■ コラム ■
私は人間を理解することが
とても下手で
すぐ人間を判断してしまう
── ボーヴォワール──
 私たちは人生のなかで無数の人と出会う。そして、その出会いのなかで人間を捉えようとするわけだ。ボーヴォワールの言葉は、私たちがどのようなかたちで人間を捉え、どのような出会い方をしているのかを思索する一助となる。
 「人間を判断する」とは、自分の生きてきた経験で人間(他者)をイメージし分類するという意味であろうか。例えば、あの人は古い考えの人だ、右寄りだ(若しくは左寄りだ)、ダメな人間だ、等々。そして問題は、そういったかたちで人間を分類できたことを、「人間を理解した」ことだと思い込んでいることであろう。つまり、自分は他者を理解したという姿勢こそが、実は傲慢なものなのだ。
 人が他者のことを本当の意味で全てを理解することなどできない、と思う。私たちにできることは、他者との出会いを通して、自分の持ち合わせている世界観が如何に狭いかを知らされることなのだと思う。
 仏教では私たちの物の見方を「有漏(うろ)」と教える。つまり、全てを見通しているいるつもりでも漏らすことが有る≠フだ。仏は私たちに、全てを見通すように能力を向上させよとは教えない。「有漏の身」を生きている自分自身を問題にせよ、と教える。
 他者と丁寧に出会うということは同時に、有漏の身を生きている自分と出会うということなのであろう。

■ True Living ■
報恩講講話録【中編】(2006/11/18.19)
──治田義行師──
 浄土真宗における「行」とは生活をするということです。他宗派の「行」は、護摩を焚く、滝に打たれたる、座禅を組む等々、特別なことをすることをいいますね。浄土真宗においては、在家の者として普通の生活を営むなかで、夫婦であり、兄弟であり、親子であり、人と人との関係のなかで問題になってきた自分の有り様を聞いていくことが「行」なのです。それを具体的にいえば、「仏法に私を≠ネらう」わけですね。私たちは今まで何十年も、「私が♂スかをならう」のだと思い込んできました。そうではなく、その私≠サのものを問題にしていく、つまり仏法を聞き私を≠ネらうわけです。
 私たちは他人のことはよく分かります。しかし、いざ自分のこととなると見えてこないことが多いわけです。自分のなかに抱えている、自分ではみえない闇がある。知識が豊富な方でも能力のある方でも、自分で自分をみる眼というものはありません。逆に自分に自信のある人間ほど自分がみえないということもあります。闇を持ちながら、それに気付かずに生活しているのです。こういった闇を抱えた自分の相を仏の光によって教えられていくわけです。
 善導(ぜんどう)大師という方は「もし行を学ばんと欲わば必ず有縁の法に藉るべし」と言われます。つまり、私たちが生活のなかで仏の法を聞こうと願うなら、「有縁の法に藉(よ)るべし」と。この「有縁の法」とは、人の話を聞けということです。安田理深(やすだ・りじん)という方は「人間の様々な経験のなかで聞くという経験は他の経験と全く異質なものである」と仰います。私たちは生活のなかで自己主張はしますが、聞くということはあまりありません。ふとしたとき、寺で聞いた法話や掲示板の言葉を思い出すということがあります。それが聞くということなのです。その思い出したことを通して、生活のなかにふと表れた本当の自分が浮き彫りにされるということがあります。
 今東光という方がおられました。この方が自分の連れ合いについて、こんなことを言っておられます。女房というものは自分の思い通りに動いておるときには、世界中の人間が死んでも俺と女房さえ残ればよいとおもえるほど可愛いもんだ。一度自分の言うことをきかなくなったら、殺してもあきたらんもんだ、と。奥さんにとっても旦那さんというものは、自分の掌のうえで動いているうちはいいけれど、思い通りにならなくなると、ダンナ元気で留守がいい、となります。親鸞(しんらん)聖人は「愛憎違順」と言われますが、私たちは自分の思いを中心に、愛おしい、憎たらしいという感情に左右されています。自分の連れ合いを愛するといっても、それは本当なのか。自分の愛は本当なのか。こういったことを常に問い返すことが、聞くということなのです。
 行者とは道を求めながら生活をする人のことです。親鸞聖人は行者として生きることを勧めておられます。それは特別な生き方をする人のことではありません。面白可笑しく、何か美味いことはないかと欲望を満たすためだけに生きる生き方は、人間の生き方ではない。行者として生きるのだ、と。行者としての生き方とは、日々の生活のなかで自分の有り様、自分の思いというものを吟味して生きるということでありましょう。【続】

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■ 耳をすませば ■
『ファンシィダンス』
──(監督:周防正行/制作:大映/1989)──
 現在、寺院で僧侶をしている人の多くは僧侶になるとき「坊さんになんかなりたくない」という思いを抱えていた、と思う。寺に生まれた、寺に入らねばならない、寺を継がねばならない等々、それぞれ事情を持ちつつ、自分は本当に僧侶になりたいのか、僧侶という仕事をしていけるのかという本音を抱えているわけだ。
 坊さんに成らねばならない事情と坊さんに対する様々な思いの葛藤を、コメディというかたちで描いた映画が『ファンシイダンス』だ。監督は『Shall we ダンス?』の周防正行、主演は本木雅弘。いわゆる今の若いヤツ≠ナある主人公が、実家の寺を継がねばならないという事情で本山(禅宗と思われる)で修行をする。修行の有り様を面白可笑しく描きながら、小さい台詞一つひとつに僧侶の本音≠ェ出てくる。
 若い僧侶の卵は、世間的にある寺院や僧侶を前時代的な古臭いものであるという認識が嫌という本音もある。しかし、僧侶という仕事の職責を自分は果たせるのだろうかという不安も大きい。ただ、坊さんの仕事はこんなんもんだ≠ニ答を出してしまう僧侶より、自分の仕事に不安や悩みのある僧侶のほうが面白い人物が多い。答≠ヘ歩みを止め、問≠ヘ人を歩ませるのだろう。

 

■ コラム ■
自分の座忘れて
人の座につこうとするさけ
むつかしなる
──山越初枝師──
 ある法話で聞いた話。その人は四〇歳過ぎてから家族全員連れて、ある寺に養子に入った。つまり、その寺を追い出されたなら年齢的に行く場所がなかった。だから、何とかその寺の門徒に好かれようと良い住職≠演じていた。
 ある時、その住職が月参りにいき、何気なく「私はコーヒーが好きで…」と喋った。小さい村のこと、住職のコーヒー好き≠ヘ直ぐに広まり、明くる月からどの家に参ってもコーヒーが出たそうだ。月参りが五件ならコーヒーが五杯。粉の分量が多すぎるコーヒー、砂糖が入り過ぎたコーヒー、マグカップになみなみ注がれたコーヒー…その住職は全てのコーヒーを飲み干した。良い住職≠演じるため、「コーヒーはもう結構です」とは言えなかったのだ。
 生きていく上で辛いことは、自分を生きているのに、自分ではない誰かの仮面を被って生きることではないだろうか。しかも、仮面を被ることでそれに囚われ身動きがとれなくなる。その仮面の正体を突き詰めると、自分の価値観や分別、物差しになるのではないか。先ほどの住職でいうなら、自分の分別心によって作り出した良い住職¢怩ノ囚われ、それが自分を苦しめていたのである。
 私たちは仮面の重さに耐えきれず苦しんでいる自分にすら気付けない。自分の存在を全肯定するはたらきに出遇い得て、私たちは被っている仮面が虚偽かもしれないと疑えるのである。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【後編】(2006/11/18.19)
──治田義行師──
 私たちは色々なものを知っているようですが、本当のものを見るということはありません。本当のものを見るということは辛いことです。殊に老病死ということはそうですね。誰しも老病死から逃れることはできませが、これを自分の現実として受けとめられないわけです。日ごろの私たちの感覚でいえば老病死は非日常であり悪いこと、若く健康に生きることが日常だと思い、これを善いことだと思う。しかし若く健康で生きること、そして老病死を含めて私たちの身≠ネのです。前者だけを善しとし後者を悪しきとするところに私たちの苦悩があります。老病死が現実のものとなったとき「こんなはずではなかった」と、自分の身の現実を受け容れられないのです。
 何年か前、富山出身の御門徒に誘われて、温泉旅行をかねてその方のお姉さんがおられる富山の村に美味しい水を汲みにいきました。その村は過疎で三軒ほどしか家がのこっていません。その一軒に九〇歳近いお姉さん夫婦が暮らしておられるわけです。お伺いしたのが昼時で昼食をいただきながら、その老夫婦と話しておりました。「うちのお爺さんは歳も歳だし足が痛いのに、毎日裏山に行って木を切っているんだ」と言われるので、何気なく私は「足が痛いのに大変ですね」と言いました。するとそのお爺さんの口から「約束事ですさかい」という言葉が出てきました。私はその一言を聞いて目から鱗が落ちました。自分の生活のなかで、老いや病によって足が痛くなり腰が曲がり若いときのように動けなくなる。お爺さんはそれを特別なことではない、「約束事」だと受けとめ生活されているわけです。この方にとって老病死に対する愚痴は出てこないわけです。この方は言葉を選んで「約束事」と言われたわけではないのでしょう。これは、このお爺さんの生活や生き方の中に、老病死を約束事として受けとめるということが溶け込んでいるということなのです。
 芥川龍之介に『河童』という小説があります。河童の世界では、お母さんの胎内に赤ちゃんがやどると、医者が生まれる前の赤ちゃんに生まれたいかどうか訊くのだと。それに準じ仏の教えにかえして言えば、私たち一人ひとりが父と母を縁≠ニして生まれた。それでは生まれた因≠ヘ何かというと「自らの業識」であると。業識とは「生まれたいという思い」です。我々は生まれ出る前、仏と約束をしたのです。お前は生まれたいと言っているが、生まれたとき老病死というものを抱えてしまうけれども、それでもよいか、と仏は訊ねたわけです。私たちは、それでよい、と応えたから生まれたのです。しかし、それを忘れて、病になり、老い、死ぬのは嫌だと、老病死を受け止めることができないわけです。
 私たちの本当のこと(実相)を受け止めて生きることを「自己受用」といいます。私たちが生きている命とは老病死を含んだものです。自己受用とは、衰え終わっていかねばならない命を生きている自分をそのまま受け止めることであります。現代という時代は、人間の欲望を無制限に拡大していきます。それは老病死というものを嫌いそれを見えにくくする世の中を作ってきました。この現代という時代において、実相に目を逸らさず本当の姿を受け止める生き方が求められているのです。【終】

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■ 耳をすませば ■
『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』
──(著者:森達也/岩波新書)──
 プロレスに筋書きがあり、レスラーは何らかの役を演じているというのだということは、今では多くの人が知っている。その役には善玉と悪玉があり、その役割や筋書きは時代社会を色濃く反映しているのだ。力道山時代、善玉・力道山は日本人のヒーローとして悪玉・アメリカ人を空手チョップで倒し、戦後日本の復興を象徴した。今では多くの人が知っているように力道山は北朝鮮出身である。民族の誇り、そして望郷の思いと、演じなければならない日本人のヒーロー≠フ狭間で苦悩したと伝えられる。
 善玉の力道山とは逆に「卑劣なジャップ」という悪役を演じ、全米で人気を博したのがグレート東郷だ。「東郷」の名は大戦の悪役%件英機からきている。もんぺと下駄をはき、ニヤニヤ笑いながら相手に塩を投げ目つぶしをする。グレート東郷は徹底的に日本人を貶めることで、悪役としての地位を確立した。
 そのグレート東郷の内実に迫ろうとするのが『悪役レスラーは笑う』である。「卑劣はジャップ」という役を東郷はどのような思いで演じたのか。フェイク(作り物)として卑劣なジャップとしての顔の下にある東郷のシュート(真剣)な感情を、東郷の出身国や民族を探ることで迫ろうとする。

 

■ コラム ■
今、いのちがあなたを
生きている
──真宗大谷派 親鸞聖人七五〇回御遠忌テーマ──
 2011年は浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)聖人の七五〇回忌にあたる。この年は浄土真宗各宗派において「親鸞聖人七五〇回御遠忌(ごえんき)」が厳修されるわけだ。浄土真宗各宗派はこの御遠忌を勤めるにあたり課題にすべき問題を検討し、それぞれの宗派がそれぞれのテーマを決定した。そのなかで、我が真宗大谷派は「親鸞聖人七五〇回御遠忌テーマ」として、この「今、いのちがあなたを生きている」を選んだ。
 「今」とは如何なる時代か。親鸞聖人はご自身が生きられた今≠「五濁(ごじょく)・末法(まっぽう)」と喝破された。濁(にご)り多く、人々は確かな拠り所を見失っている、という意味であろうか。その時代社会において「いのちがあなたを生きている」という佛の呼び掛けを聞き続けられた。人々の日常の意識は「私がいのちを」となるのだろう。まず、理知分別のある私があっていのちが私に従属する有り様だ。いのちを所有しているように錯覚し、私の分別心でいのちの価値をはかる。そのような私≠ニいう意識を超えて、いのちの奥底から聞こえてくる声がある。それは、いのちを物質化し所有化する私≠傷(いた)む声だ。私が時代社会に翻弄され、流されて生きようととも、どの時代でも社会でも変わることなく傷みとして表現され続けたいのちの声なのだ。
 私たちが生きる今≠ヘいかなる時代社会なのだろうか。その今≠どのような者として生きているのだろうか。

■ TrueLiving ■
覚の会1月例会講話録(2007/01/19)
──佐藤賢隆師──
 今日は『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の「「回向(えこう)というは、弥陀如来の、衆生(しゅじょう)を御たすけをいうなり」と、おおせられそうろうなり」という部分を皆さんと一緒に考えたいと思います。
 佛教に縁をもったことのある方なら「回向」という言葉を目にする機会を多くもたれると思います。他宗であればお布施の表書きに「回向料」と書く場合があります。これも他宗ですが僧侶や参詣者がお勤めすることそのものを回向という場合があります。これで分かるように、この回向という言葉は浄土真宗独自の言葉ではなく佛教全般で使われます。
 回向は「回(まわ)し向(む)ける」と書きます。「回(めぐ)らして、さし向(む)ける」という意味なのですが、佛法の教えに遇い、教えを受けたとき、その教えを自分だけに止めず、他の人にもさし向けていくわけです。つまり、自分が積んだ善根功徳を人々や生き物のために振り向けることが回向です。他宗で「回向料」と書く場合は、お勤めなどを通して僧侶からこういった意味での回向を頂いたことに対する御礼です。またお勤めそのものを回向と呼ぶのも、お勤めを通して善根功徳を先祖に回らしさし向けているわけです。しかし、これは他宗に限ってのことで浄土真宗では回向という言葉を、こういった意味で使いません。これは回向という言葉そのものの理解の仕方が真宗は違うからです。
 親鸞(しんらん)聖人は回向を「他力の回向」「如来の回向」と言われました。つまり、回向ということは阿弥陀如来のお仕事なのですよ、と言われるわけです。もっと言えば、我々人間が善根功徳を積んで他の誰かに振り向けるなどということはできない、と言われるわけです。
 この回向ということが、浄土真宗の門徒であってもはっきりしないから、色々なものに迷うのかもしれません。他宗の影響をすぐに受けたり、テレビ番組に出ている占い師の言葉で考え方が変わったりする。これはやはり回向ということを、どのように受け止めているのかが問題なのでしょう。どのように私は私自身を受け止めているのか、如来はどのように私というものを教えているのか、そしてその教えて頂いている如来とはどのような存在なのかということを知らないということが問題なのです。
 蓮如上人は「回向というは、弥陀如来の、衆生を御たすけをいうなり」と言われます。つまり、回向ということは如来から私たち衆生にさし向けられた、はたらきのことなのだと、はっきり言われるわけです。日暮らしのなかで自分自身のことを見つめ直すということもなければ、他者と向き合っても「我が、私が、自分が」ということを止めることができない。そのような私に対して、私とはこのような生き方をしていると教えられる視点を生じてくる。如来と向き合うことで、自分と向き合う眼が生じる。これが回向なのです。
 お勤めの最後に「回向文(えこうもん)」を勤めます。いわゆる「願以此功徳(がんにしくどく)」の文ですね。「願わくは、この功徳をもって、平等に一切に施して、同じく菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)して、安楽国(あんらっこく)に往生せん」。自分に届いた如来の功徳が一切の生きとし生けるものに届き、共に安楽国と呼ばれる浄土に往生したいという願いの言葉です。私たちになかで生じた願いというものも、私が起こした願いではない。阿弥陀如来から頂いた願いなのです。

■耳をすませば■
『これでわかった!部落の歴史』
──(これでわかった!部落の歴史)──
 大阪の飛鳥会事件をはじめとする、部落解放同盟の一部の人と同和対策事業との利権をめぐる癒着が露見し、同和行政や解放同盟、解放運動そのものの社会的な信頼が失墜しました。こういった事件の報道の在り方にも問題があるのでしょうが、また「同和は恐い、同和問題は面倒」という風潮が強められ、差別が助長されうることが危惧されます。
 解放運動とは何かというと、階級闘争運動という意味だけではなく、「自らを自らの差別心という呪縛から解放していく運動」という意味をもつはずです。つまり、同和問題に関する利権がらみの事件が続発するなかで問われることは、その事件を成り立たせている我々の差別心≠ネのです。ですから、解放同盟による同和利権が云々されるかこそ、我々は同和問題、被差別部落の問題を学ばねばならないのしょう。
 その同和問題、部落差別問題を学ぶというとき、『これでわかった!部落の歴史』は最適な入門書と言えます。最新の研究による被差別部落の起源や歴史を学ぶと、一昔前に我々が学習した部落史がいかに間違っていたかが分かります。基本中の基本は、出来るだけ正確な歴史を学ぶことから始まるのです。

 

■ コラム ■
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
──親鸞聖人『源信和讃』──
 エルサレムの町にアビール・アラミンという十歳になる少女が住んでいた。パレスチナ人である。彼女は学校の帰り母親にカードをあげようと雑貨屋に寄った。「永遠に大好きです」と書かれたカードを選び外に出たアビールら数人の子どもたちに、突然イスラエル国境警察が攻撃を仕掛けた。アビールは逃げようとして転倒。頭を強く打って二日後に亡くなった。
 アビールの父親をバッサムという。彼はイスラエル軍に殺された娘を前にこう言った。「戦闘による報復は求めない。イスラエルとの共存への活動を全力で進める」。
 若い頃のバッサムはイスラエル軍と闘い、七年間イスラエルの刑務所に服役した。そのとき、拙いヘブライ語でパレスチナ人の権利を否定する看守と八ヶ月話し合った。そして最後にその看守はパレスチナ人の権利を支持すると言ったそうだ。二〇〇四年、バッサムら元パレスチナ戦闘員と元イスラエル兵が「平和のための戦士」という団体を作り、敵味方の関係を超えて共に体験談を話し合っている。
 人の憎しみは憎しみを生み出す。しかし、人の悲しみと悲しみは共鳴する。共鳴した悲しみは憎しみを超えて、人間そのもの、そして人間が生きる世そのものを悲しむ世界へと転成する。人間の奥底にある悲しみを通して、人間と人間は本当の意味で繋がることができる。この悲しみの歴史を「大悲の本願」というのだろう。

■ TrueLiving ■
永代経講話録【前編】(2006/03/21)
──平原晃宗師(京都綴喜郡・正蓮寺)──
 昨年、この良覺寺様では蓮如(れんにょ)上人の御遠忌をお勤めになりました。それは大変なご苦労のなかでお勤めになったわけですが、ただお勤めをしたということにとどまらず、御遠忌を通して蓮如上人の教えを確認していくことが大事なことであろうと思います。本日はその蓮如上人の書かれた『御文(おふみ)』を通して、蓮如上人の教えをみていきたいと思います。
 この『御文』に「数珠」というものがあります。この『御文』の言葉を見ていきますと、「そもそも、この三四年のあいだにおいて、当山の念仏者の風情をみおよぶに、まことにもって他力の安心決定せしめたる分なし」とあります。ここ数年、本願寺の様子をみると他力の信心を持っておられる方は少ないと仰るわけです。なぜそうなのかというと、「そのゆえは、数珠の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。」であると。つまり、なぜ他力の信心を持つ人が少ないと分かるのかというと、数珠を持つ人が少ないからだと蓮如上人は言われるわけです。それに付け加えて、数珠をもたないということは、仏を手掴みにすることと同じなのだと言われます。
 この「仏様を手掴みにする」とはどういうことなのでしょうか。私はこの蓮如上人の言葉を、仏様をどうとらえていくのかという問題だと思っております。御本尊という言葉がありますね。この御本尊は「尊いもの」なのか「尊いこと」なのかという問題ですね。我々が合掌するとき、尊い仏様がおられるから手を合わせるのか。我々が拝むという行為のところに仏様がおられるのか。
 先日、私がおります寺に私の同級生がやってきました。私は留守にしておりましたので、母が対応しました。その同級生は仏像を出し、「この仏像には価値がある。これを買ってくれ」と言い出しました。事情を聞くと、その仏像は同級生の母親が大切にしていたものである。その母親は二年前に亡くなったが、それ以来、良いことがない。死んだ母親はこの仏像を売って生活の足しにせよと、多分言っていると思う。だから売りに来たのだ、ということでした。それを聞いた私の母は、「あなたが売ろうとしているのは、あなたの母親の願いではない。あなたの都合である。あなたは仏像を物と考え金に換えようとしているが、仏様は拝む人がいて仏様として成り立つのではないか。拝むあなたがいなければ、どれだけ価値のある仏像でも、それは単なる木ではないのですか」と応えたそうです。
 御本尊といっても「尊いもの」なのか。そうではなく我々が手を合わせることによって仏様が仏様として成り立つ。何よりも大切なのは我々が手を合わせることのできる自分になるということです。御本尊は物体ではなく「尊いこと」、つまりはたらき≠ナす。我々が手を合わす背後にはたらくはたらき≠ナす。頭を下げる私ではなく、頭が下がる私になる。このことの証としての御本尊なのです。
 私たちは自分の思いや都合がかなったときにしか手を合わせ感謝できません。自分が生かされているということに気付かせいただくことに感謝がある。そして頭が下がるわけです。「仏様を手掴みにする」とは自分の都合で仏様と関わることでしょう。本当に頭が下がれば手を合わす。その証として数珠のなかに手を入れることができるのです。

【後編へ】

■ 耳をすませば ■
『お葬式』
──(監督:伊丹十三/制作:1984)──
 田舎の人は、親戚や隣近所の付き合い≠ニいうかたちで葬式に関わる機会を多く持つ。葬儀に関われば関わるほど、葬式の段取りを熟知し滞りなく葬儀を執行できるようになる。ところが、家人や親戚、殊に葬儀の舵取り人が葬儀に不慣れであると大変だ。様々な不手際が起こり、こっち(住職)がヒヤヒヤすることもある。
 最近では葬儀会社が入り、ときには葬儀会館で葬儀を行うことが増えた。そうすると遺族、親族は葬儀会館に行くだけ。何もしなくていい。僧侶との打ち合わせすら葬儀屋がやるのだから。人間関係が希薄になってきたと言われるが、具体的には冠婚葬祭の全てを人と人とのつながり≠ナはなく、金≠ナ片付ける時代になってきたということだろうか。
 伊丹十三監督作品『お葬式』は、都会人が葬式という田舎の儀式を、主催者として執行するために奮闘する話である。主人公は文化人であるが葬儀には無知。そこで生じる滑稽にして悲惨、しかしどこか温かい世界を描く。
 今、この主人公が葬式を出すのなら、金を払って葬儀会館を使うだろう。滞りなく葬式を済ますことはできるだろうが、そこには映画『お葬式』にあるような人と人の繋がりが作る温かい世界はない。


 

■ コラム ■
自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、
曠劫より已来、
常に没し常に流転して、
出離の縁あることなしと信ず。
──善導大師──
 昔、四国松山の荏原に衛門(えもん)三郎という欲深い長者が住んでいた。ある時、この男の屋敷に僧が托鉢に来たが、衛門三郎は施しを断る。すると、次の日も次の日も僧は托鉢に訪れ、八日目、怒った衛門三郎は僧の鉢をたたき割ってしまう。その後、衛門三郎の子どもが次々に変死してしまった。自分が僧に行った所業のために子どもが死んだという自責の念から、衛門三郎は全財産と家族を捨て、その僧に一言詫びをするため、四国巡拝に旅立った。ところが20回四国を回っても、その僧と出会うことができない。
 疲労困憊で病になり、歩くこともままならなくなったとき、「私の歩き方が間違っていたのかもしれない。反対に回ってみよう」と思い振り返った時、あの僧が立っていたという。
 我々は自分を大事にしたい、自分が思い描く自分に成りたいと願い、そういった自分こそ本当の自分であると信じ、日々努力をする。ところが、自分の思い描く自己が実現できないとき、我々は自分自身に裏切られたと絶望してしまうのである。自分の思い描く幻想の自分が本当の自分ではない。今、ここにある自分──どうしてみようもないそのまんま自分こそが本当の自分であると信じることから、本当に生きるということは始まるのだろう。
 前ばかり向いていては見えないものがある。振り返ってこそ見えるものがある。我々は、今、ここにある自分が見えているだろうか?

■ TrueLiving ■
覚の会3月例会講話録(2007/03/19)
──沙加戸崇師(大津市・響忍寺)──
 昨年、良覺寺に私が来たとき『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の第53条を学びました。それは、法慶(ほうきょう)という蓮如上人のお弟子が、長く聴聞しても、心が聞いた通りにならないという内容でした。これを受けて次の第54条には、「実如(じつにょ)上人、さいさい仰せられ候う。「仏法のこと、わがこころにまかせず、たしなめ」と、御掟(ごじょう)なり。こころにまかせてはさてなり。すなわち、こころにまかせずたしなむ心は、他力なり」とあります。ここで重要なことは「仏法のこと、わがこころにまかせず、たしなめ」という言葉ですね。法慶が、心が聞いた通りにならないのは、あなたが心にまかせて&キいているからだということです。
 我々が仏法を聴聞する、教えを聞くというとき、聞いた後にこうなるのだというイメージを持っているように思います。例えば、仏法を聴聞したら心が晴れやかになる、人生の問題が解決していく等ですね。悩みや苦しみが無くなるという方向で仏法を聴聞するという行為をとらえている。浄土真宗では「仏恩(ぶっとん)報謝(ほうしゃ)」「感謝」という言葉を大事にします。しかし、悩みとか苦しみといった自分にとって都合の悪いことが無くなることが仏法聴聞の功徳なのだという聞き方に立っていると、「仏恩報謝」「感謝」も違う方向にいってしまうと思います。それは、隣の家より良い暮らしをしているから感謝しよう、今日も健康だから感謝しよう、といったあきらめ≠フような感覚の「仏恩報謝」や「感謝」ですね。それでは、親鸞(しんらん)聖人が言われるような「仏恩報謝」「恩徳」「感謝」とはどのようなものなのでしょうか。
 そのことを念頭におきながら『御一代記聞書』の第54条をもう一度読みます。「仏法のこと、わがこころにまかせず、たしなめ」ですから、自分の心にまかせて 仏法を聞いても、得手勝手な理解にとどまる。「感謝」に関しても、自分の都合を満たすときだけの感謝になってしまうわけです。「感謝」ということは、救われたということがあって、自ずから生じます。この救いの内容が問題なのでしょう。それは、悩みとか苦しみがなくなって救われるということではありません。目の前にある悩みや苦しみを問題にするのではなく、外に悩みや苦しみの原因を見出していた自分自身が問題になってくるということです。自分中心に何でも思い通りにしたいと思い生きれば、それを邪魔するものが必ずでてきます。そのとき、我々は苦悩を感じるわけです。その苦悩の原因を外に見出してしまうのが、自分の心にまかせた@Lり様ですね。そうではなく、その自分自身の在り方そのものが問題になっていく。自分自身の在り方そのものに「覚める」わけです。そこには、自分自身に覚まされたというかたちの救い、そして覚まされたということに関する感謝があります。
 しかし、自分自身の有り様に覚まされたからといって、苦悩はなくなりません。そして、目に前にある問題を乗り越えていけるかどうかも分かりません。苦悩が簡単に感謝ということに変わるなどあり得ないと思っています。何かの拍子に、ドキッとさせられたり、ハッとさせられることを、まず大切にして生活をはじめていくことの大事さを感じています。

■ 耳をすませば ■
『他人を見下す若者たち』
──(監督:速水敏彦/講談社現代新書)──
 2006年に出版されて話題になった本である。著者は速水敏彦氏という名古屋大学教授。内容は「現代若者評」。速水氏の専門は心理学であるが、心理学的に現代の若者を分析したというより、著者が大学教員、中学・高校の校長して現代の若者と出会い、皮膚感覚で感じた「若者評」が展開する。
 この本の現代若者を解くキーワードは「仮想的有能感」である。自分が有能であると感じるためには、それを裏付ける実力や実績が必要である。そこに仮想≠ニいう言葉がつくから、全く根拠なく自分が有能である、自分はエライと思い込むわけだ。現代は格差社会であり、勝ち組・負け組という概念が強まっている。負け組になりそうな若者が、自分はエライと思い込み、他人を見下すことで自尊心を守ろうとするのだという。
 私には、この本に書かれているのは「若者評」はではなく「現代日本人(若しくは自分=j評」と読めた。自分を大切にしたいという願いは誰しもある。その願いがねじ曲がり、他人をバカにする、そして直ぐにキレる。我々現代を生きる大人たちは常に、社会的落伍者になる危機を抱え、無意識に自己防衛としてこういったことを、日常生活のなかで繰り返しているのではないだろうか。

 

■ コラム ■
門徒、
ものしらず
 「門徒(もんと)ものしらず」という言葉がある。門徒≠ヘ真宗門徒≠ナある。よく仏法を聴聞されている方は「門徒ものしらず」は「門徒物忌み(ものいみ)しらず」の意味だと分かるだろう。物忌み≠ヘいわゆる迷信。門徒は因果の道理を学び、祈祷や呪いを行わず、占い等の迷信に頼る生き方をしないという意味である。現在「門徒ものしらず」を、こういう意味として語ることが多い。
 他宗の人は我々を先達を揶揄して「門徒ものしらず」と言った。それは現在語られるような「門徒物忌みしらず」という枠組みだけの話ではないのではないかと思う。真宗門徒の生活全体をみて「門徒ものしらず」と称したのだ。
 我々の先達は、教えを通して阿弥陀如来から自由や平等、平和を見出されてきた。それは人間が概念として考え出した思想ではなく、如来から見出された人間観である。そして、その如来から見出された人間観が真実であるかどうか、それぞれの時代社会の中で問う生き方をしてきたのだ。時に差別構造をもった社会の中で、時に生き方を規制されるような不自由な社会の中で、如来から見出された人間観を一大事として命懸けで生きた。世間の中で世間に逆らいながら生きた我々の先達を、世間の中で生きる人々は「門徒ものしらず」と揶揄したのだろう。
 聴聞によって研ぎ澄まされた感性をもち、世間の中で世間そのものを問う生き方をした、その生き方が「門徒ものしらず」なのである。

■ TrueLiving ■
永代経講話録【後編】(2006/03/21)
──平原晃宗師(京都綴喜郡・正蓮寺)──
 数年前、私の友人が自殺をいたしました。彼は在家出身ですが仏教を学びたいと志をたて、仏教系の高校に入学してきたわけです。その高校で私は彼と出会いました。私は家が寺だから仏教系の学校に来ただけでした。しかし彼は学びたいという志を持っていましたから、非常に熱心に学んでいました。その後、大学、大学院にすすんでも、その姿勢が崩れることはありませんでした。彼は在家なので帰る寺はありません。そこで、ある寺に入って、縁のある人々と共に仏教を学んでいく生き方を選びました。
 その彼が自殺をしたわけです。そのことを聞いたとき驚きましたし、「なぜ、死を選んだんだ」という思いでいっぱいでした。お葬式にお参りしましたが、ご家族の悲しまれる姿を見ると何とも言えず、言葉がありませんでした。最初、私は彼の自殺に対して寂しさや悲しさしかなかったのですが、ご家族やご門徒さんのお姿をみていると怒りが湧いてきました。なぜ自ら死を選んだのか。仏教を学んでいながら、いのちを真正面から問う住職でありながら、なぜ自殺をしたのか。
 彼の死からしばらくして、ある寺に法話に行きました。その時も、仏教を学んだ者が自殺することが納得できないし、私は怒りを持っているのだということを、その住職にお話させていただきました。私の話を黙って聞いていた住職は、一言だけ「拝むことができないんやな」と言われました。その話を聞いて思ったことは、自殺した彼の在り方でした。彼は確かに仏教を一生懸命勉強はしていたけど、拝む、手を合わすことはしなかった。仏教の勉強を熱心にしていても、手を合わせるということがなかったら、本当に仏教に出会ったことにならない。私は住職の話をこのように理解しました。
 お釈迦様のお弟子のなかにも自殺をされている方が三人おられます。この三人の方が自殺された後、お釈迦様は他のお弟子に話をされたことの内容が共通しております。お釈迦様はどのお弟子が自殺された後もその行為を非難することはされません。そして「彼らは般涅槃した」と言われた。つまり、自殺をしたけれど、いのちを全うしたのだと仰ったわけです。その言葉に続けてお釈迦様は、「自らの身体に傷を付ける者は波羅夷(はらい)罪になる」と言われる。波羅夷罪とは教団を追放になる、教団で一番重い罪なのです。
 お釈迦様は自殺していかれた方々に対しては一言も非難されません。そして生きているお弟子達には、自らを傷付けることを厳しく戒められている。このことを知ってから、改めて私が法話にいった先の住職との会話を思い出しました。私は自殺した彼を非難しかしなかった。その私に「拝むことができないんやな」と言われた住職。私はこの言葉も自殺した彼を非難する言葉と受け取っていましたが、そうではなかった。彼を非難しているお前自身は本当に彼を拝むことができたのかという問い掛けだったのです。彼との御縁に有り難うの一言もなかったのか。それどころか批判しかしていないではないか。こういうことを住職は言いたかったのではないかと思います。
 親しい人が亡くなったとき、亡くなった人を通して我が身を気付かせていただくような関わりが大事なのだと思います。それは、亡くなった人は生きている私にどのようなメッセージを持っておられたのかを聞く耳を持つことからはじまるのです。

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■ 耳をすませば ■
シリーズ宗祖旧跡〜親鸞聖人誕生の地『日野誕生院』
──(京都市伏見区日野西大道町19)──
 2011年に厳修される親鸞聖人750回御遠忌にむけ、不定期にこの欄で宗祖親鸞聖人のご旧跡を紹介いたします。
 第一回は「日野誕生院」。この寺は親鸞聖人生誕の地と伝えられています。
 この誕生院の近くに真言宗寺院の法界寺があります。法界寺は藤原氏の流れをくむ日野氏≠フ氏寺でした。この法界寺を建立した日野資業から五代後の子孫を日野有範といい、皇太后の大進という役職にあったそうです。親鸞聖人はこの日野有範の長男として、この地に生まれられました。
 親鸞聖人は九歳で出家得度し比叡山延暦寺にあがられます。名門貴族の長男であった親鸞聖人が、なぜ僧侶にならねばならなかったのかは分かっていません。日野家そのものが没落するような事情、もしくは事件があったのでしょう。
 1931年、浄土真宗本願寺派(西)が親鸞聖人の生誕の地を記念して、この地に「日野誕生院」を建立しました。現在、日野誕生院は西本願寺の飛地境内となっています。
 ここには親鸞聖人の産湯に使われたという井戸や胞衣塚があります。また、親鸞聖人六歳の姿を写した銅像、九歳の得度の時に詠まれたという和歌の石碑があります。

 

■ コラム ■
死者たちよ
安らかに眠らないでください
石棺を破ってたちあがり
飽食の惰眠に忘却する
生きている亡者を
はげしくゆすって
呼びさませて下さい
── 栗原貞子氏──
 広島の原爆死没者慰霊碑には周知のごとく
安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから
という言葉が刻まれている。この「過ち」の主語は全人類である。全人類が広島長崎の惨事を繰り返してはならないという誓い。そして、全人類が核兵器の存在、いや全ての殺戮兵器の存在を認めない、国家間の争いを武力で解決しようとする行為を否定する世界を実現しようという誓いである。
 広島長崎から六二年が経った。世界をみれば常に戦争の惨禍が報道されている。パレスチナ、イラク、アフガニスタン…今でも、世界のどこかで戦争という人間の行いによって人が死んでいる。我々と同じように家族をもち、友と語り、笑顔で生きたいと願う人々が、一発の銃弾、一瞬の爆撃で殺されているのである。人類は過ちを犯し続けているのに、そのことが私の課題になってこない。真摯に戦争の問題に向き合うことができない。
 自身も被爆され原爆詩人として多くの詩を残された栗原貞子氏が語る「飽食の惰眠に忘却する、生きている亡者」とは誰か?。同じ人類の問題を自分の問題とできず、どこか他人事として済ませている私自身のことではないか。そして、私という亡者が亡者としての自覚に立てる道は、戦争で殺された人の声なき声を聞くことなのではないか。

■ TrueLiving ■
覚の会5月例会講話録(2007/05/19)
──山本靖師(大津市・萬福寺)──
 今年の三月、私が住職をしております大萱の萬福寺で蓮如(れんにょ)上人500御遠忌が勤まりました。御遠忌は勤まるまでが大変でした。しかし、御遠忌が終わって全てが終わったということではありません。御遠忌のときに読んだ「表白」に、「念仏道場としての原点に立ち返って、仏法聴聞に励み、念仏申して生きる道をたずねてまいります」と言いました。こういったことの実現にむかって精進していくかぎり、御遠忌は終わらないのではないかと思います。
 それでは御遠忌はいつ始まったのか。二年程前に御遠忌の厳修が決定しました。しかしそれだけでなく、この御遠忌が勤まるまでどれだけのご縁があったのか。萬福寺は約520年前に創建されましたが、そういったご縁がなければ御遠忌を勤めることもできませんでした。御遠忌に到るまでの無数のご縁について考えさせられたことです。
 我々一人ひとりが生きているということにも同じことが言えると思います。よく言われることですが、我々から先祖を十代さかのぼると千人、二十代で百万人、三十代だと十億人いると言われます。実際は重なっているから、いのちは一つです。私が生きるということも、母親から生まれて心臓が止まるまでが生と思いがちですが、先程の御遠忌と同じように考えるとさかのぼれます。つまり、私には無限の背景があるわけです。そういった意味で、真宗大谷派の親鸞(しんらん)聖人七五〇回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」のいのち≠ヘ、私がいうところの「無限の背景」そのもののことでしょう。その無限の背景からの呼び掛けがお念仏であると言われます。
 先般、あるお寺を訪ねたとき、池田勇諦(ゆうたい)師の言葉が掲示板に書かれていました。「生かされているとは、結論ではなく、出発点である」。結論といったときは、先程私が言ったような、「私には無限の背景がある」ということが「わかった」ということでしょうか。つまり、「私はそのことに気が付いた」ということにとどまるということです。池田先生は、生かされているということは結論ではなく、「出発点」である、と。つまり、自分は生かされていると知らされたときに、今、私がどうであるのか、私の生き様がどうなっているのかが問われてくるわけです。無限の背景を背負って私は生きている。そのことが分かったということだけでなく、自分の生き方が何と恥ずかしいことか。毎日、自分勝手に他人と付き合いながら日常生活をおくっている自分が問題になってくるわけです。
 『蓮如上人御一代記聞書』に、大阪の主計(かずえ)という人が出てきます。この方は常に念仏を申されていた。髭を剃るときまで念仏を申されていたので、いつでも顔を切ってしまっていたということです。一般の人は、念仏を称えようと意識して称えます。しかしこの主計という人は、いつでも念仏を申しておられたわけです。主計という方は、生活のなかでお念仏されていた。つまり、生活のなかで無限の背景からの呼びかけを聞き、自分の生き方を確かめられていたのです。
 蓮如上人は念仏のいわれを聞けと言われます。それは念仏の解説を聞くのではなく、念仏という無限の背景からの呼びかけに耳を傾けよということなのだと思います。

■ 耳をすませば ■
『夕凪の街 桜の国』
──(著者:こうの史代/双葉社)──
 広島長崎に投下された原爆によって何十万人の人が亡くなった、という言葉を聞いても、何かピンとこないものがあります。何十万人≠ニいっても、それは統計でしかないのです。我々が思いをはせねばならないことは、何十万人≠ノあった人間としての営み。その営みを予告なく一瞬のうちに奪われた人々の姿。その一瞬のため、後遺症を残し苦しみながら生きた人々の姿。その姿と真向かいになったとき、どのような論調であれ、原爆投下を正当化することなどできるはずありません。
 『夕凪の街 桜の国』というマンガは一九五五年の広島市にあった原爆スラムが舞台。被爆して生き延びた女性の十年後のすがたを描きます。彼女は原爆投下によって多くの知人が死ぬ光景を目撃します。その光景は目を離れず、「自分は死すべき」という思いから解放されません。しかし、彼女のことを愛する同僚の思いを通じて、自分の存在を怨む心から解放されていきますが、その矢先、彼女に被爆の後遺症が発症したのでした。
 一見正論にみえるけれど、実は嘘八百というものがあります。我々は真実に出会ってこそ嘘を見抜けるのでしょう。このマンガには物語≠ニして語られる真実があるのです。

 

■ コラム ■
死骸を拝むのではない
その人の生涯に輝いた
真実のいのちを拝むのだ
──作者不明──
 「葬式」と呼んでいた儀式を、最近では「告別式」と呼ぶ。更にすすんだ人≠ヘ「お別れ会」という形式をとって故人を偲ぶのだそうだ。親しい人が亡くなったときの儀式を何と呼ぶのか?これは非常に重要なことなのだと思う。
 「葬」という字は〔くさかんむり〕〔死体〕〔廾〕に分けられる。これは「多くの人が関わって草むらに死体をおさめる」という意味がある。「死」という字は〔歹〕〔ヒ〕。〔歹〕はバラバラの骨、〔ヒ〕は人間が跪いている姿。「死」は、骨に人間が跪き合掌するという意味があるそうだ。この場合、骨はただの物質ではない。人間が生涯を生ききった完全燃焼の姿が骨なのだ。つまり、「死」には人の生涯そのものに手を合わせるという意味がある。
 「葬式」とは、故人に縁のあった者が多く集まり、その人の生涯に手を合わせるという儀式なのである。「告別式」が、ただ単に死んでいった人に別れを告げる儀式なのに対し、「葬式」は故人の生涯を尊ぶという意味がある。さて、我々はどちらの儀式を勤めるのか。また、どちらの儀式を勤めたいのか。
 昨今、葬式の勤め方が多様化してきた。しかし、その儀式をこういうかたちで勤めたいのだと願い伝統されてきたことがある。多様化のなかで昔ながらのことができないこともあるが、その儀式に込められた願いの部分だけは大事に伝統したいと思う。

■ TrueLiving ■
「浄土」と「天国」
──谷大輔(良覺寺住職)──
 葬儀式の弔辞や弔電、親族が言われる「別れの言葉」等々で【天国】という言葉をよく聞くようになりました。その場合の【天国】は「死後の世界」を意味しているようです。また注意深くテレビを観ていると、言葉を語ることを仕事とするアナウンサーまでもが、「死後の世界」という意味で【天国】という言葉を使われる。この場合の【天国】とはどういう世界なのでしょうか?
 「死後世界」を、漠然と空の上にある世界──【天国】と呼ぶのはキリスト教からきているのでしょう。キリスト教のおける【天国】は「善き死者の赴く処」という世界なのだそうです。勿論この「善き」とは敬虔なる信仰心、つまりキリスト教への信仰を指すわけです。このキリスト教的な【天国】という概念が、現代日本人の死後世界を表す言葉として定着していることは不思議なことであります。まさに現代の日本人が得意とする、なんとなく信仰する=A深く考えず信仰する≠フ典型が、この【天国】という言葉の乱用にあるように思えます。あえて現代の≠ニいう言葉を強調したのは、このような現象は日本の歴史のなかで現代だけだからです。仏教信仰がしっかりしていた頃の日本人、特に「真宗門徒(もんと)」はもう少し丁寧に、大事な宗教用語を使ってきた歴史があったはずです。
 日本(東アジア)に古来からあった死後世界観は「冥界」であり「黄泉」だったはずです。つまり、「人は死んだら地下に堕ちる」という概念です。死に対する恐怖、それに伴う忌避の感覚がこういった死後観をつくったのでしょう。ただ、この死後観は、死を忌避するあまり、死を穢れとする死穢の思想を根拠にしているため、非常にグロテスクな死後世界観を作り上げてしまいました。
 仏教の輸入から仏教が民衆の生活まで浸透するまで千年近い時間を要しました。本願寺第八代・蓮如(れんにょ)上人によって、仏教の真髄が社会的に弱き者たちに広まったのです。無学で、経済力がなく、社会的身分が低い。しかし、仏教思想の真髄を生活のなかで体現し、生きた人たち。この人たちが我々の先祖であり、真宗門徒と自らを名告った人々なのです。
 真宗門徒は死穢を忌避しませんでした。つまり、死穢を根拠にする死後観である「冥界」を信じなかったわけです。ですから「冥福を祈る」必要もありませんし、「清め塩」をすることもありませんでした。真宗の門徒は、仏教の真髄である「迷いを離れ、真理を覚る仏道」を【浄土】へ往生する道として見出したのです。常に迷いから離れることのできない我々は命が終わることによって、迷いを滅することができる。そういう意味で、死することを【浄土】に往生するとも言えるのです。真宗門徒は、死することを迷いを滅すること、そして【浄土】に往生することと頂いてきたわけです。
 仏教用語において【天国】は六道の一つの迷いの世界でしかありません。六道も死後の世界ではなく、現に生きる我々がその時の状況によって陥る境涯を言います。「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の「天界」を【天国】ともいい、この世界は快楽しかありません。だからこそ、天界から堕ちたとき、とてつもない苦しみを味わうのです。
 我々が親しく付き合い命を終えた大切な人は、よく分からない【天国】という世界におられるのか、それとも【浄土】に往生されたのか、その言葉の意味をよくよく考え、浄土真宗の門徒を名告る我々はどちらを使うのかを決めて欲しいと思います。

■ 耳をすませば ■
『みんなの9条』
──(編:『マガジン9条』編集部/集英社新書)──
 爆笑問題の太田光氏などの著名人が憲法九条に関して発言をし、憲法九条について考えようという雰囲気が少しは出てきたように思います。現総理大臣が戦後体制からの脱却を声高に叫んでいますが、彼が脱却≠フ名のもとでやりたいことは憲法を変えること、殊に九条を変えることです。そのための法整備を着々と行っていますが、国民全体が憲法について、九条について充分な議論をしたということはありません。
 九条に関する書物は、難解な言葉が羅列されていたり、一方的な主張が展開したりで、取っ付きにくい場合があります。この『みんなの9条』は、インターネット雑誌「マガジン9条」が二〇〇五年から週一回ペースで更新し続けてきた、各界著名人の九条に関するインタビュー集です。各々インタビューの入り口が非常にソフトで読みやすくできていますが、内容が薄いということはありません。読み応えはあります。
 私は憲法を変えることに対して、頭から駄目だというのではありません。充分な議論がなされないまま、済し崩しのようなかたちで変わっていくことに憤りを感じるのです。この書物は九条とは何かということを知るための一助になる善い書物です。

 

■ コラム ■
弥陀の本願には
老少善悪のひとを
えらばれず。
──『歎異抄』より──
 ラムネに入っている栓の役割をする玉を何というかご存知だろうか?。一般的にあの玉を「ビー玉」というけれど、それは間違い。あの玉の正式な名称を「A玉」という。
 ラムネは炭酸水。しっかりと栓をする必要がある。そのために栓となる玉は真ん丸で傷があってはならない。厳しい規格審査に合格したものだけがラムネ玉として認められたA玉≠ノなれる。そしてラムネ玉に不合格のものはB玉≠ニ呼ばれている。規格外ではあるけれど、せっかく作ったものを捨てるのはもったいない。ラムネを買ってくれる子ども達にやろうと、B玉≠ヘ駄菓子屋に置かれるようになった。
 それから数十年経った。真ん丸ではない、傷がある、審査に合格できなかった規格外の不良品。だからビー玉(B玉)に居場所がないのかというとそうではない。子ども達の玩具として、今でも居場所がある。
 今という時代社会は人間をモノのように計っていないだろうか。役に立たなくなったモノは捨てられる。同じように人間を見捨てていないだろうか。健康でなく、年をとり、元気に働けなくなった人間はダメだという発想に毒されていないだろうか。
 たとえ社会の価値観から見捨てられても、計ることなく存在そのものが認められる世界を、我々は心の深いところで求めている。だから我々は「ビー玉の歴史」に心が動くのだろう。

■ TrueLiving ■
覚の会7月例会講話録(2007/07/19)
──三品正親師(守山市・蓮生寺)──
 本日は『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の 第三九条を学びたいと思います。
 「仰せに、「身をすてて、平坐にて、みな同坐するは、聖人のおおせに、「四海(しかい)の信心のひとは、みな兄弟」と、仰せられたれば、われも、その御ことばのごとくなり。また、同座をもしてあらば、不審なることをもとえかし、信をよくとれかしと、ねがうばかりなり」と、おおせられそうろうなり」。
 身分を捨てて、同坐する─皆が平等に交わるということは、親鸞(しんらん)聖人が「全世界の信心をうけておられる方々は兄弟と同じだ」と仰ったから、私蓮如もそのお言葉のごとくしたいという願いである。このような交わりを通して、不審なことも問い直し、真実の信心をとれと願うばかりである、と蓮如上人は言われたということです。この「同坐──人々の交わり」とは、この「覚の会」のようなものでしょうか。蓮如上人はこのような交わりを大事にされていたわけです。
 しかしこのような会はやろうと思えばやれます。蓮如上人の時代に「身をすてて」ということは非常に難しいことでした。人は身分でその価値をはかられ、そのことで社会の秩序を守っていたわけです。その時代にこうした場を設けられたわけです。色々な身分の人々が同坐するということは、大きな意味で当時の日本の国家体制を崩すということなのでしょう。しかし仏法という立場でものを考えるなら、「四海みな兄弟」ですから世界中の人々が「同坐」する──誰の身分が高いとか低いではななく、共に生きるということに目が向けられる。つまり、一人の人間というところに目が向けられる教えが仏教です。そして、その具体的な表れが「平座」なのです。法律的にも身分差別がない現代の感覚ではなく、当時の人の感覚で平座を目の当たりにした人々は驚かれたことでしょう。蓮如上人は何とか仏教を具体的に人々に浸透させたいと願われたわけです。
 蓮如上人は親鸞聖人の教えから平座ということを学ばれました。親鸞聖人は今から丁度八百年前、流罪に遭われ越後に流され、民衆と関わられたことでご自分の教えを深められました。この流罪がなければ浄土真宗はなかったでしょう。当時の僧侶は国家公務員でした。犯罪者となると僧侶身分は剥奪です。まさに一人の人間として流刑地に追われたわけです。逆に一人の人間となって生活されたことが、民衆の一人として教えを聞くということを可能にしたのでしょう。
 現代の我々が平座・同坐という教えを聞くとき、どのような意味を持つのでしょうか。私はこの同坐ということを「私は本当に縁ある人と同坐できているだろうか」という視点で深めていく必要があると思います。実際の生活のなかでも身近な人と共に生きているのかというと、できていない。他人の気持ちが全て理解できたり、他人の立場に立ってものを考えることができるのかというと、できません。しかし、同じくいのちを生きている者として、全ての人と共に生きることを求めることはできます。他者と同じく生きることはできませんが、他者と寄り添って生きることはできます。
 身をすてて平座・同坐という教えを、今を生きる我々が他者と寄り添い生きているのか、我々はそのことを課題にして生きているのかということを問う教えとして味わうことができると思います。

■ 耳をすませば ■
シリーズ宗祖旧跡〜親鸞聖人出家得度の地『青蓮院』
──(京都市東山区粟田口三条坊町69−1)──
 浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)聖人は、京都東山にある天台宗の青蓮院において出家得度されました。養和元(1181)年、9歳だったと伝えられています。
   青蓮院は延暦寺にあった僧坊が起源と伝えられ、門跡寺院となって山下に移りました。青蓮院が最も栄えたのは、平安末期から鎌倉初期、慈円(慈鎮)和尚が天台座主の頃だと伝えられています。丁度その頃、幼い親鸞聖人(幼名・松若丸)は慈円和尚のもとで剃髪、出家得度されたのでした。
 親鸞聖人は藤原貴族の流れをくむ日野家の嫡男として生まれました。この時代、この立場にある者が幼年にして出家するのですから、何か事情があったのでしょう。おそらく親鸞聖人が自ら選んだことではなかったはずです。
 時は平安末期。源平の合戦は絶え間なく民衆の生活を脅かしました。そして天災。虫のように生き死んでいく民衆を幼年の親鸞聖人は目の当たりにしたはずです。自分の意志でなく仏門に入った親鸞聖人でしたが、その混沌とした時代のなかで人間が人間として生きる意味を仏教に見出そうとされます。親鸞聖人の歩みの起点が、この京都東山にある「青蓮院」なのです。
 親鸞聖人は青蓮院の宸殿(しんでん)で得度されたので宸殿を「お得度の間」ともいいます。また四脚門横には親鸞聖人得度の像と得度のときの言葉「明日ありと/思う心のあだ桜/ 夜半に嵐の吹かぬものかは」の碑があります。長屋門北には植髪堂といって、親鸞聖人が剃髪されたときの髪が祀られていると伝説されています。

 

■ コラム ■
「ありがとう」
の反対の言葉は
何でしょうか?
──ある説教者の問いかけ──
 今年聴聞した法話のなかで、突然説教者が聞法している人々に問いを発した。「ありがとう≠フ反対の言葉は何や?」。皆さんはどのようにお答えになるだろうか。
 「ありがとう」を漢字で「有り難う」と書く。有ること難し──つまり奇跡ということであろう。生まれて、生きてきた自分。このことを少しでも真面目に考えたなら、生きるということは奇跡であることが分かる。赤ん坊は一人では生きられない。必ず誰かに世話になる。自分で箸を使い食べられるようになったとしても、食べ物は誰かがとり、運び、料理してくれたから食べられるのだ。何より私が食べる物は命なのだ。私のせいで死んでいった命は無量にある。空気は、水は…私を生かすために無量のご縁があった。こういったご縁が一つでも欠けていたら、今の自分はいないのだ。
 今、生きている自分を奇跡と受け止める言葉が「有り難う」なのである。我々はこの「有り難う」を忘れていないだろうか?。これは、繁栄や生活水準が上がったことへの感謝が足りないという、単純な論調で言われる問題ではない。そうではなくて、どのような自分であっても、今生きているこの自分をそのまま受け容れ、この自分を奇跡であると感動し、有ること難しと頂く視点を忘れていないだろうか。
 「ありがとう」の反対の言葉は?という問いの答は「当たり前」である。

■ TrueLiving ■
外道の相〜「六曜」
──谷大輔(良覺寺住職)──
 親鸞(しんらん)聖人は自作の和讃(わさん)のなかで
五濁(ごじょく)増のしるしには
 この世の道俗ことごとく
 外儀(げぎ)は仏教のすがたにて
 内心外道(げどう)を帰敬(ききょう)せり
と語られます。世の中に濁りが増したことの表れには、世間の僧侶や在家の仏教信者はことごとく、うわべは仏教の姿形をとっているけれど、内心は仏教から外れた生き方を信じている、ということです。外道に帰敬することを具体的に言えば、
かなしきかなや道俗の
 良時吉日えらばしめ
 天神地祇をあがめつつ
 卜占(ぼくせん)祭祀つとめとす
つまり親鸞聖人は、暦によって良い日悪い日をえらぶこと、神に自分の欲望をたのむこと、占いを信じて生活することの三つを挙げておられるわけです。  この文章では、外道の相の中の「良時吉日えらばしめ」──暦によって良い日悪い日を選ぶこと、特に【六曜(ろくよう)】の問題点を取り上げたいと思います。
 「日月火水木金土」という七つの日を一週とし規則的に配列していく現在の暦を「七曜(しちよう)」といいます。その「七曜」に付随し、多くのカレンダーに小さい字で「先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口」と書かれています。これを【六曜】といいます。現在「七曜」に良日悪日という意味はありません。逆に【六曜】には良日悪日という意味しかありません。【六曜】は古くからある日本の文化だという人がいますが、果たしてそうでしょうか。
 【六曜】は宋の時代に中国で作られた暦です。これが室町時代に日本にはいってきました。幕末の暦には小さく書かれていただけのものだったそうです。一八七二年に明治政府は、【六曜】等の迷信は「妄誕無稽」(嘘偽りで拠り所もない)として使用を禁止します。明治以降、全く廃れていた【六曜】が戦後に復活します。しかも【六曜】の本来の意味とは逸脱した意味を与えられて。
 一般的に大安は吉日、仏滅は凶日といいます。本来、大安は泰安と書かれていました。これはゆとりがあるという意味で、慌てずにゆとりをもって過ごそうという日だったのです。仏滅は物滅と書きます。これはこの日から物事を始めようという意味。結婚式は仏滅を避けますが、本来の意味でいえば仏滅に挙式することのほうが正しいのです。友引は共引と書き、引き分けという意味。友引に葬式を出したから亡き人が近親者を引くという意味ではありませんし、亡き人は近親者の不幸を願う悪霊ではありません。
 なぜ戦後において【六曜】に新しい意味が与えられたのか。一説には戦後に結婚ビジネスが盛んになり、商売しやすいように勝手に意味が与えられたとか。【六曜】は日本の伝統的な暦ではありませんし、文化でもありません。
 我々は物事を自分の都合を中心に、善いこと・悪いことに分ける習性があります。自分に都合のよいことは受け容れられるけれど自分に都合の悪いことは受け容れられないのです。人生は苦楽の繰り返しですから、自分の思い通りにはいかない。どのような人生であっても、自分の思い通りにいかない人生であっても、この人生は自分の人生であると引き受けて生きる生き方こそが真の生き方であると仏教は教えます。
 しかし、いくら教えられても自分の都合に振り回されるのが我々の生活です。そんな自分に開きなおらず、自分の思いに振り回されている自分の思いそのものを課題にして生きる生き方が「仏道」を歩むということです。ただ、自分の思いを大事に、自分に都合を大事に、【六曜】などの暦を信じる──良時吉日を選んで生きる生き方を「外道」と親鸞聖人は教えてくださっているのです。

■ 耳をすませば ■
『茶色の朝』
──(物語:フランク・バヴロフ/大月書店)──
 ある日、主人公は友人から飼い犬を安楽死させたと告げられる。理由は「茶色じゃなかった」から。主人公は、少し前に茶色ではない#Lを安楽死させたことを思い出す。きっかけは科学者たちが茶色の動物が都市生活に適していると言い出したこと。社会全体が茶色優遇になり、茶色優遇政策に反対する新聞は廃刊、図書は廃棄される。そのうち、茶色に染まっていく社会に誰も違和感を感じなくなっていく…。
 「茶色」はナチスを連想させる色なのだそうです。一九九〇年代後半、フランスにおいて極右が台頭しました。そういったフランスの社会情勢の中で書かれたのが『茶色の朝』です。知らず知らずのうちに茶色≠ノ変わっていく社会はフィクションではなく、現実の問題だったのです。
 『茶色の朝』が教えてくれる最も重要なことは「無関心」の問題性です。徐々に社会そのものが茶色に変えられているかもしれない。そのことに無関心であると、茶色に変わっていく自分自身にも気付くことができない。これが流されて生きるという生き方なのです。
 社会全体の風潮に自分を合わせるのではなく、自分として人間として何が大切であるのか学び、心にとどめる必要があります。

 

■ コラム ■
私は手本になることは
出来ないが
見本になることは出来る
──高光大船師──
 我々門徒(もんと)門徒は親鸞(しんらん)聖人を、ある意味で信仰の対象としてきた。昨今では親鸞聖人に対する崇拝の意識は薄れてきたが、それでも親鸞聖人を偉人として特別視する視点は残っているように思う。私はこれらの親鸞聖人に対する接し方が、親鸞聖人を学ぶときに正しいとは思えない。
 親鸞聖人は人間として苦悩に満ちた生涯を真摯に生きられた。そして、その苦悩の生涯のなかで浄土の教えを自分自身の身を通して聞ききられ、ご自分が頷かれた真実を言葉にして書き記して下さった。親鸞聖人自身のうえにあった様々な人間としての課題。この課題を生涯にわたり問い続け、明らかに示して下さったのである。だから親鸞聖人の教えは高邁な理想ではない。親鸞聖人の教えの底辺には、人間のドロドロした汚い部分があるのだ。
 そういった意味で、親鸞聖人の生涯そものが、人間がどのように生きていけばよいのかを物語っているとも言える。しかしそれは親鸞聖人のように生きよということではない。親鸞聖人のと異なる機を生きる我々が親鸞聖人のように生きることは不可能である。しかし、願生浄土の道を得て、事実としてその道を歩まれた念佛者として親鸞聖人と出会うことはできる。
 親鸞聖人を真摯に真実を求めた念佛者の見本として学ぶとき、真実ならざる我々の相がみえてくるかもしれない。親鸞聖人の生涯が私の生き方に対して問題を提起しているのである。

■ TrueLiving ■
覚の会9月例会講話録(2007/09/19)
──高木淳善師(草津市・覺成寺)──
 本日は『蓮如(れんにょ)上人御一代記聞書』の第四七条を学びたいと思います。「法敬(ほうきょう)坊、九十まで存命そうろう。「このとしまで聴聞もうしそうらえども、これまでと存知たることなし。あきたりもなきことなり」と、もうされそうろう」とあります。法敬坊とは蓮如上人のお弟子でした。この法敬坊が90歳にまでなられて、これまで長い間仏法を聴聞してきたけれど、これで分かった、仏法を聞き飽きたということもない、と言われています。この後半部分、「あきたりもなきことなり」を中心に話をすすめてまいります。同じ趣旨の蓮如上人の言葉に「ただ、一つ御詞を、いつも聴聞申すが、初めたるように、有難き」とあります。何度も同じ教えを聞くけれど、一つの大事なことは何度聞いても初めて聞くように新鮮である、という意味です。
 真宗の教えを突き詰めれば、『歎異抄(たんにしょう)』という書物にある「本願を信じ、念仏をもうさば仏になる」ということになるかと思います。こういう内容のことを何度聞いても新鮮なのだということは、私には不思議な感じがします。おそらくこれは、言葉面を何度も聞いて新鮮に感じるということではないでしょう。念仏をもうしたら仏になるということを、自分自身の身の上でいただかれたとき、いつ聞いても新鮮だと言えるのでしょう。
 私事ですが去年長男が生まれました。そのときに立ち会い出産をしたわけです。出産に時間がかかり自然分娩ではなく帝王切開での出産を決定した瞬間、赤ん坊が自然分娩で生まれました。子どもが自分が生まれようとする意欲によって生まれてきたことを感じます。我々周りにいる者は生まれさせようとしていたけれど、子どもは自分の生まれたいという意欲で生まれてきたわけです。正に我々の意識であるとか思いを超えたような、いのちそのものが生まれたいと願い生まれ出たような感覚をおぼえました。
 2011年に本山で勤まる親鸞(しんらん)聖人750回御遠忌の真宗大谷派のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」です。私がいのちを生きているのではなく、いのちが主語になっています。このことを頭で考えると分かり難いですが、子どもの出産の体験から、いのちそのものが私となって動いていると感じました。これが仏の言葉でいうとろこの「無量寿(むりょうじゅ)」ということなのでしょう。また、胎児としてやどり生まれるということには、無数の縁があります。これを「不可思議(ふかしぎ)」といいます。私が今ここに在るということは、私のはからいを超えて、無数の縁、深い背景があるのです。御遠忌のテーマについて「無量寿」という言葉を通して語られることが多いようです。しかし、「不可思議」ということも忘れてはなりません。私のはからいを超えた深い背景によって、今、私はここに在るのです。
 昨年、私の長男が誕生したとき大谷大学の掲示板にタゴールの言葉がありました。「われ存すということが不断の驚きであるのが人生である」。この言葉を通して『聞書』の言葉をみると、仏法を通して教えられる自分というものは、驚きの連続である、と。念仏をもうしたら仏に成るという理屈を聞き続けても驚きは感じられません。自分自身の身にあててて、自分自身の存在が驚きの存在であるということが仏法によって知らされ続け、仏法によって言い当てられた自分に出会い続けることが驚きであり、新鮮なのです。

■ 耳をすませば ■
『親鸞聖人四幅御絵伝御絵解』
──(口演:沙加戸弘/方丈堂出版/DVD)──
 本願寺第三代の覚如(かくにょ)上人は宗祖である親鸞(しんらん)聖人の生涯を『本願寺聖人親鸞伝絵』として書かれました。『本願寺聖人親鸞伝絵』は伝記『御伝鈔(ごでんしょう)』、絵伝『御絵伝(ごえでん)』に別れます。『御伝鈔』は報恩講の初夜勤行に拝読し、『御絵伝』四幅は報恩講のとき余間にお掛けします。
 今ではほとんど見ませんが、古来報恩講には『御絵伝』に描かれた絵を真宗の教えに照らし解釈し、人々に伝えるということがされてきました。これを「御絵解(おえとき)」といいます。「御絵解」は絵を解説するものではありません。単なる絵の解説を「絵説(えせつ)」といいます。「御絵解」は「絵説」と違い娯楽性を含んでいました。我々の先祖先達は報恩講のたびに「御絵解」口演者の語る感動的な、また面白可笑しい宗祖の姿に出会ってきたのです。明治に入りあまりにも娯楽化した「御絵解」を本山は禁止します。それ以降、近代化の波のなかで「御絵解」は衰退してしまいました。
 近年、法話が仏教用語解説の場に堕してしまったり、仏法聴聞を仏教勉強会だと勘違いする僧俗が増えました。「宗祖伝」といっても事績と年号を説くだけの味気ないものが増えています。各寺で「御絵解」が復興していくことは、そういった現状を打破する一助になるように思えます。

 

■ コラム ■
はじめに軽蔑があれば
お互いの間に交わりは始まらない。
はじめに尊敬があって、
初めて生活は深まっていく。
──竹中智秀師──
 法然(ほうねん)上人は、お念佛を頂いて日々の生活を営む者は「不軽(ふぎょう)大士のごとく」生きるべきであると教えてくださった。「不軽大士」とは『法華経』に出てくる「常不軽(じょうふぎょう)菩薩」のことである。
 常不軽菩薩は、どのような人にも「あなたは仏と成るべき尊い人です」と合掌し礼拝し続けられた。その行為が時には人の反感をかい、石を投げられたり、棒で打たれたりもした。それでも、この菩薩は人を合掌し礼拝することをやめなかったという。「常不軽」とは読んで字の如く、常に人を軽蔑することがないという意味である。全ての人と、まず尊敬から関わりを持たれた菩薩なのだ。法然上人は、念佛者は常不軽菩薩のように生きろと言われるのである。
 全ての他者と尊敬から関わりを始めているのかと問われたら、我々は口ごもるしかない。能力や財力や地位などで人に優劣をつけ、劣ると思えば軽蔑もする。逆に優れていると思えば劣等感に苛まれる。他者と関わる時には常に自分の思いに閉じこもり、他者と向き合うことができない。これが我々の相ではないか。
 法然上人は事実として常不軽菩薩のように生きられない人を、念佛者ではない駄目な人であると言われるのではない。どのように生きることが真であるかを学び、自分の生き方を省みよと言われるのである。そして、今の自分の生き方の何が問題なのかを知り、今の自分の生き方から足を一歩踏み出せ、と教えられるのだ。

■ TrueLiving ■
報恩講講話録【前編】(2007/11/17.18)
──竹橋太師(北海道・法圓寺)──
 仏教を学ぶとは、何度も話を聞いて、沢山のことを覚えて、賢くなるためだと思いがちです。仏教を学ぶとは、一生懸命に勉強して分かるようになるということとは少し違います。この発想は世の中と同じですね。頑張って上を目指そう、と。その発想にとらわれると、頑張らない人、頑張れない人は駄目な人であり、一人前ではないと評価されます。仏の教えは、全ての人を救う、みんな救うと教える。こうでなければならないと決めたら、そこに漏れる人が必ず出てきます。ですから、仏の教えは無条件なのです。
 世間には仏に救われたいと思っていない人が多くいます。そういう人は仏教など聞きませんし、寺にも来ません。ここにも半分はそう思っている人がいるかもしれません。実は、自分が救われなければならないと思うことが、仏法に出遇うことなのです。自分は助けられなければ生きていけない、阿弥陀様に遇わないと生きていけないと分かる。それが聞法です。自分が助けられなければならないと分かったら、真摯に聴聞するようになります。浄土真宗の信心とは、聞くことを積み重ねて理解を深めていくのはなく、聞けば聞くほど「私は聞かねばならない」ということが見てくる。聞くことができるようになる教えなのです。浄土真宗の信心は、信心できたら終わりということではありません。
 本日は一番最初に「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿(ぐとく)鸞(らん)、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし」という讃題を出しました。親鸞(しんらん)様がご自分のことを言われた言葉です。「私親鸞は愛欲に溺れ、名誉欲に迷い、覚るべき者に成ることを喜べず、本当の覚りに近づきたいとも思わない。恥ずかしいことだ、傷ましいことだ」と。我々でも言えそうな言葉かもしれません。しかし親鸞様は仏法を何度も聞いて、歳を重ねられて、こう言われているわけです。
 仏教に卑下慢(ひげまん)という教えがあります。自分で自分を悪いと思うことは、思い上がりであるという教えです。普通は反省をするということを良いことだと言います。人間は反省をすることができるから進歩し繁栄したわけです。仏教はそれを駄目だと言っているのではありません。思い上がりだと言っているのです。自分を駄目だと言っているのは誰か。これも自分です。駄目だと言うということは、それを言っている自分は正しいということですね。「俺は駄目だ」と言っている自分はいつでも正しいわけです。親鸞様はご自分を自分で評価する言葉として「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して」と言われたのではありません。仏の教えを聞くことで見えてきた自分のことを言われているのです。
 我々は、真である仏の教えに出遇うと、自分も真に成れると思っております。そうではなく、真である仏の教えに出遇うことで、私は偽物だということが分かる。私には全く真はない、私は全て偽物だと分かるのです。阿弥陀様と出遇いと「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して」いる自分があきらかになる。このことが浄土真宗の「信心」なのです。【続】

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■ 耳をすませば ■
シリーズ宗祖旧跡〜親鸞聖人修行修学の地『比叡山延暦寺』
──(大津市坂本本町4220)──
 青蓮院で出家得度された親鸞(しんらん)聖人は以後二〇年間、比叡山延暦寺で修行修学に精進されます。
 昔から比叡山へは修学院の雲母坂から上山しましたので親鸞聖人もここから上がられたのでしょう。伝説によると親鸞聖人は、まず無動寺谷大乗院で修学。その後、西塔にある常行堂で堂僧として修行されたと伝えられます。その後、根本中堂、横川中堂でも修行。西塔にない堂の手前、にない堂に向かって参道の左側に「親鸞聖人ご修行の地」という石碑があります。
 当時、日本仏教界の最高権威にして最高学府、名だたる優秀な学僧が多数おられた延暦寺ですが、親鸞聖人は二九歳にしてそこを去られます。下山理由の詳細を知ることはできません。後の親鸞聖人の行動から推測するに、親鸞聖人は比叡山で仏教によって本当に救われていく人と出遇われなかったのでしょう。高尚な教えはある。行ずる人もいる。しかし、救われる人はいない。これ以上、ここにで学んでも、この教えでは私は救われない。こういった深い絶望が親鸞聖人を下山させたのだと考えられます。
 若き親鸞聖人の苦悩の痕跡を、比叡山は我々に感じさせてくれるかもしれません。




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