◇ コラム ◇

無極尊を
帰命せよ
親鸞聖人


 お釈迦様が生まれられたとき「天上天下唯(ゆい)我(が)独(どく)尊(そん)」と仰ったと伝えられる。この「唯我独尊」を「自分が最も尊い」と読むことがあるが、それは間違いである。「ただ我独りにして尊し」と読み、存在する個々の尊さ、掛け替えのなさを教えようとする「仏の教え」である。
 現代は人間を役に立つ・役に立たないという物差しではかり、人間を資源や道具のように使い捨てることが当たり前になっている。役に立つ存在として獲得した居場所も、いつ誰かに奪われるか分からない。いつ見捨てられるか分からない。また、人は老病死を抱えている以上、年齢を重ねる毎に、役に立つ・役に立たないという価値観から必ず見捨てられていくのである。
 この世の中にあって、「我々は存在をそのまま認められたい。自分の尊厳を見出したい」と心底願っている。そして、日々自分の尊さがいかにすれば確保できるのかを模索し、こうなりたい自分を追い求めている。しかし、本当に問題なのは、尊い・賤しいと自分自身の存在を分(ふん)別(べつ)している我々の心なのではないだろうか。
 仏の教えは、世の中や自分自身の価値観・分別心こそ歪んでいると教え続けてくださる。先達は自分の尊さを自身で見出すのではなく、仏の教えを「尊」として見出してきたのである。




 ◇ TrueLiving ◇

永代経講話録【前編】
──王来王家純也師──
〜三重県:通念寺/京都教区駐在教導〜
(2009/03/20)


 浄土真宗において永代(えいたい)経に(きよう)は浄土三部経を伝えていくという意味があります。浄土三部経とは、お釈迦様が浄土を説かれた説法ですね。つまり、永代経は浄土の教えを大切に永代まで伝えていきたいという願いのもとで勤められる法要であると言えます。本日は、この浄土の経文は私にとってどういう意味があるのかということを考えたいと思います。
 知人の大阪の住職が全門徒に「皆さんにとって一番大切なものは何ですか?」というアンケートをとられたそうです。その結果、一位は「健康」、二位は「財産」、三位は「家族」でした。概ね誰しもこういったことを大切な問題として生活していると思います。そして、こういった思いが宗教の形をとると、「無病息災」「商売繁盛」「家内安全」となります。多くの寺院仏閣には、これを祈願するためのお札やお守りがありますね。
 しかし、浄土真宗の寺にはこういったものは一切ありません。本堂の内(ない)陣(じん)は浄土という世界を形にしたものです。一般的には、日ごろ自分が大切だと思っているものを護ってもらうためにお経をあげて祈祷をします。しかし親鸞(しんらん)聖人のお寺だけは、こういうことをしません。我々の先祖は浄土を仰ぎ、浄土の経文をいただいてきたのです。これはどのような意味があるのでしょうか。
 善(ぜん)導(どう)大師は「経教はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし」と言われます。お釈迦様の説教という教えは鏡≠ナある。つまり、自分のすがたを写してくださるのだという意味です。
 私は以前、本山の同朋(どうほう)会館という場所で仕事をしていました。その同朋会館で上山された女性の御門徒が感話をされました。その方は本屋に嫁がれましたが、嫁ぎ先の姑さんが認知症になられました。本屋の仕事と姑さんの介護で毎日辛かったそうです。認知症ですから回復していくことはありません。認知症がどんどん進み、最後は「お婆さん、死んでくれないかな」と思うようになり、声に出したこともあったそうです。六年間の介護の後、姑さんは亡くなりましたが、その時はホッとしたそうです。通夜の晩には親戚は、その方の介護の労をねぎらい、褒められたそうです。そのお婆さんは熱心に聴聞した人で手次ぎ寺の住職から弔電が来たそうです。そこには「お婆さんは私の中にある地獄をえぐり出して見せてくれた仏さまですね」と書かれていました。その言葉を聞いてハッとした、と。それまでは、私は苦労して介護してきた善い人間だと思っていた。しかし私はお婆さんを殺してきた。私はそういう地獄を持つものであった。その時初めて、お婆さんにごめんなさい、そしてありがとうと言えたと仰ったのです。その御住職の手紙が教えですね。その方は、御住職の言葉に出会えなければ、お婆さんの葬式は生ゴミの処理と変わらなかったです、と仰いました。
 浄土という仏の世界は教えを通して、私では気付けない私の本当のすがたというものを見せてくださるのです。仏から教えられた、どうしてみようもない自分に頭が下がることを慚(ざん)愧(き)といいますが、仏教では慚愧する心があるから人間なのだと教えるのです。




 ◇ 耳をすませば ◇

シリーズ宗祖旧跡〜吉水草庵跡地
『安養寺』
(東山区八坂鳥居前東入ル円山町)

 親鸞(しんらん)聖人二九歳の時、比叡山から六角堂に百日間参籠し、九五日の暁に夢の告げを受けました。建仁元(一二〇一)年のことでした。
 夢の告げを受けた親鸞聖人は、京都の東山・吉水(よしみず)の地に草庵を置き、老若男女、身分、立場を問わず、人々にお念仏の教えを説いておられた法然(ほうねん)上人のもとへ行かれたのでした。
 親鸞聖人は法然上人のおられる吉水草庵に百日間通われ、法然上人の教えを聞き続けられました。親鸞聖人が法然上人より教えられたことは、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えです。親鸞聖人は、「ただ念仏」の教えと共に生きておられる法然上人のすがたと出遇われたのです。そして、法然上人の「ただ念仏」という教えと共に生きている、吉水に通われた名も無き民衆と出遇われたのです。それは、生きた仏法、実際にはたらきをもった仏法との出遇いでした。親鸞聖人はここから、新しい仏法の歩みを始められたのです。
 現在の知恩院の近くに「安養寺」という寺があります。ここが法然上人の吉水草庵跡地であると言われています。近くの弁天堂の境内に「吉水」と彫られた古井戸があります。






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