■ コラム ■
人生は、やり直すことができない。
しかし、見直すことはできる
── 金子大栄師──
 「仏教と関わって悩み事が増えたなあ」と思うことがある。ちまたでは悩み事を解決する宗教≠ェ溢れかえっている昨今、仏教寺院の住職が言っていいことなのかどうなのか分からないけれど・・・そう、仏教は悩み事を増やす宗教なのかもしれない。
 私は私の価値観≠ナ生きている。この価値観は、私の生きてきた時代や社会、環境といった業を縁として成り立っているものだ。人はそれぞれ、業縁によって成り立つ価値観をもっているから、人と人が出会う時、価値観と価値観のせめぎ合いが始まる。概ね私が他人を善く思う時は自分の価値観に合うから、人を悪く思う時は自分の価値観に合わないから。基準は常に私≠ネのだ。
 仏教は、その自分の価値観を当たり前だとして生きる私に、「その価値観はあなたの業縁である。その価値観で人間を計る生き方を問え」と教えてくるのだ。
 私が当たり前だとしていた価値観が、仏教との出会いを通して揺らぎはじめる。それまで出してきた答が崩れ、問いとなる。そこから「悩む」ということがはじまるのだ。
 仏教と関わって悩み事が増えた。自分が絶対だと思っていた価値観が問われるのだから当然だろう。しかし、その悩み事は決して私を殻に閉じこめる悩みではない。言わば安心して悩める道を仏教は示してくださっている、と言える。

■ True Living ■
覚の会11月例会講話録(2004/11/19)
──山本隆師──
 今年は大きな災害などが起こりましたが、その陰で見落としてはならない事件がありました。それは数多く起こった「集団自殺」の事件です。インターネットの自殺相手を探すサイトなどで知り合った若い人たちが車に練炭火鉢を入れて、集団で自死されたわけです。この背景は何なのでしょうか。
 法話などの前に唱和する「三帰依文(さんきえもん)」の中に「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」とあります。おそらく集団自殺をされた方々は「人身受け難し」ということ─人間の世界に生まれてきたことの大切さを教えられたことがなかったのでしょう。この「人身受け難し」ということは、実は「仏法を聞い」て学ぶわけです。この二つは分けられません。聞き難い仏法を聞くということがあって、受け難い人身を受けたということが分かるのです。
 集団で自死された方々は生きることの意味を真面目に考えた方だったのではないでしょうか。それは人間ならば誰しも思い浮かぶ問いなのかもしれません。しかし平生の忙しさや、その問いを誤魔化す手段を持っていると、忘れてしまうわけです。自死された方々は、非常に真面目にその問いと向き合われたのかもしれません。しかし根本的にいのち≠自分のものだと思っておられた。
 いのち≠ニいうものは、時間的にも空間的にも深い意味があって、簡単に「自分のものだ」と言えないわけです。これを教えるものが宗教でした。しかし明治からこの方日本人は無宗教となりました。宗教を抜きにして、生きることの意味を問うと答が出ません。「集団自殺」の事件は、問いの行き詰まりが自死という結果を生みだしたように思います。無宗教という今の日本の有り様が映し出された事件なのです。
 今年は「集団自殺」だけでなく非常に多くの殺人事件が起こりました。命が粗末に扱われるような事件が起こるたびに、「命の大切さ」が言われます。命は大切だという時、実は自分の思いの物差しで命を計っているのです。いのち≠考えるとき、自分の物差しを超えたものに照らし出される必要がある。現代人にとって命の大切さを言うときの根拠が曖昧なのです。人間と虫の命の重さはどうか。自分と他人の命の重さはどうか。自分の思いという物差しでは、こういった深い問いに応えることはできません。
 このことを仏教の行として、私たち一人ひとりに教えてくるはたらきが南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏を行とする宗派はたくさんあります。死後の往生を願うために念仏を称える宗派もありますが、浄土真宗の南無阿弥陀仏は「ありがとう」という意味なのです。阿弥陀様は、私たちがたのむとかたのまないに関係なく、私たちを生かしてくださるはたらきです。しかし私たちは、このいのち≠自分の欲で私物化している。この欲でしか生きていない私に、生かされている事実を教えようとされるわけです。生きている、生かされていることに「ありがとう」が言えない私に、「ありがとう」ということを教えてくださっているのです。これが報恩謝徳のお念仏です。
 私は今回で「覚の会」の講師の役目を終えます。どうか、聞き難き仏法を聞き、人身の受け難さ、私が私として生まれたことの意味を問うてください。

■ 耳をすませば ■
『流血の魔術 最強の演技』
──(著者:ミスター高橋/講談社+α文庫)──
 大晦日、「紅白歌合戦」の裏番組として、民放二局が格闘技番組を放送するほどの格闘技ブームだそうです。
 K1やPRIDEなどの源泉をたどればアントニオ猪木という存在にたどりつきます。日本において、リアルファイトを観賞する眼は、猪木の格闘技戦≠ノよって培われました。アリ戦、ウィリアムス戦、ルスカ戦…どれもテレビの前で胸が張り裂けそうになりながら観た試合ばかりです。
 数年前、新日本プロレスのレフリーであり、猪木の名勝負を数多く裁いたミスター高橋氏が『流血の魔術 最強の演技』という書物を書きました。プロレスの内幕を描いた暴露本≠ニして話題にもなりました。プロレスや猪木の格闘技戦には筋書きがあったのだと。三〇年以上プロレスを見続けている私ですが、読後不思議とショックはありません。逆に命懸けでプロレスを見せてくれていた<激Xラーたちに感謝したい気持ちです。
 プロレスを見終わった後の爽快感や興奮は、リアルファイトでありどう展開するか分からない格闘技には絶対に出せないのです。筋書きがあっても、それに取り組む人間の真摯さが伝われば感動があるのです。
 空前の格闘技ブームの中、あえて言いたい。プロレスが一番面白い、と。

 

■ コラム ■
和国の教主聖徳皇
 広大恩徳謝しがたし
 一心に帰命したてまつり
 奉讃不退ならしめよ
──『皇太子聖徳奉讃』──
 一般に仏教が日本に伝来したのは西暦538年と伝えられる。しかしその時に伝来したのは経典であり仏像─言わば形としての仏教が伝来しただけだ。本当の意味で仏教が日本に伝わり日本に広まった功績は聖徳太子にある、と親鸞(しんらん)聖人は考えられている。
 非常に篤信の仏教徒だったと伝えられる聖徳太子。その太子が四〇歳の冬、行き倒れた飢え人に出会われる。太子は食べ物を飢え人に与え、ご自分が着られていた紫の衣を着せられた。翌日、太子は飢え人のことが気に掛かり使いを出し様子を見に行かせると、飢え人は死んでいた。太子は飢え人の死を悲しまれて、そこに墓を建てられ、飢え人に与えた紫の衣を、ご自分で着られた・・・。親鸞聖人はこの伝説を「和讃」として丁寧に書き記しておられる。
 仏教が本当の意味で伝わったということは、仏教が生活や生き方にまでなったということである。仏教が生活にまでなるということは、我々が生きる中で時代社会の価値観を超えた仏教という視点で物事を選ぶということである。我々は時代社会の業を縁として生きている。聖徳太子が、身分社会の中での身分を、死穢を嫌うことが当たり前の社会でその恐怖を、仏教を通して超えられる視点を持っておられたのだ。
 はたして我々に仏教は伝わっているだろうか。我々は我々の時代社会の業を超える視点を持っているだろうか。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2004/11/13.14)
──沙加戸弘(さかど・ひろむ)師──
 仏法は生活であるということを教えてくださったのが親鸞(しんらん)聖人でした。家を出て、家族を捨て、世間とのつながりを捨て、山に入り厳しい修行をする、というのではありません。普通の人間が普通に暮らす。そこに仏法を生きてこなければ、それは仏法とは言わない。逆に言えば生活そのものが仏法なのだ。これが真宗なのだ。このことを八百年前に親鸞聖人が力を尽くして、言葉を尽くして伝えてくださったのです。
 その教えを五百年前、蓮如(れんにょ)上人はこの近江の地に伝えてくださったわけです。蓮如上人はこの近江の地に何度も足をはこんでくださいました。おそらく蓮如上人は大津打出の浜から船に乗られこの矢橋の地に上がられたことでしょう。そしてここに念佛道場を作ってくださった。ここから野路へ、守山へ。この矢橋の道は蓮如上人が通られた道です。間違いなく良覚寺の前の道は、蓮如上人の草鞋の跡のある道なのです。
 野路に浄泉寺があります。浄泉寺の寺伝には、野路に来られた蓮如上人に井戸の水を差し上げ、それがご縁で道場ができたとあるそうですが、それは嘘です。  水を差し上げたということは嘘ではないかもしれない。それで蓮如上人とご縁ができて、蓮如上人が何回も通ってくださって、野路の人が教えを何回も何回も聞いて、「この教えこそ」と思えたとき、そこに道場ができたのです。それに何十年かかったか分かりません。最初に出会われた蓮如上人は京都から来た胡散臭い乞食坊主だったでしょう。その男の言葉を信じられるはずはないわけです。その乞食坊主の言葉を、「この教えこそ」と人々が頷けるまで、蓮如上人は何回野路に通ってくださったでしょう。我々の先達はどれほど蓮如上人の言葉を聞かれたでしょうか。一瞬で変わるほど、我々は偉くもなければ賢くもないのです。蓮如上人が何回もお伝えくださり、先達が何回も聞いてくださって、この教えを聞ける場所が欲しい、次に来る人にも法に出遇おうて欲しい、いう願いが成就して道場──寺ができたのです。  守山の金森に道西(どうさい)という蓮如上人の御弟子がおられました。道西坊は蓮如上人を大切に思われて一生を過ごされた方です。その道西坊が蓮如上人にお頼みされ、「南無阿弥陀仏」の名号を書いてもらわれました。三ヶ月ほどして蓮如上人が「この前に書いた名号はどうした」とお尋ねになると、道西坊は「大事なものなので箱に入れてしまっております」と。すると蓮如上人は「しまえというてやったのではない。掛けてお勤めもうせというてやったのだ」と仰います。
 蓮如上人は生涯の中で物凄い数の名号を書かれました。この草津の地でも普通の家に蓮如上人直筆の名号があります。調査に行きますと、分家の分家という家に蓮如上人の名号がある。昔は分家するたびに名号を与え、本家は名号を新しくした。名号は骨董品ではなく、生活の中にある日常品なのです。
 朝夕のお勤めという日々の中で頂いていく仏法、生活の中で頂いていく仏法、その仏法を頂いていく生活が浄土につながる道となっていくのです。蓮如上人はこのことを伝えてくださった。親鸞聖人が90年の生涯をかけて教えてくださった仏法を、蓮如上人は85年の生涯をかけて根付かせてくださったのです。

【前編へ】

■ 耳をすませば ■
『復刊 あたらしい憲法のはなし』
──(童話屋)──
 「日本国憲法」第九条は変わってしまうのでしょうか?。確かにアメリカの占領地政策の中でできた条文かもしれません。しかし、九条はそれだけの意味しか持ち得ない条文なのでしょうか。戦争の放棄を条文に持つ憲法を自国の憲法とすることに、全くの意味がないのでしょうか。
 改憲の根拠として、国際情勢にそぐわないということが言われます。この国際情勢はアメリカ主導型の国際情勢のこと。何故それに日本が合わせる必要があるのか疑問です。更に仮想敵国からの防衛のために、という声もあります。国を護るということは、戦力でしかできないのでしょうか。暴力には暴力でという国の愛し方しかできないのでしょうか。
 1947(昭和22)年、憲法のことを当時の中学一年生のために分かりやすく解説した『あたらしい憲法のはなし』という社会科の教科書が出ました。その教科書が復刊されています。その「戦争放棄」の条にこのような一文があります。「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」。戦争の悲しさを体験し、誇りをもって九条を選び取った人々の心を改めて思います。
 今を生きる私たちの、私の責任として九条を守るという国の愛し方があるはずです。

 

■ コラム ■
良覺寺蓮如上人五百回大御遠忌勤修決定
2006(平成18)年10月21日(土)/22日(日)
 蓮如(れんにょ)上人とは誰なのか?。
 御内陣(おないじん)や御内仏(おないぶつ)に荘厳されている高僧。本願寺を大教団にした怪物。一向一揆の親玉。「お文」を書かれた方。教科書にも載っている歴史的な偉人・・・等々、人によって様々なイメージがあるかと思われる。
 良覚寺門徒(もんと)として蓮如上人という人を考えたならば、良覚寺という念仏の教えを聞く道場は、蓮如上人の教化によって創建されたことを知っておくべきである。
 何度も何度も、蓮如上人が矢橋の浜に来られたときにお聞きした念仏の教え。世の中に多くの坊さんはいるけれど、私が救われたのは蓮如上人から教えられた、この教え。これこそが真である。この教えを友と聞こう。我が子に聞かせよう。我が孫に聞かせよう。子々孫々、この教えを聞かせよう。そのために教えを聞くことのできる場所をこの矢橋の地に作ろう。
 良覚寺の前身である「矢橋西念仏道場」は、私たちの先祖先達の蓮如上人から受けた教化によって誕生した。そしてその教えを伝統することを眼目として護持運営されてきた。
 私にとって蓮如上人は単なる個人名ではない。良覚寺という道場、良覚寺という念仏の教えを手次ぎするはたらきを作り、五百年間護持運営してこらた無数の先祖先達の総称なのだ。
 今、良覚寺五百年の重みを噛みしめ、万感の思いを込めて「御遠忌」の準備にかかる。

■ TrueLiving ■
覚の会1月例会講話録(2005/01/19)
──佐藤賢隆師──
 山科に勧修寺村というところがあって、そこに蓮如(れんにょ)上人のお弟子の道徳(どうとく)という人がいました。蓮如上人と道徳は、ほぼ同世代です。その道徳が明応二(一四九三)年のお正月に蓮如上人を訪ねました。年始の挨拶ですから道徳は「おめでとうございます」と言ったことでしょう。その道徳に対して蓮如上人は「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし」と言われます。
 これは『蓮如上人御一代記聞書』という蓮如上人の語録の一条目に出てきます。何故この言葉を第一条≠ノ書かれたのでしょうか? 蓮如上人の語録の一番最初ということを考えますと、この言葉を蓮如上人が非常に多く口にされたのだと推測できますね。多くの言葉をのこされた蓮如上人ですが、生涯かけて何が言いたかったのか、何を伝えたかったのかということを一言で言うと「念仏もうさるべし」ということだったと。
 この「念仏もうさるべし」という言葉ですが、これは蓮如上人の呼び掛けだと思います。この条では道徳への呼び掛けですが、蓮如上人は縁のあった人には「念仏もうさるべし」という呼び掛けを常々されていたのでしょう。では、呼び掛けられたらどうするのか? 応じるということがあるわけです。呼応ですね。
 皆さんは色んなご縁で真宗と関係を持たれました。生まれた家が、嫁に行った先が浄土真宗のおうちだったということもあるでしょう。私もたまたま生まれたのが真宗大谷派のお寺だったというご縁で真宗と関係ができました。しかし、それが本当の理由なのかというと、そうではないわけです。
 私は寺に生まれたのですが、小さい頃から寺が大嫌いでした。ですから、絶対に寺は継がないと決めてましたし、親から「寺を継がないのなら縁を切る」と言われたときには「もちろん」と答えたほどです。しかし口論の挙句、結局宗門の学校に入ることになりました。
 嫌々入った学校でしたが、そこで生活する中で仏教に対して持っていた思いが変わってきました。詳しく言えば、私が抱えている問題を実は仏教が課題にしていたということを知らされたのです。
 お寺が嫌いだった頃、U2というバンドの "with or without you" という曲にあるあなたがいてもいなくても生きていけない≠ニいう歌詞に自分の思いを重ねて聴いておりました。それは孤独と不安≠ナす。しかしその頃はこのことがはっきりとは見えていなかった。
 仏教を学ぶ学校ですから私たちはどのように生きているのか≠ニいうことを問われます。その生きていることを問うとき、キーワードになるのが「孤独」と「不安」だと思います。孤独だからこそ、不安だからこそ、いろいろなものを求めるのが私たちです。
 仏教は孤独で不安な私たちへの呼び掛けです。ですから、私たち自身が孤独と不安におびえるものであると気づいて、初めて応じるということがあるのではないかと思います。
 私の聴聞の第一歩、浄土真宗の生活の第一歩は、呼び掛けに応じるというところから始まりました。蓮如上人を学んでいくとき、今を生きる私たちも「念仏もうさるべし」の呼び掛けに、「私は念仏もうさなければならない者である」というかたちで応じているのかどうか、確かめなければならないのでしょう。

■耳をすませば■
『ブレードランナー』
──(監督:リドリー・スコット/アメリカ/1982)──
 よく「自我に目覚める」ということを言いますが、それは一体どういうことなのか。『ブレードランナー』はこれを考える手がかりになるようなSF映画です。
 『ブレードランナー』の舞台は近未来。そこは、精巧な人造人間が、人間に変わって危険な仕事に従事する世界です。その人造人間にはあらかじめ死期がセットされています。この人造人間が自我に目覚めた…というのが『ブレードランナー』の骨子です。
 自我に目覚めた人造人間は、まず自分たちの行っている仕事に疑問を持ちます。危険な仕事をしているのだけれど、これは何のためにしているのか。そしてセットされている死期の期限を知りたいと思います。いつまで生きられるのか。生きる意味≠ニ死≠ニいう課題は、自我に目覚めたものの究極的な問いなのでしょう。
 どのように生きたとしても、最終的には死がある。だから欲望のまま生きれば…と思うこともあります。しかし、自我に目覚めた人間はそこに止まれないのです。この死すべき生はどのような意味があるのかという答の出ない課題を問い続けなければならない何か≠ェあるのです。
 『ブレードランナー』の人造人間は私たちの映し鏡のように見えてなりません。
 この『ブレードランナー』にはディレクターズカットの「完全版」「最終版」があります。内容がちょっとだけ違うので見比べてみるのもいいかも。

 

■ コラム ■
われ必ずしも聖にあらず。
かれ必ずしも愚にあらず。
ともにこれ凡夫のみ。
──『十七条憲法』』より──
 私事であるが、四月一日から「禁煙」している。理由は体調を崩しやすくなったこと。殊に気管支の調子が非常に悪い。一日三箱六〇本のタバコを吸っていたのだから、無理もない話であるが。
 人間は分かっている、知っている≠セけで生きているのではない。タバコを吸いすぎることは悪いことである。こんなことは重々承知している。分かっていてもやめられない。
 ウソをつくのは悪いこと、悪口を言うのは悪いこと。人に迷惑をかけるのは悪いこと。誰でも分かっている、知っていることだ。しかし、善し悪しを知った知恵の力で、「悪い」とされることを完全に止めることできるだろうか。私たちの存在というもの、私たちが生きるということは、善悪を分かっている、知っているという理知や知恵のところでは割り切れない。
 「自分を信じる」という言葉がある。自分の能力や技術や可能性を信じると、必ず裏切られる。もし「自分を信じる」ということが成り立つならば、それは自分のどうしようもなさを信じること以外にないように思う。これは、「どうせ私なんか…」という開き直りではなく、自分を深く深くみていったとき、最後に見えてくる自分の相なのだろう。
 「凡夫のみ」。自分自身に絶望した言葉ではない。本当の意味で自分自身を頂いた人の喜びの言葉なのだろう

■ TrueLiving ■
永代経講話録【前編】(2005/03/21)
──齋藤恵師──
 今日は永代経であります。皆さんは「先祖」をご縁とした法要だという認識があるようです。そこで、その先祖≠ニはどういう方なのでしょうか。
 私が一人生まれるためには、どれだけの先祖がおられたのでしょうか。私には両親がおります。そして祖父母が四人おります。そして代をさかのぼるごとに増えていって、十代前だと五一二人、二十六代前で三三五五四四三二人となります。世の中に両親のいない人がいません。どんなかたちであっても、生まれた時には必ず両親がおられたわけです。
 この二十六代前というのは室町時代、鎌倉時代になりますが、この二十六代前の先祖の数は、学者が推定するその当時の日本の人口を超えているのだそうです。今を生きている人間が二人いれば、先祖をさかのぼったとき、どこかで先祖が重なっていないと成り立ちません。我々は先祖を思うとき「何々家の先祖」と家を単位で考えますが、そういう小さなものではなく、日本人中に散らばっておったことが分かります。
 今度は先祖の空間的な広がりを考えてみましょう。私の住む在所の近くに遺跡が出ました。「服部」という場所です。なぜこれを「ハットリ」と呼ぶのでしょうか。飛鳥時代に朝鮮半島から渡ってこられた人々の名前なのです。向こうの言葉を日本語で当て字して「ハットリ」と呼ぶようになった。滋賀県は服部だけではなく、たくさんの帰化人がおられました。そう考えますと、相当多くの人が朝鮮から日本に来られたことが分かる。つまり、我々の先祖を辿っていくと、半分くらいは朝鮮半島の人かもしれません。
 朝鮮半島だけではありません。我々の食べている米は中国から入ってきたわけです。更には我々の先祖が米を食べる前に食べていた芋はインドネシアから来たわけです。日本に人が住み着いたのは二万五千年前と言われていますが、その方々がどこから来たのかというとDNA鑑定ではシベリアだそうです。
 このご先祖代々の永代経を、今日お勤め頂いているわけです。私達がふと思っている先祖─○○家の先祖というものは、イメージが狭かったようです。
 親鸞(しんらん)聖人のお言葉を聞書した『歎異抄』の中には、「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」。私親鸞は自分の親や先祖の供養のために念仏をしたことはない。有情とは人生きるもの全てという意味ですが、人間ということだけでも、どの国のどの人とも、先祖代々を辿っていけばみんな私の先祖だった。だから自分の先祖のためにという狭いところで念仏もうしたことはない。一切有情というところでしか念仏もうしたことはないのだ。
 広いですね。鎌倉時代、科学的な検証が不可能だった時代に、私の先祖は○○家の先祖というものはない。私一人が生まれるためには一切有情がご苦労してくださった。一生を捧げてくださった。だから時代をさかのぼっていけば、みんなが私の父であり母であり兄弟であった。私のご先祖だったのだ。こうい広い世界を、親鸞聖人は南無阿弥陀仏という言葉にたくしてくださったのでしょう。
 今、こうして永代経をお勤め頂いております。ここで出会わせて頂く先祖とは、そういう広がりをもった先祖だったのです。

【後編へ】

■ 耳をすませば ■
『ナニワ金融道』
──(作者:青木雄二/講談社漫画文庫)──
 人間生活の悲喜劇のかなりの部分をお金≠ニいうものが占めているわけです。お金を通して、人間は一喜一憂するし、時に人を裏切り、時に人を殺すこともある。
 『ナニワ金融道』は、そんなお金にまつわる、人間の俗で浅ましい部分をテーマに描かれた漫画です。舞台は大阪、金融屋─いわゆるマチ金≠ニ呼ばれる高利貸しに金を借りに来る人間が描かれます。連帯保証人、先物取引、マルチ商法、取り込み詐欺…現代の金銭トラブルに巻き込まれる人々のエピソードが満載で、逆にこれらの金銭トラブルに対する対処法を学べる書とも言えます。
 各エピソードごとに、一応の解決はあります。しかし、そこに本当に人が救われていく姿は見えません。金銭トラブルを一つ乗り切った安堵感はあるのですが、安心≠ェない。金を得た達成感はあるのですが、満足≠ェないのです。
 今の日本において、世間を生きるということは、大なり小なりお金に関するトラブルに遭遇する日々をおくるということでしょう。しかし、金の部分だけでは、人間は本当に安心することも、満足することもできない。『ナニワ金融道』の奥の部分に、そういった人間の深い願いを感じます。


 

■ コラム ■
一切はただ
心の造なり
──『華厳経』より──
 上の絵は何に見えるだろうか。老婆?、貴婦人?、もちろんどちらも正解。これは、一つの絵が幾通りにも見える、いわゆる「だまし絵」なのだ。これは、だまし絵だから─作為的にだますために描かれた絵だから、人によって見方が違うのだろうか?。
 人間は物事をみるとき、必ず主観というものを通してみている。その主観というものは一人ひとりの人間が生きてきた環境、時代、社会、性別等によって違ってくる。全く同じ物事を複数の人間がみたとき、見方が違うのは当たり前なのだ。ただ問題なのは、自らの主観というものを絶対に正しいとして生きているから、間違っているのはいつでも他者ということになる。
 仏教ではこういう生き方をする者を凡夫(ぼんぶ)──ただのひと──と呼ぶ。考えてみて欲しい。私たちの生き方は凡夫そのものではないか。
 よく物事を濁りなく、そのまんま、多角的に見なければならないということを言う。しかし私は思うのだが、そんなことを本当にできる者を凡夫とは言わない。ただ凡夫であっても、私の主観というものは普遍ではない、間違っているということを知ることはできる。
 自分の主観に問いを持っても持たなくても同じ凡夫である事実は変わらない。けれど、一つ自分自身に問いを持つ生き方とそうでない生き方には人生の深さ≠ニいう面で天と地の差があるように思う。

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2005/03/19)
──山本靖師──
 今日は『蓮如上人御一代記聞書』の一九五条を取り上げます。
人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。
他人の悪いところはよく見えるが、自分の悪いところは分かり難い。もし自分が悪いということに気付けたら、よほど自分が悪いのだから、心を改めよ。だから人の言うこと、批判をよく聞かねばならない、ということでしょうか。つまり蓮如(れんにょ)上人は他人に自分を批判していただくことは有り難いことだと仰っているわけです。
 私自身、「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり」の部分が心にとまります。何故なら私は人の悪いところを探すのが上手いからですね。今、一番私の身近にいる連れ合いの悪い部分は本当によく見えます。しかし、「貴女は悪い」ということをよく指摘しますが、必ず言い返されます。そして最終的には、私が悪い感じになってしまいます。けれども心の中では、連れ合いが悪いということに確信を持っています。
 私は、私が正しいというところに立ってしか、ものを考えていない。どうしても自分が悪いということを認められない。自分が善い人間であるということで生きているわけです。
 萬福寺の一月の伝道掲示板に
人を悪人にしなければ、自分は善人になれない
という金子大栄先生の言葉を書きました。これを見られた方は、この言葉の意味を不思議に思われたようです。私はこの言葉が私を言い当てていると思って書いたのですが、これを見られた方は、「善人になる方法は他人を悪者にすることか。何ということを書くものだ。」と思われたようです。一般的には善人になることは人間にとって良いことですから、そのように読まれたのでしょう。
 ここで問題になることは「善・悪」の問題です。この善悪の基準は何なんでしょうか?。多くの場合には、みんなそう思うだろうという、ある意味での客観性を持たせた基準ですね。この客観性を持たせた善悪というものも本当なのかどうか問題になります。
 私たちは、善であっても悪であっても、基準はどこまでも自分の都合です。善人・悪人という場合でも、それを判断しているのは自分の都合なわけです。他人と何かトラブルがあったときでも、非は他人にある、他人は悪人である、自分は正しい、自分は善人であるというところでしか物事を判断していません。また、善いことをしたら善い結果が得られる、悪いことをしたら悪い結果を招くということで善悪を考えています。
   問題はその善悪の基準を考え出している自分というものを問えるのかどうかではないでしょうか。他者を悪人して自分は常に善人に立っているということが私自身の問題としてあるということを考えさせられます。

■ 耳をすませば ■
『教如上人と東本願寺創立』
──(東本願寺出版部/教学研究所編)──
 「なぜ本願寺は西と東に分かれているのか?」という質問をよく受けます。慶長七(一六〇二)年に、東本願寺初代である教如上人が徳川家康から烏丸六条の寺地を寄進され、二年後に東本願寺を創建されました。これが本願寺の東西分派です。
 東西分派の理由について私は、「本願寺教団の巨大化を恐れた徳川家康の謀略」と答えてきました。この考え方が非常に一般的な考え方で間違いはないと思っていたのですが、歴史資料を詳細にたどることを通して、東西分派の原因を徳川家康の謀略と考えることの間違いが明らかになってきました。
 そのことを一冊に書物にまとめたものが『教如上人と東本願寺創立』(東本願寺出版)です。
 この書物によると、単刀直入に言って教如上人が意図して新教団を作った、旧来の本願寺教団から独立して一つの勢力を作ったことになります。教如上人はそのために家康に取り入ります。もちろん、大教団であった本願寺が一人の僧侶の独断で分裂するはずもなく、様々な要因─石山合戦への関わり方、戦後処理に関する意見の相違等で既に割れていたことも明らかになっています。
 自分が所属する教団はどういう歴史を持っているのか?。もし興味がおありなら、この本は必読です。

 

■ コラム ■
比べる
必要がないほど
平等なことは
ありません
──延塚知道師──
 昨年一年間の自殺者が三万人を超えたという報道があった。七年連続である。自殺云々の報道に慣れてしまって、反応が鈍くなっている自分自身に対して、ある種の驚きがある。
 他者から自分を否定されるのは辛いが、何より辛いのは自分で自分を否定してしまうこと。自分で自分の命を絶つほど、自己否定の泥沼に入ってしまった人の心はどのようなものだったのだろう。
 私たちは誰しも心の中に物差しというものを持っている。人それぞれ生きてきた環境や時代や社会状況が、各々の人の物差しを作り上げたわけだ。計らなくてよい、計ってはならないものまで計ってしまう私たちの物差し。自分自身までも、自分の物差しで計って、自分はダメなヤツ、自分は役に立たない人間、自分は生きる価値が…と自分で自分を見捨ててしまう。
 仏教も自己を否定する教えだと言える。しかし、私たちが日常の中でやってしまう、自分の物差しで全てを計ること──もちろんその計る対象には自分もあるのだが──とは違う。仏教が否定する自分とは、自分の物差しを絶対化している自分なのだ。
 自分の物差しで自分を計り自分を見捨てる行為を「自己嫌悪」と呼ぶ。仏教は私たちの自分を計る物差しそのものを否定し、どのような自分でも自分として生きていける「自己への絶対愛」を教えるのだ。

■ TrueLiving ■
永代経講話録【後編】(2005/03/21)
──齋藤恵師──
 卒業式などで緊張して、足と手を同時に出す生徒がいますね。私たちはそれを見て笑いますが、実はあの歩き方が日本の正しい歩き方なのです。手を振らず、手を腰に当てて歩く歩き方です。今でもこういう歩き方をしているのが歌舞伎ですね。手を振る場合は、手と足を同時に出していた。これを「なんば歩き」といいます。
 今のような歩き方になったのは、それほど昔のことではありません。明治に入ってからのことです。明治政府が軍隊を作ったとき、集めてきた兵隊がみんな手と足を同時に出した。矯正しようとしても、歩き方は小さい頃から癖をつけないと直らないそうです。それではと、小学校から集団行動訓練といって歩き方を教えたわけでです。これが本当に日本人に浸透したのは昭和に入ってからだそうです。歩き方ひとつとっても、私たちの常識、私たちの当たり前は根が浅いと言えますね。  もう一つ同じような話をします。喪服の色は何色でしょうか?。黒ですか?。今は黒が当たり前だと思っていますが、昔は白だったわけです。和装が洋装に変わったときに、喪服の色も変わりました。東京などで白から黒になったのは、大正時代と言われています。滋賀では昭和の二〇年代、三〇年代は白だったのではないでしょうか。  「歩く」ということに関する常識は百年歴史をさかのぼれば全くの逆になります。「喪服」に対する常識、当たり前は四十年前は逆でした。
 常識や当たり前は時代とともに変わります。現代には現代の考え方がある。それならば我々は、何故、今、この寺におるのでしょうか。親鸞(しんらん)聖人は鎌倉時代の方です。お釈迦様は二五〇〇年も前のインドの方です。言葉も食べ物も生活習慣も全く違います。何故そのようなものが今の時代に必要なのでしょうか。結論を先に言いますと、お釈迦様の教え、親鸞聖人の教えは世間を超えた教え≠セからです。
 『三誓偈(さんせいげ)』という短い偈文があります。その冒頭は「我建超世願」という言葉で始まります。この言葉を私はこう読みたいと思います。仏の願いというものは、私たちの常識や当たり前、私たちの生きている世間≠超えたものであり、その仏の願いを建てたのだ、と。仏の願いは世間を超えたものであるため、時代が変わろうが、風俗習慣が変わろうが、国が変わろうが、生き続けるわけです。私たちの心に届き続けるわけです。
 私たちは、色々な仏の話を聞いても、自分の常識でしか聞けない。自分が生きてきたなかで培った物差しの中でしか計れないわけです。皆さんが法座が終わって本堂の階段を降りられるとき、「ええ話やった」と言われるのは、自分の持っている物差し──倫理観、価値観に合うときかもしれません。しかし、仏法とは「超世の願」です。私たちの生きている世間を超えたところから説かれた教えなのです。
 聞法が大事だと申します。聞くだけのことならば簡単かもしれませんが、本当に聞く=@ということは容易なことではない。本堂の障子を開ける前に、自分の持っている常識を置いて、心を裸にして聞くわけです。常識を越えた世界として、心に響くものが仏法なのです。

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■ 耳をすませば ■
『近江の昔ものがたり』
──著者:瀬川欽一/サンライズ出版──
 私が子どもの頃に『まんが日本昔話』というアニメ番組がありました。毎週二本づつの昔話を何年も放送し続けていましたが、いったい何本の昔話をつくったのでしょうか。この日本という国は、その地方地方に伝承されてきた昔話を、無数に持っているわけです。
 『近江の昔ものがたり』は滋賀県≠ニいうくくりで集められた昔話集です。地域的にみて湖南のものは身近に感じられますし、浄土真宗にまつわる話も何編か収められています。中でも有名なものは『堅田源兵衛の首』でしょう。蓮如(れんにょ)上人当時、三井寺に安置されていた親鸞聖人の御真影と呼ばれる木像を取り戻すために首を差し出した若者・源兵衛の話です。ご存知の方も多いと思います。
 先達は、非常に大切な出来事を伝承するために、または非常に大切な事柄を伝承するために「物語」という形式を用いました。現在伝えられている源兵衛の首が本物か、その物語が事実か…そんなことは問題ではありません。物語として伝えられた先達の思いを、その物語の中に読み取るほうが重要です。
 矢橋新浜に暮らすものとして、近江の国の先達が多くの思いを込めて物語ってきた昔話を、大切に伝統していくことも大事な仕事ではないかと思います。

 

■ コラム ■
ただそのままにて、
もはら念佛すべしん
── 法然上人──
 1207年、法然(ほうねん)上人が流刑地である土佐に向かう旅路、播磨国の室津にお着きになった時のこと。上人のもとへ一艘の小舟が近づいてきた。見ればこのあたりに住む遊女の船。その船から一人の遊女が法然上人にこう言った。「都で名高い法然様がこの地に来られると聞いてやって参りました。私は罪深い卑しい職につていおります。こんな私でも仏様の救いにあずかることはできるのでしょうか」。その話を聞いていた法然上人はこうお答えになった。「もし、今の職業をやめて生きていけるのであればおやめなさい。やめることができないならば、現在の境遇のまま、ひたすら念仏もうしなさい」。
 法然上人は遊女に、まず遊女という職をやめることを勧められる。しかしそれが適わないときは、「そのまま念仏せよ」と教えられるのである。私はここに法然・親鸞(しんらん)と伝承されてきた念仏の救いが表れているように思う。
 今も昔も遊女は立場の弱い職業である。肉体的に辛いことがあることは当然として、精神的にも辛い思いをしたことであろう。世間が遊女を見捨てるのと同じ視点で、自分で自分を蔑み見捨てることがあったかもしれない。
 念仏の法は我々の持つ価値観の狭さを超えた世界を教えてくる。どんなに自分で自分をはかり、自分で自分を見捨てても、そんな狭い物差しでははかりきれない、私も気付かぬ私自身の尊さを教えようとするのである。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2005/05/19)
──沙加戸崇師──
 今日は蓮如(れんにょ)上人の語録である『蓮如上人御一代記聞書』の137条をみていきたいと思います。
「一句一言を聴聞するとも、ただ、得手に法をきくなり。ただ、よく聞き、心中のとおり、同行にあい談合すべきことなり」と云々。
この言葉の中で「得手(えて)に法をきく」という一句が非常に重要だと思います。私たちが教えを聞いていくとき、得手に聞くということがあるのだと蓮如上人は言われます。
 得手に聞くというはどういうことでしょうか。私は、私の一般的、私の常識的の範囲内で聞くということであろうと思います。常識的とか一般的とは、世間の皆さんが当たり前に思っているということと言い換えられます。
 この常識的、一般的というものは、常に時代と共に変化しています。今の常識では、学歴というものが非常に大きい力となると信じられていますね。生活の安定や社会的地位が学歴で決まると。そういうことが、世間の常識として私たちの中にも当たり前に入っています。オウム事件のとき、教団信者が高学歴だったことに多くの人が驚きました。「あんな良い大学を出ておられるのにオウムに入って、犯罪を…」と。そこに我々の持っている常識のようなものが表れているのでしょう。高学歴だと幸せな生活が得られる。だから、そういう恵まれた人がオウムのような怪しげな集団に入り、犯罪を犯すことに驚いてしまうわけです。
 常識というものは流動的であるし、人それぞれ違うのですが、私たち一人ひとりの中には当たり前のこととして入ってしまっています。こういったことを、蓮如上人は「得手」という言葉で言われているのだと思います。
 『蓮如上人御一代記聞書』の文脈で「得手に法を聞く」というと、自分勝手に法を聞くという意味だけにとらえがちです。しかし、その自分勝手というものは個人的な価値観だけではなく、その個人的な価値観を作り出した社会であるとか時代の流れであるとか、そういうものを含めてのものなのでしょう。この「得手」というもの──自分勝手というものの中に、実は時代社会の価値観という枠そのものが入っているように思います。
 親鸞(しんらん)聖人の師匠にあたる法然(ほうねん)上人が、京都の吉水に道場を建てて、念仏の教えを多くの人と共に聞いておられました。その吉水の教団の有り様そのものが興味深い。吉水の教団は、当時の世の中の常識を超えていた集団でした。そこに集まる全ての人が持っている常識を超え、それに当てはまらない集団だったのです。
 集まってきた人の質をみても、貴族、僧侶、庶民、また犯罪者と、あらゆる階層の人が集まったわけです。どんな人をも受け容れる場所が、そこに開かれていたわけです。
 「得手に法を聞く」ということは、常識の中で聞くということです。しかし本当の意味で「仏法を聴聞する」とは、自分の常識や価値観にとらわれているという狭いところでしか生きていない自分を聞くことなのです。そういった仏法のはたらきというものが、具体的に人間関係にまでなったのが、親鸞聖人がおられた法然上人の吉水の教団だったのでしょう。

■ 耳をすませば ■
『放送禁止歌』
──(著者:森達也/知恵の森文庫/解放出版社)──
 数年前フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が復刻されたとき、「放送禁止歌」なるものがあることを知った。放送禁止と聞いて、まず私がイメージしたことは、ある歌の歌詞に対して様々な団体が抗議し圧力がかかり、放送できなくなったということ。多くの人がこういうイメージを持つのではないだろうか。
 森達也氏の『放送禁止歌』は、世の中から消えていった放送禁止歌の放送禁止≠フ根拠を探ることから始まる。森氏が調査を進めていくうちに、放送をしてはならないとマスコミ内で認識のある歌はあったが、放送禁止の根拠はみえてこないことが分かる。その歌に対して、どこの団体が抗議行動を起こした、圧力がかかったなどという事実はなく、マスコミが勝手に自粛していたわけだ。例えば、「この歌詞だとあの団体から抗議がくる」と勝手に想像して。
 その歌がどういう意味を持つのか、歌詞がどういう意味を持つのかを考える≠アとを放棄し、抗議がきそうな言葉にふれた途端に放送しない。問題を問題として考えることをやめ、面倒なことには首を突っ込まないわけだ。これはマスコミだけの問題なのだろうか。私たちの生活の中でこれに近いことはないだろうか。考えさせられる書物である。

 

■ コラム ■
「ケイ蛄は春秋を識らず」
といふがごとし。
この虫あに朱陽の節を知らんや。
知るものこれをいふのみ。
──曇鸞大師──
 毎日の猛暑。蝉の声を聞くと更に暑さが増す。蝉の鳴き声は雄が雌を呼ぶ声なのだそうだ。何年も地中で成長し、わずか一週間を交尾のためだけに生きる蝉の儚い声と聞けば、蝉の声に対するイライラも和らぐかもしれない。
 七高僧の一人、中国の曇鸞(どんらん)大師は蝉(ヒグラシ)に私たち人間の姿を喩えておられる。
 「ケイ蛄(ヒグラシ)は春と秋を知らない」。夏に生まれて夏に死んでいくのだから、春や秋という季節を知るはずがない。しかしヒグラシは朱陽の節(夏)を知っているのかというと、夏という季節も知らない、というのだ。今が夏であると分かるためには、春や秋を体験し、それと比べる必要がある。春秋という季節を知らないヒグラシは、夏という季節もまた知らない。
 生まれてから今まで、煩悩(ぼんのう)というものを中心にしか生きたことがない。自分の煩悩を疑ったこともない。煩悩しか知らない私たちは、自分の煩悩の罪を傷むこともできない。いや、自分が煩悩の中で生きていることすら知らないのである。自分が煩悩を中心に生きていることを知るには、煩悩を中心にした世界から一歩外へ出た人から、煩悩というものを客観的に教えられる必要がある。その煩悩の外へ出た人を仏陀≠ニいう。客観的な教えを仏教≠ニいう。
 仏の教えは、自分でも気付かない本当の自分──目を覆いたくような本当の自分自身の相がどうなっているのか教えようとしているのだ。

■ TrueLiving ■
二度目の誕生
──良覺寺住職──
 2005年8月7日、良覚寺の長女・谷真実帆が「得度(とくど)」し仏弟子としての新たなる一歩を歩み出しました。
 「得度」とは、本来の意味では迷いを離れ覚りを得ることですが、現在の日本仏教界では「出家し僧籍に入る」ことをさします。形式的には、「得度」することで釋○○という「法名(ほうみょう)」を名告り、「度牒(どちょう)」と呼ばれる僧侶としの身分証明書のを授かり、はれて真宗大谷派の僧侶となるわけです。
 浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)聖人は数え年で9歳にして出家得度されました。その故事にちなんで、真宗大谷派では満九歳からの得度を許可しているわけです。しかしながら、形式的に得度式を受式したからといって、たかが九歳にして得度や法名の深い意味を理解し、自覚的に僧侶になろうという子どもは少ないようです。とりあえず、儀式としての得度式を済ませた、という意味しかないのかもしれません。幼くして得度をした子どもたちは、これからの人生の中で、得度や法名の意味を噛みしめていくのでしょう。
 得度式を受式し法名を授かることと、帰敬式(おかみそり)を受け法名を授かることに本質的な違いはありません。違いがあるとすれば、得度した者は社会的な立場として真宗大谷派に対して責任を担わねばならないということです。
 それでは、法名を名告ることの意味と何でしょうか?。法名の「釋○○」「釋尼○○」にある「釋」の字は釋迦牟尼世尊≠ツまりお釈迦様の「釋」です。法名「釋○○」を名告るということは、お釈迦様の弟子となったということを名告っているわけです。
 具体的にお釈迦様の弟子となるということは、お釈迦様が覚られた法、お釈迦様が説かれた教えを、生活の中で最も大事にしていくということです。世間のどのような決まり事や価値観よりも仏法≠自らの生活の指針とし、要とすることの名告りが法名なのです。
 人の誕生には自覚はありません。自分で選んで、今、ここに生まれ出たのではないのです。その受動的な生というものを、主体的に仏弟子として生きると選び直したものの名告りが法名です。法名を受けたとき、人は二度目の誕生があるのだと私は思っています。
 良覚寺長女の谷真実帆は、2005年8月7日に「釋尼真実」という法名を名告ることになりました。彼女の二度目の誕生日です。「真」というものは、それだけではただの理論理屈です。その「真」が具体的に「実」をむすび、形になってはじめて、その真性が証誠されるのです。「真」はそれ一字では意味をなさない。下に「実」がつき、その意味が証しされるのです。
 おそらく彼女は仏弟子として生きていくなどということの意味を考えたこともないでしょう。また今回得度したからといって、彼女が良覚寺を継ぐことが決定したということでもありません。
 私は、彼女のこれからの人生を通して、仏弟子として「真実」の名告りをしたことの意味を、自らの足で問うて欲しいのです。親としてどんなに望んでも、必ずしも子が幸福になるとは限りません。世間的に不幸と呼ばれる境遇に生きても、その境遇を超えていける視座を仏弟子という視点で見出して欲しいと願っております。

■ 耳をすませば ■
『31歳ガン漂流』
──(著者:奥山貴宏/ポプラ社)──
 若手の僧侶同士でよく話し合うのだが、我々のような世代(30〜40代)が死≠ノついて語ったり、考えたりすることに現実感がない、と。老や病の問題は自分のこととして実感できるのだけれど、死に関しては自分から離れたこととして語っている自分がいるわけだ。
 2002年末、ライターの奥山貴宏という人が風邪をこじらせ入院された。症状が変わらないので検査を繰り返した結果、奥山氏は肺ガンであることが分かる。生きられて、あと二年。そのことが分かってから、奥山氏は自分とガンについて、インターネット上で日記(ブログ)に記し始めたのだ。
 ガンの闘病記などを読むと、その深刻さが記されることが多い。しかし奥山氏の日記は辛さや痛みの表現を作為的に廃している。ただ、表現は軽くてもその行間から、死と向き合う奥山氏の真摯な姿を感じる。昨年の四月に「僕は(スターウォーズの)エピソード3が観られない」と言われた。一年後に公開される予定の映画を観ることができない身を生きる。ある意味で死についてとてつもない現実感を感じる表現である。
 奥山氏は2005年4月に亡くなられた。行年33歳。そしてこれが奥山氏の最後の言葉となった。
死にたくないな。
書店で会いたい。
本屋でセットで買ってくれ。

 

■ コラム ■
「運動場」

遊んでいるとき、走るとぶつかる
「せまいなあ、せまいなあ」
と言いながら遊んでいる
掃除の時、石ころを拾わさられる
「広いなあ、広いなあ」
と言いながら石ころを拾っている
──小学生の詩より──
 子どもの頃、運動場はどのような遊園地にもまさる遊び場だった。学校の休み時間は勿論、帰宅後も運動場で遊ぶことが私の日課だった。
 ここに、その運動場をテーマにした面白い詩がある。書いたのは現役の小学生。遊んでいるときの運動場は狭い。しかし、掃除をさせられているときの運動場は広い。当たり前であるが、この小学生も運動場が広くなったり狭くなったりするとは思っていない。この子はそう「感じている」ということを、素直に言葉にしているのだ。
 この子は仏教を学んだ経験はないだろう。しかしこの子は、仏教が長年伝えてきた我々人間が抱えている非常に大きな問題を端的に表現していることに驚かされる。
 我々は常日頃、様々なものを見たり聞いたりする。しかし、ただ見たり聞いたりするのではなく、その見聞したものを自分の物差しで計り、都合の良いもの・悪いものに分けて評価する(分別する)特性がある。我々は概ね自分の都合を中心に生きているから、自分が分別したものが正しいと思い込んでいるのだ。
 同じものを見聞していても、その時その時の自分の都合で評価が変わる。事実を事実として受け容れられない。我々の苦悩の原因を我々は自分の他に求め勝ちであるが、どうも苦悩の原因は事実を事実として受け容れられない心──分別心にあるようだ。

■ TrueLiving ■
覚の会7月例会講話録(2005/07/19)
──三品正親師──
 蓮如(れんにょ)上人当時、ある人がこう言われました。「私の心はまるで籠に水を入れたようなものだ。お話を聞いているときは、結構なことだ、有り難いと思える。けれども、その場を離れると元の心に戻ってしまって、何にもならない」と。その人に対して蓮如上人が、「その籠を水に浸けなさい。そうすると水が漏れないでしょう」と仰ったそうです。
 我々も思い当たることではないでしょうか。法要が勤まり、お説教をお聞きしても、そうかと思えるけれども、表に出た途端日ごろの心に戻ってしまう。だから、その籠のような心を仏法という水に浸けておけと、蓮如上人は言われたわけです。その「水に浸けておけ」とはどういう意味なのかが問題なのでしょう。
 蓮如上人は、このような聞法会の場、あるいは数珠をしてお参りする場が仏法なのかというとそうではない。朝に起きて、夜に寝るまで、私たちの生活そのものが仏法なのだと仰っているわけです。生活が仏法ということは、毎日毎日が感謝の生活をし、温厚な人間になっていくのかというと、そうではないのです。我々の生活を具体的にみていくならば、その場の状況によって変わっていくころころ変わっていく心を抱えた不安定なものが我々の生活でしょう。その生活そのものが、実は大切なことを学べる場なのだということです。
 私たちの生活の中の日ごろの心は正に自分の都合だけでものを考えています。例えば、健康が一番だということをよく言います。しかし、健康が一番大事だとしてしまったら、健康でないもの、病気のものはダメなものだとなってしまわないでしょうか。こういったことだけで、物事の価値を判断していて本当にいいのだろうかということを仏教は教えているわけです。健康がダメなのではありません。それだけで物事の計るありようを問うているわけです。
 テレビのドキュメンタリーで放送していましたが、アメリカにアシュリー・ヘギという10歳の女の子がいます。この子はプロジェリアという通常の十倍の速度で老化が進む難病です。非常に過酷な病気で治る見込みはありません。このアシュリーにテレビのインタビュアーが「今度生まれ変わったら何に生まれたいですか」という質問をしました。私はおそらく、健康な体で生まれたいと言うだろうと思っておりました。するとアシュリーは「もう一度生まれ変われるとしたら、もう一度私に生まれたい」と言われました。
 我々はいのちは平等だと平生から言っておりますし思ってもおります。しかし私の身は知らなかったのです。私の価値観では、難病で不自由な生活をしなければならない、ましてや何年も生きられない人は可愛そうだと思ってしまうわけです。アシュリーが「もう一度私に」と言ったということは、この私が素晴らしい、この私でいいと思ったということでしょう。私たちは健常と言われる体で生まれてきて、本当にこの私でよかったと思ったことはあるでしょうか。あれが欲しい、こうなったらよいのにということの繰り返しではないでしょうか。それは私たちが自分の都合を中心に生きているからかもしれません。わずか10歳のアシュリーから、私たちの心の闇を教えられたのです。

■ 耳をすませば ■
『憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言』
──(岩波ブックレット)──
 井筒和幸。美輪明宏。吉永小百合。渡辺えり子。ピーコ。辛酸なめ子…。一見何のつながりもない著名人が一つの書物に文章なりコメントを寄稿しておられます。その書物が岩波ブックレットの『憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言』です。
 自由に誰でも本の感想を書けるインターネット書評などでこの書物の感想を調べてみると、賛否両論真っ二つに分かれています。ただ、この書物に関して攻撃的な文を書いておられる方々の言葉の使い方が、あの漫画家が使う言葉遣いにそっくり。彼の影響力は今や絶大なのでしょう。
 九条の問題はもっともっと広く、そして普通に議論されてしかるべき問題です。しっかりとした議論がなされないまま、変えてもいいじゃない?≠ニいう雰囲気が現代の日本に充満しているのが怖い。みなさんはどうでしょうか?。
 九条の問題だけでなく、これから日本がどのような歴史を歩むのか、それを選ぶ義務と権利が民主主義国家なのですから、我々日本の国民にあります。その時に、日本国民である自分に先立って、仏法聴聞を生活の要とする真宗門徒としての自分というところで歴史を選びたい、と思います。

 

■ コラム ■
心もし
有漏(うろ)なるを
名づけて
不浄と曰う。
──『涅槃経』徳王品より ──
 NHKの『こころの時代』に、キリスト教系の高校で校長先生をされている安積力也という方が出演されていた。この中で安積氏は現在子育てをしている親の世代の最大の問題点として、「待つことができない」と指摘された。
 我々の世代は、高度経済成長時代に生まれ、経済の成長と共に育ってきた。その中で求められることは能率主義である。全て能率が第一であり早さが求められた時代に成長してきた。そして、今、極度の消費社会が我々に求めていることは、次々と開発されるモノに慣れること。新製品に慣れ消費しないと時代から取り残されているような気分になる。
 能率主義、スピード主義が求められているという感覚。この感覚をそのまま「子育て」に投影させているのが我々の世代である。だから「待てない」。子どもに直ぐに答を求めたり、結果を求めたり。安積氏が最も問題だと言われることは、「子どもの人間的な成長や成熟を待てない」ことだと言われる。
 仏教は人間というものを「有漏(うろ)の身を生きているもの」と教える。我々は、何でも分かったようになって、自分が正しと思い込んでいるが、漏らすことが有る、いや漏らすことばかりなのだ。子どもは親を映す鏡であるという言葉を、言葉だけで理解するのではなく、本当に主体的に受け止めたなら、大切なことを漏らし続けているわが身が見えてくるのかもしれない。

■ TrueLiving ■
永代経講話録(2005/09/23)
──内田文雄師──
 今、永代経法要が勤まったことであります。皆さんはどのようなお気持ちで、先ほどお勤めをなされたのでしょうか。「○○できますように」と願い事をされましたでしょうか。神社に参りこのような願い事をするときは、頭を下げます。お寺でお参りするときは頭が下がるのです。感謝の気持ちが起こったとき、またお詫びの心が起こったとき、人は頭が下がります。お寺は、感謝・お詫びというかたちで、私たちの頭の下がる場所と言えます。このことを言い換えますならば、自分という人間に気付くということですね。そう言っても、なかなか自分のことを自分では気付けません。
 岐阜県の高山市に中村久子さんという方がいらっしゃいました。生まれたときに病気にかかって両手足を無くされ、大変なご苦労をされて生きられた方でした。その方のお言葉に、「自分のことを知ることほど、難しいことはありません」という言葉があります。本当にその通りですね。「あの人は腹黒い人や」と言います。私たちは自の分胃の中のことは分からないけれど、人のことなら腹の中の色まで見えるわけです。蓮如(れんにょ)上人にこのようなお言葉があります。「人のわろき事は、よくよくみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり」。全くその通りです。
 このような自分勝手な心の奥には「煩悩(ぼんのう)」というものがある。欲望、怒り、妬み、嫉みといった身を煩わせ、心を悩ませるものを「煩悩」と呼んでいるわけです。その「煩悩」を中心に人生を思い通りに生きようと右往左往するのが私たちではないでしょうか。人生というものは、なかなか思い通りにいきません。思い通りにならないことを思い通りにしようというのが、「自力(じきり)」ということなのです。実はその「自力」が苦しみを生むわけです。本当に日常が思いがけないことの連続です。こんなはずではなかった。私はいつもこうです。
 室町時代に蓮如上人と同じ時代を生きられた一休さんというお坊さんがおられました。お正月に檀家の方が訪ねてこられ、「和尚さん、正月ですから何かめでたいことを紙に書いて下さい」と言われました。一休さんは「よっしゃ、分かった」と言って、
親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ
と書かれたわけです。それを見た檀家の方は、「私はめでたいことを書いて下さいとお頼みしているのに、何という不吉なことを書かれるんですか。もう一度書き直して下さい」と言われたんです。一休さんは「そうか、気にくわんか。それならこれでどうじゃ」と言って今度は、「孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬ」と書かれた。檀家の方は「あんまりだ」と怒られたそうです。そのあと一休さんは、「子供が親より先に死ぬ場合もあれば、孫に先立たれる人もおられる。そんな中で、普通に、親・子・孫と先に生まれたものから順番に死んでいけば、それほどめでたいことはないではないか。あなたはそれ以上に何を望むのか。あわれなことですよ」とお諭しになられました。
 私たちの苦悩の原因は、思い通りにならない現実生活を思い通りにしようとする心にあるようです。しかし私は間違いのない者だと思っているうちは、このことに気付けないのです。私自身の思い虚偽を教えられたとき、本当に頭が下がるのかもしれません。

■ 耳をすませば ■
『肉弾』
──(監督:岡本喜八/制作:ATG/1968)──
 敗戦60年ということもあり、今年(2005年)の夏は実に多くの戦争に関するドキュメンタリー番組が放送されました。その中で「国のために死ぬのは当たり前」「敵国兵に捕らえられることは万死に値する」という、とんでもない教育がどれほどの命を奪ったかを改めて感じました。沖縄戦もそうですが、インドネシアのテニアン島でも降伏をしなかった民間人の多くが亡くなりました。
 戦争という行為、そして戦争を肯定するということは、国家というものが一人の尊厳よりも優先されるということです。私たちは自己を、日本国の国民である前に、一人の尊厳ある人間として見出す視点を忘れてはなりません。そして、その視点をもって他者を見出すことを忘れてはなりません。
 今年亡くなった岡本喜八監督が1968年に撮られた『肉弾』には終始一貫して戦争に対する怒りが感じられます。喜八監督はコメディが得意ですから、『肉弾』も全体的なトーンはどこかユーモラス。しかし、死にきれず敗戦をむかえた主人公が、20年経った1968年、屍となって海をさまよい「バカヤロー」と叫び続けるラストは戦争に対する喜八監督の万感の思いを感じます。 2005年、主人公のあいつ≠ヘまだ海をさまよい「バカヤロー」と叫んでいるでしょうか?。

 

■ コラム ■
その人を憶いてわれは生き
その人を忘れてわれは迷う
曠劫多生の縁
よろこびつくることなし
──金子大栄師『親鸞』より──
 親鸞(しんらん)≠ニはどのような人であろうか?。真宗にご縁を結んでおられる人なら、それぞれの親鸞像があると思う。
 親鸞聖人と縁が深い越後には「親鸞聖人七不思議」というものがある。例えば親鸞聖人が杖代わりにされていた竹を逆さに地面に突き刺されると、そのまま逆さに竹が生えた、など。また関東にも、幽霊を教化した、大蛇を救った等、親鸞聖人にまつわる逸話が多数ある。親鸞聖人に霊力があり、超常現象を起こしたなどということではない。親鸞聖人の教えを受けた人々の親鸞聖人への尊敬と信頼が荒唐無稽の逸話を作り出したのだろう。これらの逸話は、現代流に評価されている「思想家・親鸞」よりもいきいきと親鸞像を伝えているように思われる。
 良覚寺門徒の手次ぎ寺の住職である私は親鸞聖人をどのように思っているのか。私の中で親鸞聖人は個人の名をささない。親鸞≠ニいう言葉の中に、私が十数年の真宗の学びの中で出遇ってきた無数の念佛者をイメージさせるのだ。凝り固まった私の中の分別心─価値観・物差しを、「それは違うぞ」というかたちで割ってくださった方々が無数にいる。その方々の源泉を尋ねれば、必ず親鸞聖人がおられるのだ。
 報恩講は親鸞聖人の報恩講。親鸞聖人の恩徳に報ずる集い。私にとって報恩講とは、岩よりも硬い私の分別心というものを割ってくださった、無数の念佛者の教えを確かめる集い。

■ TrueLiving ■
覚の会9月例会講話録(2005/09/19)
──高木淳善師──
 『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の92条に「わればかりと思い、独覚心なること、あさましきことなり」とあります。この文は「私だけが信心を得た」というところに止まる人の問題点を言わんとされているのですが、今日はこの「わればかり」という言葉に注目して、日常の中の自我の問題をみていきたいと思います。
 私たちは、自分は正しいという自我を根底におきながら生活しているようです。私も身近なところで一緒に生活している連れ合いとの関係の中で自我というものが出てくるわけです。夫婦といっても他人ですから全く同じ価値観というわけにはいきません。日常の些細なことからケンカになったりもします。
 少しだけ具体的に言えば、私は草津の北大萱で生まれ育った田舎者です。人付き合いや近所付き合いも田舎の流儀でおこないます。連れ合いは大阪の都会で育った者であり、都会流の在り方で人と付き合うわけです。こうなってくると、お互いに立っている土壌が違うわけですから噛み合うはずがありません。やっかいなことに、どちらが間違っているということはないわけです。お互いに育ってきた土壌の当たり前≠主張しているのです。ただ、お互いに自分は正しいという主張を曲げませんから、何か一つトラブルがあると収まりがつかないわけです。
 私たちは、「わればかり」という思いが折れることはありません。しかしお互いが「わればかり」ということを主張し合うところに、本当の意味でお互いが共感する世界は開かれないのです。私たちは意見が対立したときなど、私は正しいのだから相手は間違っている─つまり是か非か、善か悪かという二元論で物事を見がちです。しかし二元論ではなく、私も正しい面がある、相手も正しい面があるという転換する眼が必要なのかもしれません。
 『蓮如上人御一代記聞書』の92条に「触光柔軟の願候う時は、心もやわらぐべきことなり」とあります。「触光柔軟の願」とは、阿弥陀仏の光明に触れた者は心が柔らかくなるという本願です。逆に言えば、「わればかり」という思いを振りかざし相手を攻撃していくような在り方は、ギスギスして柔軟さがない。自分がどのようなかたちで平生の生活の中で他者と接しているのかを通して、自分が本当に阿弥陀仏の光明に触れているのかどうかが問題になってきます。
 この阿弥陀仏の光明に触れるということを具体的に言い直せば、仏法を聞くということになると思います。私たちは仏法に無意識な拒絶感を持っているのかもしれません。仏法のお話を聞くことは聞くけれど、それに身を乗り出してとけ込んでいこうとはしてないわけです。
 仏法は私自身の本当の相を照らし出してくださるはたらきといえます。自分が知らず知らず見落としていた、自分の嫌な部分を知らされるわけです。私たちは頭で仏法を聞いているうちは適当に聞き流すことができる。しかし、本当に自分の相を知らされるような聞き方をすることは勇気が必要なことなのだと思います。だから一歩踏み込んで、自分のこととして仏法を聞けないのです。仏法の傍観者ですね。
 私たちは、どこに立って仏法と関わっているのか、今一度問い直す必要がありそうです。

■ 耳をすませば ■
『正信偈──真宗大谷派勤行集CD』
──(東本願寺出版部発行)──
 最近、御門徒に「正信偈(しょうしんげ)」の入っているCDを差し上げています。アナログイメージのお経とデジタルなCDの取り合わせに違和感を覚えられる方も多いようです。
 仏教の経文を一定の音程にのせて勤めることを声明 といいます。浄土真宗の「正信偈」のお勤めにおいて、声明≠ヘできるだけ多くの人が声を合わせて勤められるように作られたものなのです。決して、僧侶だけが勤められるように作られた、特殊技術ではありません。
 本願寺第八代留守職の蓮如(れんにょ)上人は、全ての人々が共に声を出してお勤めができるように、「正信偈(しょうしんげ)」「和讃(わさん)」を刊行されます。その印刷技術は室町時代の最先端のものでした。
 もし蓮如上人が現在を真宗の僧侶として生きておられたら、ご縁のある方々にお勤めのCDを配布するなど当たり前にされたと思います。それどころか、現在の最新の技術を駆使し、全ての人が共にお勤めができるような工夫をされたことでしょう。
 他の宗派のことは知りませんが、真宗のお勤めの中で、僧侶以外の方が黙っていなければならない時間があるということは、実は不自然なことだと知っておいてください。真宗のお勤めの基本は同朋唱和>汨Sての人が共に勤められるお勤めなのです。

 

■ コラム ■
私というものは
私の思いより
もっと深い意義を
もっている
──安田理深師──
 インドのガンジス川の辺にゾッとするほど醜いガマがいた。ガマは醜さゆえに人間に殺されそうになることが何度もあった。特にその辺りで暮らす牛飼いはガマを目の敵にし、何度も杖で突き殺そうとした。牛飼いは人間の中でも相手にされない怒りをガマにぶつけるように。
 ガマは唯一幸せを感じる時があった。お釈迦様のお話を聞かせてもらっているときだ。何度もお釈迦様のお話を聞くうち、ガマはあの牛飼いに対する怒りがなくなっていった。
 ある日、いつものようにお釈迦様のお話を聞いていたガマの背中に激痛がはしった。あの牛飼いが杖で背中を押さえつけているのだ。しかしよく見ると牛飼いは杖の下に自分がいることを知らず、お釈迦様の教えに聞き入っている。ガマは考えた。いつもはお釈迦様を罵ることしか知らない牛飼いが、今、お釈迦様のお話を聞いて救われようとしているのだ。こんな嬉しいことはない。自分が無理に逃げようとすると、牛飼いの気を散らしてしまう。ガマは激痛を辛抱した。そして、間もなく杖はガマの背中に突き刺さり、ガマは死んでしまった。
 花岡大学師の『蟇佛』という仏典童話である。
 ひと一人が仏の教えを聞き、仏に出遇うためには、無量の人や物が御縁となって下さっていることを教えられる物語ではないだろうか。
 この物語の最後の言葉はこうである。「こんな尊い死に方が、どこにあるであろうか」。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2005/11/19.20)
──竹橋太師──
 世の中が変わってきたと言われます。その中でお年寄りの世代が「今の若い者は…」という物の言い方をしますね。書物によると江戸時代にも「今の若い者は」という言葉がでてくるのだそうです。今のお年寄りが今という時代をみて「世の中は変わった」と感じられる思いは「今の若い者は」程度のことなのでしょうか。
 ある人は「今の十年の変化は昔でいうと二百年、三百年の変化になる」とおっしゃいました。私も実感として急激に世の中は変わったと思います。どのような部分が変わったのかというと「便利になった」のです。この便利になるということは、こうなればいいと私たちが思っていることが適っていくことですね。仏教の中では思ったことが適う世界を「天」といい、その一番良い世界を「他化自在天」といいます。
 親鸞(しんらん)聖人が書かれた現世利益和讃といって、南無阿弥陀仏を称えることの利益をうたわれた和讃(わさん)には、
南無阿弥陀仏をとなうれば
 他化天の大魔王
 釈迦牟尼仏のみまえにて
 まもらんとこそちかいしか
とあります。この「他化」とは、「他の人が作る」という意味です。他の人が幸福だと思って作ったものをそのまま貰えるわけです。つまり他人の欲望も自分のものにできる。私たちはこういった世界を理想として作っていますね。便利になるとはこういうことです。デパートに買い物に行ったとき、必要だと思って買いに行ったものだけでなく、色々と欲しくなって買ってしまう。洋服でも電機製品でも食べ物でも、色々な人の欲望が形になって並んでいるわけです。色々な人が色々な思いを適えるというかたちでどんどん欲望が拡大されていき、とどまることはありません。一つ欲望が満たされても、また新しい欲望がでてくる。
 こういう世界を作り続けていると、思い通りにならないことが許せないこととなってしまいます。他人との関係もそうです。自分の思い通りにならない人間がいたら口もきかない。関係の中で問題があれば話せばいいのです。それができず自分の世界をつくってしまうわけです。
 便利な世の中で生まれ成長した者の問題点を「傲慢と臆病」という言葉で言われる方があります。子どもの頃から思い通りに生きてきたからそれが当たり前だ、我慢などしなくていい、という傲慢さです。そして逆に臆病だと。どういうことかというと、今の若い人は人の目がきになってしかたがないわけです。子どもの頃から成績という数字で評価され、学校も仕事も世間の評価で選ぶ。そういう中で成長してきた今の若い人は他人の目が気になってしかたがないわけです。そいういった他人の評価に適わない自分になってしまったら、自分はダメだと自己嫌悪に陥ってしまうのです。
 他化自在天という便利な世界を追求し、便利でないものを排除していく社会。そして、その社会の中で役に立つものが評価される。役に立つ、評価される、そういう人間になることが求められる世の中になっているように思えます。何かの価値をもったものだけが偉いのです。その中で、「その人がそこにいるだけで尊い」という視点を見出すことが困難になってきているように思います。【続く】

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■ 耳をすませば ■
『男はつらいよ〜寅次郎夕焼け小焼け』
──(監督:山田洋次/1976/松竹)──
 「寅さんの映画には人間の営みが全てある」と言う人がいます。確かにそうかもしれませんが、私たちの生活の中にはあるけれど、寅さん映画にはないものがあります。それは「憎しみ」、そして憎しみという感情をぶつけられる「悪役」なのです。
 寅さんの中で唯一悪役が出てくるものがあります。それが『寅次郎夕焼け小焼け』です。
 マドンナ大地喜和子が演じる芸者のぼたんは、ある男(悪役)に二百万円を騙し取られます。ぼたんはタコ社長を連れて、その男のもとに掛け合いに行きますが、法律を利用した詐欺行為になすすべなく帰宅。とら屋の面々は無力感で言葉が出ません。その状況を見た寅さんはぼたんのために、詐欺男を半殺しにしてやると店を出て行きます。詐欺男の居場所を聞かずに出て行った寅さんに一同は「バカだねえ」となるのですが、ぼたんだけは泣いています。「男の人にあんな思われたのは初めてや。もう二百万円はいらん」と。
 人間は金で救われるのではないのです。また、恨みを抱いた奴に復讐することで救われるのでもないのです。自分の存在を心から認めてくれる人がいることが救いなのす。
 「寅さん」は『夕焼け小焼け』をもって、本当の意味で人間の営みが全てつまった映画シリーズと言えるのでしょう。




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