◇ 表白とは? ◇


 「表白(ひょうびゃく)」という言葉をご存知ですか?。法要の最初にお坊さんが恭しく読み上げる文章のことなんですけど、定義としては、
法会や修法を行う時に、その趣旨を本尊・僧・大衆に告げるために読み上げる文。「啓白」とも、また修法の始めに読み上げられるので「開白」ともいう(『岩波仏教辞典』)
です。伝教大師や弘法大師に名作が多く、平安時代には多くの表白集が編纂されたとも。
 らしくない堅い言葉で解説してますけど、仏事・法要の意味やら気持ちを参勤・参詣している人を代表して導師が読み上げる文を「表白(ひょうびゃく)」というわけですよ。

 私(住職)のスタンスは、仏事はそこに集まった人たち全員で勤めたいという感じなのは、このコンテンツ全体をみていただければ分かると思います。みんなが、仏事という場所を大切にして、そこで出遇わなければならない教えに出遇える場所として仏事が開かれたらなあ、って。そのためには、既成の仏事の在り方を見直して、今を生きる私(住職)らに即した仏事の勤修方法を模索しなければならない。
 その第一歩の足がかりとして「表白(ひょうびゃく)」を工夫してみてはどうか?、と思うわけです。
 今の「表白」は文語調が多いですよね。それを口語調に変える。そして出来上がりの「表白」を読むのではなく、自分で工夫して、自分の言葉で、各々の仏事に即した「表白」を考える。これが大事かなと。
 何と言いますか、「表白」を読む坊さんがそこに集まってくださった人々と、どのような仏事を開きたいのか?、何を願って仏事に来ているのか?、などなど「表白」を通して自分の言葉で語るべきなんでしょうね。




◇ 年忌法要表白 ◇


 最初に取り組みたいのは「年忌法要(ねんき)表白」です。
 真宗大谷派でよく読まれる年忌法要の表白には
亡き人を偲びつつ、如来の御教えに遇いたてまつる
という言葉が出てきますが、この短い言葉に年忌法要を勤める趣旨が凝縮されていると思います。これを文語調でなく口語調にし、「亡き人を偲びつつ」の部分にご親族の思いなど入れてみてはどうかと思っております。
 以下、前住職(私の義父)である谷覚(たに・さとる)師の十七回忌を想定して「年忌法要表白」を作成してみました。


  表白

本日ここに、法名 釋覺證、俗名 谷覚十七回忌を勤修するにあたり、 御縁に連なる方々と共に、その生き方とお徳を偲び、日々の世事の営みから、少しく足を止め、耳を澄ませ、仏法を聴聞できる場所をここに開いてくださった、尊い生涯に御礼申し上げます。


覺證師は、良覚寺第十六世住職として、縁ある方々に念仏をお伝えにくださいました。教職として教壇に立ち多くの生徒を教えたこと、時代社会の矛盾に断固たる態度をとる社会活動、さらには保育園の経営。全て、自らの念仏の何たるかをたずね、縁ある方々に念仏を教化さるための尽力であったと思われます。


今、ここに釋覺證師は、十七回忌年忌法要の法縁を開き、我々に真実に生きる道をお勧めくださっております。
久遠の昔、阿弥陀如来の大悲の本願は救われがたい我々凡夫のために建てられました。お釈迦様は、その阿弥陀如来の本願を我々にお説きくださり、インド・中国・日本の高僧をはじめ、無数の仏者はお釈迦様の教えを受け伝えてくださいました。そして我々の宗祖と呼ぶべき親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願を聞き開き、本願によって、全ての苦悩する衆生が救われていく、真実に生きる道をお示しくださったのです。
今を生きる我々は、この釋覺證師が縁ある者にお開きくださった法会の時を大切にし、混沌とした時代社会の真っ只中で本願念仏の教えを聞き開き、真実に生きること願います。
良覚寺住職釋願證、この法会に集う人々を代表し、敬って白しあげます。


 勿論この太字の部分はご縁になってくださった亡き人の法名(ほうみょう)、俗名を入れます。罫線で挟まれた部分を家人に書いていただくわけです。文章が書けないということであれば、個条書きで結構。住職が文章にいたします。
 良覚寺では、その年の年忌法要の通知を正月にするのですが、その時に所定の書き込み用紙を配布することを考えてます。手渡し、FAX、郵送、またメール送信フォームなどなどを工夫して、家人が申し込みし易いかたちを模索中です。
 どんなもんでしょうか?。この表白自体、もう少し変えた方がいいとか、こんな案があるぞとか、色々とご意見、ご批判があろうかと思われます。掲示板メール等で教えてください。
 この表白を作成するために、2005年から「良覚寺門徒年忌法要申請書」というものを任意で提出していただくことにしました。「良覚寺門徒年忌法要申請フォーム」もあります。




◇ 良覺寺報恩講表白 ◇


 『新しい仏事〜報恩講』にも展開していますが、「良覺寺報恩講」において2002年から『歎徳文』を読むのを止めました。その代わりに『報恩講表白』を住職が書いて読み上げてます。
 いわゆる『式歎』といわれる、覚如上人の『報恩講式』と『歎徳文』を訳そうと思ったのですが、『式文』と『歎徳文』の内容が似てしまうため、訳し拝読するものを『式文』だけにし、『歎徳文』の箇所に住職の『表白』をいれてみました。
 内容は『これからの真宗大谷派表白事例別集成』(四季社発行)を参考にしています。
 毎年ほぼ同じ内容のものを読みますが、必ず更新する箇所をつくっています。その年の私(住職)、良覺寺、社会の課題のなかで、私(住職)が最重要課題であると思うことを文章化し表白しております。
 これを参詣者に配布し、住職の教えのいただきの浅さをみてもらっています。

 『2010年良覚寺報恩講表白』
今を去ること八百年の昔
小さいともしびが灯されて
人々ははじめて希望に出遇いました
人と生まれた喜びさえ見えぬまま
世俗の権力とそれを支える魔界外道に夢を奪われ
いのちを弄ばれながらも
なおそれを畏れ、しがみつき
こびへつらって生きるより他になかった人々は
碍り無き一筋の道と出遇い得て
歓喜するいのちを回復することができました

親鸞聖人
あなたが出遇われたいのちは
世のともしび
一切の差別を超え
それぞれがそれぞれのまま輝くいのちを証し
輝けるいのちを奪う殺戮兵器の
無用なる世界を見出します

親鸞聖人
あなたが出遇われたいのちを
確信と情熱をもって語られる
その前に私はいます
あなたの呼びかけ、
そして、あなたの教えを聞いて
いのちに目覚めた念佛者の呼びかけによって
今、私は南無阿弥陀佛を称えます

親鸞聖人
ブッダ釋尊によって説かれ
インド、中国、朝鮮を渡り
和国にまで伝えられた
南無阿弥陀佛の声は
あなたによって真実を証しされ
無数の念佛者に届き
そして私に届けられました
あなたが称えられた南無阿弥陀佛は
祖父が聞き祖父が称え、祖母が聞き祖母が称え
父に伝わり母に伝わり
そして私に届けられました

二〇一〇年、政治と経済は混迷を極め、行く先の見えない不安が時代と社会を覆っています。人々は指針になる思想や理念に出会うことができず、どう生きていいか分からないのです
ある人は言いました。「経済状態が悪く、政治不安のこの時代社会において、寺に行っている余裕はない。教えを聞く気持ちのゆとりがない」
親鸞聖人が浄土真宗を顕かにされた十三世紀は、平安時代末期から鎌倉時代初期、貴族社会が崩壊し武士社会の萌芽がめばえた、時代の過渡期でした。蓮如上人が良覺寺創建当時の我々の先祖先達に教えを説かれた十五世紀は、戦乱と飢饉の時代社会でした
我々の先祖先達は、時代社会が混迷し不安が渦巻いているからこそ、個個の生活が苦しいからこそ、親鸞聖人の教えに真の救済を求めたのです
我々が聞いている教えが本当に親鸞聖人の教えなら、今が混迷と不安の時代社会だからこそ、苦しい生活だからこそ、親鸞聖人の教えを求めるはずなのです
今を生きる我々は、我々の先祖先達が真に求め、全身全霊をかけて聞いていた親鸞聖人の教えを、本当に聞いているでしょうか
我々の聴聞の姿勢を、この時代と社会が問うているのです

今、私たちは濁り多い時代社会の中で
真を見ることができず、
生きていく道と生きていく居場所を見失っています。
親鸞聖人の生涯、親鸞聖人の教えは
暗闇の中で地を這うように生きている私たちの燈炬です。
親鸞聖人を憶うとき私たちには真実に生きて往く道が開かれ、
親鸞聖人を忘れるとき私たちは迷うのです。

親鸞聖人
あなたは今
私たちと共にここにいます

宗祖親鸞聖人滅後七四八年、国際暦二〇一〇年十一月二十一日
良覺寺住職釋願證
敬って白す





◇ 蓮如上人五百回御遠忌表白 ◇


 2006年10月21日/22日、良覺寺では「蓮如上人五百回御遠忌」を厳修いたしました。その時に住職がつくった「表白」を公開します。
 こだわったのは口語調≠ナあること、下手でもいいから自分の思いを言葉にする≠アと、暦≠ノついて。
 御遠忌結願(けちがん)というのは非常に長丁場なお勤めになります。儀式そのものには深い意味があるのですが、参詣者のほとんどはそれが分かりません。「表白」拝読は数少ない意味を理解できる℃條ヤですね。それを意味の取りにくい文語調で作成し読むのは・・・という私(住職)の思いから口語調にしました。
 自分の思いを言葉で表現した、と大上段から書いてますが、もちろん色んな方々のお言葉を借りておりますし、知らず知らず影響を先達の言葉を使っていることもあるでしょう。ただね、どっかの「表白集」なるものの寺号だけ換えて読むとか、誰かに書いてもらうとか、誰かの書いたものを拝借する真似はイヤだなあ、と思ったわけですよ。御遠忌の「表白」の内容は住職の覚悟が説かれる非常に重要なものだと思います。文章を作るのがヘタでも、精一杯自分の思いを伝えなければ意味ないでしょう?。
 「暦」をどうするかも迷いました。まず現在使用されている天皇一世一元制の元号には違和感を感じます。西暦もキリスト教暦ですし、何だか違う。良覺寺では寺報などで東南アジア佛教国で使われている佛暦を使用しておりますが、何かしっくりこない。そこで「親鸞聖人滅後745年」を御遠忌を厳修した時≠ニしたわけです。「真宗暦」というか。親鸞聖人は西暦1262年に示寂されましたので、2006年といえば744年になるんじゃない?という声もありますけど、亡くなった年を1年≠ニ数えて2006年は745年≠ネんですよ。

  表白

敬いの心をもって、
救主・阿弥陀如来、教主・釈迦牟尼世尊、宗祖・親鸞聖人、無数の念佛者、良覺寺歴代の住職坊守、累代の良覺寺門徒に白し上げます。
本日ここに、阿弥陀如来の尊前を荘厳して、有縁同朋あい寄り集い、真宗再興の祖である蓮如上人の五百回御遠忌を厳修いたします。

今を去ること五百年の昔、闇のなかで地を這う虫のようにしか生きられなかった人々の前に、大きな灯りを焚いて下さった人がいました。
人々が闇のなかで生きるが故に、往くべき道を見失わないように、
闇のなかで生きるが故に、つまずいて立てなくなることがないように、
闇のなかで生きるが故に、心の中まで闇が覆わぬように、
一生涯、渾身の力を込めて目印になる灯りを焚き続けて下さった人がいました。その人の名を蓮如上人といいます。

15世紀、社会体制が根底からゆらぎ、人々は生きる寄る辺を見失いました。戦乱と災害と飢饉が人々の生活を奪い、人々の心から優しさや温もりを奪いました。
蓮如上人は、生まれた意義と生きる意味を問うことを忘れてしまった人々に、本願念佛を拠り所とし、浄土を願う生き方を伝えて下さったのです。時代社会や世間の価値観から見捨てられ、自分で自分を見捨ててしまう生き方しかできなかった人々に、人間の存在を量ることはできない、そこにあるだけで尊いと呼びかけ、人と人とのつながりを「とも同行」という世界に呼び返して下さったのです。
蓮如上人の呼びかけによって、人間としての大事を回復した人々は、蓮如上人を真宗再興の上人と呼びました。

蓮如上人の呼びかけに感動した人々は、多くの友といっしょに、再興された真宗を喜ぶことができる場所を求めました。そして、その場所ができたとき人々は思いました。
この場所さえ滅びずにあれば、蓮如上人が我らに伝えて下さった真宗の教えが、自分たちの子々孫々にも伝わるだろう。時代が変わり、また人間が人間を尊べない社会になっても、この場所さえあれば、真宗は再興されるはずである。
五百年前、この矢橋という土地に住み、蓮如上人と出遇い得た人々は、その場所に万感の願いを込めました。
その場所こそが、この良覺寺であります。
そして良覺寺歴代、矢橋新浜の門徒累代、良覺寺五百年の歴史を通じて、天災地変に翻弄され、権力の重圧に押しつぶされそうになりながら、濁世において真宗の法燈を絶やすことなく輝かせ続けてきました。

蓮如上人滅後五百年、この良覺寺に本来あるべき真宗精神は見失われていないでしょうか。
佛法は理想理論の彼方へ隠退してはいないでしょうか。
教えは本当に民衆の生活に寄り添っているでしょうか。

今という時代は豊かな社会であると言えます。その豊かさは、物と金の量ではかることのできる豊かさであり、豊かさの量が多いほど幸福だとされています。
その豊かさを増やし、幸福を実現するため、他者と争い、人を差別し、いのちを踏みつけるような生き方をしているのが我々のすがたなのではないか。我々は幸福を実現する手段ばかりに目が奪われ、生きることの大事を見失っていないのか。
まさに現代は五濁悪世であり、私は濁世に流されてしか生きることのできない衆生の一人なのです。

この混沌とした現代社会という濁世において、いや濁世の世だからこそ、救われなければならない一人の衆生として、親鸞聖人が顕かにされ、蓮如上人が伝えて下さり、良覺寺先達が護り続けて下さった、浄土の真宗を私の中に再興し、同朋社会の顕現に全力を傾けなければなりません。

「人の信なきことを思し召せば、身をきりさくような、かなしさよ」という蓮如上人の激励を聞きつつ、五濁悪世の今という時代社会を、一切の衆生と共に真実に生きていくことを、ここに誓います。

  親鸞聖人滅後745年、西暦2006年(平成18年)10月22日

良覺寺第17世住職 釋願證  
敬って白す




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