◇ 寺に住むということ ◇

【突然の電話】
 お寺で暮らすようになって何年が経ったでしょう。
 この暮らしの中でいろいろ奇怪なことに遭遇しますが、最初に驚いたのが真夜中の突然の電話≠ナす。そしてそれには未だに慣れません。
 夜中2時頃、突然電話のベルが鳴る。受話器にむこうから「うちのお爺ちゃんが亡くなりました」という声・・・。それは真夜中だけではない、外に行って浮かれている時に携帯が鳴る。枕経に帰ってきてくれと。寺という所は、こういったことが日常の中にあるのです。
 住職の仕事は葬儀とか法事を勤めることだけにはありません。一番の大仕事は縁ある人びとに教えを手次ぎすることなでしょう。しかし今の日本では、住職の仕事の中で、葬儀・法事を勤めることが大きなウエイトを占めていることも確かです。
 法事の打ち合わせは事前にできる。しかし葬儀の知らせは、ある日突然なのです。


【死≠ニいう現実】
 私がまだ若い(1967年生)というこもあって、死≠ニいうものが私の身の事実であるという実感が希薄です。「オレは死なない」くらいに思って、毎日ボーっと暮らしているわけですよ。それは無明(事実を事実として見えない)なんです。
 そんな私に、年に何回か必ず縁ある人の訃報が突然に入る。そこで一瞬ではありますが、死≠ニいうものがどこか遠いところにあるものではなく、現実なんだと教えてくるんです。
 ある掲示板伝導に、
私が無駄に過ごした今日は、
昨日死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である
と書いてありました。誰のお言葉なのか知りませんが、印象の残る言葉です。
 死すべき生を生きる。事実の問題なのだけれど、何か遠いこと。寺に暮らしていると、必ず人は「死すべき生を生きている」だと、現実から教えられる功徳があるのです。




◇ 死からの眼差し ◇

【人の死との出会い】
 色んな葬式に行って来ました。
 その村が選挙で葬式が延びたこともあったし、行方不明(蒸発というやつです)の人の葬式はご遺体がないまま勤めました。2月のある寒い日に亡くなった方の葬式では、親戚のある人が「こんな寒い日に死にやがって」とか文句を言ってました。姑さんの葬式で、妙に嫁さんが生き生きしてるということも。 若くしてご主人を亡くされ、気丈に葬儀まで勤められていて、火葬の時に泣き崩れられた姿を目の当たりにしたこともあります。20歳で交通事故を縁として亡くなった方のご両親は、泣くでもなくただ呆然とされていました。32歳で亡くなった方のお子さんはまだ2歳で死というものが分かっていない。だから葬儀の間中、はしゃいでました。
 坊さんはロボットではありません。感情があるんです。葬儀の時にロボットみたいに勤めているのは、そうしないと、やりきれないからです。お勤めにならないからです。
 葬儀の1時間弱、そこに座り続けるたびに、色んなことを考えますし、教えられます。


【一期一会】
 近所のお婆ちゃんが亡くなった時、見舞いに行っておけばよかったと後悔したことがあります。お寺によく来てくれたお婆ちゃんでした。救急車をよく呼ぶお婆ちゃんで、最期に救急車で運ばれた時も「またか」と思ってました。でもそのお婆ちゃんの顔を見ることはありませんでした。
 松本梶丸師がある本の中でこんな言葉を言われています。
偶然の出会い、必然の別れ。その中に人間は生きている。だからこそ、人は出会いを大切にしなければならないのではないだろうか。別れが必然だから、人はかろうじて優しくなれるのかもしれない。
「一期一会」という言葉があります。一生に一回の機会という意味ですよね。よく人と人との出会いを表す言葉として使われますが、出会いは偶然、別れは必然だからなんでしょう。人が避けられない苦しみの一つとして愛別離苦という言葉がありますが、死が必然である以上、別れも必然です。
 出会いの奇跡、出会いの大切さは、別れが教えてくれるのかもしれません。


【死からの眼差し】
 仏教を聞くとどうなるのか?、金が貯まるわけでも、社会的に出世するわけでも、健康になるわけでも、ましてや死ななくなるわけでもありません。
 私の受け取りですが、「仏教を聞くと視座をいただける」のだと思います。それも、それまでの人生では思ってもみなかった視座を頂き、その視座を通して私、私の人生、私の生き方、私の生活≠もう一度見直すことができるのです。
 私たちは「自分だけは死にたくない」というところで生きていますから、死が恐いんですよね。生まれて、生きて、そして死んでいく。これが人間の自然な営みのなずなのに、どうしても死が受け入れられないわけです。根本をたずねたならば、都合の善いことは受け入れられるけれども都合の悪いことは受け入れられない私たちの自我を中心とした分別心に問題があります。
 私たちがこの分別心という視座が生きる≠アとを考えた時、やはり生の先にある死は受け入れられないのです。
 仏教が説く「諸行無常(しょぎょうむじょう)」。全ては移り変わる、永遠に変わらないものなどないという教え。これは、例えば子どもが成長するという意味でもあるのですが、同じ意味で人間は必ず老い、そして死ぬという意味でもあるんです。言い方を換えれば、
死すべき生を生きるのが貴方だ
と仏教は教えるわけです。
 死すべき生を生きるという視座で、今一度自分の人生や生き方や生活を観たら、どうでしょうか?。本当に限りある命を生きる者として生きているのでしょうか?。人生、生活を大事にして生きていると言えるのでしょうか?。
 生から死を見るのではない。死から生を観る。死からの眼差しを通して生を観たとき、生の輝き、生の尊厳に目覚めることができるように思われてならないのです。




◇ 死苦を超えて ◇

【釋尊の出家】



【ゴーダミーのこと〜愛別離苦を超えて】
 サーバッティの町にキサーゴータミーという若い母親がいました。
 幼いひとり息子が急病であっけなく息をひきとってしまいました。家族が泣く泣く葬式の用意をはじめると、キサーゴータミーは息子を抱いていいました。「待って、この子を助ける薬をさがしてくるわ」。家族がひきとめるひまもなく、キサーゴータミーは子どもを抱いてかけだしていきました。
 町はずれの物知りのおばあさんの家にかけこみました。「子どもが死にかけています。良い薬を教えてください、お願いします。おばあさん」。はげしく波うつ母親の胸にしっかり抱かれた子どもを見て、おばあさんはいいました。「かわいそうに、この子はもう死んでいるよ。死んだ子が生き返る薬があったらどんなにいいか・・・。わたしも子どもを亡くしたから・・・」。キサーゴータミーの耳には入りませんでした。
 少し遠くの評判の高い名医の家へ走りました。「先生、お願いです。子どもを助けてください」。冷たくなったわが子を暖めるように抱きしめる母親に医者はいいました。「奥さん、それだけはだれにもできないのです」。「そんなことをおっしゃらず、お願いですからこの子を助けてください。お願いします・・・」。泣きくずれるキサーゴータミーの肩をやさしくなでて、医者はなぐさめるようにいいました。「あなたの薬ならわかります。ジェータの林にいらっしゃるおシャカさまにお聞きなさい」。薬という一言をたのみに、キサーゴータミーは残る力をふりしぼってジェータの林へ向かいました。
 「わかりました。それではどこかでけしの種をもらってきなさい。ただし一度も葬式を出したことのない家からですよ」。おシャカさまのことばに、青ざめていたキサーゴータミーのほほは、少し赤みをとりもどしました。「坊や、もうすぐお薬をあげますからね」。キサーゴータミーは息子にほほずりすると、ふたたび町へ向かいました。
 大きな集落が見えてくると、キサーゴータミーの足はひとりでに速くなりました。「すみませんが、この子の薬にけしの種を少しいただけませんか」。農家の主婦はこころよい返事をして、すぐ奥から持ってきました。「お宅はお葬式を出したことがありますか」。けげんな顔でキサーゴータミーを見ながら主婦は答えました。「はい。去年、主人を亡くしましたし、前の年には両親が・・・。でも、いったいなぜ・・・」。キサーゴータミーの話を聞いて主婦は目頭をおさえていいました。「お気の毒に、けしの種ならどこの家にもあるでしょう。でもお葬式を出したことのない家はねぇ・・・。見つかるといいですね」
 キサーゴータミーは次の家を訪ねました。子どもが大勢いました。あとから出てきた母親が、自分の妹が死んでその子どもたちをひきとったところだといいました。その次の家の若い女性は、やっと生まれた赤ちゃんがお腹の中で死んでいたと話しました。
 次の家ではおじいさんが笑いながらいいました。
「わしは婆さんと二人暮らしだ。息子は二人あるがな。わしの親と婆さんの親、それの父親の両親と母親の両親、婆さんの方も同じこと、さあて、これで何人死んだかのぅ、ひい、ふう、みい・・・、それにわしらももうすぐだ。ワッハッハ」
 一人ひとりの話を聞くうちに、キサーゴータミーの胸の苦い熱いかたまりは次第に溶けていきました。
「坊や、ごめんなさい。あなたのお薬はみつからなかったの、でもおシャカさまにお礼を申し上げにいきましょう。坊や、いちばん大切なことを教えてくれてありがとう・・・」
 キサーゴータミーのほほに涙は流れましたが、刺すような痛みは消えていました。
『仏典童話』(東本願寺出版部発行)より転載


 釋尊は人間が生きるときに必ず抱える苦しみを「四苦八苦」と教えますね。それは、「生・老・病・死」の四苦、「愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく/五つの器官の苦しみ)」の八苦です。
 「愛別離苦」は、人間が死すべき生を生きる以上、必然です。
 釋尊はゴーダミーという愛別離苦の苦しみに苦悩する人に、「人間は必ず死ぬ。あきらめろ」という言い方はされません。ゴーダミーが道理──人は死すべき生を生きる──に目覚められるような、無言の説教をされたのです。
 逆に言えば、ゴーダミーは我が子の死という現実を通して釋尊の無言の説教を聞き取り、道理に目覚めることができたのです。




◇ 葬儀にまつわる因習 ◇

【教えられたこと】
 私は坊さんになる前、普通のサラリーマンをしておりまして、仏教のブの字も知りませんでした。興味なかったんです(言っていいのかどうか)。しかし、世事の付き合いの中で仏事にお参りしなければならないことはありました。
 ある時、上司が52歳で亡くなったので、会社の20代ばかりの若い連中で悔やみに行きました。とりあえず仏事のことを何にも知らない(私も含めて)連中で、5人ほどで行ったのですが数珠を持ってきていたヤツが2人。数珠を後ろに回しながら、何とか焼香し悔やみを言い帰ってきました。
 その帰り道、仏事のことを何にも知らない連中が、「清め塩」だけは忘れなかったことを思い出します。
 その1年後、私は親鸞聖人の教えと縁を頂いて、色々な教えを受けることになるのですが、その中で「清め塩」に代表される「葬儀にまつわる因習」の罪を教わりました。

【亡き人は穢れ?】
 葬儀の時の「清め塩」は、亡くなった方の「死の穢(けが)れ」を清めるために行います。
 他にも「三月(みつき)またぎの中陰はダメ」な理由は「故人の死の穢れが身に付く(みつき)」からという因習もあります。
 ここからよく考えていただきたい。死者は穢れですか?。故人は穢れですか?。母と呼び父と呼び、祖母と呼び祖父と呼んで愛していた人が、死を通して穢れとなり清めの対象となるのですか?。
 こう考えた時、私がそうだったように、よくその内容を考えることもなく行っている「清め塩」という行為は、亡き人を穢れとして冒涜する行為だと言わねばなりません。

【亡き人は悪霊?】
 こういった因習もあります。「友引の葬式はダメ」。何故かというと「友引に葬式をすると、亡き人が縁ある人を死の世界に引く(友が引く)から」だそうです。他にも「茶碗割り」といって、亡き人が生前使っていた茶碗を葬儀の最後で割る。これは亡き人の霊が家に迷い込んで厄をもたらさないように、亡き人の日常品を壊すんです。
 霊云々に関して、ここでは書きません。
 こういった行為は「亡き人は死んだら悪霊だ」と貶めていることと同じでしょう?。亡き人は、親しい人の不幸を願いようなひどい人でしたか?。こういった因習も、亡き人の冒涜なんです。
 亡き人を穢れとしたり、悪霊としたりする因習を行うことが、故人との出会い方を問われる葬儀の内容であってよいはずありません。

【根本的な問題として】
 聞かれた人もあると思いますが、浄土真宗では葬儀にまつわる因習を批判し無くすように指導します。しかしただ単に「清め塩をしなくなった」というだけでは、また新たなる因習を生み出す可能性を持ちます。根本的な問題を問わねばならないのでしょう。
 死は恐い。死は苦しみ。これは事実。これが死を祓う形で、葬儀の因習として表に現れているのです。葬儀にまつわる因習は、死すべき生を事実として生きながら、それを受け入れることができない、私たちのすがたを映し出していると言えます。
 死を祓ったり、長生きの方法を教えるのが仏教ではありません。死苦を超えるのが仏教です。
 葬儀にまつわる因習を通して、自分自身の死に対する態度を問うてみてください。




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□ 行事予定へ □




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