てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ いつかの夢の 空のよに 晴れたら 金の鈴あげよ てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ 私の願いを 聞いたなら あまいお酒を たんと飲ましょ てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ (浅原鏡村・作詞/中山晋平・作曲) |
「おもい」 鈴木章子 あーあ 思いどおりにならなくて ほんとうに よかった こんな汚ない根性で 思いどおりになっていたら 何人 人を殺したやら… 何人 敵をつくったやら… 今 太陽の下で おしゃべりに夢中になれるのも 思いどおりにならなかったおかげ… あーあ おもいどおりにならなくて 本当に よかったなあ… 癌だって おもいどおりにならない人生だもの あたりまえ… おもいどおりにならぬ恩恵 良かったなあ… (探求社発行『癌告知のあとで』より) |
末法(まっぽう)五濁(ごじょく)の有情(うじょう)の親鸞は人を救わない、人の問題に向き合えない教えは「龍宮」にある教えと言い切ります。海の底の置いてきぼり。実際にはたらかないという意味でしょうか。教えを龍宮に押しやっているのは、実は我々の教えを聞く姿勢、そして教えに生きる姿勢なんでしょう。
行証かなわぬときなれば
釈迦の遺法(ゆいほう)ことごとく
龍宮(りゅうぐう)にいりたまいにき
福ハ内、鬼モ内ですがね。浄土真宗系のお寺の子って、たいがいこうじゃないの?。
如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなしというものがあります。仏法には、大安や仏滅といった良い日悪い日を気にすることはない。まじない、占い、祈祷等はない、ということでしょう。しかし、人間には「吉日良辰をえらぶ」ことがあるのですよ。仏教もそういったことをしようと言うのではありません。仏教教団、寺院で現世利益を行っているというのは言語道断です。そうではなくて、現世利益にたよる人間の弱さを外して仏教はない、と言いたいんですよ。