良覚寺の宝は、
 仏(教えを説く人=親鸞聖人をはじめとする念仏者)
 法(教え=念仏者の説かれた教え)
 僧(教えを共に聞く友=良覚寺の御門徒(もんと)
です。


■三宝■
 お寺にいくら珍しい宝物の類があっても、「三宝(さんぽう)」のない寺なんか仏教寺院じゃないんです。
 「三宝」とは上に書いたように「仏・法・僧」の三つの宝のことです。仏は教えを説いてくださる人、いわば先生。法は先生の説いて下さる教え。僧は先生の教えを共に聞く仲間。この三つの宝がそろって、はじめて仏教は成り立つんですよ。
 仏って死んだ人のことじゃないの?って思われる方もありますよね。仏を漢字で略さずに書くと「仏陀(ぶっだ)」となります。これは中国の人がインドの言葉を訳さずに音だけ写した(音写した)言葉でして、インドの言葉ではブッダ(Buddha)です。「ブッダ(Buddha)」の意味は、覚った者(覚者)となります。つまり真実の道理(これが法=dharma)≠覚った者からブッダ(仏)なんですよね。何で仏が「先生」なんでしょう?
 ん?それじゃあ僧って坊さんのことじゃないの?って思われる人は多いでしょうね。僧を上と同じように漢字で略さずに書くと「僧伽(さんが)」となります。僧伽も音写された言葉で、インドの言葉では「samgha」。「サンガ(Samgha)」とは集まり、集団≠ニいう意味なんですが、集団が宝ってどういう意味なんでしょう?


■初転法輪■
 仏教の教祖(ほんとは教主といいます)は、言わずと知れた釋尊(お釈迦さま)ですよね。  釋尊は35歳の時に真実の道理(法)≠覚られ仏陀と成られます(成仏)。釋尊はお覚りになった後、ご自分が覚られた法があまりに難解なので説かずにおこうと思われます。しかし世間を見たならば、真実の道理を覚れずに苦しんでいる人たちがいる。その人たちのために、自分が覚った方を説こうと思い立たれました。
 そして鹿野園という所にいた5人の修行者(この人たち、実は修行者としての釋尊の先輩)に、初めて法を説かれました。
 これを「初転法輪(しょてんぽうりん)」といいます。
 最初は釋尊の話を聞けなかった5人の修行者も、釋尊の説法に耳を傾けるようになり、感動し、最後には全員が釋尊の弟子となりました。
 この時、仏教は誕生したんです。


■仏教誕生の瞬間■
 仏教の成立は釋尊が真実の道理≠覚られた時ではありません。実はこれは非常に個人的な体験に過ぎないんですよね。だって他人は分からないでしょう?あの人が覚った人なんだって。
 そうではなくて、つまり釋尊の個人的な体験を超えて真実の道理≠ェ公開された、つまり釋尊が説法されて、さらにそれを聞き心を動かされた人が生まれた時に、仏教は誕生したんです。
 仏陀(覚者)は、それだけではただの人。覚られた内容を説いてくださって初めて仏陀と言えるんです。だから「仏=教えを説く人=先生」なんですよ。
 さらに説くって言っても独り言じゃあ意味ないでしょ。それを聞く人がいないと。聞いてその説かれたことに感動し、それこそが本当だったんだってうなずく人がいて初めてそれが真実の道理≠ネんだってことになります。
 その後、釋尊の説法を聞く人は爆発的に増えます。人々は言いました。あれは「釋尊のサンガ(集団)」だと。つまり「釋尊のサンガ」は、釋尊の教えを聞きそれを本当だとうなずくことによって、釋尊が仏陀であることと釋尊の説かれる教えが真だということを証明してたんですね。
 

■仏教の成立条件=三宝■
 仏教はその誕生の瞬間から、三つの成立条件がある。それが「仏・法・僧」の三宝です。
 もしこれが一つでも欠けていたら、それは(そこは)仏教ではないんです。





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