1999(平成11)年7月5日、ホテルボストンプラザ草津に於いて、真宗大谷派京都教区近江第2組主催の「沙加戸弘(さかど・ひろむ)先生大谷大学教授昇格祝賀会」が行われました。これはその時の記念講話をまとめたものです。
 近江第2組では月例で「蓮如上人お文講座」と題し、蓮如(れんにょ)上人の「お文」を学んでいますが、その講師が沙加戸弘先生です。沙加戸弘先生は僧侶であると同時に国文学者です。そのことから「お文講座」では、時代考証を含めて厳密に蓮如上人の言葉をみていかれ、そのことを通して蓮如上人の御心に真髄をたずねられます。また非常に博識である沙加戸弘先生の雑談≠ェ参会者の好評を博しています。「お文講座」を通して沙加戸弘先生と近江第2組は深い御縁を結んでいるわけです。
 その沙加戸弘先生が1999年に大谷大学教授に昇格されるという朗報を聞き、木村修組長(当時/徳正寺住職)の提唱で「教授昇格祝賀会」が開催されることとなりました。




沙加戸弘(さかど・ひろむ)先生
略歴

昭和21年9月5日、 大津膳所網町 響忍寺に出生。
幼顔は祖父秀円に酷似していた、との伝説あり。
昭和32年8月7日、 東本願寺において得度、法名釈弘道。。
昭和40年3月、 滋賀県立膳所高等学校卒業、同年四月滋賀大学学芸学部に入学。
昭和44年3月、 滋賀大学教育学部(昭和四十一年、学部名改称)卒業。
昭和44年4月、 滋賀県甲賀郡水口町、水口町立水口小学校教諭として赴任。
朝起きられず、二年間で棒を折る。
昭和46年4月、 大谷大学大学院修士課程文学研究科仏教文化専攻に入学。
この月より、南大萱萬福寺における南学会に参会、
谷覚師、山本隆師、小山純明師、黒川了州師、井上俊昭師 等の知遇を得る。
また細川行信師の親友会の学習会に御縁を得る。
昭和48年3月、 大谷大学大学院修士課程修了。
昭和48年4月、 大谷大学大学院博士課程文学研究科仏教文化専攻に入学。
昭和49年2月、 赤塚栄一の長女、潤子と結婚。
昭和49年4月より、 特別研究生として学費を免除される。
昭和49年5月、 真宗大谷派住職資格取得。
昭和50年4月、 馬場願信寺の親鸞聖人七百回大遠忌に参詣。
祖父江省念師の『祖師聖人御一代記』聴聞。
昭和50年9月7日、 長男 恒 誕生。
昭和51年3月、 大谷大学大学院博士課程文学研究科仏教学専攻 満期退学。
昭和51年4月、 大谷大学特別研究員に任ぜられる。
昭和51年12月、 萬福寺御内佛の報恩講において、親鸞聖人御繪傳繪解 復活。
以後、十五年の歳月をかけて、ほぼ全容の解明と復活を完了。
昭和53年4月、 大谷大学教育職員 短期大学部国文科助手に任ぜられる。
昭和53年10月、 真宗大谷派 学師 に任ぜられる。
昭和55年7月、 真宗大谷派 擬講 に任ぜられる。
昭和61年4月、 大谷大学文学部専任講師に任ぜられる。
平成3年4月、 大谷大学文学部助教授に任ぜられる。
平成4年9月、 近江第二組の学習会において 御文講座 始まる。
平成5年5月、 響忍寺 御文講 において蓮如上人御繪傳繪解 復活。
平成9年4月、 第二次南学会 発足。
平成11年4月、 大谷大学教授に任ぜられる。




 現在(2003)、沙加戸先生には湖南真宗学習会「南学会」の講師をしていだたいております。
 先生の略歴のように「南学会」には第一次と第二次があり、先生は昭和40年代に研鑽を重ねていた第一次のメンバーでした。第一次は自然に消滅しましたが、その息子の世代が第二次を再発足し、現在も活動を展開しています。




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