【合掌と念珠】
 「合掌」は、仏を礼拝する際に、両手の掌をあわせて敬意をあらわす仏教徒としての基本的な作法です。古くからインドやネパールでは、日常的な挨拶の際に「合掌」します。これが日本に渡り仏教徒の礼法として定着しました。
 インドでは右手を神聖、左手を不浄とします。つまり「右手=神聖な仏の世界」と「左手=不浄な我々の世界」を合わせることによって成仏の世界が表現されているのです。
 「念珠(ねんじゅ/数珠)」の起源は釈迦さま頃にさかのぼります。ある国王がお釈迦さまに「我が国は、非常に貧しく、その上戦乱や疫病 のため仏道の修行をする余裕もありません」という言葉に対して、「菩提樹の実を 108個貫いて、それを手に仏の名を称えたのならば、それはりっぱな修行である」 とお答えになったところから始まると言われています。
 日本に伝わったのは、聖徳太子の頃、中国から伝えられたと考えられていますが、 その頃はあまりひろまりませんでした。これが大きく広まったのは、天平8(736)年に南インドのボダイセンナというお坊さんが、摂津の難波に来た時、菩提樹の念珠 を天皇に献上したことにより広まったとされています。
 蓮如(れんにょ)上人は、「念珠をせずに合掌することは仏を鷲掴みにするようなもの」と戒めておられます。
 念珠は仏具です。直に畳の上に置かないように心掛けましょう。


1連念珠の場合の合掌
親玉を下に

2連念珠の場合の合掌
親玉を親指で押さえる



【焼香の作法】
 「香」の歴史や種類などに関しては、異常に詳しいサイトがありますんで、そっちでどうぞ(好きなのね)。
 お香は清浄なものであり、差別無く隅々まで行き渡ります。これは、清らかな浄土、また如来の慈悲、仏の教えを表しているものだといえるのでしょう。
 浄土真宗でお香を「いただかない」のは、私たちがお香を通して如来、浄土のはたらきを感じるのであり、仏や亡き人に捧げるものではないからです。
 ちなみに、線香を焚くことを「燃香(ねんこう)」といいます。

大谷派の具体的な焼香作法
他宗派とは違うのでご注意を

御本尊を仰ぎ見る

お香をつまみ

香炉に2回入れる

合掌し念仏を称え

合掌を解いて軽く頭を下げる
↓ こういったことは浄土真宗ではしません ↓

お香を頂きません

お香の煙をあおったりしません



【勤行本】
 勤行本(ごんぎょうぼん/お勤め用の本)は基本的に赤色をしています。これは血の色なのだそうです。
 蓮如(れんにょ)上人の時代、文明6年(1474)3月、吉崎御坊は南大門付近から出火した火事のため炎上してしまいました。その時、了顕というお坊さんが猛火の中、 『教行信証』というお聖教を助けるため、切腹し腹の中にその『教行信証』を隠したそうです。火事が落ち着き、焼け野原となった吉崎御坊の瓦礫の中で、焼死した了顕の死体があった。その腹の中には、血でまっ赤になっているけれども、一つも焼けた所のない『教行信証』が出てきました。
 これは「血染めの聖教」という有名な話です。勤行本はそれを命がけで守ってきた人びとの血の色、つまり赤なのですよ。
 こういう話を聞くと、勤行本を邪険にはあつかえないはず。念珠と同様に、直に畳の上に置かないように心掛けてください。



【正座】
 「仏事は正座をせなあかんから、嫌い」という人って、結構多いのでは?。基本的に良覚寺の住職は「仏事で正座なんかしなくてもいい」というスタンスをとっています。
 親鸞(しんらん)聖人、蓮如(れんにょ)上人は正座されていたのか?、お釈迦さまは正座されていたのか?。答はNOですよね。「正座」の歴史は新しく元禄時代だそうですよ。何新聞だったか忘れたけど、徳川幕府体制(つまり当時の支配階級)が土下座に正座という名を付けたとか書いてました。つまりですね、自分より上≠フ者の前に座る時、土下座が正″タだったと。何だかイヤな感じしません?。
 今の日本では大事な場に出向いた時は正座ってなっちゃってます。日本の文化にここまで定着したら仕方がないですね。仏事に参詣するとは、仏前に詣でることです。だから仏事で居住まいを正すという意味で正座することが悪いことだとは言いません。でも足が痺れて、痛くなってまで続ける意味なんて、全くありません。我慢できるところまでしてもらって、後は崩してください。
 ちなみに「正座倶楽部」には、正座を我慢するコツが書いてあります。

【服装】
 これは仏事以前の問題かもしれませんが、仏事に参詣される時にはある程度&梠浮ノも気を使われた方がいいと思います。「月参り」などはよいのですが、在家報恩講、年忌法要、中陰にジーンズやジャージで参られる人が、たまにいます。

【仏事の時の音】
 坊さんがお経を勤めている時は暇でしょう?。お経を漢文で棒読みするんだから無理ないです。これはこれで問題だし、漢文棒読みを分かる言葉にすることは仏教界の課題です。でも仏事の時にペラペラ喋るのはよくないですよね。
 年忌などの仏事で喋る人は概ね年輩者です。自分の親ほど歳の離れた人に、「喋らないでください」というのは、こっちも辛いんですよ。
 もしお経の時間が意味が分からないから退屈だというのなら、そう言ってくださればいいんです。そこから仏事の問題点が明かになってくるということもあるし。
 携帯電話も問題ですよね。これは若い人に多いけど、携帯電話をマナーモードにしない人が多すぎる。静かにしなくちゃいけない場所では携帯はマナーモードって常識でしょう?。映画館とか講演会場とかヘンな着信音を鳴らしている人がいるけど、マナーモードにできないような携帯の持ち方(バックに入れっぱなしとか)しかできない人は、携帯を持つ資格なし。

【お茶のマナー】
 これも仏事以前の常識の話で恐縮です。
 お茶を出されることが多いのですが、たまに「え!?」と思うことをされて困ります。例えばお盆に乗せてお茶を出されるとか。
 ではお茶を出すときのマナーを。
 まずお客様にお出しする時は、よほど親しい仲でない限りは別室で入れるのがマナーです。そのとき茶托(茶碗を乗せるもの)を敷くのは作法の一つです。
 お客様にお出しする時は、茶碗の正面(絵柄のあるほう。ない場合には問題ありません)を自分のほうへ向けておき、お出しする時ゆっくりと回しながら正面の絵柄がお客様のほうへ向くようにおきます。この時、茶托は差し出すほうの手に持ち、もう一方の手は軽く添えます。お茶菓子を出される時は、お茶菓子、お茶の順番になります。
 そして仏事の直前に住職をはじめ、参詣者のお茶を引きます。お茶菓子を半紙に包むのはこの時にします(以前仏事中に一斉にそれが始まって、部屋中カサカサ音が鳴っていたことがありました)。




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□ 行事予定へ □




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