■ コラム ■
足の裏が
大地をふんでいる
その智慧に学びなさい
── 高史明師──
 作家である高史明師のところに若い子が「死にたい」と言って訪ねてきた。「死にたい」と繰り返すその子に対して「死にたいと言っているのはどこか」と質問された。その子は何を訊ねられているか分からない。頭を指さし、頭が死にたいと言っているのであれば、足や手に了解は求めたのか?、足の裏はどうなのか?、と質問を続けられ、最後にこう言われた。
足の裏の返事が聞こえなかったら、聞こえるまで歩きなさいと。それが人生というもんだ。きっとそのうちに聞こえてくる。頭の知恵だけが人間をささえているのではないと。足の裏が大地をふんでいるその智慧に学びなさい。
高史明師が言わんとされていることは「生きる」ということは頭で考えた知恵・知性だけで成り立っているのではないということである。
 どんな苦しい現実が目の前にあっても、私の存在そのものは現実をそのまんま受け容れている。手も足も足の裏も現実に対してグチは言わない。しかし現実に対して善い悪いと分別して、現実をそのまんま受け容れられないものが唯一私の中にある。それが知性であり知恵なのだ。
 私の存在─いのちは現実を絶対的に受容している。そのいのち≠サのものの声なき声が、理知分別でしか生きていない私の脆弱さや虚偽を教えてくることがある。このときだけ、私は本当に生きているのかもしれない。

■ True Living ■
報恩講講話録【中編】(2005/11/19.20)
──竹橋太師──
 親鸞(しんらん)聖人の生涯を覚如(かくにょ)上人という方が書かれた『御伝鈔(ごでんしょう)』の上巻に、親鸞聖人が師匠である法然上人のもとにおられた時の出来事がいくつか出てきます。
 法然(ほうねん)上人のもとには多くの法然上人を慕うお弟子がいました。あるとき親鸞聖人は仲間のお弟子に対してこういう質問をされました。「救われるというのは、信心によるのか?、それともお念仏を称えることによるのか?、どちらでしょうか?」。多くのお弟子は尋ねられていることの真意を理解できませんでしたが、数人の門弟と親鸞聖人は「信心で救われる」という立場をとります。そして一番最後に法然上人も「信心で救われる方」につかれました。
 これは違うエピソードです。お弟子たちと親鸞聖人が一緒におられたとき、親鸞聖人が「法然上人が頂いておられる信心と私の信心とは全く変わるところはありません」と言われた。それを聞いていた周りのお弟子は「それはおかしい。信心が等しいということは言われのないことだ」と咎めたわけです。親鸞聖人はそれにこたえて「博学の師匠と知識や知恵が等しいということであればもったいないことです。浄土に往生する信心は私の信心ではない。他力の信心であると教えていただきました。だから法然上人の信心も私の信心も他力であるから同じです」と言われます。それを聞いていた法然上人は「信心が違うということは自力の信心のことである。阿弥陀如来からいただいた他力の信心は、私も弟子である親鸞も同じである」と言われました。
 親鸞聖人が非常に「信心」ということがらを大切にいただかれていたことが分かる逸話です。それならば親鸞聖人の言われる「他力の信心」とはいかなるものなのでしょうか。
 親鸞聖人の書かれた主著の名前は『教行信証』です。この順序が大切です。普通に考えれば、教えがあって、それがよいと考え信じ、修行して、証する(覚る)。親鸞聖人の場合は、教えがあって、念仏があって、そして信じて、覚るのです。
 普通に信じるという場合、私≠ェ信じるのです。もっと言えば、私の分別心、物差しにかなうものを信じるわけです。そうすると、信じる対象より私の方が上に立っていることになりませんか。私たちは常にこうなのです。それは仏教に対しても同じです。自分中心に、自分の都合、価値観、物差しにかなうものをだけを信じる。こうなると自分の思いを出ることは絶対にできません。私たちは自分の思いを中心に何でも思い通りにしたいと考えます。ところが一番思い通りにならないのは自分ですね。老い、病になり、そして死ぬ。望まないことばかり背負わなければならない。思い通りにならないことを、どこか他に求めたりもする。
 親鸞聖人は教・行・信・証です。このときの行は念仏。信は他力の信心、つまり阿弥陀様からいただいた信心です。念仏をくわしく言えば阿弥陀様と出遇うことです。阿弥陀様という真実に出遇うことで、実は思い通りにならないことを思い通りにしようとしていた、自分の思いの虚偽性が知らされるのです。真実に出遇って自分が真実になることはありません。真実に出遇って自分の虚偽性が分かり、その自分の本当のすがたを信じるわけです。これが真宗の救いです。真宗の救いは自分の迷いの深さに触れていくということなのです。【続く】

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■ 耳をすませば ■
『矢橋船〜特選!!米朝落語全集 第八集』
──(落語:桂米朝/DVD,CD,ビデオ,東芝EMI)──
 ここ矢橋を舞台にした『矢橋船(やばせぶね)』という落語の演目があるのをご存知でしょうか?。『近江八景』という演目は人に知られているようですが、『矢橋船』を知る人は地元にも少ないようです。
 戦後、桂米朝師匠は荒廃していた上方落語を復興されました。その中で、廃れてしまい誰も高座にかけなくなったネタを米朝師匠独自の解釈で復活させられたそうです。その一つに『矢橋船』があります。
 矢橋の港から出る乗合船。侍から町人、はたまた病人、棺桶を担いだ者等々、乗合船という言わば密室の中で悲喜交々の人間模様が展開します。分類すれば旅物になるでしょうか。米朝師匠も解説で書いておられますが、『矢橋船』はそう大きいネタではありません。どちかと言えば小品になるでしょう。しかし矢橋に縁が深い我々がこの落語を聞くと印象が違ってきます。
 矢橋が帰帆(きはん)≠ニ呼ばれ、非常に賑やかな港町だったことを知識ではなく、皮膚感覚で知っている人はいなくなりました。米朝師匠が復活させた『矢橋船』を通して、我々の先達の活き活きとした生活を想像できるのではないでしょうか。
 今年の御遠忌で催し物として、良覚寺本堂で『矢橋船』をかけようと思っています。

 

■ コラム ■
人間は
闇の自覚なしに
光の自覚が
あろうはずがない
──高光大船師──
 グツグツ煮えたぎった熱湯にカエルを放り込む。するとカエルは驚いて跳びはね、そこから逃げようとする。しかし、普通の水にカエルを入れ、徐々に水を熱していくとどうなるか。常温から段々と上がっていく水温に慣れ、熱湯になったときにはカエル自身が茹で上がってしまい、そこから逃げる力もなくなっていまう。
 これを「ゆでガエル理論」と言うそうだ。現状が急激に変わっていく場合、その現状に対して認識を持ち対応しようと瞬時に思う。しかし現状が緩やかに変わっていく場合、現状認識が甘くなる。気が付いたときには最悪の結末をむかえることとなるわけだ。ビジネス業界などで訓戒として使われることが多い。
 私たちは鍋の中のカエルではないだろうか。緩やかに、穏やかに、大切なことが変わっているのにそれに無関心。今、それは絶対に許さないと態度決定しなければならないのに無頓着ということはないだろうか。
 私たち真宗門徒は真宗の教え≠生活の指針として生活してきた。それは教えを原理原則とする生活ではなく、教えによって自分自身の在り方や生きている社会そのものの問題点を映し出し省みる生活であった。
 徐々に変わっていく時代社会に立ち向かったり、抗うのは難しい。まず、立ち止まってみる。そして、少し客観的な視点を持ってみる。耳を澄ませて教えを聞いて。それならできそうだ。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2005/11/19.20)
──竹橋太師──
 私たちの平生の発想では教えを聞くと善い者になると思っております。寺で話を聞くと善い者になったつもりで家に帰ると元に戻る。こういうことを繰り返しております。仏様からみれば、人間には真実は全く無い。それが何故分かるのかというと、自分が間違っていたと分かるからです。真実なる阿弥陀様との出遇い、自分が間違っていたと分かる。親鸞(しんらん)聖人が言われる信心は、自分は間違っていた、愚かであることを信じるわけです。
 親鸞聖人の言葉には「ただこの信を崇(あが)めよ」というものがあります。自分の中に起こった信心を崇めなさいと。親鸞聖人は信心そのもの、信仰そのものに手を合わせなさいと言われているわけです。
 鳩摩羅什(くまらじゅう)というお坊様がおられました。様々なお経を訳された方です。この鳩摩羅什はいつでもこういう言葉を言われました。「たとえば、臭泥の中に蓮華を生ずるがごとし。ただ、蓮華を執りて臭泥を取ること勿れ」と。この鳩摩羅什というお坊様は結婚して子どもまでおられました。この鳩摩羅什がこの言葉を言うわけです。蓮華とは仏の覚り、仏の言葉である。しかしそれは泥の上に咲いている。私は泥のような人間だ。清らかな生活はできない。しかし私が訳し、説く教えは本物なのだ。そこを間違えてはいけない、と。更に言えば、蓮華の花は「淤泥華(おでいけ)」という別名がある。蓮華は高原の陸地に咲くのではない。泥の中にしか咲かないのです。それは煩悩(ぼんのう)のあるところににしか覚りの花は咲かないということです。鳩摩羅什が、私は泥まみれの凡夫であるが、私の訳した経は真実だと言われる。鳩摩羅什が経を真実だと感じられたのは、自分が泥のような者だったからだと思います。煩悩があるから救われるということがあるのです。泥が無くなれば蓮華の花は枯れますよ。
 釋尊は私たちに「中道(ちゅうどう)」という生き方を勧められます。中道とは苦行だけをする生き方でもない。快楽だけを求める生き方でもない。私たちが持っている善い悪いという思いを離れることが中道だと言われます。生は善いけれど死は悪い、健康や若さは善いけれど病や老いは悪いという思いですね。これを離れよということです。ただ、この理屈が分かったからもういいという問題ではない。「道」、つまりこの教えによって生きよと言われているわけです。しかし、生きている以上は離れられない。離れるということが真実だと知って生きなさい、と。
 親鸞聖人の歩まれた道は、自分の思いを離れられないということを徹底的に知っていくことでした。この離れられないということを知るとは、自分が間違っているということに気付くということでしょう。真宗の救いとは何かというと、自分の思い離れられない迷いの深さを知るということです。自分の迷いの深さに下りていく。そして自分が悪人であることに目覚め続けていくわけです。この目覚めが「信」なのです。自分の迷いをいつでも教えてくれるはたらきがある。これが阿弥陀様のはたらきです。迷いだけで生きている自分と阿弥陀様がぶつかっているところが「信」です。
 親鸞聖人は「他化天(たけてん)の大魔王」が「信心」をまもるのだとおっしゃる。「他化天」とは私たちの思いが何でもかなえられる世界─私たちの煩悩の行き着く先です。その煩悩にまもられながら、その煩悩に生き方を教えられながら生きることができる。煩悩の深さによって、いつでも阿弥陀様と出遇い、自分の迷いの深さを聞けることができる生き方が開かれていくのです。【完】

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■ 耳をすませば ■
『生きる意味』
──(著者:上田紀行/岩波新書)──
 本屋に行くたびに非常に目を惹く題名の本があると思っていました。『生きる意味』。人間なら誰しも問わずにおれない課題でしょうし、かたちはどうあれ人間なら必ず一度は問うたことのある課題だと思います。
 著者である上田紀行氏は現代日本にある自分への認識として「なぜ自分が他の人間でなくて、この自分でなければならないのか。別に他の人間が私と入れ替わってもかまわないではないか」というものがあると説きます。
 現代の問題点を鋭く指摘している言葉だと思います。会社でも学校でも家庭でも、その全体を構築するために機能性(役に立つ、何かができる等)だけが人間に要求される。道具として人間ならいくらでも交換可能≠ナす。そういった価値観でしか自分を見出せないのであれば、いつでも自分が社会から見捨てられる、そして自分で自分を見捨てる危機を生きているわけです。
 上田氏は「交換可能」の反対語として「かけがえのなさ」を挙げています。そこに在るだけでかけがえがない存在。それが私(あなた)という存在。今という時代の中で忘れてしまっている、単純だけれど、本当のことが「かけがえのなさ」という言葉の中にあるのかもしれません。

 

■ コラム ■
蓮如上人、
細々、御兄弟衆等に、
御足を御みせ候う。
御わらじの緒、くい入り、
きらりと御入り候う。
──『御一代記聞書』──
 蓮如(れんにょ)上人は、ときどき、お子様たちにご自分の足を見せられた。その足にはくっきりと草鞋(わらじ)の緒の跡がはっきりとのこっていた。そして「京都と田舎を何度も何度も歩いて、親鸞(しんらん)聖人の教えを広めたのだよ」と語られたそうだ。
 おそらく、この「わらじの緒の跡」が蓮如上人一代のお仕事の内容を語っているように思える。蓮如上人という人は、親鸞聖人の教えを人々に伝えるために、京の都から近江、岐阜、岡崎を歩いて回り、教えを説かれた。そして、それは一度や二度ではなかったであろう。
 考えてみて欲しい。京都から来た得体の知れない坊主が来て、「この教えを信じよ」と言って誰が信じるものか。蓮如上人は、いぶかしく思われようと、暴言を吐かれようと、時に石を投げられ棒で殴られようと、何度も何度も御縁のできた人々のもとに通われたのであろう。人々がこの人の言うことは首尾一貫していると思えるほど、何度も同じ教えを繰り返し説かれた。そして、この教えこそ真である、この教えこそ私が依るべき教えであると、心底から頷けるまで何回も人々のもとに通われたのだ。
 良覚寺の先祖先達が浄土真宗に帰依し、良覚寺の前身である念仏道場を建立した。そして五百年の時を経て、今を生きる私たちに浄土真宗の教えが説かれている。これはひとえに蓮如上人の「わらじの緒の跡」が物語るご苦労があってこそである。

■ TrueLiving ■
覚の会1月例会講話録(2006/01/19)
──佐藤賢隆師──
 今日は『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の201条について話をさせていただきます。蓮如上人が亡くなられた二十五年後、五男である実如(じつにょ)上人が蓮如上人の夢を見られました。勿論、実如上人が勝手に夢を見られたという話ではなく、蓮如上人が生前に仰ったことを、改めて夢というかたちで思い起こされたのです。この中に出てくる「仏法は、讃嘆・談合にきわまる」と「仏法は、一人居て悦ぶ法なり」についてお話しします。
 「仏法は、讃嘆・談合にきわまる」。この「讃嘆」というのは、褒め称えるという意味ですね。「談合」とは、話し合うということです。現在、談合と言えば良い言葉ではないけれど、この場合は真宗の信心について話し合うということです。この「談合」ということを蓮如上人は非常に大事にされました。自分自身が聞いてきた仏法というものは、これでいいのかということを話し合うことを通して確認できます。また、今まで知らなかった仏法の教えを聞くことができる。そして、人が顔を合わせますので、教えを聞くことの励みとなるわけです。一方で「仏法は、一人居て悦ぶ法なり」とあるわけです。
 10年ほど前、今東光(こん・とうこう)さんに関してのドキュメンタリー番組を放送していました。瀬戸内寂静さんは今東光さんのお弟子なのですが、寂静さんが弟子入りするときに今東光さんは一言だけ、「一人をつつしみなさい」と言われたそうです。よく、人前ではつつしみなさいと言います。人前でつつしむのは常識といえるでしょう。仏教では誰かが見ているから自分をつつしむのではない。一人でいるときの在り方をつつしみなさいと教えるわけです。
 親鸞(しんらん)聖人のお言葉に「一人」ということをたずねていけば「弥陀の五劫(ごこう)思惟(しゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と言われています。つまり、阿弥陀様の本願は私一人のためにあったのだと。勿論、独占的な意味で言われているのではなく、他の誰でもない私の問題であると仰っているわけです。私こそが聞かねばならない身を生きているのだと。私自身、仏教の講義を聞いていて「これは私に語りかけている言葉である」と思うことがあります。勿論、講師は聴衆全てに話しているわけですが、私一人に語りかけられていると思えるほど、話される内容が響くわけです。
 善導(ぜんどう)大師という僧侶は「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」と言われます。鏡というものは何でも映します。見たくないものまで映してしまう。善いとろこも映るのでしょうが、悪いところも映るわけです。ところが、見方によって鏡に映る自分の善い部分しか見ていないで、悪い部分を見ないようにすることもある。仏法を聞き、仏法を鏡として自分を問うのは誰でもない私の問題です。しかし、その鏡の見方でさえ、受け容れられるものと受け容れられないものを分けている自分がいます。
「仏法は、一人居て悦ぶ法なり」とは、仏法はあくまでも私一人を問題にしているのだとういことを、よくよく聞くということですね。そしてそれは、自分でも気付かない自分を映してくださった仏法に対する讃嘆≠ネのです。しかし、自分の都合で聞いているということがある。そのために談合≠ェ重要なのです。人々と集って自分が聞いたつもりでいた仏法を、人々との対話を通して確かめるわけです。

■耳をすませば■
『蓮如物語』
──(著者:五木寛之/角川文庫)──
 ここ数年、五木寛之氏は『大河の一滴』『他力』等、宗教的色合いの強い書物を多く書かれています。特に真宗本廟(東本願寺)で蓮如(れんにょ)上人御遠忌が勤まった一九九八年頃には、非常に多くの蓮如上人≠ノ関する書物を書かれました。
 五木氏は『蓮如―聖俗具有の人間』(岩波新書)という書物も書いておられますが、今回紹介するのは真宗大谷派が制作してアニメ映画にもなった『蓮如物語』です。この『蓮如物語』は蓮如上人の宗教的、政治的な仕事を克明に描き出しているわけではありません。
 宗教的偉人の伝記小説に描かれる人物像は、概ね超人であり、人々の苦悩を解決していく救い主です。『蓮如物語』で五木氏が描いた蓮如≠ヘ、激動の室町時代、親鸞聖人の流れをくむ本願寺という寺に生まれた一人の人間としての蓮如を描こうとしているわけです。その中には蓮如の人間的な苦悩、そして喜びが描かれます。実母と別れるときに涙する蓮如、友と遊ぶ蓮如、戦乱と飢餓の時代にあって真宗の僧侶としてどのように生きるのか悩む蓮如…。
 子どものために書かれた小説ですので表現も平易です。『蓮如物語』を通して五木氏が描いた人間としての蓮如に触れてみるのも面白いかもしれません。

 蛇足ですが、アニメ映画版『蓮如物語』は大谷派と松プロ(松方弘樹)とのトラブルでビデオ化されていません。私は観に行ったわけですけど、、、東映のスタッフが何となく活劇も入れたプログラムピクチャーみたいな時代劇を造りましたという映画でした。。。「いま、大谷派が造らなければならない映画か???」という映画でしたよ。小説の世界を何分の一も伝えてないんです。

 

■ コラム ■
The most dangerous animal in the world.
〜世界で最も危険な動物〜
──(ブロンクス動物園の説明書きより)──
 子どもの頃に「アイアイ」という童謡を聴かされ、南の島に住む可愛い猿を想像したものだ。そのアイアイはマダガスカル島に実在す猿の一種である。ただ、絶滅の危機にあるのだが。
 アイアイは18世紀に発見された。大きく赤い目、長い耳、極端に長い指。マダガスカルの島民は、このアイアイの姿形を見て悪魔≠連想した。悪魔のつかいであるアイアイに会うと死ぬなどのことが信じられ、人間はアイアイを手当たり次第に殺していったという。
 日本人がイルカやクジラを殺すことを、欧米系の自然保護団体は「残酷だ」という。その理由は「イルカやクジラは賢い動物で人間の友達だから」だそうだ。ならば、愚かな豚や牛は殺して食べてもよいのだろうか。
 いのちは平等─確かにその通りだと思う。しかし、実際の我々の在り方は、美・醜、賢・愚、美味い・不味いなどの物差しで、しっかりといのちを計り、その動物を殺すか守るか決めている。殺される動物そのものに殺される理由などない。理由を付けているのは、あくまでも人間なのだ。
 アメリカのブロンクス動物園には「世界で最も危険な動物」という説明書きのある部屋がある。そこは鏡張り。つまり映っているのは私=人間≠ネのだ。自分の物差しでいのちの重い軽いを付けているのに、それに気付けない動物のすがたが、そこにある。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2006/03/21)
──三品正親師──
 守山市の三宅にある蓮生寺という寺の住職をしております三品正親ともうします。草津もそうですが守山という在所は、ここ十年で様変わりしました。新しい道や住宅地が作られ、風景が変わっております。目に見る部分だけではなく、時代は物凄く変化をしました。その中で変わってはならないものもあるだろうということを、今日は考えてみたいと思います。
 この世の中の変化について、ある方が「最近はさ・し・す・せ・そ≠ェなくなってきました」と言われました。
 まず「さ」は裁縫です。今、破れたズボンを履いている子どもはいませんね。私の子どもの頃は、服が破れたら繕うのは当たり前でした。今は買う方が安いわけです。確かに繕ったズボンは履きにくいし格好が悪い。しかし、その繕い物を通して、母の思いのようなものを感じることができる。このさしすせそ≠ェなくなってきたということは、実は誰かが誰かを気づかったり、思いをはせたりする、そういった愛情が見失われてきたのではないかということなのです。
 「し」は躾ですね。今の子どもは忙しいようです。塾や習い事に追われて、親と家庭で過ごす時間が減っております。その中で親が子に伝えなければならないことが無くなってきました。「す」は炊事です。台所という場所はいのちをあずかる場所です。具体的に言えば昔は台所は魚や鶏を殺す場所でした。今は料理といえば美味いしかしりません。食の見たくない嫌な部分は誰かがやってくれています。「せ」は洗濯。今はどの家でも洗濯機を使いますが、昔は手洗いですね。手洗いをすると、洗濯物の汚れ具合で家族の健康が分かるのだそうです。「そ」は掃除ですね。これも掃除機などの機具を使わない、丁寧な掃き掃除、拭き掃除がなくなってきたということです。
 失われた「さしすせそ」のことを考えると、今は便利な世の中になってきました。そして便利な世の中を多くの人が謳歌しています。確かに結構な世の中になったと言わねばならない部分もあるでしょう。ただ、この「さしすせそ」には、親の思い、子の思い、お互いの思いが重なり合うような、気持ちの寄り合い場所があったのです。この気持ちの寄り合い場所が便利さを優先して、なくなってきた。便利になったからよいということではなく、人と人とのつながりを失うと、人間は生きられなくなってしまいます。
 便利な世の中を捨てて「さしすせそ」というかたちで失われつつあることを復活することは不可能です。しかし、このことで私たちの生活を確かめて欲しいのです。今の私たちの生活に何が足りないのでしょうか。
 浄土真宗の門徒は「寄り合い」「談合」を大切にしてきました。つまり、仏法を中心にした人の集まりを大事にしてきたのです。浄土真宗の寺院は御本尊のある内陣よりも、皆さんが参って下さる外陣が広く作られています。これはできるだけ多くの人が参れるような構造をとっているからなのです。寺に参って、仏法の話を聴聞する。そしてお互いに仏法の話をしよう。お互いに生活の悩み事を話し合おう。仏法を中心にした人と人との関係を大事にしていこう。これが真宗寺院のあるべきすがたなのです。

■ 耳をすませば ■
『雨あがる』
──(監督:小泉堯史/脚本:黒澤明/DVD角川エンタテイメント)──
 腕はたつのですが出世できず、仕官のくちをさがす三沢伊兵衛という浪人がいました。伊兵衛は妻・たよと仕事を求め全国を渡り歩いていたのですが、長雨にあい宿に長逗留することになりました。その宿は鬱々とすごす人ばかり。わずかな食事を盗んだ盗まないで大喧嘩になってしまいます。それを見るに見かねた伊兵衛は武士として禁じられている賭試合をし、儲けたお金で宿の人々に酒食をごちそうするのでした。
 そんな伊兵衛に仕官の話が持ち上がります。剣の腕前は間違いのない伊兵衛のこと、ほぼ仕官は決まっていましたが、先般の賭試合のことがばれてしまい、仕官を断られてしまう。杓子定規な言い分で仕官を断りにきた役人に対して、妻のたよがこう言いました。
人は何をしたか…ではなく、何のためにしたか、だと思うようになりました。
そちらの木偶の坊にはお分かりにならないことだと思いますが。
 『雨あがる』は黒澤明監督が最後に書いた脚本の映画化だと言われます。だとすれば、この台詞は黒澤の最後のメッセージなのかもしれません。人間は、「何をして生きているのか、何をして生きてきたのか」よりも、「何のために生きているのか、何のために生きてきたのか」が大事なのだ、と。


 

■ コラム ■
帰命(きみょう)──心の頭が下がること
は、かならず、
礼拝(らいはい)──身体の頭も下がること
を、ともなう。
──曇鸞大師(良覚寺住職意訳)──
 仏事などのとき肩から下げ、けさ≠ニ呼ばれている物のことを真宗大谷派では「略肩衣(りゃくかたぎぬ)」という。江戸期、真宗門徒は報恩講などの深重の法要のとき肩衣≠ニいう礼服をはおった。時代劇などでよく見かける、武士が袴をはいたとき上半身に着用しているあの上着である。昭和初期、持ち運びに不便な肩衣≠フ略式として「略肩衣(りゃくかたぎぬ)」が認められ、浄土真宗の仏事法要には念珠・勤行本・略肩衣を持参することが、参詣の礼儀とされてきたわけである。
 仏事は、自分自身の生き方を阿弥陀仏を鏡として問う事である。阿弥陀仏を人の眼で見ることはできないけど、教え(言葉)として表現され、絵像・木像(かたち)として表現され、我々は阿弥陀仏に出会うことができる。真実なる阿弥陀仏と出会い、虚仮不実の私の生き方が映し出されるのだ。自分で自分の生き方を評価することはできない。どこかで誤魔化しが入る。阿弥陀仏に映された自分は、自分自身でも知り得ない自分の本当である。
 仏前に詣でることは、本当の自分に出会うことである、と言える。阿弥陀仏に頭を下げるということは、虚仮不実の我が身への傷みが頭を下げさせるのである。本当に仏に出会う(自分に出会う)ことが尊いと思えたから、我々の先祖先達は、仏前に詣でるとき礼服として 「略肩衣(りゃくかたぎぬ)」を着用し居住まいを正したのだろう。後世に伝えたい習慣である。

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2006/03/19)
──山本靖師──
 『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の81条には「「仏法には無我(むが)」と、仰せられ候う」とあります。仏教の基本的な教えとして、人間の苦しみの原因は我(が)≠ニいうものをたてる私たちの在り方にあると教えます。この我≠ェ中心であると思うところに煩悩というものがあるのだと。蓮如上人も、この条で「われ」という思いをいましめられておられます。しかし、今日の浄土真宗では、「無我」ということはあまり強調していないように思います。私は、今の浄土真宗では、「同朋社会の顕現」とか「共に生きる」という表現で「無我」ということを言っているように思います。
 「共に生きる」ということは、単に物理的に「同居する、一つ屋根の下で暮らす」ということではないのであくまでも心の問題ですから。私は「共に生きる」ということにおいては、「共感」ということが大事なことではないかと思いのです。
 SMAPの歌に『Triangle』という曲があります。その中の歌詞に「精悍な顔つきで/構えた銃は/他でもなく/僕らの心に/突きつけられてる」と出てきます。この歌詞はイラク戦争を念頭に置いていると思います。あるいはアフガンですか。そういう中で兵士が銃を構えているんだと。その銃は私たちに突きつけられているというのです。つまり、日本という安全な国で暮らす我々と戦争をしている国の人は無関係なのかと言っているのです。
 先日、長浜で殺人事件が起きました。ショッキングだったことは、殺されたのが幼稚園児であり、殺したのが同級生の母親だったことですね。その犯人は中国から嫁いできた人でした。「なんということをするのだ」と思いました。しかし、彼女は言葉が通じないことから来る様々な問題で精神的に追い込まれての犯行だということでした。なかなかわたしたちは、そこに目がいかない。
 こういったことを親鸞(しんらん)聖人に聞けばどうでしょうか。親鸞聖人の言葉に「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいをもすべし」というのがあります。ご縁があれば何をするかもしれないのが私であると言われるのです。だから、私が同じ条件であれば又同じことをしていただろうと親鸞聖人はおっしゃられるのです。  親鸞聖人のものの見方はそうなのです。無量壽の命を本当に自覚したときのいのちの共感とはそういうものなのでしょう。「私も同じことをしたにちがいない。」もちろん被害者にも加害者にも同じように向けられる心です。
 私も同じことをしたにちがいないというところでは、今の私というものは意味がないわけです。無我なんです。今の私のおかれているご縁というものは関係ないのです。親鸞聖人は、「去るべき業縁のもよおせばいかなるふるまいをもすべし」という言い方で、無我ということをおっしゃったのだと思います。
 だから、この無我ということが、共に生きる、共感、同朋社会ということにおいて大事なことではないかと思います。

■ 耳をすませば ■
『食品の裏側──みんな大好きな食品添加物』
──(著者:阿部司/東洋経済新報社)──
 著者である阿部司氏は実際に食品添加物の専門商社で営業を担当されていました。しかも売り上げは常にトップ。つまり、様々な食品会社が作る食べ物に食品添加物を入れまくっていたわけです。
 企業にとって、食品を利潤追求という物差しだけでみたとき、添加物は不可欠なのでしょう。ただ安全性はどうか。勿論、一つひとつの食品添加物の安全性の基準はあります。ただ、数種類の添加物を食べたとき、人体にどのような影響があるかは分かっていません。
 仕事人間であった阿部氏は家族と食事をとることはめったになかったのですが、娘の誕生日だけは家で食事をしたそうです。その食事で娘が美味しそうに食べていたミートボールは阿部氏が添加物を嫌というほど入れて完成させた製品だった。思わずミートボールを取り上げる阿部氏。我が子に食べさせたくない食品を作り続けていたことへの自己嫌悪から会社を辞めたそうです。利潤という物差しだけで仕事をしていたけれど、自分の行為で苦しむ人の顔が見えたときその物差しが折れて生き方が変わったのです。
 生きるということは、ある意味で選択なのでしょう。その選択は何に依ってなされるか。阿部氏の生き方の転換は非常に重要なことを教えているように思います。

 

■ コラム ■
たとえば万川長流に草木ありて、
前は後を顧みず、後は前を顧みず、
すべて大海に会するがごとし。
世間もまたしかなり。
豪貴富楽、自在なることありといえども、
ことごとく生老病死を勉るることを得ず。
──『目連所問経』より──
 浄土真宗という宗教の特長は「自分が課題になる宗教」と言えるだろう。それは親鸞(しんらん)聖人の教えの特長と言えるし、真宗門徒(もんと)と自ら名告った我々の先達が、親鸞聖人の教えから聞きとった内容と言える。その教えは机上の空論ではない。生活のために日々働き、社会的地位が高いとは言えず、財力も、学問もない民衆≠ニ呼ばれた先達が己の生活の中で親鸞聖人の教えを聞き「自分を課題に」してきたのだ。
 「自分が課題になる」という場合、世間に流されている自分≠ェ課題になることがある。この世間に流されている≠ニは自分の生きている世間が問題にならないということである。
 私たちが生きている世間の価値観、今という時代の価値観というものがある。「金さえあれば何でも買える」と発言した人もいたが、拝金主義とそれに伴う能率主義。人間、そしていのちがモノのように扱われる。しかし、その世間の価値観が骨の髄まで染み込んだ私たちは、世間の価値観に疑問をもたず、それを問題にすることができない。そして人間として根本的に課題にするべき問題に目がいかない。これが世間に流されている私≠フ相であろう。
 世間の中で生きながら、教えを聞くことを通して世間を問題にしていくことのできる者を真宗門徒と呼ぶ。それは、自分を是として世間を客観的に評論する在り方ではない。自分の中にある世間を課題として担う生き方である。

■ TrueLiving ■
御遠忌お待ち受け法要講話録(2006/03/21)
──三品正親師──
 今日は秋に良覺寺でお勤めになる「蓮如上人五百回御遠忌」のお待ち受け法要ということです。私が住職をしております蓮生寺も「蓮」の字がついていますので、蓮如(れんにょ)さんと御縁のあった寺です。蓮生寺は三宅という在所にありますが、その隣は金森(かながもり)というところです。蓮如さんは金森によく来られましたが、そのときに当時の蓮生寺の者達が蓮如さんのお世話をしておりました。蓮生寺には「南無阿弥陀佛」の掛け軸が伝わっておりますが、良覺寺にもそれが伝わっているようですね。また近江の地にはお内仏(仏壇)に荘厳するための小さな名号もあります。皆様の家にもありませんか?。
 三宅では蓮如上人≠ニいう言い方をする人は少ない。蓮如さん≠ニ呼ぶ人が多いです。「上人」という言葉をつけると、何か一段高いところにおられる方のような印象を持ちますね。蓮如という人はそれほど民衆に馴染みの深い人だった。逆に言えば、蓮如さんは自分を一段高く置くのではなく、民衆の中に入っていかれた方なのです。
 蓮如さんの御父様は本願寺第七代の存如という方です。存如上人はまだ若い蓮如さんを連れて、この近江の地を布教のため歩かれます。蓮如さんはこの近江の地において、民衆と出会い、民衆の生活を通して、親鸞(しんらん)聖人が明らかにされた本願念仏の教えはどのようなものかを学ばれたのでしょう。言わば蓮如さんは民衆から育てられたわけです。
 蓮如さん時代、仏教は民衆のものではなかった。権力や財力や知力をもった者だけがふれることのできる教えだった。特に女性は社会的にも地位が低かったし、仏教に近づくことすらできなかったわけです。蓮如さんは『お文』といってお手紙で布教をされますが、その中で何度も「女人」ということを課題にされます。女人こそが救われるのだと。社会的に底辺にいると同時に仏教の救いから遠いと考えられていた人々こそが救われるべきである。親鸞聖人の教えは、社会の価値観では底辺にいて救われがたいと世間から思われ、自らも思い込まされている人を救う教えである。蓮如さんは、民衆と出会い、民衆の中で、民衆と共にこのことを学んでいかれたわけです。
 また蓮如さんは民衆に「あなたがたこそ救われるのですよ」と伝え続けられたわけです。先ほど言いましたように『お文』は蓮如さんのお手紙です。遠方におられる門徒にも間違いなく念仏の教えが伝われるように書かれました。今では普通に『正信偈(しょうしんげ)』の書かれた本を持って勤めておりますが、このお勤めの本を印刷し多くの方々にお配りになったのは日本では蓮如さんが最初です。「講」といって、教えを聞く集いを各在所に作れと言われたのも蓮如さんです。
 蓮如さんの御遠忌を勤める意義はどこにあるのでしょうか。東西両本願寺系の真宗の寺院は日本に二万ヶ寺あります。そのうち80%は蓮如さんが寺として興してくださったわけです。もちろん良覺寺も例外ではありません。蓮如さんの尽力で人と人が教えによって結ばれ、人々が集い、かたちになったのが寺です。教えを伝えてくださったこと、教えによって人と人をつないでくださったこと。蓮如さんの御遠忌は、まさにこのことを憶念しながらの御遠忌であればと願います。

■ 耳をすませば ■
『夢を食いつづけた男──おやじ徹誠一代記』
──(著者:植木等/朝日文庫)──
 宗教というものに触れ、その宗教を自分の生きる起点した者は、その宗教の真実性というものをどこで証し、縁のある他者に伝えていくのだろうか。もちろん、教えを言葉で表現する──説教をする、文字で書くのも手段である。しかし、言葉で表現した宗教の真実性というもが、その言葉で表現した者の生活とかけ離れているなら、誰がその人が説く宗教を信じるだろうか?。宗教を伝えるという場合、最も大事なことは、その宗教を伝えようとする者の生き方≠ネのだろう。その者の生き方の中でこそ宗教の真実性はあるし、実は生き方そのものが、その宗教を他者に伝える表現となるのだ。
 植木等氏の父上を植木徹誠師という。今は廃寺であるが真宗大谷派・常念寺の住職であった。そして徹誠師のもう一つの顔は、戦前において部落解放運動に力を尽くした活動家であった。私は思うのだが、徹誠師の中で親鸞(しんらん)の教えというものと部落解放運動というものは別のものではなかったのだろう。親鸞の教えを聞いた者は、差別のある世の中に対して「この世の中は間違っている」と具体的に動く。これは「生き方として表現された親鸞の教え」なのではないか。
 徹誠師の生き方は、親鸞の教えを伝える場合、何が肝要であるのかを教えてくれる。

 

■ コラム ■
後生たすけたまえと
申さん女人は、
みなみな極楽に
往生すべきものなり
── 蓮如上人『お文』より──
 室町時代、女性の存在は「五障(ごしょう)」と「三従(さんしょう)」と見出されていた。「五障」とは、女性は成仏できないなどの五つの障りを持つものだという教え。「三従」とは、女性は幼くは父に、結婚すれば夫に、老いれば息子に従うべし、という規範。小泉八雲は「「女人」とは室町時代まで最も救いから遠いとされていた存在です」と書いている。この「五障」と「三従」という言葉は、室町という女性差別の厳しかった時代を映しているような言葉であろう。
 当時、女性は宗教的に救われることがないということを世間的にも認識されていた。また、女性自身も自らが宗教的に救われることはないと思い込まされていた。「私は五障・三従だから」、と。その時代社会にあって、蓮如(れんにょ)上人が繰り返し繰り返し言われたことは「女人は救われる」、そしてもっと積極的に「女人こそ救われる」であった。
 蓮如上人が民衆の中で学ばれた浄土真宗の教えは、社会的に底辺にいると言われ、世間から見捨てられた人々をこそ救う教えだった。世間の価値観を超えられず、自分で自分を見捨てようとしている人々に、人間の存在そのものを量る価値観は全て偽であると伝え続けられた。  「女人は救われる」、「女人こそ救われる」という蓮如上人の言葉は、蓮如上人が何を大事にして私たちの先達に仏教をお伝えくださったのかを感じさせてくれる。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2006/05/19)
──沙加戸崇師──
 『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の53条には
御流の御こと、このとしまで、聴聞もうしそうらいて、御ことばをうけたまわりそうらえども、ただ、こころが御ことばのごとくならぬ」と、法慶、もうされ候う
とあります。長寿であり、非常に長い間聴聞されてきた法慶という方が晩年に言われた言葉です。つまり「長い間この歳まで聴聞してきたけれど、教えのとおりに心がならない。私の心は教えと一つになるということがないのです」と言われているわけです。
 この法慶さんはどういう内容のことを聞いてこられたのでしょうか。蓮如上人言葉に「なお後生のたすからんことの、うれしさありがたさをおもわば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、となうべきものなり」とありますが、この「うれしさありがたさをおもわば」ということが、法慶さんが聞いておられた代表的なことでないかと思います。つまり、法慶さんの実際の生活のなかで、阿弥陀に助けられることの嬉しさや有り難さが湧いてこなかったということがあったのではないでしょうか。
 親鸞(しんらん)聖人の語録に『歎異抄(たんにしょう)』というものがあります。その中に親鸞聖人のお弟子の唯円(ゆいえん)という人が「念仏を申しても踊躍歓喜の心がないのはどうしてでしょうか」と問いを親鸞聖人に出されます。そして、その問いに「私も同じです」と親鸞聖人がお応えになったというくだりがあります。その親鸞聖人と唯円の関係をもとに倉田百三という方が『出家とその弟子』という戯曲を書かれています。その中に僧侶たちと唯円の会話が出てくる。他の僧侶は仏法を聞けば歓喜の心に溢れると口にします。ところが唯円はその会話を受け容れられない。『御一代記聞書』の法慶さんの言葉を読んでいて、『出家とその弟子』のこの場面を思い出しました。
 私たちは仏法を聞くことをイメージでどのようにとらえているでしょうか。仏法を聞けば、心が晴れ晴れする、悩みが解消され心が軽くなる、知恵が身につけられる等々、そういったイメージはないでしょうか。私自身、そういった先入観で仏法をとらえていたことがあります。聴聞したら非常に素晴らしい生活を送れるといったように。
 仏法を聞けば躍り上がるほど喜ぶ。そして仏法を聞くことによって、今の自分がより一層素晴らしく、善い者になっていく。こういった仏法の聞き方の前提になっていることは、「今の自分」なるものが間違いないものであるということです。また、その間違いない「今の自分」が仏法を聞くことによって、一段と成長していくというような思考です。
 仏法を聴聞するということは、私たちの前提になっている「今の自分は間違っていない」というときの「自分」の在り方を問い直すということなのです。そのことが抜け落ちたところで聴聞をすると、今度は「聴聞している自分は正しい。聴聞していないあなたは間違っている」というところに陥っていくわけです。
 自分の具体的な生活が抜け落ちると、踊躍歓喜、報恩謝徳、仏恩報謝などの言葉が簡単に言えてしまうことがあります。私自身、そういう言葉を簡単に言えてしまうとき、自分の在り方を問い直すということが全くない仏法の聞き方をしているのだと思います。

■ 耳をすませば ■
『不可触民と現代インド』
──(著者:山際素男/光文社新書)──
 仏教発祥の地がインドであり、教主(教祖)が釈迦牟尼世尊──釋尊であることは広く知られたことでしょう。二〇〇五年前、釋尊の説かれた仏教は当時のインド社会の仕組みを否定しました。インド社会の基本的な構造は現在もさほど変わっていません。古代から現代まで綿々と続くインド社会の構造は仏教から否定され続けたものであり、そのインド社会の構造を知ることは、それを否定してきた仏教の側面を知ることにつながるのです。
 インドの社会構造は「カースト制度」と呼ばれる厳しい身分社会を基本とします。「司祭・王族・平民・奴隷」という基本的な身分(四姓)があり、更にその下に「不可触民」と呼ばれる被差別階級があるのです。この階級にあると婚姻、職業等で徹底的に差別されます。このカースト制度を宗教的に意味付けたのがヒンドゥー教であり輪廻転生思想なのです。釋尊が説かれた仏教は、人間の尊厳と自由を明らかにする教えです。そして、生まれながらにして社会的に人間の価値が決まる、どのような教義、法律、制度をも否定するのです。
 13世紀、イスラム軍のインド侵攻によって滅亡したインド仏教。近代において不可触民出身の政治家アンベードカル博士によって仏教は復活し、人間を本当の意味で解放する教えとして信仰されているのです。

 アンベードカル博士の生涯を知りたければは『アンベードカルの生涯』(著者:ダナンジャイ・キール/光文社新書)、アンベードカル博士の仏教思想に関しては『ブッダとそのダンマ』(著者:アンベードカル/光文社新書)をお勧めします。

 

■ コラム ■
親鸞聖人が説かれた
真宗の肝要を、
多くの人は
理解することができませんでした。
蓮如さまは
「生きていくことの大事を
あきらかにするため、
自分を超えた
阿弥陀如来のはたらきと出会い、
自分がたよりにしている
価値観そのものを問え」
と分かりやすく人々に
お説きくださいました。
ですから蓮如さまを
「真宗再興の上人」と
お慕いするのです。
──『蓮如上人御一代記聞書』188条より(意訳)──
 蓮如(れんにょ)上人がお生まれになった頃の本願寺は「人せきたえて、参詣の人一人もみえたまわず」と伝えられている。お参りがない、寺を護る人もない、財政面での困窮…。この米粒のような弱・本願寺教団を、蓮如上人は一代で日本屈指の大教団にされた。だから蓮如上人を「本願寺再興の上人」と称する場合がある。しかし蓮如上人の真意、本当の願いは「本願寺再興」などという矮小なものではなかったのであろう。
 蓮如上人が生きられた室町時代は、正に時代の過渡期であった。幕府や朝廷の権威は地に落ち、下克上がはじまった。それに伴い応仁の乱をはじめ、大小の戦乱が絶え間なく続いた。それに加えて天災が人々を襲う。倫理も道徳も戦乱と天災に破壊され、人々は、自分が何のために生まれ、何のために生きていくのか分からぬまま死なねばならない。そういう時代であった。
 人々が生の拠り処を見出せない時代のなかで蓮如上人は、親鸞聖人のあきらかにされた「真宗」をお伝えくださったのだ。「人間の存在をはかる価値観など人間の作った嘘っぱち。人間の存在そのものはどのような価値観でもはかれない。世間の中にあり、社会にあり、そして自分の中にもあるその価値観を問え!」。
 蓮如上人の願いは、荒廃した人心に「真宗」という花が咲くこと。蓮如上人一代の大仕事は、一つの教団の勢力拡大などという小さなものでない。人間への「真宗再興」だったのだ。

■ TrueLiving ■
蓮如上人お文講座講話録(2006/07/10)
──沙加戸弘師──
 蓮如(れんにょ)上人は「仏法の事は、いそげ」と仰せられました。「いそげ」とは「今」という意味でありましょう。あれよりも、これよりも急げと順番をつけられたのではない。「今は忙しいけど、年をとったら良覚寺に参る」と言うけれど、死んでしまいますよ。忙しいから死ねないということはない。そのことが分からないのが私たちであります。仏法に順番はありません。このことを蓮如上人は「後生の一大事」と言われました。この「一大事」は一番大事なことと順番を言っておられるのではない。たった一つの大事なことという意味なのです。蓮如上人はこのこと一つを、この矢橋の地に届けて下されたのです。そのご恩を御遠忌という法要を通して報じてきたのであります。
 頑丈に生きてきた人ほど、しっかりと生きてきた人ほど仏法は聞きにくい。何故なら仏法は弱い私に出会っていく道だからです。自分を頑丈だ、しっかり者だと思い込んでいるとき見失っていることがある。それは、自分を心配してくださっているはたらきです。
 何年も前ですが、ある寺の報恩講の説教にいきました。その寺は三日間で十座のお勤めをし、一座に二回づつ二十回の法話をしなければなりませんでした。その全ての法話を一番前に座って聴聞されているお婆ちゃんがおられた。そのお婆ちゃんは左手がありません。その寺の御住職に「あのお婆ちゃんはどのような方ですか」と尋ねました。
 あのお婆さんはこの村一番の鬼婆と言われるほど恐い人でした。特に寺が嫌いで、前を通るたびに唾を吐くほど嫌っていました。このお婆さんには連れ合いがおられたが、この人は村一番の仏様と言われるほど優しい人でした。ある晩、ご飯を炊くためにかまどで火を焚いていると、このお婆さんの服に火の粉がかかり大火傷を負ってしまった。お爺さんは昼夜を問わず熱心に介護をし、何とかお婆さんは一命を取り留めましたが、お爺さんは介護疲れて亡くなられました。それから通夜、葬儀、中陰と勤まるごとに法話をし、お婆さんはそれを聞かれた。その年の報恩講に一座お参りをされ、その次の年の永代経から寺で勤まる法座には全て参るようになられたそうです。
 そのお婆さんが住職さんに、「わしほど業の深い者はいない。一番大事なものを亡くさなかったら仏法が聞けへんかったから」。「村の人はうちの連れ合いを仏様と言う。大嘘やと思っておった。けど、それはほんまやった。村中の人に鬼と言われたわしに仏法を聞かせたなんやから」としみじみ言われたそうです。そして、その住職さんは言葉を続けて、「私はあの人に住職にしてもらったのです。あの人は私にとって仏様だ。住職一代何をしてきたのかというと、あの人一人に出会うために住職をしてきたのです」と言われました。
 世間娑婆の尺度ではかることなく、本当の私と出会い、誰でもないこの私でよかったと頷いていける教え。このことをこの近江の地に、矢橋の地に「後生の一大事」という言葉を通して伝えてくださったのが蓮如上人です。蓮如上人に出会うまで、仏法と縁を持つこともゆるされなかった私たちの先達に、私を本当に大事にする生き方を運んでくださった。それ以来、良覚寺の先達は良覚寺本堂に座って、本当の私に出会う教えを聞き続けてきたのです。

■ 耳をすませば ■
『真宗再興の人 蓮如上人の生涯と教え』
──(編:真宗大谷派教学研究所/東本願寺出版部)──
 東本願寺(真宗本廟)で「蓮如上人五百回御遠忌」が勤まったのが1998年です。そのとき、多くの蓮如上人に関する書物が本山から出版されました。それらの一部を紹介いたします。
 『真宗再興の人 蓮如上人の生涯と教え』。編集は本山の教学研究所という部門です。蓮如上人を本願寺再興の人ではなく、親鸞聖人の教え─真宗を再興した人としておさえ直した書物。少し難しい表現もありますが、蓮如上人への入門書として最適でしょう。
 『蓮如上人──親鸞聖人の教えに生きた人』。「東本願寺の時間」というラジオ番組の放送原稿をまとめた書物。大谷大学の先生方が担当しています。様々な角度から蓮如上人をとらえています。仏教の言葉に不慣れでも読みやすい表現になっています。
 『生きあえる世界──バラバラでいっしょとは』。本山御遠忌テーマ「バラバラでいっしょ」について和田稠先生が話された講演録。
 『蓮如上人ものがたり』。青木馨著。伝記や逸話から蓮如上人の実像に迫った書物。
 『れんにょさま』。蓮如上人の絵本。絵が水野二郎、文が佐賀枝弘子です。
 『蓮如物語』。アニメ映画化された五木寛之氏作の蓮如上人伝。
 もし興味がありましたら、オンラインで注文ができるようです。

 

■ コラム ■
バ ラ バ ラ で いっしょ〜差異を認める世界の発見
──真宗大谷派蓮如上人五百回御遠忌テーマ──
 1998年に真宗大谷派東本願寺で厳修された蓮如(れんにょ)上人五百回御遠忌のテーマは「バラバラでいっしょ〜差異(ちがい)を認める世界の発見」であった。当時の真宗大谷派は、蓮如上人の教えと現代社会の問題点の接点を、このような言葉で表現した。具体的に、蓮如上人は「とも同行」と言われる。全ての人と「とも」というかたちの交わりを開きたいという願いの言葉である。この「とも」が「バラバラでいっしょ」という言葉を生み出したのだ。
 一人として同じ人間はいない。人間はそれぞれが個性をもって生きている。正に「バラバラ」な存在である。しかし、私達が私中心、自我中心、自分の物差し中心の生き方をするとき、その「バラバラ」が認めがたいこととなり、「バラバラ」な個性は人間をはかるための優劣になってしまうのである。
 国が違う、民族が違う、性別が違う、生まれたところが違う、皮膚の色が違う、年齢が違う、職業が違う、思想が違う、能力が違う、財力が違う、躰が違う・・・時にこの「違い」が殺し合いにまでなる。時にこの「違い」が差別を作る。その差異を否定するのではなく、おしなべて一律にするではなく、全ての人間の「差異」を認め合える世界を、心の深いところで我々は求めている。私達は、他者の「差異」をそのまんま受け容れたい、自分の個性をそのまんま受け容れたいという願いをもっているのだ。

■ TrueLiving ■
覚の会7月例会講話録(2006/07/19)
──三品正親師──
 私は守山市の三宅という在所にある蓮生寺という寺で住職をしております。三宅の隣に金森(かねがもり)という在所がありますが、ここは蓮如(れんにょ)さんが逗留された場所です。今日読ませていただく『蓮如上人御一代記聞書』に、その金森におられました善従という人のことを書いたものがありましたので紹介いたします。
 蓮如さんが善従(ぜんじゅう)という人に、「この前、書いてやった名号はどうした」と尋ねられます。すると善従は「大事に表装して箱に入れてのこしております」と答えました。すると蓮如さんは「それは、わけもなきことをしたるよ」、つまり意味のないことをしたものだ、と。「名号をかけて、南無阿弥陀仏のいわれを聞くのですよ」と怒られたわけです。
 この蓮如さんと善従の会話から色々なことが分かります。今ではお内仏というと仏壇型をしているのが当たり前です。蓮如さん当時はそうではなかった。必要なときに、名号が書かれた掛け軸を出して、その前でお勤めや聴聞をし、終わったら片づける。かけて、まるめてを繰り返したわけです。蓮如さんは「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ」と言われました。お勤めをするために、何度も名号を名号を書いた掛け軸を出し入れすると掛け軸はボロボロになります。蓮生寺の御門徒に毎日お勤めをするお婆ちゃんがいるのですが、勤行本の手で持つ部分に穴が空いています。正しく「よみやぶれ」のお姿だと思います。蓮如さんの言葉から、当時の御門徒は「かけやぶる、よみやぶる」ほど仏法を生活のなかで頂かれていたということが分かります。
 蓮如さんは、「念佛もうしなさい」「信心をとりなさい」ということを繰り返し言われます。そして、その念佛の質を厳しく問われていきます。蓮如さんが南殿という場所に数人の人と一緒におられたとき、蜂が入ってきた。その中の一人の人が入ってきた蜂を殺し、そのあと南無阿弥陀仏と念佛を称えました。それを見ていた蓮如さんは「お前はどういうつもりで念佛をもうしたのか」とお尋ねになったわけです。その人は「ただ、可愛そうだと思って念佛しました」と。すると蓮如さんは「信のうえは、何もともあれ、念仏申すは、報謝の義と存ずべし。みな、仏恩になる」と言われたそうです。つまり、念佛は頭を念佛しかないのだ、殺生した虫に可愛そうだともうす念佛はないのだと仰ったのです。
 信心をいただいたあともうす念佛は報謝の念佛である。自分のあり方が問われてきて、私というものは何と申し訳ない存在であったのだと。念佛を通して、本当に人の云われが分かった。本当の自分が見えてきた。すると、自然と頭が下がる念佛が報謝の念佛です。「念佛が大事だ、念佛もうせ」と口では言うけれど、お前は本当に念佛を通して頭を下げさせていただく歩みができているのか、という蓮如さんの問い掛けは、私たちに聞こえているのでしょうか。
 蓮如さんはこの六字名号を何度も書かれました。蓮生寺にも残っておりますし、この良覺寺さんにも残っているそうです。五百年もの間、この名号を残してきた歴史を思わずにおれません。それは、ただ単に掛け軸という物を残してきた歴史ではなく、この名号を通して蓮如さんの教えを偲び念佛をもうしてきた歴史なのです。

■ 耳をすませば ■
おもしろ日本史〜まんが戦国乱世を生きる『蓮如』
──(漫画:荘司としお/監修:笠原一男/講談社)──
 10月に勤まる今回の御遠忌は稚児として子どもたちも多く参加してくれます。そこで今回は蓮如上人について子どもたちも読むことができる漫画や絵本を紹介いたします。
 講談社が発行している「おもしろ日本史〜まんが戦国を生きる」というシリーズに『蓮如』があります。監修の笠原一男氏は中世の真宗文化に造詣が深い歴史学者ですから、漫画とはいえ綿密な内容となっています。絵が古く漫画として面白くはありませんが、お子さんが蓮如という人を知ろうと思うとき、役に立つ書物です。
 『蓮如物語』。五木寛之氏の原作小説を白井恵理子氏が漫画化しました。人間蓮如≠ェ成長していくさまを、蓮如上人を見守る人々の視点で描きます。白井氏は少女漫画家ですので、少女漫画家らしいきれいな画風が印象的です。出版は角川書店。
 『れんにょさま』。東本願寺出版から出ている絵本です。絵本ですので散文のように書かれた蓮如伝。絵が水野 二郎氏、文が佐賀枝 弘子です。
 『蓮如さま』。本願寺出版(西本願寺)から出ている絵本。絵がアニメ風になっており、アニメを見慣れた今の子どもたちには読みやすいかもしれません。

 

■ コラム ■
蓮如上人五百回御遠忌
10月21日(土)
 ○逮夜…14時/○初夜…19時
 ○良覺寺寄席…20時頃
10月22日(日)
 ○晨朝…7時/○庭儀…正午
 ○満日中…13時
布教使…誉田和人師(同朋会館補導主任)
〜落語・桂都丸師匠他〜演目『肉付きの面』『矢橋船』
 長期間にわたって準備をしてきた「良覺寺蓮如上人五百回御遠忌」が厳修される、この2006年の10月は良覺寺五百年の歴史の一つの節目となるのかもしれない。
 良覺寺は、1400年代後半蓮如(れんにょ)上人の教化によって創建された。戦乱と飢饉の時代であり、人々が生きるための確かな拠り所を見失っていた鎌倉時代、我々の先祖先達は蓮如上人によって伝えられた本願念佛の教えを聞き、浄土を願う生き方を生活の確かな方向性と定めた。このことを忘れてはならない、このことを友と聞きたい、このことを子々孫々に伝えたい。この願いのもと、教えを多くの人々が共有できる場所を創建した。これが良覺寺の前身である「矢橋西念佛道場」である。
 過去、時代社会の変遷のなかで、蓮如上人が説いてくださった教えというものが見失われそうになったとき、我々の先祖先達は「蓮如上人の御遠忌」を機縁として、改めて蓮如上人の教えを聞き直し、その教えの重要性を回復してきたのだろう。
 まず我々良覚寺門徒は「蓮如上人五百回御遠忌」の円成させねばならない。そして御遠忌円成をはじまり≠ニして、今という時代社会のなかで本願念佛の教えを聞く生活を回復していかねばならない。それが、本当に蓮如上人から願われ、蓮如上人面授の先祖先達から願われていることなのである。

■ TrueLiving ■
御待受研修会講話録(2006/09/29)
──清谷真澄師──
 蓮如(れんにょ)上人がお生まれになった当時の本願寺は閑散として参詣者もまばらな寺でした。その本願寺が、蓮如上人の精力的な布教活動で日本屈指の大教団になったわけです。一代で教団を大きくした蓮如上人への評価は、宗教家というより政治家の色が強かったのではないかというものがあります。しかし、蓮如上人が忘れなかったことは「信心の再興」ということでした。蓮如上人は、人が多く集まって本願寺の経済力も再興したということが真宗を再興したことにはならない。一人でもいいから信心というものを獲得する人いるということが真宗を再興することなのだということです。このことを私たちは忘れてはなりません。
 この真宗再興ということをみてまいります。『蓮如上人御一代記聞書』という蓮如上人の語録には、蓮如上人が再興の上人と言われる所以に関する記述があります。親鸞(しんらん)聖人が顕かにされた浄土真宗は「たのむ」ということが大事だと言われていたけれども、何を「たのむ」ということがはっきりしなかった。蓮如上人は、それを「雑行(ぞうぎょう)をすてて、一心に弥陀をたのめ」とはっきりさせた。だから蓮如上人を真宗再興の上人と言える、と。
 この記述でみえてくるのは、蓮如上人当時、「弥陀をたのむ」ということ以外に、何か別のものをたのむということがあったということです。一つには「坊主だのみ」といってお坊さんをたのんでいた。また「施物だのみ」ということもありました。これを具体的に言った言葉が「ものとり信心」です。お坊さんに多くの金銭や物品をあげたら、自分の力はかなわなくても、お坊さんの力で助かると言われていました。蓮如上人は再三再四これは誤りであると言われています。  蓮如上人当時の浄土真宗の教団に「名帳」というものを使っている教団がありました。これはその名の通り帳面なのですが、この帳面に名前が記入されたら往生は決定した、と教えていたわけです。どうすればこの「名帳」の名前を書いてもらうことができるのかというと、お金を上納することが条件でした。戦乱と飢饉の世の中を生きられ、一寸先は闇だ、この世の中に期待することは何もないという生き方しかできなかったのが当時の民衆です。少なくとも死んだあとは救われたいという切実な思いがあったのでしょう。その思いがかたちになったのが「施物だのみ」「坊主だのみ」なのでしょう。
 現在でも私が法事に参ったとき、御門徒(もんと)から「わしが死んだあと、よろしくたのむ」と言われることが多いですね。仏教の話は難しいですし、一回聞いて分かったとはならない。しかも、その話の内容を聞いて自分の救いがはっきりするということでもありません。聞いても分からない。だから、最終的に死後の幸福をお坊さんにたのんでしまうということがあるとすれば、蓮如上人が「おおきなるあやまりなり」と指摘されたことと同じかもしれません。
 蓮如上人はそういった全ての行為を「雑行」とおさえられ、「雑行」で本当に人が救われることはないと言われます。何が肝心かというと「一心に弥陀をたのむ」ということなのだと。蓮如上人がなぜ「真宗再興の上人」と言われるのかというと、「弥陀をたのむ」ということで真宗の教えをおさえられたからなのです。

■ 耳をすませば ■
『蓮如上人』
──(本願寺第八代留守職)──
 この近江の地で真宗門徒として生活したことのある人は、蓮如(れんにょ)≠ニいう名を家庭のなかで聞かされたことであろう。長く本願念仏の教えを聴聞してきた年長者が若者や子どもに、人として生きていくうえで大事にしなければならない宗教心≠ニいうものを伝えるとき、年長者の言葉のなかに蓮如≠ニいう人が表れた。その教え、その生涯、その人とこの近江の地との関わりを子々孫々に伝えることがそのまま、宗教心≠伝えることになっていたのだ。
 宗教心とは生まれた意義と生きる喜びを自ら問う心。宗教心とは、善悪・浄穢・損得・美醜・優劣・貧富といった自分の価値観──分別心に振り回されながら生きている自分の生き方を問う心。虚偽だらけの世間の真っ直中を真実に生きたいと願う心。  この近江の地において、蓮如という存在が忘れ去られたようとしているならば、五百年間真宗門徒の家庭で、自然なかたちで伝統されてきた宗教心が忘れ去られようとしていることに他ならない。
 今、我らは耳をすませて先祖先達の声なき声に耳を傾けよう。その声のなかに微かに聞こえる蓮如という存在と出会いなおそう。蓮如を頂きなおすことは、この近江に地で宗教心を回復することなのだから。

 

■ コラム ■
人の信のなきことを
思し召せば、
身をきりさくように
かなしきよ
──蓮如上人──
 ある時、蓮如(れんにょ)上人は歯痛に苦しまれ、時折「ああ」と目を閉じて声を出された。よほど歯が痛まれるのだろうと皆が思っていると、しばらくして「人々の信心のないことを思うと、この身を切り裂くように痛ましく悲しいことである」と仰せられたそうだ。この言葉を、我々はどのように受けとめればいいのだろうか。
 蓮如上人五百回御遠忌が円成し、我々良覺寺門徒は蓮如≠ニいう名を心に刻むこととなった。そしてこれより、我々は今度の御遠忌を機縁として、蓮如上人の頂かれた世界≠ノ触れ、蓮如上人の願われたこと≠主体的に聞いていかねばならない。蓮如上人の御遠忌はこのことの出発点なのだ。
 蓮如上人が頷かれた世界は「本願念佛」の世界。人間の分別(価値観──優劣・貧富・美醜等々)ではかることのできない尊い世界。人間一人の存在は比べる・はかるという人間の分別を超えて尊いことを教えるはたらき。それが真であると頷き、自分のなかの分別心の虚偽を知らされることを「信心」という。蓮如上人は、自分の分別心に振り回されていながら、それに気付けず苦悩している人に出会ったとき、「悲しい」と思ってくださったのである。
 真に頷けず苦悩する我々を「悲しい」と思い、一人でも多くの人に信心を得て欲しいと願われた蓮如上人のこの言葉は、時代を超えて、全ての真宗門徒を名告る者への激励なのである。

■ TrueLiving ■
蓮如上人五百回御遠忌円成
──谷大輔(良覺寺住職)──
 今回の御遠忌は百数十名の実行委員を動員いたしました。実行委員という役職ではないけれど、御遠忌の運営に力を尽くしてくださった方は何十人もおられます。大人数の方に関わっていただいたことは素晴らしいことですが、それにもまして、御遠忌という大事業を成し遂げるために、まさに身を粉にして動いてくださった良覺寺門徒が非常に多くいてくださったことを、良覺寺住職として誇りに思います。これまで寺との関わりが希薄であった方、寺に関わりたいけれどきっかけがなかった方、これまでから寺に熱心に関わってくださっていた方。そういう方々が、御遠忌円成という同心の願いのもと力を尽くしてくださったのです。
 この良覺寺に対する熱≠一過性のもので終わらせることなく、継続してこそ本当に御遠忌を勤めた意味が深められるのでしょう。そのために、できるだけ多くの御門徒に関わっていただける良覺寺の運営を模索していきます。「役が当たったから関わらなくてはならない」ではなく、喜びのなかで関われる寺の運営について、またご意見をお聞かせください。更に良覺寺で勤修される法要、開催される研修事業、良覺寺関連の事業は逐一通知いたしますので、多数の御参詣御参加をよろしくおねがいします。
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 蓮如上人の御遠忌を勤めたことを通して、「蓮如」の名が矢橋新浜に復活したように思います。
 蓮如上人の化導によって真宗門徒となり、良覺寺を建立した矢橋新浜の先祖先達にとって、「蓮如」という名はもっと身近なものであったのでしょう。おそらく「蓮如」という名を通して、人間として生きていくうえで最も大切な心─宗教心を家庭のなかで、自然なかたちで伝えてきた歴史があるはずです。
 現代の日本社会において、最も忘れられていることは宗教であり、宗教心ではないかと思われます。宗教を古臭い荒唐無稽なフィクションととらえたり、カルトのように反社会的なものととらえたり、真の宗教が分かり難くなっています。
 いのち(存在)の尊厳に目覚め、自我分別で生きている自分自身の生き方や在り方を問い直す心。こういったことを問い学べる場こそが良覺寺であったはずです。蓮如上人の御遠忌は良覺寺の存在理由を回復する意味もあったのです。
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 蓮如上人五百回御遠忌は確かに円成いたしました。それは良覺寺の存在理由を回復し、創建当初の願いに戻りそれを維持するという「良覺寺円成」への新たなる出発なのです。その良覺寺円成は、良覺寺有縁の人々の生まれた意義と生きる喜びを顕かにする「私の円成」を成就する歩みのはじまりでもあるのです。

■ 耳をすませば ■
『大悲を行ずる人』
──(著者:竹中智秀/東本願寺出版)──
 その人の前に出ると自分が律される。それは気持ちが委縮するのではなく、気持ちが引き締まるのだ。その人との会話、その人の言葉が自分の生き方や在り方を問うてくる。そういう方──師≠ニ呼べる人はそういるものではありません。
 先般、私にとって非常に重要な師である竹中智秀先生が亡くなりました。竹中智秀先生は私が一年間お世話になった大谷専修学院の学院長でした。多くのことを学び、多くの体験をした専修学院での生活が、住職12年の私の基本になっていることは間違いありません。仏教を理屈だけでとらえるのではなく、自らの生活、人間の生活に寄り添うかたちで聞いていくことを大事にする、いわゆる生活学習ということは専修学院から学びました。
 学院卒業直後に住職を就任した私は、竹中先生から一年間聞いた『歎異抄講義』だけが私の活動の指針でした。何度も読み返し、今でも耳の底に残っています。学院を卒業して竹中先生とお会いする頻度は下がりましたが、お会いして話したこと、かけていただいた言葉は鮮明に覚えています。
 生きている我々に成就される本願念佛の徳が十あり、そのなかに「常行大悲」というものがあります。竹中智秀先生はまさに大悲を行ずる人でありました。

 

■ コラム ■
めいわくかけて
ありがとう
──たこ八郎さん──
 たこ八郎というコメディアンを覚えておられるだろうか?。もとプロボクサー。パンチを受けた後遺症を残しコメディアンになった。たこさんのパンチドランカー症状は重く、コメディアンとして売れない時代は勿論、テレビに出て稼げるようになっても、多くの友人に世話になっていたそうだ。そんなたこ八郎さんの口癖が「めいわくかけて、ありがとう」だったそうだ。
 他人に迷惑をかけたら「ごめんなさい」と謝罪をするのが当たり前。この言葉はたこさん一流の論理破綻だろうとお思いになるかもしれない。しかし、最近この言葉をテレビで聞いて、私たちの理屈よりこの言葉の方が正しいのではないかと直感した。
 私たちは「迷惑をかける」ということを何か特別なことのように思っている。経済的に自立できない、健康を崩して一人で生活できない、慶弔などで人の手を借りる、等々だけが迷惑をかけるのではない。私たちは生まれ出たそのときから存在(いのち)を支えられ生きてきた。健康であろうが、経済的に独立していようが、波風ない家庭生活をおくっていようが、誰か(何か)の支えなくして一秒たりとも生きていられない。私の存在(いのち)そのものが迷惑をかけながらしか、ないのである。
 たこ八郎さんの「迷惑かけて、有り難う」という言葉のなかに、生かされるいのちへの深い自覚を感じることができる。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2006/11/18.19)
──治田義行師──
 私がおあずかりしております善念寺の永代経法要の通知に、毎回同じ言葉を載せております。それは「耳の痛い話を聞きにきませんか?」です。お寺で聞く仏様の話というものは、耳に快いものではありません。耳に快い話を言い換えれば「おせじ」となるでしょうか。お年寄りが集まる場所で、「みなさん、いつまでも若く、いつまでも達者に生きてください」と言われる人がいる。こういう言葉は耳には快いかもしれませんが、考えてみますと、いつまでも若く、達者で、生きていられるはずがありません。老けたとか、いつ逝くか分からないとか、事実を指摘されると人間は嫌なものです。しかし、我々は心の深いところで本当の話を聞きたいと願っております。自分の命に限りがあることも知っておりますので、残された時間をどう生きるのか、はっきりと聞いておきたいという思いがあります。お寺で話を聞くということは、本当のことを言ってくださる仏様の言葉を聞くという意味があります。
 それから、お寺で聞いた話を覚える必要はありません。自分の身体が聞いていますから、そこに染み込めばよいわけです。今日もお香を焚いておられますが、お香は自分の身体に染み込み、他の人にも伝わるわけです。同じように、仏様の教えは頭から入るものではなく、身体に染み込むものであります。これに関して、近角常観という人が仏様の教えの聞き方を言っておられる話があります。ある兄弟が親戚の家に食事をご馳走になりに行きました。二人が帰ってきたとき父親が「どのようなご馳走があったのか」と尋ねました。兄は出された料理の名前を克明に言いました。弟は料理の名前は忘れたけど本当に美味しかった、と応えたそうです。つまり、仏法を聞くときに、料理の献立を覚えるような聞き方になっていないかという指摘です。本当に美味かったというところに、ご馳走の実感がある。言葉を覚えるのが聴聞ではありません。聞いたことによって、自分の生き方はこれでいいのだろうかと、何かひっかかりを覚える。こういった聞き方をしていただきたいと思います。
 先ほど拝聴されました『御俗姓(ごぞくしょう)』という拝読物のなかに「行者」という言葉が六回も出てきます。この行者とは誰なのか。また、「行」とは何なのか。天台宗の千日回峰行のような行なのか。禅宗の座禅のような行なのか。真宗における「行」は生活≠ナす。つまり、生活のなかで仏法を聞いていくわけです。寺というのは聞法の練習をする所、聞法の仕方を習う所です。本当に聞法する所は皆さんの生活の現場です。我々は寺に籠もり続けることができません。家庭生活をおくり、仕事もしつつ、普通の生活をする場所で仏法を聞いていくわけです。
 嫁入りのときに頭に被るものは角隠しですね。人間は誰しも角を持っておるわけです。仏法を聞くことで角が無くなるのではありません。仏法を聞くことによって、私の持っている角がムズムズしてくる。つまり、角を持ちながら、それに気付かず生活しているけれど、自分に角があったと分かるということです。聞法は、仏の言葉を学ぶのではなく、仏の教えによって自分自身を学ぶという意味があります。いくら能力のある人でも自分自身のことは分かりません。日ごろの生活のなかで自分の相を見つめていける眼を持つ。その眼をもった生活こそが真宗における「行」ということです。【続く】

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■ 耳をすませば ■
『家裁の人』
──(作:毛利甚八/画:魚戸おさむ/小学館文庫)──
 私たちが他者と接するとき、その人と本当に寄り添うような出会い方ができているのでしょうか。表面上は取り繕うけれど、心の中では事務整理をするような機械的な感覚で人と接していないでしょうか。『家裁の人』というマンガを読み返すたびに、そんなことを思います。
 舞台は家庭裁判所。人生のボタンを掛け違い、家庭裁判所に来なければならない事情をもってしまった人々と主人公である桑田判事との出会いが、この物語の骨子です。
 桑田判事は事件に関わるとき裁く≠ニいう視点でなく、事件に関わった人々がどうすれば一番よいのという視点を大事にしています。我々が意識して他者とこういった関わり方を実行しようとしても失敗することの方が多くないですか?。理由は、「あなたのためを思って」という私たちの思いが、実は自分の独善を相手に押し付けているだけだからです。桑田判事は人間を観察することから始める。その人の状況、背景をじっくり観察し、その人に何が一番良いかを懸命に模索するのです。
 「寄り添うような他者との出会い」。言うのは簡単ですが、実行することは非常に難しい。面倒臭くなったり、諦めようと思ったとき、このマンガが側にあると、「もう一回」と思える小さな勇気を頂けます。




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