◇月報良覚寺「無上尊」◇
「無上尊(むじょうそん)」というのは、良覚寺で出している月報誌(寺報と言ったりしますが)の名前です。いちおう縁ある人に毎月お届けしてます。ここはその「無上尊」からの転載コーナーです。
格好つけた言い方をすれば、住職が色んな「伝えたい」ことを、この「無上尊」を通して発信してるんですよ。 そして「無上尊」は、住職が「伝えたい」ことを通して縁ある人と結んでいるつながり≠ネんです。
◇「無上尊」のContentsについて◇
左がContentsです。クリックしてもらえば各月の「無上尊」が開きます。上の方に各月のメニューが出ます。って言っても各月三つしかないんですけどね。
■ コラム
(コラムが一番最初でいいのかと思いつつ)これは住職の駄文です。生活してて、世の中のことを通して、教えを聞いて感じたことなんかを書いてます。最初に言葉を紹介してますが、書いたことと通じる言葉を選んだり、その言葉から感じたり教えられたりしたことを内容として書いたり、色々です。
何よりも作るのに苦痛な欄でして・・・。まあ気楽に読んでください。(できれば感想など掲示板に書いてくださると嬉しいのですが)
■ True Living
これは良覚寺で行われた法要・研修会の講義録を載せてます。
ある先生は「念仏(ねんぶつ)」という言葉をtrue living≠ニ訳されたんですよ!。
true living≠ヘ直訳すると「真実の生活」ですよね。普通、「仏を念ずる」とか「阿弥陀仏に南無する」とか訳しそうなもんでしょう?(どう訳すか分からんけど)。訳せなかったら「nenbutu」ってしちゃうかね。
「念仏」が開く世界っていうのが「真実の生活」なんだ、って逆に英訳から教えられました。
良覚寺で行われることが、念仏=真実の生活を開くことを願い(またそうあることが本当だと自省し)こういう名前にしました。たいそうなネーミングです。
■ 耳をすませば
仏教(仏の教え)とかいうものは、難しい経典の中だけにあるんじゃない。街角やら茶の間やら書物やら
映画やらマンガやら音楽やら色んなメディアの中にもあるんです。耳をすませば聞こえてくるかも。
この欄は住職が、世の中にある色んなものの中から、心を動かされたものを紹介してます。これらに仏教があるんだとは言い切りません。ただ、住職はこれらのものの中に何かを感じてます。
◇「無上尊」という言葉◇
この「無上尊」って言葉は、住職が仏教と縁を持って一番最初にいいなあ≠チて思った言葉なんです。
お釈迦さまが誕生された時に「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたのは有名な話ですよね。『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経には、「われ、まさに世において無上尊となるべし」と発せられたと書いてあります。両方とも意味はいっしょ。
人間が生まれてすぐに喋るわけない。仏教は、このお釈迦さまの誕生逸話で、私たちに何かを教えようとしてるわけです。
人間は誕生した時はみんないっしょです。そりゃあ環境とか性別とか色んな違いはあるんでしょうけど、生まれたての赤ちゃんには、そんなこと関係ないでしょう?。ただ生きたい≠チてだけでしょう?。成長して知恵がついて色んなことを覚えると、あいつより上になりたいとか、こいつよりも下なんじゃないかとか、比べるということをするようになっちゃう。他人よりも上へ上へを目指してるんだけど、それができないから自分を卑下する。悲しいですよね。
そういう生き方が「最上尊」を目指す生き方なんです。
他人より最も上にいきたい、尊くなりたいという場所に立って生きている限り、下にいきたくないから他人と争うことにもなるだろうし、下の自分が嫌だから自分で自分を見捨てることにもなってしまう。この生き方が本当なの?
そうじゃないはずです。上も下も無い、生きていることそのものを尊いとうなずいていけることが、本当の生き方なんでしょう。生まれ出た赤ちゃんのように。そして、いつもは最上尊を目指す生活に一喜一憂しているけれども、心の深いところでそれで、そういう世界を願っているはずです。
仏教は「無上尊(上も無い、もちろん下も無い、存在が尊い)」という言葉で、私たちが何故解放されないのかを教え、私たちの本当の願いを言い当てようとしてるんです。しかもそれを「世において(最上尊の生き方が全ての世間=時代社会の中で)」実現するんだと。
だから「われ、まさに世において無上尊となるべし」って、私たちが誕生した時から持ってる本当の願いなんでしょうね。
最近、全盲のソプラノ歌手新垣勉さんがすごい言葉を言っておられますよね。
ナンバーワンを目指すのでなく、オンリーワンを生きよう
まさに「最上尊」から「無上尊」へ、です。
to index flame