◇ 報恩講で何をする? ◇

【親鸞聖人の教えを讃嘆する】
 そえれでは寺院「報恩講」で何をするのかみていきましょう。
 まず、親鸞聖人のみ教えを讃嘆します。具体的には親鸞聖人の書かれた「正信偈(しょうしんげ)」を勤める。もし浄土真宗の勤行に慣れておられる方は、「なんや正信偈かいな」と思われるかも。「正信偈」の勤め方には色々なバリエーション(こういう表現、怒られるかなあ)があって、各座違う勤め方をします。そして親鸞聖人の書かれた「和讃」を勤めます。
 逮夜(たいや/夕刻の勤行。現在は午後2時頃から勤める寺が多い)では、『正信偈・真四句目下(しんしくめさげ)』といって、いつも勤めている「正信偈」よりも節(節譜)が多いものを勤めます。節が多いとお勤めがゆっくりになる。つまり丁寧にゆっくりと親鸞聖人の教えを聞き、讃嘆するのです。
 晨朝(じんじょう/朝のお勤め)には、『正信偈・真読』といって、音の上がり下がりのない(無淘)「正信偈」を勤めます。
 結願(けちがん/最後のお勤めという意味)日中(昼前のお勤め)には、親鸞聖人の書かれた『文類偈』というものを勤めます。そして最後の和讃が「如来大悲の恩徳は」という、浄土真宗の精神が最もよく表れた「和讃(わさん)」を勤めます。


【親鸞聖人の生涯を讃嘆する】
 そして「報恩講」では親鸞聖人の生涯そのものを讃嘆します。
 まず、どの寺院でもそうなっていると思いますが、広い方の余間(よま)に『御絵伝(ごえでん)』というものが荘厳されます。これは親鸞聖人の生涯を画で描いたもの。オリジナルを描かれたのは本願寺第三代留守職(るすしき)で、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如(かくにょ)上人です。
 さらに初夜(しょや/夜の勤行)に『御伝鈔(ごでんしょう)』という、親鸞聖人の生涯を書いた巻物を読み上げます。書かれたのは『御絵伝』と同じく覚如上人。
 『御絵伝』と『御伝鈔』は一つの絵巻物でしたが、画と書に別れました。


【親鸞聖人の遺徳を讃嘆する】
 さらに「報恩講」では親鸞聖人のお仕事、遺徳を讃嘆します。
 結願(最後のお勤め)には、式導師が登高座に上がり、『報恩講式(著者:覚如上人)』と『歎徳文(たんどくもん/著者:覚如上人の長男・存覚上人)』を拝読。どちらも親鸞聖人の遺徳を讃嘆する文です。この『報恩講式』が「報恩講」という言葉の初出だと伝えられています。
 「報恩講」には拝読する「御文(おふみ/著者:蓮如(れんにょ)上人)」も決まっていて、全て「報恩講」の心得、親鸞聖人の讃嘆の文です。


【良覚寺では・・・】
 ここまで型通りの寺院「報恩講」の有り様を書きました。都会の寺院では、こういった形で「報恩講」を勤めている寺は少なくなっています。また昔ながらの形式は残しているけれども、妙な略し方をする寺も増えてまいりました(登高座で『歎徳文』しか読まないとか。それで報恩講?)。
 かく言う良覚寺でも、見る人が見れば相当変わった「報恩講」を勤めています。もし興味のある方は「新しい仏事/報恩講」を見てください。




◇ 在家報恩講のススメ ◇

【矢橋には少ないですが…】
 もちろん一般の御門徒(もんと)宅でも「報恩講」を勤めます。
 滋賀県は蓮如(れんにょ)上人の教化があったから、「在家報恩講」を勤める在所が多いんですよ。守山なんか本当に盛んです。でも矢橋とか新浜には少ないんですよね。3代ほど前から良覚寺は兼職(住職の他に仕事を持つ)するようになって、無くなったと聞いています。いったん無くなったものを復活させるほどエネルギーの必要な作業はないのですが、何とかしたいと思っています。


【在家報恩講のススメ】
 「在家報恩講」は在所によって勤め方が異なります。近所の人が参り合ったり、親戚の人だけが参り合ったり。御斎(おとき/仏事の後の食事)を出す所もあれば、お茶菓子だけの所もある。
 良覚寺には「在家報恩講」の歴史がいったん切れてしまっているので、これから作っていけばいいんです。近所の人を呼びたければ呼べばいい、親戚を呼びたければ呼べばいい、友だちを呼びたかったら呼べばいい、家だけで勤めたかったら呼ばなけりゃあいいんです。
 今は寺院の報恩講で勤める「正信偈」を勤めています(真四句目下といって、節が多い勤め方)。そして「和讃」「回向」。「御文」を拝読して法話をしています。時間は50分ほど。
 お内仏に関して、前卓・上卓に打敷(あれば水引)をかけ、鶴亀(燭台)花瓶を一対に荘厳し、家にあれば『御絵伝(四幅を合幅したもの)』を床の間に掛けます。
 現在良覚寺を手次寺(てつぎでら)とされている家はもちろん、「在家報恩講」を頼みたいなあと思っていらっしゃる家も気軽に頼んでください。







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