共に
 越後・関東での生活をとおして親鸞(しんらん)聖人は、生きのびるためには、他をかえりみている余裕などもつことのできない人々のなかに、人間の裸の事実を見いだしていかれました。そして、この荒々しく生きる人々こそ、念仏してみずからの罪悪にめざめるとき、大悲の本願を生きるものとなることを確信されました。
 悪人こそまさに本願が救おうと誓った人々であったという悪人正機の教えは、その確信のうちにあたらしくひらけてきた世界でした。
 そして、この他力をたのむ悪人を、愚禿(ぐとく)と名のられた聖人は、御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)とうやまっていかれました。

東本願寺出版『宗祖親鸞聖人〜大悲に生きる─悪人正機─』より




弟子一人ももたず
 親鸞(しんらん)聖人の関東教化によって生みだされた念仏者たちは、その念仏の教えを人々に伝えることに情熱をかたむけました。やがて、有力な門弟を中心に、各地にあたらしい師弟関係をもった念仏者の集まりが生まれていきました。
 しかし悲しいことに、ともすれば、その師弟の関係にとらわれて僧伽をにごらせ、派閥的な争いをひきおこすことになりました。
 それだけに聖人は、つねに人の師となることへのきびしい自省の眼をもちつづけ、「名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむ」と悲歎され、「弟子一人ももたず」といいきられています。
 聖人の教化は、仏徳の讃嘆であり、命をつくしての仏恩報謝の歩みであったのです。

東本願寺出版『宗祖親鸞聖人〜大悲に生きる─弟子一人ももたず─』より






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