■ボーっとする男■
 その男は京都駅の前にある広場でベンチに腰掛け煙草をふかしていた。もう三本は吸っただろうか。理由があったのではない。出張帰りで会社に顔を出すのが面倒だったから時間を潰していただけだ。
 男はよくボーっとする。その男はボーっとする時、学生時代に観た好きな映画のラストシーンのことを考える。「死にたくない」と言いながらダイナマイトで爆死するチンピラ。青い海と空。ランボーの詩・・・。いったい何だったんだ、あの映画は。
  ちょっといいですか?
  あなたは、何のために生きていますか?
映画の世界にあった男の意識を不意に現実に戻す問い掛け。何だろう?。よく見ると三十歳くらいの小男が、ニコニコしながら男の側に立っていた。
 小男は男の都合など無視して喋り続ける。どうも新興宗教の勧誘のようだ。話を聞きながら、「俺はこんな奴に話し掛けられるような顔なんだなあ」と考える。話を聞くのが億劫になってきたので、今忙しいからと適当な理由をつけて、小男を追っ払った。しかし変なことを聞く奴だ。「何のために生きていますか?」って。
 半年後、男は坊さんになろうかなあ、と考えた。結婚しようと思った女が寺の娘だったから。男は人生において特殊な選択をしたと思っていたが、坊さんの業界ではよくあることらしい。
 更に半年後、男は仕事を辞めて坊さんになるための全寮制の学校に行った。その学校のモットーはブラザーシステム。一見ヒップホップ系の学校なのかと疑いたくなる。教える側も教えられる側も、同じく如来から教えられる者という意味で「兄弟」なのだそうだ。
 その学校の先生達は、とても坊さんには見えない。外見だけで言えば、夜中一人で歩いていると職務質問を受けそうな人ばかりだ。えらい所に来てしまったと、男は日々後悔した。
 その先生達の口からよく聞かれた言葉は、「自分を問え」「生まれた意義を問え」。訳の分からんことを言うなよと思いつつ、心の中にモヤモヤしたものが生まれる。
 一年前新興宗教の人から受けた「何のために生きていますか?」という問いを思い出す。同じようなことを問われているのに、受ける印象が違うのは何故だ。男はその理由を考える。新興宗教の人は答を用意してこの質問をしてきた。しかし坊さん学校の先生達は、その問いを他人に対して出しているのだけれど、実は自分自身に問うている─つまり問うている本人も答が出ていないように見えた。
 男はモヤモヤしながら学校生活を過ごし、モヤモヤしながら卒業した。
 そして男は寺の住職になった。本当のところ仏教のことをよく分かっていない。しかし男の中に生まれたモヤモヤが、何となく彼を歩ませている。だから男はそのモヤモヤをできるだけ大切にしたいなあ、と思っている。
 男は色んな人に、「わたしらは何のために生きてるんでしょうね?」などと問うてみたりする。「わたしがわたしとして生まれてきた以上、この問いを起こさずにおれない、このことを顕かにせずにおれないはずです」などと、分かったような分からないような言葉を付け足して。
 男は未だにボーっとする癖が直らない。そしてあの映画のことを時々思い出したりする。
 爆死するチンピラ、青い海と空。ランボーの詩・・・

みつかった!
何が?
永遠が
海にとけこむ
太陽が


■住職■
 上の文章は「湖南教化委員会報」という冊子に住職自身が自分のことを書いた文章です。照れくさかったので三人称にしてみました。だいたいこういうヤツです。
 法名を願證(がんしょう)、俗名を谷大輔といいます。1967(S42)年の1月生まれですから、住職としては若い方でしょうね。上にも書いたように婿養子です。ですから寺で生まれ育ったわけではありません。これは一つの弱点でもあり、強味でもあります。弱点は坊さんの立ち振る舞いができないこと(笑)。強味は、例えば仏事なんかで、後ろに座っておられる参詣者の気持ちが分かること。
 「自分をそのまんまをうけいれることが大切」などと口にしながら、太ってる自分が嫌でダイエットしたりするし、頭が薄くなってきたを気にしたりしてます。「自分の運命を何かににぎられるような生き方は本当の生き方じゃない」と言いながら、『目覚ましテレビ』の占いカウントダウンで「山羊座は何位?」などと気になったりします。「自我を中心に欲望のまま生きる生き方は」などと偉そうに言いながら、パチンコに興じます。
 このホームページを作ってるのは住職なんで、全体を見てでどんなヤツか判断してください。

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