いちおうこのページが「Web良覚寺」のメインです。メインのわりに中身がないので、タイトルだけでも派手にしてみました(チカチカうるさいですが、文字を動かせるようになるために気の遠くなるような作業があったのです)。いろいろな形で「生きる」ということを問おうということなんですよ。





 私(住職)は名前だけ大学生の頃、哲学科・宗教学専攻なるところにおりました(そこしか受からなかったのさ)。大学には行っていたけれど、授業にはほとんど出たことなかったんですが、ゼミがビクトル・フランクルという宗教学者を研究しておったのです。なぜ、そのゼミに入ったのかというと、「テキストが英語だったから」にほかならんのですが。他のゼミはラテン語やらドイツ語やらで、私などテキストを読むこともできませんでしたんで(O先生ごめんなさい)。
 マジメにゼミの授業を受けていたわけではないのですが(まだ言うか)、テキストだった『死と愛』、サブテキストの『夜の霧』には強烈なことが書かれていましたし(私が読んだのはもちろん翻訳)、授業の中でも印象深い言葉がたくさんありました。
 このフランクルという宗教学者、アウシュビッツにおられたんですよ。フランクルの主張を私なりにいただくと「人はどんな状態、状況、環境であっても生きていける≠フだ」ということになります。ぼんやりとですが、生きていける根拠≠ンたいなもを学んでみたいと思っていたら、もう卒業でした。




 私がチンピラ大学生だった頃(もういいか)、恥ずかしながら「映画研究部」という所にいて、毎日遊んでおりました。そこは映画オタクの集まりではなかったなあ。外からはオタクの集まりに見えただろうし、テンションが高い集団でアブナイヤツラだと思われてましたけど。何ちゅうか体育会系のノリでしたし、きちんと80年代バブル時代のアホ遊びもしておりましたよ。
 年間200本ほど映画を観た時期もあります。5本立とか行ってたし。好きだったのは50年代、60年代のヨーロッパ映画でして、イタリアリアリズムなんて暗い映画たちは、これでもかというほど生きることの意味≠問い掛けます。




 大学を出て短期間ですけどサラリーマンをしておりました。サラリーマン2年目の時、京都駅の前で新興宗教の勧誘なるものに、初めて出会ったのでした。学生の頃は、そういう人たちが近づけないようなオーラが出ていたよう(服装がヘン、恐かったみたい)で、ほんと初めての体験。
 その宗教勧誘男が言いました。「あなたは、何のために生きていますか?」。
 「知らんちゅうねん」とか言って目の前から立ち去ってもらったんだけど、その問い掛けは印象に残ってますし、何でそんなこと自信満々に他人に言えるのかも疑問でした。




 サラリーマンをしておる時から、現在の奥さんとつきあっておりまして、どうも寺の娘だから結婚したら住職にならねばならんって話で。試験を受けて坊さんの免許(なんちゅう言い方)をもらう方法もあったんですが、その試験は難しいし、私は作法のことなんかまるっきり知らん。「大谷専修学院」という所に行けと言われて、嫌々嫌々嫌々嫌々嫌々・・・京都山科のその学校に行きました。何せその学校は全寮制。大学時代はバイトして好き放題遊んでいたし、サラリーマンの時は給料を全て自分のために使う生活をしていたもんで。
 それまで普通に暮らしてきた健康的な青年≠セった私は、寺だの坊さんだの仏教だの全く興味がなかった。というかフランクルを読んでからは不信感すらあったんです。宗教って、フランクルがいうような「生きることにうなずく」ことを教えるんだったら、寺とか坊さんとか何なの?。そんなこと私の周りにいた坊さんの口から聞いたことなかったし。
 その学校での生活態度はマジメに見えたと思います。私の感覚でいうと、サラリーマンから住職に転職する。住職になった時に、自分の商売の道具のことを知らなかったらダメだろうって感じ。
 その学校で1年生活して浄土真宗に対する考えが少しだけ変わったんですよね。とりあえず生活そのものは最低でしたけど、仏教というものは私たちが生きる≠ニいうことが課題になる。あったりまえですが、私は生きているわけで、生きる意味を分かりたいんだ、明かにしたいんだという思いは生きている事実があるからこそ持っている。そういう普遍的で根本的なことを仏教、浄土真宗は課題にするし、親鸞という人の教えの眼目もそこにあるんだ。そういったことが(これも)卒業間際で感覚的に分かってきたんです。それは誰に教えられたという個人じゃなくて、大谷専修学院という場所が教えてくれたように思ってます。


 坊さんになってからも生きるって何やろ?≠ニいうことを課題にする人は多し、そういった人たちの話を聞いて、生き方に出会って、色んな形で生きること≠ェ問われたこともあります。また、そのことを課題にしてこそ親鸞有縁の真宗寺院の手次寺住職なんだろうとおもっております。
 メニューにたくさんのコンテンツを作りましたが、全てが未完です。それはこのHPが閉鎖されるまで未完なんです(って言うか閉鎖されても未完)。
 色んな方面からコンテンツのテーマに合うような素材を探して来ようと思ってますし、思い付いたことを書きます。印象深い法話や講義を引いてきてたりもします。BBS(掲示板)やメールで教えていただいたことを許可をとって載せます。
 私自身の学び、ここに来てくれた人たちの学び(お勉強じゃないよ。人生の学び)になるような、そんなページを目指してます。








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