◇ お勤めをみんなで ◇

【報恩講のお勤めは聞いてるだけ?】
 私(住職)が本山の晨朝(じんじょう/朝のお勤め)にお参りしていた時のこと。その日はたまたま前門首の祥月命日でした。本山の晨朝のお勤めは、誰かの祥月命日など「五淘(いつつゆり)」といって、お勤めの仕方が少しだけ複雑になります。私が御影堂(ごえいどう)で一緒にお参りしていた人たちに、「今日は節が難しくなるから注意してください」などと言っていると、見ず知らずの年輩の坊さんに「門徒(もんと)は三淘(みつゆり/普通のお勤め)以外は声を出したらあかん。聞いておったらええんや」とのたまいました。ちょっとムカついたので、「誰が決めたんですか?」と聞き返すと、「昔からそうなっとる」と。さらにしつこく「蓮如(れんにょ)上人がそう教えましたか?」とほとんどケンカ腰で聞くと、その坊さんはどっか行っちゃいました。
 後で先輩の坊さん方に「五淘(いつつゆり)以上は門徒は声を出してはいけないのですか」と聞くと、「そういう決まりはないけれども、作法としてそうするべきだという考え方はある」と。確かに本山の出している御門徒用の勤行本(お勤めの本)に「五淘(いつつゆり)」の本はありません。
 一般寺院の「報恩講(ほうおんこう)」ではこの「五淘(いつつゆり)」を勤めます。ということは、「報恩講」の時は、御門徒は坊さんの声を聞いてるだけ?。黙ってなきゃいけないの?。ちょっとおかしくないですか?。


【報恩講のお勤めの本義って?】
 現在の浄土真宗の勤行の形態、つまり「正信偈(しょうしんげ)」「念仏」「和讃(わさん)」というお勤めの仕方を形成されたのは蓮如上人だと聞いています。真宗門徒を名告る者なら、日々のお勤め、報恩講には必ずこの形態でお勤めせよと。このことによって、親鸞(しんらん)聖人の教えを、より身近に聞き、感じることができるようになったのです。
 ところが、時代の変遷とともにお勤めが複雑化し僧侶の芸≠ノなってしまった。訓練された美しい勤行というものは聞いていて気持ちがいいものです。ただ、そこ(聞いていて美しいだけ)では報恩講のお勤めの本義≠ェ見失われているように思われます。
 報恩講に「正信偈」「和讃」を勤めるのは、親鸞聖人の教えそのもへの讃嘆のはず。それを坊さんが芸≠フ披露会になって、よいはずありません。
 報恩講のお勤めは、僧侶も参詣者も全員、そこに居る全ての人と共に勤めるべき質のものなのです。


【報恩講をみんなでお勤めするために】
 上記のように、本山は報恩講を勤めるための「勤行本」を出していません。しかし、出版社や組織、個人でそういったものを出版されている場合が多々あります。
 いろいろ当たってみましたが、現在良覚寺の報恩講で使っているのが
   名古屋教区発行『正信偈・念佛・和讃』
です。これは真宗大谷派名古屋教区が、蓮如上人五百回御遠忌を縁として発行した勤行本です。さすが名古屋、節譜が詳細に書かれている(詳細すぎるぞ)。
 この本、知る人ぞ知るって感じの本で、知名度が低い。本山がオフィシャルな本を出してくれればいいのに。全国から真宗門徒を名告る人びとが集う本山報恩講は、御影堂が満堂になりますよね。その時に御影堂から正信偈の声が響き渡っていたら、どんなに素晴らしいでしょう。誰かがそういう本を出さないようにしてるのかね(これが同朋教団の現状じゃあ)。
 とりあえず報恩講の勤行前にこれを配って、節等の説明をし、良覚寺報恩講勤行を勤めています。しかし、やはり慣れない。そこで少し大きな取り組みとして、「京都教区湖南地区教化委員会」という組織で、「報恩講声明講習会」を定期的に開催するようになりました。これは難しい節回しを習得することが意図ではなく、報恩講のお勤めに慣れる≠アとが目的です。
 もし、一般の御門徒の中で、このHPを見て、こんな本があるのなら、うちの寺でもって思う人があれば、手次寺の住職に相談してみてください。全国的な動きとして「報恩講をみんなで勤めよう」となることが、悪しき因習を変える一番の近道のようにも思われるし。
 2003年3月に出た「親鸞聖人七五〇回御遠忌」の「基本計画」の中で、宗派として「念仏和讃五淘」を僧俗共に勤めることができるような施策がなされるとありました。勤行本の制定、教化事業含めての施策です。期待大。




◇ あれは何してるの? ◇

【登高座の上で何かしゃべってるんですか?】
 報恩講の結願(けちがん/最後のお勤め)にお参りされたこと、あります?。
 住職が御本尊の前に置かれた礼盤(らいばん)に上がって、何かします。そして焼香して、何か読み上げてます。き・こ・え・な・い。何か読んでる時間がけっこう長いから、参詣者はザワザワしてくる。全く聞こえない、聞こえたとしても意味が分からないのだから、座ってるだけの時間が辛い。
 初めて報恩講で登高座した私は、ほんと型通りにやったんです。その後、御門徒から「あの上で何かしゃべってるんですか?」と聞かれました。
 あの礼盤を置いて登高座すること自体が、浄土真宗の儀式としてどうなのかという問題は、ひとまず置いておきます。
 「仏事あれこれ/報恩講/報恩講で何をする」にも書きましたが、あの礼盤の上で『報恩講式』『歎徳文』というものを読んでるんです。その勤式作法として微音≠ナ読むのが正しいんだって。
 『報恩講式』というものは覚如(かくにょ/本願寺第3代)上人が書かれた、「報恩講で親鸞聖人の遺徳を讃嘆する」ための文。非常に美しいし、大切なことが書かれています。最近は時間短縮のため、『歎徳文』といて存覚(ぞんかく/覚如の息子)上人が書かれた短い文しか読まない寺が多いようですが、それは意味のないこと。そんなことするくらいなら報恩講で登高座なんか止めちゃえばいい。
 しかし『報恩講式』を読むと時間が長くなるし、微音だと聞こえづらい。かりにはっきりと大きい声で読んでも、文の格調が高すぎて、聞いていて理解できないんですよね。


【『報恩講式』現代語訳】
 そこで良覚寺では2002年から、『報恩講式』の現代語訳を、はっきりとした声で読み上げるようにしました。住職が訳したので、かなり乱暴な訳ですし、しかも略してます。
 下記は2002年に読んだものですが、文章として読むとしんどいですね。でも耳で聞くとそうでもない(良覚寺坊守談)そうです。いちおうこれを紙に書いて参詣者に配りました。


現代語訳『報恩講式』

敬って、教主・釈迦如来、救主・阿彌陀如来、淨土三部経、八万四千の法門、全ての聖者、私たちに念佛の教えを伝えて下さった無数の念佛者、全ての世界の一切の三宝に申し上げます。
今、ここに、受け難い人身を受け、遇い難い佛法にお出遇いすることができました。
それは祖師・親鸞聖人のお導きによって、阿彌陀如来の因位・法蔵菩薩の時に建てられた本願を聴くことができたからです。
歓喜が胸に満ち、心底からお慕い申し上げます。
私が受けた大恩は、どれだけ言葉を尽くそうとも言い尽くすことはできないのですが、本願名号を念じて阿彌陀如来の御心にかなうことを願い、三つの徳を挙げて親鸞聖人の御教えを縁ある人々に勧めたいと思います。
一つには「本願興行の徳を讃じます」
宗祖・親鸞聖人は幼くして父母と別れ、比叡山延暦寺に登り慈鎮和尚を師と仰ぎ、多くの法門を学び、厳しい修行をされました。しかしその道は難行であり、煩悩の炎を消し去ることはできませんでした。 親鸞聖人二九歳の時、和国淨土教の元祖・法然上人に出遇われ、生死を出離する道を問答されました。まさにこの時、親鸞聖人は自力聖道門を離れ、淨土往生の易行の大道を選ばれたのです。
その後、親鸞聖人は越後、そして関東に移り住まれ、民衆に念佛往生の教えを説かれます。 最初聖人の御教えを批判していた人々も正しい信心を獲得し弟子となりました。 世間の中で迷い傷付いた者も、親鸞聖人の御教えを聴き、人間の尊厳に目覚めることができたのでした。 念佛往生他力本願の真宗が和国に広まった源流を尋ねたならば、親鸞聖人の御苦労によって起こり、御弟子達の本願を信ずる力から出たのです。
すみやかに南無阿彌陀佛を称え、聖人の御恩を報じようではありませんか。

二つには「本願相応の徳を讃じます」
念佛を頂く人は今も昔も多くあります。しかし専ら念佛一筋という人は甚だ希です。
淨土はただ心にあるのだと真証を貶めたり、自力によって淨土を明かにし真の信心を知ることのないものばかりです。
親鸞聖人は自他分別の自我を離れ、阿彌陀如来から賜った信心で南無阿彌陀佛を称え、佛の摂取不捨の光明の利益にあずかられました。
そして御自分が淨土に生まれられた因をしっかりと得て、本願念佛の御教えを多くの人々に伝えられたのです。
聖人は常に御門徒に語られました。「信ずることも謗ることも、共に因となって同じように淨土に生まれるのです」 世の中が乱れている悲しい時代社会にあって、常に流されるような生き方しかできない私たちが、もし親鸞聖人の化導にあずかることがなかったなら、どのようにして淨土に往生できましょう。
阿彌陀佛、釈迦如来の大慈悲心をいただき佛恩をこうむり、聖人の遺徳を担い、信心一つを思うべきであります。

三つには「滅後利益の徳を述します」
親鸞聖人がこの世におられたのは九十年でありました。親鸞聖人が教えを説かれたのは六十年、貴賎を問わず僧俗を問わず、多くの御門徒に御教えを説かれました。
しかしついに、弘長2年、西暦1262年11月28日、生涯にわたる念佛の歩みを完成し、念佛の息絶え淨土往生の素懐を遂げられました。
親鸞聖人に直に教えを請うことができなくなって749年が経ちました。その間私たち真宗門徒は毎年報恩講を怠ることなく勤めてまいりました。
報恩講に参詣する者は、廟堂に跪いて涙を流し、遺骨を拝み断腸の思いを消すことができません。 親鸞聖人はおられませんが、遺された御教えは真実の言葉となって私たちの耳の底に遺り、聖人が選述された聖教は多くの人を淨土門に導き、聖人が勧められた念佛は残された弟子によってなお広まり、淨土真宗が盛んなることは親鸞聖人在世を超えるほどです。
報恩講に集った一人一人他力の門に帰して、南無阿彌陀佛の念佛を称えましょう。
南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊
南無帰命頂礼大慈大悲釈迦善逝
南無帰命頂礼極楽化主弥陀如来
南無帰命頂礼六方証誠恒沙世尊
南無帰命頂礼三国伝燈諸大師等
南無自他法界平等利益

繰り返しますが、この訳は住職のもの。国文学に全くのド素人の訳ですので、問題があるかもしれません(って言うか、ほんとは問題山積なんでしょう)。ご指摘いただければ幸いです。


【報恩講表白】
 さらに2002年から『歎徳文』を読むのを止めました。その代わりに『報恩講表白』を住職が書いて読み上げてます。
 とりあえず『表白』を書いてみようと思って、住職が書いたものは、『現代語訳報恩講式』と内容が重複するし、表現も似てしまう。お勤め自体に変化がなくなってしまうので、『これからの真宗大谷派表白事例別集成』(四季社発行)を参考に、散文調のものに書き直しました。
 やってみて分かったことは、『表白』を作るのは難しいということ。私が親鸞聖人とどのような関わりをもち、どれほどの思いで「宗祖」と呼んでいるのか、言葉で表れてしまうから。でも、これを毎年更新していけば、怠け者の住職の学びになるなあ、などと考えています。
 これも参詣者に配布し、住職の教えのいただきの浅さをみてもらいました。



『2009年良覚寺報恩講表白』

今を去ること八百年の昔
小さいともしびが灯されて
人々ははじめて希望に出遇いました
人と生まれた喜びさえ見えぬまま
世俗の権力とそれを支える魔界外道に夢を奪われ
いのちを弄ばれながらも
なおそれを畏れ、しがみつき
こびへつらって生きるより他になかった人々は
碍り無き一筋の道と出遇い得て
歓喜するいのちを回復することができました

親鸞聖人
あなたが出遇われたいのちは
世のともしび
一切の差別を超え
それぞれがそれぞれのまま輝くいのちを証し
輝けるいのちを奪う殺戮兵器の
無用なる世界を見出します

親鸞聖人
あなたが出遇われたいのちを
確信と情熱をもって語られる
その前に私はいます
あなたの呼びかけ、
そして、あなたの教えを聞いて
いのちに目覚めた念佛者の呼びかけによって
今、私は南無阿弥陀佛を称えます

親鸞聖人
ブッダ釋尊によって説かれ
インド、中国、朝鮮を渡り
和国にまで伝えられた
南無阿弥陀佛の声は
あなたによって真実を証しされ
無数の念佛者に届き
そして私に届けられました
あなたが称えられた南無阿弥陀佛は
祖父が聞き祖父が称え、祖母が聞き祖母が称え
父に伝わり母に伝わり
そして私に届けられました

二〇一〇年、政治と経済は混迷を極め、行く先の見えない不安が時代と社会を覆っています。人々は指針になる思想や理念に出会うことができず、どう生きていいか分からないのです
ある人は言いました。「経済状態が悪く、政治不安のこの時代社会において、寺に行っている余裕はない。教えを聞く気持ちのゆとりがない」
親鸞聖人が浄土真宗を顕かにされた十三世紀は、平安時代末期から鎌倉時代初期、貴族社会が崩壊し武士社会の萌芽がめばえた、時代の過渡期でした。蓮如上人が良覺寺創建当時の我々の先祖先達に教えを説かれた十五世紀は、戦乱と飢饉の時代社会でした
我々の先祖先達は、時代社会が混迷し不安が渦巻いているからこそ、個個の生活が苦しいからこそ、親鸞聖人の教えに真の救済を求めたのです
我々が聞いている教えが本当に親鸞聖人の教えなら、今が混迷と不安の時代社会だからこそ、苦しい生活だからこそ、親鸞聖人の教えを求めるはずなのです
今を生きる我々は、我々の先祖先達が真に求め、全身全霊をかけて聞いていた親鸞聖人の教えを、本当に聞いているでしょうか
我々の聴聞の姿勢を、この時代と社会が問うているのです

今、私たちは濁り多い時代社会の中で
真を見ることができず、
生きていく道と生きていく居場所を見失っています。
親鸞聖人の生涯、親鸞聖人の教えは
暗闇の中で地を這うように生きている私たちの燈炬です。
親鸞聖人を憶うとき私たちには真実に生きて往く道が開かれ、
親鸞聖人を忘れるとき私たちは迷うのです。

親鸞聖人
あなたは今
私たちと共にここにいます

宗祖親鸞聖人滅後七四九年、国際暦二〇一〇年十一月二十一日
良覺寺住職釋願證
敬って白す






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