【坊主頭じゃない坊主】
   浄土真宗の坊さんは剃頭しなくていい、だから一見して坊さんだとは分からないんです(これには浄土真宗の発生や歴史的な意味がある)。でも、一回だけ「得度(とくど)式」という儀式を受ける時だけは頭を丸坊主にします。これは仏法僧の三宝(さんぽう)に帰依(きえ)し、仏弟子となり仏法を生活の中心として聞いていくのだという誓いを建て、僧侶となる儀式です。
 真宗大谷派では9歳から得度式の受式が許されます。だから、寺出身の人は親に騙されて(京都に遊びに行こうとか言われて)、子どもの頃に丸坊主になります。けどね、私は25歳で得度したもんで、結構いい歳になって丸坊主になっちゃったんです。子どもの丸坊主はかわいいけど、25歳の丸坊主はいかつくなっちゃいます。しかも2月だったんで、寝返りするたびに枕が冷たくて目が覚めました。
 この得度式を受式した者は、様々な仏事の執行も許されますし、自分が得度して仏弟子となった≠アとに責任を持たなくてはならないわけです。


【帰敬式(おかみそり)】
   得度式は仏弟子となり、なおかつ僧侶となることを誓う儀式でした。
 「帰敬式(ききょうしき)」は「おかみそり」ともいい、これも仏法僧の三宝に帰依する仏弟子となることを誓う儀式です(しかしこれは僧侶となる儀式ではありません)。
 「家が浄土真宗(仏教)だから、私も浄土真宗(仏教)」というように、宗教を与えられ、押し付けられたものと考える人は多いと思います。そこのところに止まるのではなく、自覚的に「私が浄土真宗(仏教)をえらぶのだ。私が仏弟子として生きるのだ」と誓いを建てる儀式が「帰敬式(おかみそり)」なのです。
 「帰敬式」は一般寺院でもできるようになりましたが、なかなか執行している寺を聞きません。本山・真宗本廟(東本願寺)で受式する方が、おごそかで仏弟子となる自覚が高まるという声も聞きます(雰囲気は大切)。けれども、御門徒(もんと)にも色々な事情(体が不自由で京都まで行けないとか家を空けられないとか)があります。一般寺院でも積極的に執行すべきなのでしょうね。
 ちなみに浄土真宗の「帰敬式」は実際に髪の毛を剃ることはいたしません(カミソリを当てるふりをするだけ)。


【法名の名告り】
   「帰敬式」を受け仏弟子となった後に名告る名前が「法名(ほうみょう)」です。
 浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)聖人は、自らを「愚禿(ぐとく)・釋(しゃく)親鸞」と名告られます。親鸞聖人は自らの生活を省みた時、とても仏教の戒律を守り生きていける者ではないと自覚されます。また親鸞聖人が接しておられた民衆は、漁もし、田畑を耕し、狩りもし、商いもし、その日その日をやっと生きていける方々ばかりでした。とても戒律を守ることなどできません。
 民衆は仏教の教えを聞けないのか、民衆は救われないのか。そうではない。たとえ戒律を守ることができない生活をしていても、心の底から仏教を聴聞したいと願った者は仏弟子である。民衆も救われる教えこそ真の仏教であると喝破されます。親鸞聖人は、在野の民衆の一人として仏弟子を名告られた。その名が「愚禿釋親鸞」なのです。
 「釋」はお釋迦さま≠フ「釋」で、お釋迦さま(仏)の弟子となったことを表します。
 また浄土真宗では戒名(かいみょう)とは言いません。戒名は、戒律を守って仏道修行する人々につけられる名前です。法名には「戒名」のような修行の経歴を表す道号(四字や六字の戒名)や、修行の形態を表す位号(信士・居士・信女・大姉等)はありません。法名は「釋〇〇」というただそれだけです。
 良覚寺の御門徒の法名は基本的に住職が名付けます。近年は法名の由来、典拠などをお教えするようにしています(自分(住職は1967年生まれ)の親ほどの歳の方々の名付け親になるって、すごく緊張するしヘンな感じですが)。
 以上読んでいただいて、生きているうちに帰敬式を受け法名を名告るのだとご理解いただけたと思います。


【自分の法名の意味】
 私は法名を付ける時、物凄く時間をかけます。上述のように名付け親になるわけですから、当然と言えば当然ですよね。
 俗名から字をとるのか、先に浄土に還られた故人の法名から字をとるのか、お人柄で選ぶのか…どの住職でもそうだと思いますが、一人ひとり真剣勝負です。
 2002年からですが、私が法名を付ける場合、必ず帰敬式に先立って、「法名」「法名の意味」「なぜその法名を付けたのか」「法名の典拠」等を書いた紙をお渡ししています。
 法名を名告るということは、仏弟子としての名告り。ですからご自分の法名の意味をご理解いただきたいのです。また法名の字から学んで欲しいんです。
 くれぐれも「何ちゅう法名やったかなあ?」だけは止めてくださいね。


【院号法名って?】
   院号法名は、宗門護持にご尽力のあった方への賞典(平たく言えば本山へ寄付をした方へのお礼)として、本山から下付されます。階級的な位や称号、死後の位を意味するものではありません。現在は8万円以上の寄付(これを相続講といいます)の賞典として本山より院号が下付されます。
 ただ大谷派には「生前院号」というヘンなシステムがあって、生前に8万円以上の寄進をされた方には院号と法名が下付されます。なぜ帰敬式を受式せずに法名を名告るのか大いに疑問です。もし「生前院号」という不備なシステムの中で法名をいただかれた方は、帰敬式だけは改めて受式してください。


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