「感動の表現は人それぞれ」という声もあろう。しかし、合掌して「なんまんだぶつ」と称えることが感動の表現に成り得ていない現実を、真宗門徒を名告る我々はどう考えているのだろうか。合掌することも、念佛を称えることも儀式の形式として行う(やらされている)だけであり、そこに心≠ヘない。ただ単に因習としての行為になってはいないか。
 勤行や法話の真っ最中に聞こえる「なんまんだぶつ」の声に調子が狂うこともある。しかし、あの声こそが、意味を問わない因習としての合掌・称名念佛ではない、感動の表現なのだと思う。

(2007/5/1up)


 「寺密度」という言葉があります。これは人口10万人当たりに寺の数。この寺密度が日本で一番高い県は、、、わが滋賀県なんです。
【寺密度 ベスト5】
  1 滋賀県
  2 福井県
  3 島根県
  4 富山県
  5 山梨県
ちなみに観光寺院が多数ある京都は11位、奈良は13位だそうです。
 田園の真ん中に村がある。その村で少し高い屋根が見える。それがお寺。蓮如(れんにょ)さんは「念仏道場は小棟を上げて造れ」と言われたそうです。そこに念仏道場=お寺があると分かるように。
 近江の国にある浄土真宗寺院。近江の国で民衆の品格≠つくってきた念仏の教え。寺密度の高さはそのまま、民衆の品格≠保ってきた力だったのでしょう。近江にとって品格≠ニは武士が作った下らない武士道なんてもんじゃない。品格≠ニは念仏の教えを生活で聞いた民衆がつくった仏教文化そのものだったのです。

(2007/9/1up)


 お経の現代語訳について、戸次公正氏(真宗大谷派/南溟寺)が「朝日新聞」に文章を寄稿されていましたので掲載します。
    お経は日本語で 意味不明でありがたいのか
戸次公正 真宗大谷派南溟寺(大阪府泉大津市)住職
 私は20年ほど前から法事の場で、お経を現代日本語訳で読む試みをしています。ふつうは僧侶が漢文で音読するのを、皆が後ろで聞いているだけです。私はこうした旧来の作法にのっとった法事もしますが、その場合でも、訓読(読みくだし文を読む)もふくめた、現代語訳のお経のテキストを配って、参加者と一緒に朗読するお勤めも加えています。
 私は寺に生まれ育ちながら、子ども心に「珍紛漢文・意味不明」の読経に疑問を抱いてきました。キリスト教の聖書みたいに読んでわかるお経はなぜないのか、と思いながら。
 大学で仏教を学び始めた頃、たまたま木津無庵という人が編纂した本邦初の日本語訳のお経に出会いました。大正時代に作られた『新訳仏教聖典』という本です。現在、復刻もされています。それをもとにして形を変えたものが、今では主要なホテルの客室に聖書と並んで常備されている仏教聖典となりました。
 それらを資料にして私は独白のお経の本を作りました。内容は『浄土三部経』を抄出意訳したものと、親鸞聖人がつくった宗教詩『正信備』や『三帰依文』(仏教徒の誓いの言葉)の拙訳などで構成しています。これらを私は法事の場で朗読しています。たとえば回向文の「願以此功徳/平等施一切/同発菩提心/往生安楽国」は、「み仏の願いの大きなはたらきが、すべてのいのちに平等に恵まれて、めざめを求める心をひとつにして、共に生きる世界に向かって終わりのない歩みを続けていくことを」と読みます。
 やり始めた当初は、お年寄りには違和感を持たれ、かなり反発されました。でも青少年には受け入れられました。何よりも法事の間、黙って座って意味のわからぬお経を聞かされているよりいい、退屈しない、と好評です。「へえ、お経ってこんなことが書いてあるんだ」と驚き、質問してくるのも若者です。  私は日本の仏教徒の最大の忘れ物は、すべてのお経(一切経・大蔵経)の日本語訳が未完のままであることだと考えています。それは江戸時代の檀家制度で習俗化され、宗派意識で儀式化されてきた仏教が、お経を漢文で読誦する伝統のみを荘重なものとして保守し、固執しつづけているからではないでしょうか。
 お経を現代日本語訳で読むことへの抵抗が一番強いのは宗門の僧侶たちです。中には賛同者もいますが、多くは「ありがたみがない」「漢文でないと深い意味が伝わらない」などと言います。これでは仏教は迷信と変わらなくなってしまいます。
 お経とは、目覚めた人・仏陀の教えです。それは「慰霊鎮魂の呪文」ではなく、個々の自覚と他者との共存の智慧と実践の書です。お経の根底には、非戦平和の願いと、あらゆるいのちあるもの(衆生)と共に生きるという精神が流れています。読んでわかり、聞いてうなずけるお経に遇うことが機縁となってこそ、より奥深い仏典の世界へのアプローチが広がるものと確信しています。
(「朝日新聞」2009年9月24日朝刊/「オピニオン〜私の視点×4」)
 戸次氏は大谷派のなかでも、日本語(現代語)でお経を読む取り組みを先駆的に行っておられる方です。私自身、儀式のなかの漢文のお経──意味の分からないお経を読む意味が分かりかねます。儀式が南無阿弥陀仏を表現するものから、ただの因習となっている原因は、そういったことに起因しているのかもしれません。

(2009/11/1up)



【手次寺の住職】

 お坊さんとして各家庭にお参りすることが多いんですけど(当たり前か)、帰り際に「ありがとうございました」と言うようにしています。こう言うと、丁重な接待を受けたこととか、お布施を頂いたことに「ありがとう」と言っているみたいだけど、そうじゃない。
 色んなところに書いてますが、ぼくは怠惰な男です。自分から発心して、仏法を聞いていこう、聴聞しよう、お勤めしよう、、、ってならないんですよね。
 でも手次寺(てつぎでら)の住職をしていると、仕事として、職責として、勤行するということがある。法話でも喋ろうなんてことになったら、ネタ探しでも聴聞しなければならない。法事を頼まれることが、ぼく自身の聴聞を開いてくれているんですよ。
 そういう意味で、ぼくから「ありがとうございました」なんです。
 立っている場所が人を育てる、とよく言いますけど、真宗寺院の住職ってみんなそうかもね。

(2003/5/1up)


 私が所属する真宗大谷派だけじゃなくて色んな宗派の葬式に行きました。その中で、一番儀式が曖昧で、坊さんの統一がとれてなくて、シャンとしない葬式をする宗派は、何を隠そう我が真宗大谷派ですね。更に、葬儀屋さんに対して一番注文が多い宗派も真宗大谷派です。
 浄土真宗の葬式(何をもってそう言うのか曖昧なところもありますが)を勤修するために、葬儀屋さんに対する注文はするべきだと思います。でもね、葬儀屋さんは、「大谷派の坊さんはうるさいわりに儀式がメチャクチャやないか」と思ってるかもね。
 荘厳(そうごん)な雰囲気を出すために、儀式って綺麗に勤めなければならない、、、と思います。最低でも、大谷派では合掌して頭礼(ずらい)しない、鳴り物(鈴とか)が鳴るまで合掌を解かない、勤行本は頂かないくらいは大谷派の坊さん全員でできていないと。
 戦後の大谷派は極端に儀式作法をないがしろにしてきてるように思えますが、いかがなもんでしょう?。

(2003/6/28up)


 本山が京都にある関係上、京都で良い研修会が開催されることが多いんです。ボクが住んでる滋賀県の草津から京都まで行きは車で40分ほど。でも研修会≠ニか聞くと、どうも京都までの距離が遠く感じたりしてね。。。
 京都まで何時間もかけて、何回も何回も研修会に通う人は多くいます。交通費が出る場合もありますが、出ないこともしばしば。つまり実費です。時間とお金をかけて、何回も京都の研修会に来るある人が、こんなことを言われていました。
 御門徒(ごもんと)宅へ月参りに行った時のこと。お婆ちゃん一人の前でお勤めを済ませ、世間話をしていた。その方が何気なく、「寺を満堂にせなあかんなあ。寺をもっと活気のあふれるものにせなあかんなあ」とつぶやいた。するとお婆ちゃんは暫く考えて、「わしが生きとるうちに、そんな寺を見たいもんやなあ」と一言。
 その一言を聞いて、その人は京都に通うようになったそうです。
 寺に元気がない∞寺に若い人が来ない∞寺はもうダメかも=A、、寺に住みならが、寺と関わりながら、寺を他人事のように思うこと、寺に対してグチばかり言うことは、ボクもしばしばあります。「寺を〜にせなあかんなあ」と言う前に、思う前に、その方はまず私≠ェ仏法を聞いて元気にならないと≠ニ思われたんでしょうね。
 寺で暮らして、寺と関わって生きる者を育てるのは、御門徒なんだなあとか思います。御門徒は「本願に遇い空しく過ぎることのない生を生き切りたい」と、心の深いところで願っておられる。言葉に出なくても、それは間違いないんです。寺院生活者は御門徒から、「お前さんたち、わしらを本願と出遇わせてくれ」と願われている者なんですよね。
 なんか、すごく、ボクの中で印象にのこる話です。

(2003/11/11up)


 「浄土真宗の寺は水子供養はしませんから」。某会合に出ていた時、ある坊守(お寺の奥さん)さんがそう言われました。
 ボクが水子供養を頼まれて勤めた、という話の流れで、この言葉が出たんですよね。
 浄土真宗の関係者はこういう言葉使いをする人が多いですねえ。切り捨て御免ちゅうか。その坊守さんが、本当に水子供養を頼みに来た人にそういうことを言ってなきゃいいけど。
 一般に水子供養をしないと亡くなったお子さんが祟るとか何とか言いますけど、それ自体は根拠のない迷信(心)です。そういうことをまことしやかに説き、専門に請け負う寺院が流行しているのも事実です。この現象に対して、真宗寺院の住職の端くれとして憤りを感じてはいますよ。
 大事なのは、何らかの理由で、お子さんを流産してしまった、流産させねばならなかった方々の持って行きようのない気持ちなんでしょう。それは後悔かもしれないし、罪の意識かもしれないけど、その気持ちの表れが「水子供養を頼みたい」となっているんでしょう?。その気持ちを受け止めて、一緒に考える、これが真宗寺院に縁を持つ者の勤めなんじゃないですか?。親鸞(しんらん)聖人の教えってそういうものだったんじゃないかなあ。
 何でもかんでも無責任に仏事を引き受けて、後のフォローを全くしないのも問題大有り、真宗寺院とは呼べないでしょう。でもヘンに教条主義になって、本当の意味での親鸞聖人が顕かにしてくださった真宗≠見失ってしまったら、それも真宗寺院じゃないと思います。

(2004/1/31up)


 うちの娘が家族について作文を書いた時、「お父さんの仕事はごえんさんです」と書いてました。先生とかクラスメートは分かったなかあ?。
 浄土真宗の寺の住職を「ごえんさん」とか「おじゅっさん」とか言います。
 住職を院主とか寺主といいますが、院主に御をつけて「御院主(ごいんじゅ)さん」。これが言いやすいように「ごいんさん」、はたまた「ごえんさん」となったんです。「御寺主(おじしゅ)さん」が「おじゅっさん」になりました。
 葬儀会社の方はボクを「センセイ」と呼びます。浄土宗の方は「おっさん(和尚さんのなまり)」と呼びます。たまに「お上人さま」と、とんでもない呼ばれ方もします。普通に「住職さん」とも呼ばれますがね。。。やっぱり「ごえんさん」と呼ばれるのがしっくりきます。
 「ごえんさん≠ヘご縁さん≠ニも書き換えられるなあ」と言っておられた方がありました。ご縁のある方に仏法を手次ぎするご縁となる者、という意味でしょうか。何ちゅうか、仏教の教義を教えてやろう、大げさな言い方をすれば真の生き方を教えてやろう、、、なんておこがましいですよねえ。平生の縁ある人との関係、喋っていること、書いているもの、根本的にはボクの生活を通して、仏法が伝わるご縁となれれば・・・なんて思います。
 ボクが仏法と出遇って、生活の中で仏法を聞いてなかったら、ご縁になんて成りようがないっすね。「ごえんさん」の仕事は、まず自分が聞くことなんでしょうねえ。

(2004/3/16up)


 大都会の葬儀会館に行って来ました。身内が亡くなって、身内として葬儀を出してきたわけですよ。1人の参列者として、あらためて葬儀会館の葬儀をみると色々考えることがありますね。
 一番感じたことは、親族と僧侶の距離の遠さ。何ちゅうか、、、親族と僧侶って全くの別世界って感じがしました。挨拶≠ニいう具体的なことをとっても、全部葬儀会館の職員の人がしてしまうんですよね。「親族に成り代わり・・・」とか。僧侶も一言も喋らんし。打ち合わせにしたって、必ず葬儀会館の職員が入るし。
 よく言われてますけど、この形式で葬式を勤めるんだったら僧侶はいりませんよね。ロボットかマネキンでいいんです。お経はCDかカセットテープでいいし。
 葬式は、遺族・僧侶が中心になって出すもの。打ち合わせだって遺族と僧侶が入念にしなきゃらならない。それがあるから、滞りなく葬儀が勤まったら、お互いに挨拶できるんでしょう?。葬儀会社社員の方はあくまでサポート役。この関係は自宅葬であろうが、会館での葬儀であろうが同じだと思うんですけど。
 ああいう葬儀会館での葬儀式の場合、僧侶の方から遺族に話しに行かないと対話はできません。対話で築いた信頼関係の中で葬儀を勤めないと。何でも葬儀会社の方に頼むのは楽だけど、僧侶側が楽ばっかりしてると、ホントに坊さんの代わりにロボットが導師してる葬儀が勤まりそうやね。

(2004/11/29up)


 ボクのことですが、「自分って何をやっても中途半端やなあ」とつくづく思います。人間としてというより(それもあるけど)、一人の僧侶としてね。
 聖教を熟読して精通しているわけでもなく、、、勤行作法に詳しく完璧な声明ができるわけでもなく、、、字が上手く掛け軸なんかを書けるわけでもなきく、、、社会の問題に造詣が深いわけでもなく、、、法話が上手く誰が聞いても納得できる話ができるわけでもなく、、、ってことですね。何か自分がプロ≠ナはないという感じです。
 住職になった頃からこういう中途半端さが悩みの種で、色々ともがいていたのですよ。伝道の研修会にいったり、声明の研修会にいったり、何か社会問題に関わったり、、、でも何か中途半端。
 しかしです、最近違う発想で自分の仕事≠確認してみるとボクは成らねばならないプロ≠フすがたがあることに気付きました。それは「良覚寺の住職のプロとなる」こと。これは先に挙げたもののプロになるより重要なのではないか、と最近思うわけです。
 良覚寺門徒宅各家、良覚寺門徒各人はどのような家でどのような人なのかを掌握して、各家・各人に適した教化や法話ができるとか。それを総合して良覚寺の教化の方向性を、そのタイミングにあったかたちで展開する判断というものは、良覚寺というものがしっかりと分かっていないとできませんよね。そういう意味で、ボクしかできない「良覚寺住職のプロとなる」ことがボクの仕事なんでしょう。

(2005/12/31up)


 「浄土真宗の教えは世界のどの宗教の教えよりも深い教えである」という論調のことを言う人がいます。例えば一神教が原理主義に陥って自らの宗教や宗教団体そのものを省みる視点を持ち得なかったり、偏向的な思想に陥って排他的になったりする。それと比べて浄土真宗は・・・と。
 ボクの持論ですが、宗教というものは、その宗教を生きる指針として、立脚地としている人の生き方からしか伝わらない、と思ってます。親鸞(しんらん)聖人が師匠である法然(ほうねん)上人から、浄土というものを真宗(まことのむね、立脚地)として生きることを学ばれたわけです。その中で、親鸞聖人は法然上人の説かれた教え(言葉)にのみ感動されたのでしょうか。親鸞聖人が法然(源空)上人をうたわれた和讃(わさん)に、
源空(げんくう)光明はなたしめ
 門徒につねにみせしめき
 賢哲(けんてつ)愚夫(ぐふ)もえらばれず
 豪貴(ごうき)鄙賎(ひせん)も へだてなし
というものがあります。法然上人は光をはなつように、御縁のある友に生き方をみせておられた。その内容は、賢いとか愚かとか、身分が上とか下とか、世間の価値観で人間をはかることをされたなかったのだ、と。つまり、親鸞聖人は法然上人の生き方を通して、法然上人が信じられた浄土の真宗が真だと頷かれたのですよ。
 キリスト教の牧師、神父の生き方からキリスト教の信仰の確かさを感じることはあります。具体的に社会的な活動をもって信仰を表現する生活をされている。そこからキリスト教の教義というものが、いかなるものなのか感じとる≠アとができるんです。それでは、真宗の坊さんからそういったものを感じますか?。理屈(言葉)を、ああだ、こうだ、言う人はたくさんいます。しかしながら、教義というものを生活で表現している真宗の坊さんは、どれだけいるでしょうか?。
 ボクら真宗の坊さんは、頭でっかちになりすぎて、本当に大事なことを見失っていないでしょうか?。

(2006/4/30up)


 今年(2006年)、良覺寺では「蓮如(れんにょ)上人御遠忌」が勤まります。まあ、蓮如さんについて考える機会を多くもったわけですが、蓮如さんの一番大きな仕事って何か?、蓮如さんって何をした人なのか?。ボクは、この言葉に全てがつまっていると思うんですね。
一 蓮如上人、細々、御兄弟衆等に、御足を御みせ候う。御わらじの緒、くい入り、きらりと御入り候う。「かように、京・田舎、御自身は、御辛労候いて、仏法を仰せひらかれ候う」由、仰せられ候いしと云々
晩年の蓮如さんの足には草鞋の跡がくっきりのこっていた、京都といわず地方といわず、ご自分の足で歩いて布教をされた、ということですね。親鸞(しんらん)聖人一流(親鸞聖人からの一つの流れ)、本願念佛、信心為本の教えを人々に伝えるために、蓮如上人は自分の足で歩かれた≠けです。今という時代に僧侶をやってるボクに最も足りないのは、この行動力なんだと思いますよ。何ちゅうか、理屈ばっかりで身体が動かないというか。
 「寺に人が来ない」と嘆く住職は多いです。確かに年々参詣者は減ってきているのかもしれません。ただ、「寺に人が来ない」、「だから、どうする?」という部分がないと、ただのグチですよね。「寺に人が来ない」、「だからこそ」と立ち上がって、身体を使って布教に出る。ボク(ら)はこういった発想にならないんです。長年の寺檀制度は、住職からフットワークを奪ったのかもしれません。
 蓮如さんがご自分の草鞋の跡をお見せになったのは晩年です。ボクは晩年、何を残せるのでしょうか?。

(2006/7/31up)


 真宗本廟で宗祖・親鸞聖人の750回御遠忌が厳修されます。。。って盛り上がってないよなあ。
 今回の本山御遠忌を勤めるとき、七つの施策なるものを提示しました。その七つのなかでも、「帰敬式(ききょうしき)実践運動」やら「御待ち受け総上山」やらがその肝となるようです。こういった施策は悪くはないでしょうね、質≠問えば。ただ、数≠問題にし始めたら、こんな施策はどうしようもないものになる。ただ、帰敬式やら上山の数≠問題にしているケースが多いと聞きます(2006年12月現在)。
 教団なり内局なりが、どんな意図≠もっていようが、この施策を受けとめて大きな広がりを持たせるかどうかは、現場で門徒と関わって実際にこの施策を実践実行する我々なんですよね。趣旨そのものは間違ってないわけだから、この施策にのっかって、縁ある人と共に本山やら法名の意義を問い、自分のことを足を止めて考えられる手がかりになればよいのです。確かに「内向きの施策」ですが、やりようによっては「外」に向かえるのではないかとも思いますし。ただ、数≠ェ問題にされはじめたらお終いやな。そんなもん、内向きとか外向きを語る以前、「うちの宗派は今度の御遠忌で○○人の人を上山させました。○○人の仏弟子が誕生しました」といった、資料として数≠使うんのかねえ。
 今度の本廟の御遠忌は、まず一般寺院の僧侶がしっかりしていないと、とんでもないことになりそうな気がします。

(2006/12/31up)


 イギリスの教育家にA・S・ニールという方がおられます。深くニールのことを知っているわけではないのですが、聞きかじりで言うとニールは子どもの自由≠ニいうことを大事にして教育活動を展開されたそうです。一例ですが、彼の主催する学校は生徒と先生の水平な繋がりを大切にするため、ファーストネームで呼び合ったそうです。
 そのニールの言葉に
もっともよい教師は、子どもとともに笑う教師であり、もっとも悪い教師は、子どもを笑う教師である
というものがあります。ドキッとしませんか?。よく、「大人は子どもの視点に立つべきだ」とか言いますが、その表現も大人が子どもに下りるという感じがします。つまり、大人=上、子ども=下という概念からは解放されていない。ニールの言う「ともに笑う」という場合、そこには上下関係はなく人と人の水平な関わりがあるだけです。一方、「子どもを笑う」とは完全な上から目線ですよね。未成熟な子どもを大人が上からみて、その未成熟な部分を笑うんやから。
 この「教師」を「住職・坊守・僧侶」と置き換えることは可能だし、「子ども」を「門徒(もんと)・信者・檀家」と言い換えることは可能です。殊に浄土真宗の僧侶(住職・坊守)にこういった傾向が強い。知識の深浅によって門徒を評価する。ひどい場合は、俗信(清め塩とか占いとか)をする・しないで真宗門徒を色分けする。そういう俗信に基づいた行為を行わない人をみて「あの人は真宗門徒になってきた」とのたまう。ときに「うちの(私が住職をする寺の)門徒は何にも知りません。お恥ずかしい」などと言う。
 いつから合格点をクリアーしないと真宗門徒になれなくなったのか教えて欲しいもんです。現代の教育方法によって培われたアホウな感覚──受験に代表される知識の深浅による評価が絶対的という感覚が、そのまま真宗の教化に移行しとるんでしょう。私ら坊主より、世間で生きてきた人の方がよっぽど苦労されとる。よっぽど人間の悲しみを知っとる。坊主の浅さなんか見抜かれとる。
 「もっともよい僧侶は、門徒とともに笑う僧侶であり、もっとも悪い僧侶は、門徒を笑う僧侶である」。真実に生きたいと願う人を真宗門徒と見出し、ともに笑う水平の人間関係のなかで佛法を学びたいよ。

(2007/6/1up)


この前、法話で聞いた話。
ある滋賀県の寺でのこと、その寺の住職のもとへ門徒が訪ねてきた。
門徒「納骨をしたいと思うけど、どこに持って行けばいいですか?」
住職「本山と大谷祖廟がある。どっちでもいい」
門徒「それでは、本山に持って行きます」
住職「真宗の本山の場所は分かるか?」
門徒「分かっています」

後日、その門徒がもう一度訪ねてきた。
門徒「納骨に行ってきました。いやあ、遠かったです」
住職「遠い?、京都が遠いか?」
門徒「京都?」
住職「東本願寺は京都駅前や」
門徒「私が行ったのは善光寺です」
住職「善光寺?、真宗の本山は本願寺や」
門徒「住職がしんしゅう≠フ本山やというから善光寺に行ったんです」
住職「それは信州≠竄。わしが言うとるのは真宗≠竅v

恐ろしいことに実話らしいです。真宗が見失われているというけれど、真宗≠ニ信州≠間違えるとは・・・真宗不明

(2007/7/1up)


 また、『西遊記』がドラマ化されました。孫悟空を香取慎吾さんが演じてるわけですが、堺正章さんの頃に比べて粗野な感じが増しました。そして、また三蔵法師≠女優が演じています。日本において三蔵法師≠女優が演じるようになったのは夏目雅子さんからでしょうね。その後、宮沢りえさんとか牧瀬里穂とか深津絵里さんが演じてます。そういえば、手塚治虫氏の『ぼくのそんごくう』でも三蔵法師≠ヘ線の細い感じでした。
 もちろん三蔵法師≠ヘ実在の人物。実在の三蔵法師≠ヘ日本の女優さんが演じてきた線の細いイメージじゃなくて、堺正章さんや香取慎吾さんが演じたような荒々しい方だったのではないかと思います。
 三蔵法師は個人名ではない。三蔵は「経・律・論」。その三蔵──経律論を習得し翻訳した高僧を「三蔵法師」といいます。『西遊記』に出てくる三蔵法師の本当の名を玄奘(げんじょう/602〜664年)≠ニいいます。おそらく、玄奘は世界で最も有名な三蔵法師でしょう。
 玄奘が生きたのは唐の時代。玄奘は唐における仏教の修学に限界を感じていました。中国訳された経典でなく原文にあたり仏の教えを学びたい。その願いを成就するため、玄奘は629年に国禁を犯してインドに向かいます。河西回廊、天山山脈を越え、タクラマカン砂漠をわたり、中央アジアからインドへ。自然との闘いという意味でも、想像を絶する過酷な旅です。ましてや国禁を犯した旅ですから、協力者もありません。唐をたつとき、数人いた仲間は旅の厳しさから挫折していったそうです。
 この旅を成し遂げる体力と精神力。これは孫悟空のイメージじゃないですかね。
 玄奘より300年ほど前、法顕(ほっけん)という高僧が玄奘と同様に中国からインドに経典をとりにいかれました。その法顕の伝記に過酷な旅の様子を「上に飛鳥なく、下に走獣なし」と表現しています。飛ぶ鳥も獣もいない、「唯、死人の枯骨を以って、標識と為すのみ」。累々と続く屍が目印となって道が分かったのだ、と。玄奘も法顕と同じだったでしょう。
 玄奘は唐に大量の経典を持ち帰りました。玄奘以後の訳経を「新訳」、それまでを「旧訳」というほど、以後の仏教界に影響を与えました。
 私が仏道を歩むというとき、私が道を開いているのではない。私に先立って道を歩んで下さった方々の生きられた証を辿って、私は仏道を歩む。玄奘や法顕、法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)蓮如(れんにょ)といった高名な僧侶だけが私の前にいたのではない。無名だけれど真摯に命懸けで仏教を守ろうとした方は無数におられた。私の前に開かれた仏道には、先達の骨がある。骨を踏みしめ私は歩む。そして、私も骨となるのです。

(2007/8/1up)


 少し前まで朝夕の勤行というものが日常のなかにあったわけです。落語に「世帯念仏」という噺があります(これは上方落語の名で江戸落語では「小言念仏」)。
 家の姑さんが朝の勤行をしながら、家族の小言を言う。
  なんまんだぶ〜、なんまんだぶ〜、
  ここに埃がたまっとる。マメに掃除せい、
  なんまんだぶ〜、なんまんだぶ〜
といった感じ。形骸化した仏教儀式をからかったような噺です。
 しかし、一昔前までは形骸化するまで日常のなかに仏教儀式が染み込んでいたんですね。これは大事なことだなあ、と思います。真宗の盛んな地方では、「赤ん坊をもらう」という表現をとるそうです。現代感覚だと赤ん坊はつくる≠烽フ。少し前までは授かる≠烽フでしたがね。授かる≠より深く表現するともらう≠ニなる。いのち≠ヘどこまでも私物化されないということを聴聞を通して学ばれているのですよ。これは言葉にまでなった真宗です。
 仏事が形骸化してきたと言われます。私もそのように感じます。しかし、形が残っているうちには形を生み出した心を回復できる。形が影も形もなくなったら、、、今が最後の仏教の踏ん張り時なんです。

(2008/2/1up)


 先般、参加した研修会である方がしきりに、こう言われていました。
住職や坊守は寺に住む門徒(もんと)である
この言葉が耳に残っています。
 当たり前やないか、と言われる人もあるでしょう。門徒とは浄土の教えに出会い、浄土門に集った徒(ともがら)のことです。そういう意味で住職も坊守も門徒ですね。「門徒」という言葉は、そういった基本的な意味とは別に寺に所属するメンバー≠ニいう意味で使われることもあります。それも言葉として間違いではありません。しかし、住職や坊守という立場で寺に所属するメンバー≠門徒と呼ぶ場合、自分が門徒だということを忘れていないでしょうか?浄土に出会わなければならない苦悩する人間の一人であることを忘れていないでしょうか?
 住職坊守は仏法の前に立つとき、やはり救われなければならない人間として仏の教えを聞きます。しかし、門徒(寺に所属するメンバー)の前に立つとき、目の前にいる人を救う者になってしまうのでしょう。前に出て法話をする、寺の中心にいて事業を運営する。そうい立場にいる者が陥りやすい落とし穴ですね。
 教える者、救う者として、教えられる者、救う者と結ぶのは上下の関係です。そういったいびつさ≠フなかで、住職も坊守も自分の弱さや苦しみ、悩みを門徒(寺に所属するメンバー)に隠し、本音を語らないのです。良い住職、良い坊守というものを演じているのですね。
 「住職や坊守も寺に住む門徒である」という言葉は、住職や坊守が門徒(寺に所属するメンバー)とどのような関係を結んでいくのか、考えさせられる言葉です。親鸞(しんらん)聖人が「衆生はわれら」「凡夫はわれら」、もしくは「煩悩具足のわれら」「無明煩悩のわれら」と、仏から救われなければならない存在を複数形にされた意味を思います。この「われら」という言葉に、目の前にいる民衆のなかにわれ>氛沁ゥ分と同じ課題を見出し、共に救われるべきわれら≠ニして拝んでいかれた親鸞聖人の生き様を感じるます。「住職や坊守も寺に住む門徒である」という言葉と親鸞聖人の「われら」という言葉は通底しているのです。

(2010/3/1up)


 金子大栄(かねこ・だいいえ)という方の『和讃(わさん)日々』という書物を読んでいて、印象深い言葉にあたりました。
念佛の衆生というも、衆生であるかぎり苦悩の衆生である
上記の「住職や坊守は寺に住む門徒(もんと)である」に通底する言葉であると思いました。
 念佛は私≠そのまま受けとめてくださるはたらきです。私では私を、まるごと受けとめ、受け入れることはできません。この自分は嫌だ、この自分でなかったら、と分別の心を中心に、自分をえらび、意に添わない自分を嫌い、見捨てているのが私です。どんな自分であっても、その自分をそのまま受け入れることなど、分別心をもった私には不可能です。その分別心をもった私を壊し、どんな丸ごとの自分を受け入れてくださるはたらきが念佛なのです。
 そうすると、念佛のはたらきに出遇うということは、分別心が無くなることなのかというとそうではない。苦しみ、悩んでいる因を教えてくださるのです。分別心が無くなることも、苦悩が無くなることもありません。
 宗教的な救いというと、苦悩が無くなり、素晴らしい人間に生まれ変わると思いがちです。廣瀬杲という方は、「「廻心」というのは一八〇度の転回ではない、三六〇度の転回です」と言われました。三六〇度なら同じではないかと思いますが、念佛の教えに出遇うとは、全く別の人間になるのではなく、苦悩の自分を見せていただくはたらきなのでしょう。
 念佛に出遇っても苦悩する人間に変わりありません。しかし安心して苦悩できる生き方が開かれるのです。

(2010/8/1up)



【同朋会運動】

 ボク(住職)は、何だかんだ言って「婿養子に入った寺が大谷派でよかったよね」とか思ってます。面白い坊さんが多いからね。それじゃあ、何で面白い坊さんが多いんでしょう?。それは大谷派が「同朋会(どうぼうかい)運動」というものを持っているからだと思います。この「同朋会運動」がなかったら、大谷派ってクソつまらない教団だったんじゃないかと思います。
 大谷派って「同朋会(どうぼうかい)運動」というものをいのち≠ニする教団です。
 「お前が言う、同朋会運動とは何ぞや?」と思われる方が多いと思います。この良覚寺は大谷派に所属しているわけで、その歴史や願いをしっかりとした形で伝えなきゃならないんでしょうけど、それだけじゃないくて、「ボク(良覺寺住職)にとって同朋会運動とは何ぞや?」ということを、以下展開していきます。

(2003/7/29up)


 この「同朋(どうぼう)」という言葉の意味は何ぞや?、と思われる方も多いでしょうね。
 親鸞(しんらん)聖人はお手紙を多く残されましたが、その中で三ヶ所「同朋」という言葉を多く使われます。その中の一ヶ所は「ともの同朋」とあり、意味としては「共に同じく念仏を喜ぶ朋(とも)」でしょうか。
 そして蓮如(れんにょ)上人は親鸞聖人の他者との関わり方を、「聖人は御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)とこそかしずきておおせられけり」と言われています。他人に御≠ニいう言葉をつけて出会うような関係──まず他人を尊敬することから始まる関係を親鸞聖人は結ばれたのだと。
 ボクらの他人との関係ってどうでしょう?。その人そのものと出会うのではなく、容姿、肩書き、財産でその人を判断し、自分にとってメリットのある人かない人か、自分と気が合うのか合わないのかを考えてしか、他人と出会えない。これは、まず尊敬があるのではなく、まず自分の思いでその人を裁くことから始める人間関係ですよね。

(2004/4/20up)


 「同朋(どうぼう)」と「同胞(どうほう)」は似ているけれど違います。
 「胞」の字はつきへん≠ノ包=B包≠ヘ身ごもった子を表し、「胞」の字で](えな──胎児を包んだ膜と胎盤)≠意味します。これが転じて胎児の宿るところの意となり、さらに父母を同じくする者の意となり、そして血や国を同じくする民族≠ニいう意味になりました。「同胞(どうほう)」とは民族や国を同じする仲間という意味があります。
 「朋」の字は、もともとは古代に財貨としていた貝≠束ねたものという意味でした。それが一括りの仲間≠ニいう意味で使われるようになり、同じ師についた仲間≠ニいう意味となったのです。
 親鸞(しんらん)聖人が「同朋(どうぼう)」という言葉を使われるときは、師佛である釈尊の教えに説かれるところの阿弥陀如来に等しく助けられる朋という意味があります。狭義で言えば、同じく釈尊の教えを聞き、阿弥陀如来から助けられる朋となるでしょうが、広義で言えば阿弥陀如来の救いは「一切衆生(生きるもの全て、全人類)」ですから、同朋とは全人類という意味となります。
 同朋会運動という場合、この二つの意味があるように思えますね。教えを共に聞き、共に助けられる朋として様々な人と出会う運動である。それとともに、どのような人とも同朋として出会えているのかということを自分に確かめていく運動なのでしょう。

(2008/9/2up)


 真宗大谷派の「同朋会運動」は1962に発足されたと言われます。同朋会運動を発足された先達の精神に触れようと思うとき、1956年(昭和31)に宮谷法含宗務総長が出された「宗門各位に告ぐ」──「宗門白書」は必読の文章だと思います。
 戦後の時代社会の急激に変化とそれに対応できない宗門。この宗門を改革しなければならないと誰しも思っていたことでしょうが、具体的にどうしてよいか分からない現状があったことも否めません。「宗門各位に告ぐ(宗門白書)」は近代教学の精神に基づいた明確な思想をもって宗門を改革していくのだという熱意が伝わる文章です。
 現状は1956年より悪くなっているのに、「宗門各位に告ぐ(宗門白書)」にあるような危機感が私にない。これが問題なのでしょう。


  「宗門各位に告ぐ(宗門白書)」 宗務総長 宮谷法含

一、宗門の実情
 いまの宗門は、五年後に宗祖聖人の七百回御遠忌を迎えようとしている。しかも、御遠忌を迎えて、われらは一体何を為すべきかの一途が明らかでない。宗門全体が足なみをそろえて進むべき態勢が整うているとはおもわれない。このままでは御遠忌が却って聖人の御恩徳を汚しはせぬかとの声をも聞き胸をも打たれる次第である。この憂うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によつて、その形態を保つているにすぎない現状である。寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められてきているではないか。厳しくしそうが対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているではないか。寺院経済は逼迫し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果してこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。まだ何とかなるという安易をむさぼる惰性に腰かけているのではないか。
 大谷派に一万の寺院、百万の門信徒があるといいながら、しかも真の仏法者を見つけ出すことに困難を覚える宗門になつてきているのである。極言するならば、われわれ、宗門人は七百年間、宗祖上人の遺徳の上に安逸をむさぼつて来たのである。いまや御遠忌を迎えんとしてわれら宗門人は、全身を挙げて深い懺悔をもたねばならない。単に御遠忌のにぎにぎしさを夢みることによつて、この現状を糊塗するようなことがあるならば、宗門は疑いもなく、歴史から冷やかに嘲笑を浴びるであろう。
 宗門は今や厳粛な懺悔に基づく自己批判から再出発すべき関頭にきている。懺悔の基礎となるものは仏道を求めてやまぬ菩提心である。混迷に沈む宗門現下の実情を打破し、生々溌溂たる真宗教団の形成を可能にするものは、この懺悔と求道の実践よりほかにない。

二、教学について
 明治のわが宗門に、清沢満之先生がおられたことは、何ものにもかえがたい幸せであつた。先生の日本思想史上における偉大な業蹟もさることながら、大谷派が徳川封建教学の桎梏から脱皮し、真宗の教学を、世界的視野に於て展開し得たことは、ひとえに、先生捨身の熱意によるものであつた。先生の薫陶を受けて幾多の人材が輩出し、大谷派の教学は、今日に至るまで、ゆるぎなき伝統の光を放つている。これは正しく宗門が誇るに足る日本仏教界の偉観である。
 真宗の教学を、世界人類の教法として宣布することは刻下の急務である。その為には煩瑣な観念的学問となつて閉息している真宗教学を、純粋に宗祖の御心に還し、簡明にして生命に満ちた、本願念仏の教法を再現しなければならない。このとき如来と人間の分限を明らかにすることによつて、絶対他力の大道が衆生畢竟の道であることを、現代に明白にされた清沢先生の教学こそ、重大な意義をもつものであることを知るのである。
 「我々が信奉する本願他力の宗義に基き我々に於いて最大事件なる自已の信念の確立の上に、其の信仰を他に伝える、即ち自信教人信の誠を尽すべき人物を養成する」とは先生の有名な、真宗大学開校の辞であるが、これはそのまま、宗門教学の根幹を示すことばである。教学振興は宗門行改の看板に掲げる空辞であつてはならない。具体的事実に基づいて、信の人の養成に一派の教学活動は集注さるべきものである。
 静かに宗門頽廃の主因をも尋ねあらゆる困難を克服して、教学施設の充実と、自信教人信の人材を養成することに渾身の努力を払わなければ、宗門は内部から枯渇し、崩壊して、時代の前に無力無能の形骸を曝すことになるであろう。

三、財務について
 宗門の財政が、宗門人の懇志によって運営される.ことは、教団として当然の姿である。われらの宗門を、われらの手によつて護持発展させることは、宗門人の責任であり、誇りでもあるからである。しかるに、宗門財政が年々歳々異常な困難に逢着することは、まことに遺憾なことである。宗務とは募財に苦慮することを指すかの観すら呈している。
 年間数億円の予算は、現下の経済事情からして、決して多額に過ぎるものではないであろう。問題は法義と相応しない募財の矛盾を解決してゆくところにある。同時に、宗務当局は宗門全体に諮つて納得のゆく予算を編成し、その使途に不信を招くようなことがあつてはならない。経理運用の上に正しい企画性をもち、冗費は極力はぶかれねばならない。それらの点に関し改善反省を要するもののあることが痛感される。わが宗門には明治以来、相続講というすぐれた機構が設けられて、宗門財政の大部分がまかなわれてきている。相読講の精神が、法義相続を本旨とするものであることはいうまでもないが、今日、その本末顛倒の観を呈していることに省みて、財務の上からも吾等は深くその非を思い、同朋教団の本意を体し共に共に自信教人信の一道に大勇猛心をもつて立直らなければならないであろう。

四、御遠忌について
 宗祖に還れ。弘願真宗こそ如来出世の本懐である。親鸞教こそ四生の終帰であり、万国の極宗であり、人心の畢竟依である。信に迷い行に惑い、悪重く障り多き凡夫人が即時即刻、開明正定人となる大道こそ、聖人の浄土真宗である。
 七百回忌大遠忌を五年後に迎える今日、全宗門が斉しくこの大道に帰してこそ、御遠忌厳修の所詮である。
 宗門は挙げて、親鸞聖人の精神を現在に再現するために、全力をそそがねばならない。換言すれば、荒廃しつつある真宗教団を、速かに快復するために、御遠忌お待受の仕事の全部が傾注されなければならないのである。内に荒廃してゆく教団を見送りながらでは御遠忌の所詮は無い。僧俗力を協せ、一万の寺院百万の門徒が一つになつて、本願念仏の躍動する清新な教団を復興するよう、不惜身命の努力を捧げるべきときである。自明当然のことながら、真宗第二の再興を志願することを以て、御遠忌お待受の唯一絶対の指標としなければならない。この志願に一路邁進することなくしては、宗門は御遠忌に際し、宗祖聖人の御影向を仰ぐことはできないであろう。願わくば、真宗をして真宗たらしめねばならぬという一点に宗門全体の意識を統一し、この指標の下に全身全霊を打ちこんで教団真個の力を培養して行きたいものである。

五、内局の決意
 御遠忌準備という重大な責務を荷いての内局の所信はほぼ以上につきている。
 ただ最後に一言を添えたいとおもう事は、草庵に隠れていたこの老骨を、この非常なときに、宗議会が一致して、はからずも宗務総長の職責に就かしめられた経緯についてである。その主要な原因は老骨の信や力を過信してのことではない。宗門最高の議決機関たる宗議会が、世俗的な政争を避ける為に議会外から、しかもこの老廃を迎えられたのであろうが、出た以上は責務を果たさねばならぬ。願わくば宗議会が宗門にふさわしい明朗な運営に終始せられんことを希んでやまぬ次第である。
 宗務は今後五年、御遠忌事務と一体となるべきである。従って宗務機構と人事の刷新強化を早急にはからねばならぬ。御遠忌予算は、宗議会の要望もある如く、その次第軽重を定めて万全の遂行を企画する必要がある。
 思えば、菲才不徳の身に余る大役である。為すところ、云うところ、不満も不足も多々あろうが、老骨の心情を諒とせられて、しばらくその責任を果させて頂きたい。宗議会をはじめ宗門各位が、善意の批判と全幅の協力を加えられんことを懇望するばかりである。
 就任日ならずして、全国津々浦々から数多くの鄭重な激励の書面と言葉に接し、本内局に寄せられる懇念の厚さに、改めて宗門の現状と将来について決意を新たにさせられるものがある。ここに上局各位と相諮り、率直に所信を披瀝して宗門各位の賛同を乞い、仏法興隆の真義に生きる、真宗教団形成の一途に就きたいと念ずる次第である。

  昭和三十一年四月三日

(2009/2/2up)






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